3-8
昔の事を忘れたくない。
だって全部忘れたら、私が愛した人達の事だって、なかったことになってしまう。そんなの嫌なのよ。
――でも、ならどうして辛いって思うの?
朝起きて初めに過ぎった言葉。
すぐに頭を振って考えるのを止める。また気持ちが落ち込むだけだもの。
今日は一日中籠っていたい。キャンバスの前にいる間は描くことだけに集中できるから、そうしていたい。
それでも後始末とか色々あるのは分かってるから、やっぱり行かなきゃいけないわ。バスローブを脱いで着替えたら昨日の魔道具を身に着ける。
武骨なピアスは最後まで付けるか迷った。結構強力な代わりに紋様自体が複雑になってるから大きくて目立つ。しかも、このタイプはデザインが一種類しかないから義兄とお揃いになるわ、最悪なことに。
髪留めもあの時に砕けてしまったから今日はシニヨンにまとめた。見た目に違和感しかないわ、これ。
下に降りたらパンを食べてる義兄が目を丸くした。
昨日は私よりも早く帰って来て寝込んでいたから、きっと演習場での事を知らないはず。だから、私の見た目で面食らうのは分かる。
「え、どうしたのそのピアス。何かあった?」
「ちょっとやらかしただけよ」
軽く話を流して牛乳を探したら昨晩に比べて減ってた。フィロガはほとんど飲まないはずだから、たぶんメアが飲んだんでしょう。でも、不思議ね。メアが来てたら話してそうなものだけど。
「メアが来たっぽいけど、あんた起きたの?」
「そうだね。俺も変な時間に寝ちゃったから、夜中目を覚まして」
「そう。メアは何か言ってた?」
「世間話くらいはあったよ。どうしたの」
首を傾けるフィロガは、少しだけよそよそしい。
何かを隠している。でも、返答的にはぐらかされるだけだからさっさと自分のご飯を用意する。チーズとハムを挟んだホットサンド。試しに魔術で焼いたら少し焦げたくらいで、制御不能なレベルではない。
すぐに食べて早々に家を出た。
隊長のところに確認しにいったら仕事は全部休みの代わりに『癒』での精密検査がみっちりになってた。
検査といっても医学的な身体検査とは違う。
色々な魔術を使用して汚染の影響を調べるのよ。私は量が多すぎるから影響は出ないけど、協会魔術師でも半数くらいは生命維持の分すれすれしか魔力が残らない。だから、仕事どころじゃなくなる。
言われた通りに全部こなして『剣』に戻ると、隊長と面談になった。あんな大ごとをやらかしたら、当たり前なんだけど。
隊長は神妙な顔で私の前に何かの書類を置く。
「あー、渡せって言われたんで、先に渡しておく。あの外部講師からの謝罪の手紙だ」
私はその紙を一瞥して「いりません」と突き返した。そもそもここまでの謝罪の必要性は無いと思っているから。あれは私の問題でしかない。でも、隊長は四つ折りにして「つべこべ言わず持って帰れ」と再度渡してくる。
「で、だ。『癒』の精密検査の結果が出るまでは謹慎処分。これは署長命令だから覆せない。同好会の発表は、他部署の人間にも迷惑が掛かるからあれは例外だと。図書館も別に行っていいからな」
「分かりました」
むしろ、資料が出来上がっていないから発表もやりたくない。でも、諦めて期日までにどうにかするしかないわね。そして隊長は長いため息を吐いて表情を改めた。顔が部下というよりは尋問相手に向けた感じに変わった。
「見た目を馬鹿にされたから魔力が暴走したって聞いたが、本当か?」
「……半分くらいはそうです」
「だよな、お前、それだけならあそこまで取り乱さないよな」
隊長が頭を掻きむしって「ちょっとだけ、待ってくれ」と疲れたような声を出す。きっと立場上、言わないといけないことを言いあぐねている。
「まずな、お前の『色移り』が自分の容姿を隠す目的だって事は俺達も察している。元の見た目も、使わない色の組み合わせだろうって推測はあった」
