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私は同好会の部屋で椅子にだらんと座り、クロッキーを片手に目の前の光景を眺めた。机にずらりと並べられた魔道具を目にしたメアは困惑気味だった。
「魔術師が捕獲に来るとは思わなかった」
「ヤンと愉快な仲間達は研究に熱心なのよ」
頷いてメアに答えた。どうしてメアがここにいるか、という疑問はヤンが絡んでいれば、「ヤンだから」で済む。我らのリーダーはやらかしの常習犯だ。
ドーム状の魔道具を操作して、ルーペみたいな部位から覗き込んでいるヤンはさっきから「すごい」しか言わない。
「あんた、飽きないわね」
ヤンが顔を上げた隙に話しかけると、好奇心でキラキラした瞳とかち合う。
「素晴らしいぞ、魔力の回転率は最高値だ」
「それは、どういった意味?」
聞き慣れない言葉にメアが首をかしげた。ヤンは聞こえていなかったのか、直ぐに魔道具に関心が戻った。
「魔術に使う魔力の質ね。回転率が高いと魔力が少なくても魔術を使えるの」
「なるほど」
放置されたメアがちょっとかわいそうなので初心者に優しくない説明を私が引き継ぐ。
でも、協会、しかも専門書でしか使わない言葉だから、私でも思い出すのに時間がかかった。普通は属性だけで、そこまで魔力の分類を気にしない。
ヤンによって、いつの間にかメアに謎のブレスレットが取り付けられた。蜘蛛にも見えなくない形状だけど、メアは大丈夫かしら。
「魔力の質は、ほぼ生涯変わらないのよね」
「その通りだ。最高ランクの人間は魔術師でもなかなかお目にかかれない。うむ、収束型か」
ブレスレットからキイーンと轟音が鳴り響いた。食い気味のヤンの解説に、心なしか死んだ目で頷くメア。確実にロックオンされたわね。御愁傷様。
「それにしても、何が目的で協会に来たんです?」
険を含んだ声が聞こえる。ラインハルトだ。数冊の本を腕に抱えているので、ちょっと格好がつかない。
「目的、とは」
「はい、先輩を害するなら僕は貴方と戦う所存です」
「別に害する気はない」
喧嘩腰のラインハルトなんて珍しい。どちらかといえば嫌いな奴には冷たく鼻で笑う。そして勝てない相手には白旗を上げる男だ。
彼が威嚇する理由は簡単。ラインハルトは義兄の事になるとネジが何本か抜ける。
「嘘じゃないのか!?」
そのご本人が棚の隙間から顔だけ出す。三十路の男がこれはちょっと、どうかと思う。まあ、仕方ない。さっさとメアに聞きたいことを言いましょう。
「そうそう、なんで我が家に来たの?」
「個人的に仲良くなりたいから」
「遠慮する!」
「フィロガうるさい」
「なんでリリーが怒るんだ!」
そうだ。彼女は、あの晩現れた妖精だった。
今日はシンプルな服装。纏められた黒髪と控えめに輝く金色のイヤリングで少し大人っぽいけれど……脳筋気質の突進型な中身だと知るとこう、くるものがあるわね。初対面の感動を返して欲しい、切に。
メアはあの訓練の後もちょくちょくうちに来る。私としては、さほど禍根はない。ただ、理由が分からないのは座りが悪いのよ。
「ふーん、で、ここにはどうして来たの?」
「協会には元々、講師の仕事を依頼されていたから」
「偶然すぎやしないか!」
やっぱりフィロガがうるさい。義兄は無視して話を続けた。
「普段は何しているのよ」
「医者の手伝いとか、護衛とか、あとは先生とか」
「ほう、幅広い」
ヤンはプロフィールを書き留めている。紙を引っ掻く音が長かったから図も描いているんじゃないかと思う。
「とか、って他にもあるの?」
「お金をもらえれば臨機応変にやる」
「その中に俺の殺害とか入っているかもしれないじゃん!」
何でも屋のような返答にやっぱり後ろ暗い香りを感じる。
フィロガの自意識過剰ならいい。ただ、名前だけなら外の人も知っているから、商売敵には邪魔な存在ではある。本人はその件については現実逃避しているわ。
