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3-5

 朝、ウキウキ気分でおもてなし用のクッキーを用意してたら義兄が首を傾けた。


「誰かにあげるの?」

「ええ。トリシャを呼んだのよ」


 材料を並べて型抜きか搾り出しか、どっちを作るか迷ってる間にフィロガはため息をついた。


「人をなるべく入れてほしくないんだけど」

「あんた、メアを上げといて何言ってるの?」

「いや、不可抗力」

「あんたが招いたんでしょ、あの偽装工作前から」


 反論しかかったフィロガは黙る。

 自分のことを棚に上げてどうするのよ。

 少し機嫌が盛り下がった私は、卵を撹拌してるボウルの横でバターを柔らかくした。協会魔術って使い勝手がよくて便利よね。料理の工程が同時進行できるから。


 朝ごはんを用意するフィロガは、珈琲を淹れながらちょっと不機嫌な声になった。


「間違っても彼女に料理させないでね」

「何でそんな話になるの?」

「料理教室でもするのかと思ったんだけど。ベルが来てた時みたいに」


 昔の話を持ち出してきた義兄はパンを食べだす。

 二人の関係が軟化したからかあっさりとベルを話題に出すようになった。ちょっと前までなら私が話題を出したところで逃げたわよ。本当に、こいつは調子がいい男ね。


 そんなフィロガを無視して作業に戻った。小麦粉と卵の混ざった生地を練り上げる。

 よし、いいいわね。下ごしらえを終えたから生地は冷凍。残りはトリシャが来てからの作業よ。


 先に玄関から出ていく義兄を無言で見つめたあと、お土産の紅茶をラッピングしなおして私も仕事に向かった。

 着替え終わったところで、何故かフィロガのファンの人が声をかけてきた。今日の私の業務が変わったって。


 そんなほいほい変わっても困るから、先に隊長へ確認しにいった。隊長は例によって胃痛と戦いながらキセルを吸っている。


「また業務が変わるんですか」

「リリー、人生はな、諦めが肝心だぞ。ヤバイ奴はどこにでもいるもんだ。キアラがまさにそれだ」


 隊長は顔色を悪くしたまま息を吐いた。

 ファンの人は隊長までも怖がらせているらしい。確かに私もあの人から威圧を感じたけれど、上司にも平気で楯突くタイプなのかしら。


「お前は嫌かもしれんが、仕事のノウハウを盗める機会と思えば悪くはないぞ、うん。グレスに頼んでエダも付けてっから。だから、そんなに心配しなくていいぞ」


 またエダが巻き込まれていた。最近、多いわね。

 諦めて会議室に行ったらファンの人が『遅い!』と目で語りかけてくる。そして本の山から一冊抜き取って私に渡してきた。


「これらの検閲作業をお願いします」


 いきなり検閲なんて、無理よ。ただでさえ辞書がなければ書類仕事は厳しいのに。そう思って突き返そうとしたら、ファンの人は目を細めて「心配は無用です」と即答した。


「東大陸の文献なんで。東大陸の文字、読めますよね?」


 確かに読めるけど……そんな事言った覚えないわよ、協会じゃ。

 ああ、でも取り寄せのメモに書いたことはあったわね。あれを見てたって事か。普通は記号って思われちゃうんだけど、ファンの人は少しだけなら読めるんでしょう。


「検閲の基準はエダにでも聞いてください。では」


 私が納得して頷いたら、エダの肩を叩いて足早に出ていったファンの人。忙しいのか駆け足気味だった。

 二人で残されたこの場所で黙々と作業に移った。渡された表を見ながら気をつけるべき点を覚えているところで、別の書類を捌いていたエダの手が止まる。


「色彩さん、休憩でも入れましょうか」


 はやくも一時間くらい経ってた。積み上がっている本は一冊も読破していない。いくら文字が読めても、門外漢の専門書なんてそんな早く読めないからそうなるわよ。