この前置きで、傭兵の人が最初に口撃した経緯が透けて見えた。きっと『剣』の誰かから聞いたんでしょう。訓練で一緒だった班員の人とも親しげだったし、そこから話が漏れた可能性が高いわね。
私の態度を見定めようとしている目で隊長は続ける。
「理由ってのをお前は言わないだろ、言わせたらまた暴走するかもしれんからそれは突かない。ここでそんな状態になったら、ヴァンに減きゅ、いや、今のは聞かなかったことにしてくれ。とりあえず、そこまではいいか?」
一旦話を区切った隊長に私は頷く。さっきの名前、聞き覚えがあったけど誰だったかしら。微妙に思い出せないけど、考えるなって事だから忘れることにした。
「それで。一度だけ、俺の婆心で一度だけ言うからな。もし、仮にお前が重大な隠し事をしてるんだったら、今のうちに署長にだけは絶対言っておけ。でないと、最悪、協会から追い出されるぞ」
「隠し事って、どういった隠し事ですか」
そう聞き返したら、隊長は渋い顔をした。そしてキセルを咥えてまた深呼吸。
「俺の心を折らないでくれ頼むから……あの絵を描ける時点でまともじゃない。あまりにもリアルすぎるんだよ、あんなのつぶさに観察してなきゃ描けねえんだよ。これでお前にも通じたか?」
言いたい内容は理解できたわ。そして、私はそれでも話す気がない。無の境地になりかけている隊長には悪いと思っているけれども、そこだけは譲れない。無駄な押し問答を止めた隊長は萎びたきのこみたいよ。
「お前、どうしてこれで卒業できたんだ、いや、俺のあずかり知らぬ何かだろ、関わりたくないから聞かせるなよ」
「苦労を掛けてしまっていることは謝ります」
「ああ、いやいい、もういいから。それとフィロガにも謝罪に来なくていいって伝言頼むわ」
「フィロガが来るんですか?」
「あー、えーまあ、保護者的な感じで? 来ることはあるぞ。たまにな、たまに……」
私の知らないところで何かしらのフォローをしていたらしいわ。もう成人しているんだから誰もフィロガの責任になんてしないのに。一瞬、過保護って文字が飛び出してきてすぐに頭から消し去った。
それで、帰るまでの残り時間はおとなしく始末書と見学会資料を片付ける作業に取り掛かったわ。図書館でも協会魔術師だけが入れるスペースだから、情報漏洩とかは気にしない。あの演習場の件はきっと広まってるから隠す意味はないし。
たまに綴りを忘れてるから辞書を引く。時間の浪費で気が滅入る。
インクがかすれてきたから継ぎ足そうとしたら、人の気配がして顔を上げた。
ああ、何でこんな時に限って嘘つきが声をかけてくるのよ。
「色彩さん、まだいましたの?」
「どんな意味か分かりかねるわよ」
「いえ、謹慎と聞いたので。早めに帰った方が宜しいですよ」
嘘つきは表面上、心配している風を装ってるわ。こんな風に絡んでくる理由も分からない。無視するつもりで作業を再開する。嘘つきの視線が鬱陶しい。
「昨日、『理論の魔術師』さんが顔を真っ青にしてましたけど、大丈夫でしたか?」
「あんた、あいつと会ったの?」
「ええ。ぶつかってしまったので申し訳なくなって。私のような女性は苦手でしょう、あの人って」
嘘つきの私服姿は確かに駄目そうね。全体的に女性らしいというか、体のラインを強調していて。でも、こいつがフィロガを心配するのも不自然すぎるわ。だって、男嫌いのはずだから。
「そうね、嫌いな部類だと思うわ、あいつからしたら」
「ふふ、やっぱり、彼が特別だから態度に出るんですね」
「は? そんなんじゃないわよ」
「もしかして自覚が無い、とか? 色彩さんって自分の恋心に鈍いんですのね」
この嘘つきの言葉の意味を考えると、とても気持ち悪くなったわ。
全然違う、あいつにそんな気持ちなんて持ってない。鳥肌が立つくらいの解釈をされている。
「あんた、ストレートに侮辱してるわよ。あいつとなんて、絶対にありえないわよ」
