プロローグ【サイドA】 3
「さて、と。初めまして、だな。君を目にする機会に恵まれるとは、なかなか……感慨深い」
私は表情を抑えながら目の前の初老の男性を見つめる。
エスカーチャ陽光騎士団長。それが彼の肩書き。先日、協会を騒がせた事件での事情説明を私に求めた張本人だった。
騎士団長は鷹揚に構えて白いあご髭を触っている。前線からは引いているのだろうか、やや恰幅がいい。しかし、その眼力は鋭く手出ししようものなら切られそうだと思う。紅茶を給仕したきり後ろの団員は微動だにしない。よく躾けられた騎士。ほとんど敵地と言って差し支えないこの場所で、胃が引き攣れて痛んだ。
彼が一時的に助力したおかげで協会やウィティウムはこれ以上混乱せずに済んだ。そうでなければ、陽光騎士団の実働部隊が余計な介入をしていたことだろう。
未だに理由が分からない私はただ次の言葉を待つ。騎士団長はゆるりと笑う。
「リーメア・スレイ。いや、メアリ・クレイス。取引といこうじゃないか」
咄嗟に据わった目を慌てて戻す。
メアリは、借り物だった名前。私の代わりに死んだ子の名前。
やはりというか、そこそこ私の素性が漏れている。彼等があえて漏洩して本当の事を隠しているのかもしれない。しかし……見ず知らずだった人間から言われると、非常に気分が悪い。
「死を顧みずに主家に報いた侍女なのだろう、良い話じゃないか」
もう終わった上に事実ではない話を蒸し返されて、やはり目が据わる。
騎士団長は紅茶の香りを楽しんでから、控えている部下に「外の様子は?」と確認する。問題ないことを伝えた部下を労う姿は、穏やかそうに見える。見えるだけ、ともいう。
「そう構えんでもいいだろう。取って食う気はない」
「目的は」
「そうだな……本当に欲しいのはリスリヴォールの情報だが、忠義に篤い君は答えてくれそうにもない」
忠義、なんて。私には全く似合わない言葉。
私の目の前の紅茶は冷たい。感情的になると周りの空気が冷えてしまうのは、どうにかならないのか。自分でも分かりやすくて困る。
カップを置いて手を組んだ団長は目だけは険しい。
「だから代わりに、別のお願いをしたい。簡単なことだ、君は今まで通り行動すればいい。そこに、俺への報告を増やしてもらうくらいで」
「機密は一切話すことなどできない」
つまり、協会で知った内容を、という事か。
協力関係にある協会と、同盟も結んでいないエスカーチャ。天秤にかけるまでもなくこの話は駄目だ。不本意ながら上から十番目に偉い立場とされている私が、簡単に組織の方針をひっくり返したら方々から命を狙われる。
それに、個人的にも掴みが最悪で協力はしたくない。彼は「血気盛んだ、さすがは魔族」と嘯いた。
「まあ、話だけでも先に聞いてもらおうか。君は個人的にフィロガとリリーを探っているだろう」
目をすがめた私に、団長がまた笑う。さすがにばれているか。もっと詳細に掴まれているのかもしれない。ここ数か月は崖にかけられた綱の上を歩いている気分。落下したらまずもう挽回は無理だろうと思っている。
彼は紅茶を一口飲んだ。
「分からなくはない。彼等は我が国出身の協会魔術師でも目立っているほうでな。君が協会からの要請で調査をしているだけなら、それに口出しをする気はない」
「何の話」
「エイドリアンといい、君といい、誤魔化すのが下手だな。エスカーチャは把握している」
ウィティウムか協会にでも間諜が紛れている。やはり大国は抜け目がない。息を吐いた団長は口元だけの笑みを浮かべた。
「だが、いささか調査とは関係ない部分も調べているような節が見受けられるのだが。必要なのは、彼等の現状であって、過去ではないだろう?」
「先ほどから要求が読めない」
「ふっ、若いな……手を引く気が無い、というのであればこちらとてそれなりの対処が必要になってくる」
脅迫をしてくる彼に真顔のまま対応する。
沈黙が耳に痛い。今、手の内を見せるのは下策だ。このままどちらが発言するか、根競べになる。
団長はまた紅茶に口を付けた。そして、彼は後ろの騎士に紅茶の追加を指示した。僅かに頷いた騎士は部屋から出る。人払いをした彼は私の目をじっとのぞき込んでいる。精霊達が周囲で緊張感を持ったまま見守っているのだけど、彼の魔力を吸ったわけではない。これは精霊自身の気持ち、のようだった。
そして彼は小さく何かを呟いた。私でも聞き取れないくらいの声量。そのまま落ち着いた様子で窓を見上げる。
怪訝な表情を浮かべているであろう私を無視して、視線を元に戻した。
「『災花の星詠み』という言葉に聞き覚えは?」
団長は笑う。企み事を考えている人間の顔。精霊達を見ずとも理解できる。その呼称を聞くだけで、私の心がざわつく。
「……最悪の呪術師が、何か」
「リスリヴォールでは広く知られているのかね」
「国は関係ない。メアが知っているだけ」
――そう、私が知っているだけ。
勝手に響いた声と逆立った気持ちを必死に鎮めようとして口の中を噛み切っていた。自分の血を舐めて抑えるという本末転倒な状態だけど、少しだけ冷静になれた。
黙った私に彼が「吸魔が出てるが、暴れてくれるなよ」と釘を差す。