 だからといって根を詰めてもきっと効率は落ちるわ。エダに賛成して自分で白湯を入れた。


 エダは窓の外を見て少しだけ愁い顔。ちょっとばかり疲れが溜まっているような目をしている。


「色彩さんは、スレイさんのこと、どう思いますか」

「もしかして、あんたもメアに巻き込まれたの?」


 いきなりメアを話題に出したって事は、何か思う事があったからでしょう。

 それで聞いたら、言葉にしないけど表情は肯定的だった。バーナードもひどい目に合ってたっぽいけど、エダもなかなか振り回されているらしい。


「あたしはもっと別の仕事すればいいのに、って思ってるわ」

「そうですか。職業と適正の不一致が気になると」


 メアは自信が無くて窮屈そうにみえる。きっと自分に嘘を吐いているのよ、あの人は。

 その話は広がらなくて、しばらくエダは無言だった。どうしてこんなことを言い出したのか。なんとなくお節介でも焼きたくなった、とか。

 エダは伏目になって重い口を開いた。私の予想とは全然違う内容。


「この前の、間諜騒ぎで」

「何よ。藪から棒に」

「ユーリッドさんの命が狙われていたってご存知でしたか?」


 こっちを見つめるエダの態度はやや固い。そして私は淡々とカップに口を付けた。エダはちょっとだけ間を置いて「私は」と続けた。


「私は、別に全てを知らされなくとも構いません。言ってしまえば他人事に等しいので。でも、家族だったら、普通は心配になるでしょう」


 その言葉には何も答えられない。だって、私からしたら義兄は義兄。本当の家族じゃない。それに、家族を心配する資格なんて私には無いのよ。

 どう思ったのか、エダはカップを揺らして言葉を探している。


「不躾を承知で言いますけど、色彩さんは命の価値を低く見ているように思えます」

「唐突すぎるわよ。まるであたしが悪いやつみたいな言い草じゃない」

「……『剣』でも噂が回っていますから、少し態度は改めたほうがいいですよ」


 エダの小言を私は聞き流した。

 どんな噂だかは知らない。あえて不愉快になる必要もないからって放置しているけど、結構どぎついのが流されているんじゃないかしら。主にあの嘘つき達によって。

 まあ、私の絵が元からそういう感じだもの。ある意味自業自得ではあるわ。


 仕事に戻ろうとカップを脇によけた。それっきり私語なしで作業は続いた。



 ***



 検閲の業務はまた明日も続くらしい。その前には例の傭兵の人の演習まで入っている。

 体力は有り余っているのに気疲れでぐったりした。今日はトリシャが帰ったらちょっとだけ走ってこようかしら。

 そう計画を立てて待ち合わせ場所に行ったら、トリシャだけじゃなくてメアも一緒だった。


「あ! リリーさん、お久しぶりです!」

「ええ。メアも一緒?」

「ええと、はい。すみません、メア様が聞かなくって」


 もはや常連になっているから飛び入りでも今更感がある。

 軽く了承したあとは、メアの事は気にしないで歩きながらトリシャに近況を聞いてみた。この前の騒ぎが終わったからまた学園に戻って勉強しているんですって。


「休んでいた分だけ遅れちゃってて。今期の修了は間に合わなくなったんです……ハーフェン先生、決まりは決まりだからって。なので、もう一回、講義を受け直しです」

「苦労してるわね。あんたも」


 しょぼくれていたトリシャは「でも!」とぱっと明るさを取り戻した。


「この前、イー、えーと、イリアさんからお土産もらいました! 私じゃ高くて買えなかったので嬉しかったです!」

「……そうなのね」

「はい。やっぱりお金持ちの人は違いますよねー」


 そんな人が果たしてバイト三昧になるのかしら。

 私はイリアさんの私生活に口出しする気はない。無いけど、散財は程々にしたほうが生きやすくなると思うわ。