「ない。本当にやるなら寝込みを襲う」
柳眉を動かしてメアは魔道具を取り外した。
彼女も、返しがだいぶその筋の人間の反応じゃないかしら。たぶん何人も殺ってるでしょう、これ。まあ、ターゲットに自分を積極的に売り込むことはしないわよね、合理的に考えても。
あまりにも断定的すぎるフィロガの様子から察するに、もしかして現場に出くわしたとか。それならこの態度も納得。
「メアはただ、貴方に会いにきた。それだけ」
蛇型の感知器らしきものを巻き付けようとしているヤンを避けて、メアはフィロガに近づいた。同じ歩数後ろに下がる義兄と、その前に出てメアに立ちふさがるラインハルト。彼女は数秒考えて大人しくヤンのところに戻った。
それを見ているのは私だけではない。ディートリヒは通常運転のヤンにお怒りだ。額の青筋がシワになりそうで少し心配。さっきの会話を聞いているはずだけれど、頓着していない。手元には議事録が白紙のまま残されている。
「ヤン! もう済んだろ!」
「もう少しここでデータを」
「てめーの研究室でやれ!」
また仁義なき争いが始まる。でも、扉を開ける音で中断になった。
「あらあら、どうしたのかしら」
綺麗な声は、ベルのものだ。髪が極力落ちないよう三角巾で覆っている。魔道具の調整で忙しかったと見える。
「ちょうどいいところに! あの研究バカをどうにかしてくれ!」
ディートリヒがベルに駆け寄った。必死の様子の彼に、ベルは微笑みながら首を傾けた。そうして混沌とした部屋にメアがいるのを見つけると、扉を閉めながら少し嬉しそうにした。
「あら、メア。ここに来ていたの?」
「この人に連れてこられた」
メアがヤンを一瞥することで、ベルは頷いた。言葉にはしないけれど、通じ合ったらしい。
「ヤンが迷惑かけてごめんなさい」
「迷惑、ではなく、熱心さに引く」
「メアは優しいわね」
これ、もしかしなくてもそれなりに親密な関係だ。何とも言えない気持ちになって、私は膝から崩れ落ちるディートリヒを観察した。今日はこのままお開きになりそうね。
メアとベルはほのぼのと会話を続けている。
「その魔力石は?」
「魔道具のコアに使うものよ。ただ、どのように魔方陣を織り込もうか決まらないの」
そういって見せたのは、雫型の魔力石。
まだ加工前だから、魔力が充填されている。本番は失敗できないから予め紙に紋様を描くのだけど、その段階で上手くいかないらしい。
「貴人のブローチになる予定なのだけれど、狙った効果がうまく出なくて。恐らくは魔術機構が複雑になり過ぎてしまっているの」
ベルが苦笑して首を傾げている。
魔道具は、魔力を通せば術を発動できる代物。貴族関連なら、きっとオーダーメイドを求められている。そうすると、難易度がまるで違う。
「ちなみに、どんな効果を相手は望んでいる?」
「結界と解毒作用よ。お互いに影響しあって効果を半減させているの」
「ベル情報漏洩してるぞ!」
ディートリヒがメアとベルの間に割って入った。ベルは目を見開いて、少しあたふたしている。一方のメアは何も気にしないで話を続けた。
「それは、結界を強化する方が得策。それか毒になる魔力を結界の維持に流用出来ればいいと思う」
今度はディートリヒが、ぽかんと口を開いている。
「あんた、治癒魔術のこと知ってるのか?」
「それなり。最新の情報は知らないから、間違ってるかも」
「いや、別に間違っちゃいねぇ。解毒と聞いて魔力毒の解毒だって分かるんだな」
感心したようにディートリヒが唸った。ところで、ベルのうっかりはなかったことになったのかしら。そう思ったけれども、しっかり者のディートリヒは見逃してはくれなかった。多分『飾』の上に報告もするつもりね。
「魔力毒はきついから、勉強した」
賑やかな中、ポツリと、メアが呟いた。どう考えても魔力毒を喰らった側の発言だ。まあその辺はみんな流している。フィロガはびくっと視界の端で動いているけれど。
「ありがとう。糸口が見つかりそう」
