3-11
メアが席を外してる間、かなり微妙な空気が流れている。
ファンの人はフィロガに気遣う視線。激怒した上にディートリヒがいないから、魔力を自分で抑えようとして無言よ。
場の空気を持たせるためか、普段と違う話し方で私にファンの人が声をかけてくる。
「色彩さん。あまり気を張ってると持ちませんよ。こういう時こそ、笑顔が大切です」
内容はいつも通りよ、言い方が違うだけで。前から「ちょっとは愛想笑い見せなさい」とか小言はあったし。
でも、それは義兄にも刺さるわよ。事実、フィロガが気まずい顔でため息をついている。
「そう、ですね。俺も、心の余裕は持たないと」
「フィロガさんは不可抗力でしょう。『死神』と関わると心労が増えますよ」
「それは、どうでしょうね……」
言葉を濁したフィロガを見てファンの人は「大体の人間はそう感じます」と続けた。
「彼女は規律や作戦を無視する傾向が強くて、各国の軍部でも警戒対象と言われています」
「各国の……ですか」
「ええ。私の祖国でもやらかしてあの外部講師ともども入国制限が掛かっています」
「外部講師って、リーザという青年ですか?」
話が嫌な方向に転がったけど耳をふさぐのも不自然よね。フィロガの視線が私に移った気配を無視して、扉に顔を向けた。幸い、あの傭兵の人の話題は深掘りされることなく過ぎていったわ。
「色々とご存知なんですね」
「昔は軍部にいまして。元同僚も健在ですしそっち方面は情報が入りやすいんです。まあ、制約に違反しない程度の付き合いでしかありませんけど……本人達を見ても、話を聞いた時の印象と変わりません」
「そうなんですか」
さっきから相槌しか打ってないフィロガはもしかしてファンの人が苦手なのかもしれない。
彼女も彼女で素じゃないし、どこか不自然に私には映る。
そんなことを思っていたらファンの人が小さく笑う。
「……警戒してますか?」
「え、あ、いえ」
「別に気にしませんよ。あなたが女性を苦手とするのは知っています。それに、自分の不名誉な噂も広がっているでしょう」
どんな噂か知らないけど、フィロガの様子から結構な話が出回っているんだってことだけは理解したわ。みんな、好き勝手に尾ひれを付けていく。私は大して興味ないけど、きっと自分の噂も回ってるからこの状況になったんでしょう。
一瞬だけ、ファンの人がいつもどおりの空気になった。
「むしろ利用してますので」
「強いですね」
「強い、ですか……強くならざるをえなかった、が正しいかもしれません。協会に来る人間は大なり小なりそうでしょう。ここはそういう強さも求められる場所ですから」
半分独り言みたいな言葉に、義兄はちょっと共感しているようにも見えた。こいつの警戒心は薄れてるみたいで、何となく私はモヤッとした気持ちになる。今までロクに話したことないはずの二人なのに、距離感が少し近づいてる感じが。
なんでそう思うのか、この気持ちに名前を付ける前に、扉が開いた。
導師とメアと、護衛として部隊長が入ってきた。
「君達は大丈夫かい?」
厳しい声の導師に義兄が真っ先に反応する。
「現状は問題ありません。ただ、俺と……リリーはこの本を読んだので、どう影響するかは予測できません」
メア経由で知らされているはずだから、私も頷くしかない。本当は同意したくないのだけど。
部隊長は手に腕輪式の魔道具を持ってきている。あれは魔術の使用そのものを制限するもの。『癒』から融通してもらったんでしょう。錯乱した魔術師相手に使うものだからかなり気分は悪いわ。個人的にも二度と見たくない。
目を逸らしていたら導師は例の本を鎖でがんじがらめにした。
「触れたと分かっているのは、ここにいる人間だけかな」
「恐らくは」
難しい顔をする導師にフィロガは答える。メアの方に顔を向けると導師に注目してる。更にそのメアを部隊長が監視してて……どういう状況かは気になる。
「一応、確認するけれど、幻覚を見たり体や心の変調はなかった?」
さっきも聞かれた言葉。
私は嘘をまたついた。義兄は黙って答えなかった。
導師はそんなフィロガの様子を咎めないで私たち二人を『癒』の塔に連れていく。部隊長は義兄の行動を不審に思って追及しかけたけど、やんわりと導師が止めたのよね。