 ところで、トリシャはウィティウムの人なのか。内情が全然見えてこないのよね。どうも蚊帳の外に置かれている気配がする。


 疑問はそのままにして、家まで転移する。

 私はクッキーの続きを作って、メアが紅茶を淹れた。トリシャは持ってきた材料を並べてたけど、メアを手伝おうとする気は無さそう。


 出来上がったクッキーを皿に盛って机の上に置く。結局、動物の型抜きクッキーにしたわ。小さな星型や花型で中をくりぬいて、いろんな色の飴を一緒に焼いた。

 目を輝かせてトリシャは一枚食べた。


「わあ、食べれるステンドグラスみたいです」

「生焼けにしてから飴を入れてまた焼くのよ」

「そうなんですか! 今度作ってみます」


 キラキラとした目ではしゃぐトリシャの前に、メアがそっと紅茶を置いてジト目になっている。


「それよりも、紅茶の入れ方を復習」

「ええっ、もういいですって!」


 口を尖らせたトリシャはまた一枚クッキーを食べた。やっぱりメアに遠慮が無いわよね。距離感が最初の時と同じ年の離れた友人って感じ。緩い主従関係なのかもしれないけど、それならトリシャの方がお茶を淹れてるはずで。


「トリシャって、ウィティウムの人じゃないの?」


 私が質問するとトリシャは曖昧な笑みで首を傾けた。メアはノーリアクション。


「私もよく分かっていないんですけど……メア様、どうなんですか」

「私的な部下。組織は関係ない」


 トリシャの事情が事情だから、状況に流され続けて今の立場になったんでしょう。魔族ってわけでも無さそうだし。

 若干空気が微妙になったから自分で注いだ白湯を飲んだ。


「悪かったわね。あんまり聞かない方がいいのよね、きっと」

「あ、えーと、なんと言いますか。マテウスさんがお忙しくて、私の今後もまだ不透明で」


 所在なくまたクッキーに手を伸ばすトリシャはやっぱり色々と心の整理がついていなさそう。

 トリシャの隣でメアは軽く息を吐いた。


「本人の希望に沿って、という話にはなっている」

「方向性としては、そんな感じらしいです!」

「もっと勉強、必要だけれど」

「メア様は要求高すぎますよ! 村だったら私は出来る子扱いされてます!」


 言い合う二人を見て、私は関係が悪化してないことに安心してる。仲が良かったのに分かり合えなくなるなんて悲しいじゃない。私もクッキーを摘まんだところでトリシャが本題に入った。


「そうそう、リリーさん。この前のゼリーのレシピ書いてきました」


 トリシャが作った梅干しもどき。自力で正解にはたどり着けなかった。知らない単語が幾つか材料の欄に踊っていたわ。

 あの色と味の決め手になるのはこの机に置かれた植物らしい。セロリっぽい見た目だけど茎が赤くてちょっと変わった匂いがする。大陸の南東の国原産だって。あんまり協会と交流がないからいつものお店には並んでいなかったのね。


「ありがとう、本当に嬉しいわ」

「よかったです! 美味しい物はいいですよね」

「ええ。これをおにぎりの具にするんだけど、作ったら食べてみる?」

「オニギ……ああ、あれですね、ライスボール!」


 トリシャはニコニコ笑顔で「そうしたら、ピクニックでもしましょう!」とテンション高めに答える。横でメアがちょっとだけハラハラしているのはどうしてかしらね。私は気にしない振りをしてクッキーを食べる。

 話は逸れて学園での噂話になっていたわ。


「今日、見学した人にみんな群がってましたよ。ハーフェン先生やヒーストン先生が魔術師だった、っていう話で持ちきりでした!」


 学園ではディートリヒ達って協会魔術師かどうかまでは明言してないらしい。機密でもないけど、あえて触れることは無いって感じの扱いなんでしょう。教師は魔術師だったりそうじゃなかったりで色々いるから。