「君の知る『星詠み』が、どのような物かは分からんが。彼女は、自身を預言者と言っていた」
そう滑り出す彼と私の間で、かの存在への解釈が分かれている。『災花の星詠み』は預言者などではない。それだけははっきりと私は確信している。
食いついているのに気をよくした彼は、やはり人を嵌めることに楽しみを見出す嫌な性格らしい。キドナが彼の魔力を吸って意地悪な表情を浮かべた。
「協力をするならば、多少は事情を話してもいい。つり銭は要らん」
「それで、要求を呑むと思うか」
「さあ。君自身の判断に委ねようじゃないか」
いやらしい手を打ってくる団長を目前に、私の思考の中では雑多な感情と思惑が入り乱れている。
『災花の星詠み』を放置などありえない。何故ならばその者達は厄災を振りまく存在だから。私自身の記憶にはないけれども、至る所で好き勝手しているとは知っている。
本来ならば、あの声の主が判断すべきことで、私の手には負えないのだけど。
しかしながら、うんともすんとも言わないという事は、どう処理するかは今の私が決める事と考えている。そして判断するには情報が足りなすぎる。
「何故、メアにこの話を」
「ほどほど、君は既に巻き込まれているといっていい。ならば、適任だろう」
どうやら『災花の星詠み』関連に私は関わっているらしい。
今のところは、全く理解できない。そして、そうであるならば、逆に願ったりかなったりでもある。
「情報、と言っても。何を欲しがっている。それが分からない限り、メアは返答しない」
交渉のテーブルに諦めてつくと、団長は態度を少しだけ崩した。
「別に肩肘を張らないでもいい。協会やウィティウムの機密は要らん、それはこちらで勝手に確認する。俺が欲しいのは、フィロガとリリーの普段の様子、それだけだ」
この話の流れで彼らが出てくると思っていなかった私は、少しだけ気持ちが態度に出た。
当然、動揺を感じ取った彼は背もたれに寄りかかって頬杖をついた。
「まあ、予想通りの反応だな」
「からかいのつもりか」
「いや? こちらとしては大真面目なんだが」
口調からしてからかわれている。
「無論、個人的にも気になってはいるんだがな。トマスから頼まれた手前」
「対価がまるで釣り合っていない。恩を売りつける気か」
「いいや、言っただろう、つり銭は要らん。一度捨てた権利をやはり拾うなんて汚いことはしないさ。宣誓をしてもいい」
契約魔術の一種を交わすとまで言い切った騎士団長の心情がまるで理解できない。
じっとしていると、彼は小さく笑う。
「『災花の星詠み』は預言者、そう言っただろう。彼女は種々の預言を残した。そして、非常に遺憾ながらそれはほぼ当たった。今のところ、良い事も悪い事も全て、な」
それ以上は言わない彼だけども、つまり……その預言に、何らかの形でフィロガ達が言及されている、という事になる。
「呪術関連ならば我々は対処はできる。だが、『星詠み』はやはり異質と言わざるをえない。彼女は呪詛を使った形跡が極わずかしかなかった」
「つまりその『星詠み』は西大陸の術者か」
「君自身も非常に興味深いな。西大陸の知識もあるのか」
うっかりと口を滑らせた私は目を逸らした。やはり、私に交渉は向いていない。
呪術は西大陸では意味合いが違う。本来、呪術はもっと幅広い概念で、害の無い魔術も含まれる。
北大陸では呪術の一部だけが有名になりすぎた。その知識を専門家でもない私が持っていること自体が彼に奇妙に映っている。しかしながら……私は、私以外の知識を持っている。そして全くそれらを整理できていない。
方々から疑惑の目を向けられるのはそういうところがあるからだろう。自分としては真面目にやっているだけなのに、と心の中で嘆いていたら彼の声で現実に引き戻された。
「勘が良ければ気付いただろうが、彼等もまたその預言に出てきた」
「要求からして、良くない方の預言、という事か」
「さあ、どうだろうな」
煙に巻くような言葉のまま、彼は私の返答を待っている。
果たして、どうするべきか。
私の知っている情報は、やはり色々と問題だらけだ。精霊や例の声関連のせいでフィロガとリリーを見る視点が私だけ違いすぎる。普通の人間に話す内容ではない……だから、うまく逃げ切らなければならない。
「協会に広まっている噂、程度の事であればメアは話してもいい。しかし、それ以上となると協会との、契約に違反する恐れがある。違反すればすぐにわかる上に、メアは上層部から信用されていない」
悲しいことに信用の無さは事実。
少しでも怪しいことをしたら『理』署長のザクセンが私を締め出す。リスリヴォール人に私怨があるから容赦なく。彼をうまく言い訳に使ってしまおう。
団長は少しだけ沈黙した。彼個人としても、私のやり口はないと思っている。
「そうだな。『剣』の魔術師達の困惑する様子が目に浮かぶようだ。それだけでも、無いよりはいい」
「では、交渉成立という事で」
私が頷いたタイミングで紅茶の替えがやって来る。話の内容を聞かれていただろう事は気にしない。
最後まで紅茶には手を付けずに私は部屋から退室した。