ファンの人とメアは『剣』署長の元へ報告に向かったわ。部隊長が腕輪を持ったままついてくる。必要とは判断されなかったことにとりあえずほっとした。
うすぼんやりと光る階段を上がる途中、導師が部隊長に話しかける。
「呪術……正しくは呪詛なんだけど。あれは人の心の隙間に入り込んで痛めつけてくるのが常でさ」
「強力であれば、そうだと聞き及んでおります」
「うん。今回は多数へ暗示をかけることが目的に思うよ。印象操作、だろうね。でも、一度かけられると、ふとしたきっかけでぶり返すことがあってね。この本の呪詛は弱くても、相手によってはそうじゃない。個人的には許しがたいよ、人の傷口を抉るようなやり方にも使っている」
部隊長は口を閉ざしているフィロガを盗み見る。私が知らない、知ろうとしなかった過去のことを、この人はもっと知ってるのかもしれない。『剣』の役職付きなら可能性は高いわ。
『癒』の一室に入ると、そこには真剣な表情の『癒』部長が待っていた。ディートリヒはいない。義兄対策でてっきりまた呼び出されるんじゃないかと思ってたのに。
「それじゃ、頼むよパミラ」
「はい。リリーさん、ここに座ってくださいね」
呼ばれたのは私だけ。
みんなはそのまま遠ざかっていく。フィロガはちらちらこっちを見ながら不安な表情になっているわ。そんな心配なら、さっさと帰ってきなさいよ。苛ついて睨んだら目を伏せられた。
これは、尋問の続きと思っていいのかしら。
仕方ないから大人しくソファに座る。応接室にも似た雰囲気の室内で、『癒』部長は書類の束を目の前に差し出した。どことなく表情が暗い。微かな木の香りがする。嗅ぎ慣れない匂いね。
「件の呪術書で、貴方が容疑者扱いになった理由。心当たりはありますか?」
厳しいもの言いは普段の優しさからは遠い。一部署を任されてるならそんな一面を持っていても当たり前よ。
「覚えがないです」
素直に答えると視線を机に落とす『癒』部長。しばらく目をつぶったあと、彼女は一枚の資料を束から抜き取った。
「先日の演習場での事故で、貴方のデータを取りました」
ディートリヒが苦い顔をしていたことを思い出しながら頷く。
魔力汚染が問題になっているってことかしら。でも、そうなら部長の表情は説明がつかない。まるで、内面に抱えている怒りを隠しているみたいで。
私に向けてじゃない、とは分かる。本人は無自覚。だからじっと続きを待った。
「協会に就職する時と同じレベルの精密検査です。結果にあり得ない数値が出ています」
「どういう意味ですか」
聞き返すと部長の横に水狼が出てきて彼女の膝の上に頭を乗せて甘えている。水狼を撫でた部長は「コルデー、ありがとう」と苦笑い。
さっきまでの怒りは霧散した。代わりに部長は私をまっすぐに見る。
「先天性魔力回路奇形、と私たちは呼んでいます。今の貴方は、本来ならば魔術を使うどころか日常生活にも支障をきたすレベルの重症です。にもかかわらず、こうして生きています。現代医学では不可能といわざるをえません。これが発覚しなかったのは、貴方が偽造したからですか?」
私は表情を変えない。
部長の言葉は正しい。本来だったら、私はもう用済みでこの世にいないはずだった。
今ここにいるのは、ただ状況に流され続けた結果でしかないわ。でも、そんな事を理解できるのはたぶんメアくらい。あの人は人間からはみ出しているから。
普段は一号って呼ばれてる水狼が近寄ってきて鼻を足元にくっ付けてきた。この子はただの魔術の産物じゃなくて心があるから、誤魔化しは効かない。
だからそのまま思ったことを言った。
「詳細はリセロ元導師に聞いてください」
疑われた理由は当然。そして、これに対する答えは一つだけ。
偽造したのは私じゃないもの。元導師のあの人だったから。経緯なんて知らないというか、説明できないのよ。
一拍置いた部長の目がより暗く陰った。彼女は考え込んでから書類を机の上に戻した。
「私がわざわざ貴方に尋問している理由があります。フィロガ室長から貴方の変調が報告されました」
何のことかさっぱり分からない。しかも義兄が報告?