 そう思って続きを聞いていたら、気になる内容が出た。


「あと『魔王』は意外とおとなしいんだなって」

「『魔王』って何?」


 前にバーナードが何故か口ごもった名前よね、それは。

 そして、トリシャもぱっくりと開いた口を塞いでわざとらしい笑みに変わった。


「ええと、つまり皆さん話題性バッチリ! な感じでしたよ」

「ねえ、『魔王』って?」

「あと、リリーさんの事も誰か言って……そうでした!」


 やっぱりトリシャも私の疑問に答える気はないらしい。そして、改まった表情に変わったトリシャは唐突に私の手を掴んだ。


「リリーさん。前から思ってたんです。絶対、着飾ったほうが綺麗で可愛いです。可愛いは正義なんです」

「は、はい?」

「ボーイッシュに憧れているのは分かりますけど、でも、リリーさんの顔立ち的にはもっとフェミニンな服が似合ってますって。楽しまないと損です! 一緒にブティック巡りしましょう!」


 トリシャの中の何かが刺激されたらしい。今までで一番勢いがあった。その勢いに押されて私は思わず頷いた。ねえ、ところでメアの目が死んだ魚みたくなっているのはどうしてなのよ。


「本当はメア様も違う服を買うべきだって思うんですけど、メア様は頑固なんです」

「トリシャ、リリーにも好みというものはある」


 メアがそう言いだしたけど、考えてみれば私ってそんなに自分のお洒落にこだわりは無い。魔力石の画材でお金が残らないから、常識外れじゃなければ服はどうでもいい程度なの。

 イザベラと一緒の時にも綺麗なワンピースが無くてちょっと困った。この際、トリシャに見繕ってもらってもいいのかも、しれないわね。


 承諾したら、トリシャが全身ではしゃぎだしたと同時にメアは心あらずな表情になった。メアの様子がすごく気になるけど、まあ、服を選ぶくらいだし、大丈夫でしょう。死ぬわけじゃない。


 そんな風に話してたら、フィロガが帰って来た。もう時間が経ったのね。

 座っているメアとトリシャを見た義兄は、あからさまに歓迎していない表情だった。


「はあ……トリシャは、元気そうだね」


 トリシャに対する態度が固いわ。苦手なタイプの女性ではないはずだけど、性格的な問題で合わないかもしれない。今朝だって嫌そうだったし。そんな事を知らないトリシャは健気に笑顔を向ける。


「えと、はい! とりあえずまた学生しています」

「そうなんだ。まだ勉強したりないって感じなのか」

「そうですね、薬草魔術の腕をもっと上げたいんです。私だと乾燥させたり魔力量の調整をするのがへたっぴで。あと鑑別が苦手なんです」


 トリシャはおしゃべりを楽しんでいるけど、フィロガは観察してるって分かる様子で。メアの目はそんな二人を行ったり来たりで忙しそう。精霊でも見ているのかしら?


「そういえば、珈琲があるんだけど、飲んでみる?」

「ブルッカで知る人ぞ知るって噂のあれですか!?」

「その話は知らないけど、たぶん一緒の飲み物だろうね」

「うわあー、頂けちゃうならぜひぜひ! お友達に自慢します!」


 そうしてフィロガが台所に立ってすぐに珈琲を淹れてきた。


「ありがとうございます! へえ、真っ黒なんですね」

「口に合わなそうならミルクを入れるといいよ」


 義兄の忠告に「大丈夫です!」と言って一口飲んだトリシャがぴたりと止まる。私は無言で冷蔵室からミルクと砂糖を持ってきた。

 気持ちぎこちない動作で飲み込んだトリシャだったけど、ミルクを入れて甘くしたら飲めたわ。


 そしてメア達二人が帰って夕ご飯も食後の運動も終えて寝る時間よ。明日の厄介ごとを思い出したせいで億劫になった気分と戦いながら、私はバスローブに着替えて眠りについた。

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