「それならー、何故未だに一緒に暮らしているんでしょうか」
「あんたに関係ないじゃない。関わらないで」
「理由を言えないということは、肯定しているのと同じですけれど」
「さっきから鬱陶しいわよ、マリー。あんた、喧嘩を売りに来たわけ?」
私が睨んでも嘘つきは涼しい顔で首を傾げるだけ。明らかに人目のあるこの場所でこんな話を振る理由が分からない。周囲の連中も聞き耳を立てているのが視界の端に映ってて、機嫌が最悪になったわ。
「嫌いなあたしに時間を割くくらいなら、別の事したら」
「それは勘違いですわ。色彩さんの事は嫌っている訳じゃありません。嫌いなら存在ごと無視します。ただ、そうですわね、貴方が私を嫌いという事でしょう。悲しいですがどう思おうとその人の自由ですから」
「御託は良いから、さっさといなくなって」
嘘つきが手元の資料を見つめる。そして、私だけに聞こえる声で呟いた。
「……周りを見ないと、手遅れになりますよ」
そう告げた嘘つきはこの時だけは、全く嘘を吐いてなかった。本当に、私を心配していた。らしくない、いつもの嘘つきじゃない。まるで全然違う人みたい。
すぐに「またお仕事の時に」と、普段通りの様子で含み笑いで嫌味ったらしく手を振っていなくなった。
フィロガとの仲を邪推された拒絶感が強かったのかまだ体の鳥肌が収まらない。周りの空気もおかしいから、すぐに片付けて帰宅した。あの嘘つきの豹変について考えるのは後回し。
誰もいない。机上のメモで義兄は今日帰らないって書いてあった。
少しほっとした。図書館の事があったから、変な態度を取ったかもしれない。
ご飯の準備もしないで私は窓際のぬいぐるみを一匹手に取った。一人だけのリビングは寂しいから、だから作ったぬいぐるみ達。
私とフィロガの関係って、とても言葉にしにくい。あいつが私の面倒を見てたのは里親への恩返し、それだけ。家族みたいに振る舞うのも、イザベラにできなかったことをしてる、それだけで。
きっとそう。そう思って、ある程度線を引かないと。私は家族なんて、愛する人なんてもういらない。これ以上、失いたくない。だから誰もその輪の中に入れたくなんてない。
でも、フィロガは半分はみ出している。はみ出させる気なんてなかったのに……ぬいぐるみを戻してもう寝る準備をする。魔力の消耗で疲れているから、『色移り』もさっさと解いて横になった。
瞼を閉じると暗い。でも、光が一切差さない闇はこんなものじゃない。気持ちが沈んでいるからか、またやけに鮮明に思い出す。
『ねえ、そこの女神様』
そう声をかけてきた女の人。真っ暗闇の中で、誰も居ないはずの場所で声を掛けてきた人。
正体不明の女の人は無言の私に優しい笑顔を向けた。人懐っこい笑みだけど、どこか人に警戒心を抱かせそうな感じの笑み。
それでも私は立ち止まった。あの時の私は何もかもがどうでもよかった。だって、全部失ったんだもの。この人だって、そうじゃなかったらここにはいないはず。
女の人はしゃがんで私に目を合わせる。
『貴方の役割は終わったのかしら? もしそうなら、お願いしたいことがあるの』
女の人は、どこか悲しそうで……それで、気が付いたらエスカーチャに居た。何を頼まれたのか、具体的な内容は覚えてない。でも、話をちゃんと聞いた上で了承したって感覚はある。それに、どうしてかあの人を信用してもいいと思えた。根拠なんて何もないのに。
うつらうつらと考え事をしてたら朝になってた。眠りが浅くて疲れはあんまり取れてない。小鳥達の鳴き声が微かに聞こえる以外はとても静か。パンの匂いや食器の音が無い朝。
一人ってそういうこと。そう遠くないうちにこれが当たり前になる。ベッドから起き上がってぬいぐるみに挨拶して、そしてご飯を作るのが。
フィロガが居なくなったら、私はどうなるの。そんな事、考えたくないからまたすぐに疑問を捨てて家事を始めた。