そんな私の様子に部長がため息を吐いた。一号が消えてしんと静まり返る。
「一定の周期で夢遊病を発症している、という内容です」
夢遊病だなんてどういう事よ。
でも、違和感が頭をかすめる。そういえば、昔、フィロガに変な話を振られたような覚えがあったわ。馬鹿馬鹿しいって気に止めてなかったはずだけども、瞬間的に出てくるってことは私もどこかで引っ掛かってた?
困惑する私に部長が話を付け加える。
「同居してから……正確には、彼が協会に帰ってきた後からだそうですが。フィロガ室長の不在を確かめようとしてくるそうです」
あいつが帰ってきた後。
ああ、そういうことなのね。私はすぐに納得した。だって、あれで私は打ちのめされた。それ以外の切っ掛けは無いでしょう、この場合。
でも、他人に話す気はない。そのはずなのに……私はどうしてか口にしていた。
「一人きりが寂しかった、からだと思います」
「こちらは心当たりがあるんですか?」
おかしいわ、なんで言葉にしているのよ。でも聞かれた内容に私は素直に答える。
「あの人は家族だからです」
「確かにそうですね」
「違います。意味が全然違います。私の本当の家族よりも、家族だと思ってしまったから。だから一人取り残された時に捨てられたって絶望したんです」
手に雫が落ちた感触がする。こんな、おかしいわよ。人の前で泣くなんて。絶対に何かされている。頭がぼんやりとしてきたもの。
でも考えがまとまらなくて、あの時の気持ちばかりが浮かんでくる。馬鹿だった。私は大切な人を作る資格なんてもう無いのに。だからきっとフィロガも私を見捨てたんだって。
「貴方にとって、彼はとても大切なんですね」
「違う、違います、嫌、だって、もう父様のこと、思い出せない、嫌」
「……そう、ですか」
気付かない振りをして暮らしてたのに。言葉にしたら駄目じゃない。フィロガだって、私を代わりにしているだけだって、そう思い込まないと駄目じゃない。イザベラがあまりにも可哀想。父様の代わりなんていないはずでしょう、そう思わないと。
何を思ったのか、部長は席を立って香炉を持ってきた。
「このままヒルマまで思い出せなくなったら、私、もう生きていけない」
「どうしようもない時は、考えを止めたほうがいいですよ」
その言葉と一緒に香炉へ何かの花びらを入れた。微かな清涼感のある香りが部屋に広がっていく。ぼんやりどころじゃなくて頭が痺れてくる。
「これ、な、に」
「安心してください。依存性はありません」
「いぞ、ん?」
「アザディラタの根と花は鎮静効果もありますから。辛い事を思い出させてごめんなさい、でも、私も譲れませんでした」
声が遠い。目が開けられなくなってきたわ。
「貴方は、魔族ではないようですね。効いているみたいですから」
「まぞく……」
「ええ。でも、――」
意識を保つのも辛い。部長の声は途切れた。
最後に顔に布が当てられた感触がしてそのまま何も分からなくなった。