「どういたしまして」
「どうせなら、あなた魔術師を目指したらどうかしら」
「それは無理。仕事あるから」
「残念。気が向いたら教えてちょうだい」
ベルはどうもメアを引き入れたいらしい。その様子を遠巻きに伺うフィロガが泡を吹きそうなカニとなり、ラインハルトが番犬のように睨みを効かせている。
「ベル、その怪しい女になに言ってくれてるんです?」
「そんなに警戒しても仕方ないわ」
「貴方のそのポヤポヤの頭はどうにかなりませんか」
「おい、ラインハルト。噛み付くのやめろって」
微妙に馬の合わない二人の話にディートリヒが割って入った。仲は悪くはないのだけどたまにラインハルトがイラついているのよね。ベルはあまり気にせず、私に話しかけてきた。
「ところで、リリー。その絵は今度の展覧会に応募するの?」
ベルはクロッキーブックを覗き込んだ。
「そのつもりだけど、纏まらないわ」
「このぐしゃぐしゃしている部分は?」
「それはこの女の子の内臓ね」
「ここ一帯がその少女の成れの果て、ということかしら」
「違うわ、少し皮膚が飛び散っているから正しくはここまでよ」
細かく描き込んでいないから、破片はさすがに分かりにくかったらしい。まだ構想段階だから。
「その絵、なんて題名?」
メアがヤンから逃れて話に混ざった。ヤンは測定値を紙に書き写してブツブツ独り言を吐き出している。メアも放置を選んだ。
題名、か。植物と女の子のモチーフだし。
「花の命、にしようかと思うわ」
「……斬新」
メアは私の絵をじっと見つめた。表情が少し嫌そう。たぶん、生理的に受け付けなかったか。大抵は距離取られるのよね、描いてる絵を見られると。明らかに私の絵は特殊だから仕方ない。前にチラッと見せたら『剣』の奴らも、吐き気を催していた。
「仕事あるから帰る」
そっと離れたメアはそのまま退室した。
気を取り直して絵に視線を戻す。名前どうしようかしら。
「瞬きでもいいかもしれないわ」
「絵は上手よ」
ベルが気を遣って答えるけれど、私に賛同する人は誰もいなかった。
「メア、だったか。なかなかに興味深い対象だ。是非ともうちに誘致したい人材だ」
ただ一人、どこかに行っちゃってたヤンが現実に戻ってきた。相変わらずヤバイ人ね。周囲に散らかった紙は一体いくらしたのだろう、贅沢しすぎて怖い。
「僕は反対ですよ、先輩が反対してるんですから!」
「テメェはテメェで基準がおかしいだろ」
そして、ラインハルトをディートリヒがたしなめる。
こちらはいつもの流れ。ちなみに、その間だいたいフィロガは死んだ目をして乾いた笑い声になる。今はまだカニから復活していないから無反応だ。
「つーかよ、しばらく活動停止になってただろ。なんで許可降りた?」
「それはだな、導師から直々に調べろとお達しがあってな」
「は?」
「メアの魔術、正しくは魔力の使い方が特殊で導師も興味をお持ちだ。本人の了承も得ているぞ?」
仕事だったの!? と誰もがびっくりした。ヤンのことだから、ただの興味からだと思っていたわ。
「依頼だったなら早く言えよ!」
「それは、まあな。お前たちの反応も記録していたから」
ディートリヒがみんなの心を代弁したら、ヤンはにやりと笑った。
残念なことにまた気を失ったフィロガ。義兄についてはショックが続いたものね、仕方がないわ。でも同情はしない。
みんなして慣れてるから、ラインハルトが介抱するのに任せた。ヤンも、一瞥した程度だし。
「は!? マジかよ。お前も悪趣味だな」
「悪趣味などではない、立派な研究だ。その分、お前たちの魔術に貢献していると思えばそう悪くはないだろう?」
「限度があるだろう、限度が」
ややディートリヒの勢いが落ちた。ヤンの研究実績も確かにあるから、反論しづらいのよね。そうして、この日は導師の依頼内容を確認して終わった。
結局終わるまで起きなかった義兄については、ディートリヒに医務室まで運んでもらった。
※2021.8月に改稿しました。