エピローグ【サイドB】2
※順番を入れ替えて【サイドB】を先に投稿しております。
俺は『理』の塔内で足を引きずるようにして歩いている。ザクセン署長から論文をめった刺しにされた帰りだからだ。短期間の作業だったから論証が甘いのは仕方ないにしても、リスリヴォールの魔術関連が解釈違いで話にならないって。
でも、論文の着眼点は悪くないって。理解の足りないあの国の魔術について講義をしてくれることになった。そういうところがザクセン署長のいい点だ。ちゃんとフォローしてくれる。
知らなかったけど、署長ってリスリヴォールの属国の出身なんだってさ。
本当に、本っ当に危ない橋を走らされた気分だ。署長が捜査に関わってたら即座に考察の穴を突かれて終わってた。エディの誤魔化しが効果あって良かったよ、許す気ないけど。
まあ、思い返せば一番の修羅場はリーメア・スレイがエスカーチャに尋問されていると聞いた時だった。このままいけば俺にも共謀罪が適用されてしまう。協会は法的措置を出身国に委ねるから、もう駄目だと思った。
だけど、イリア乱入後にスレイは無罪放免になった。どういう手を使ったのかは不明だ。
分かるのはやっぱり背後の連中がおかしいレベルでスレイを保護しているという事実だけ。そしてそれはウィティウムとは別口。地下組織の圧力にあの聖騎士団が屈するわけない。
ちなみに、協会での諸々のスレイの行動については導師主導によるヴァレンティン署長とスレイの八百長という話に変わった。俺やグレスを表に出すのは追及の面からも厳しいという判断の結果だ。それで俺達は責任を負うことなく救われた。
本当に、被害者になってるヴァレンティン署長には頭が上がらない。後でお礼の品でも送ろう。
ようやく日常が戻ってきた感覚だ。そう上機嫌で研究室の扉を開けるとラインハルトとサリアの様子がまた冷淡なものに変わっていてげんなりした。
ああ、また絶交期間に突入か。もういい、とりあえず進捗だけ確かめるか。
「ハル、新作魔道具の査定はどうなってる?」
「順調ですよ、室長」
笑顔だけど微妙にそっけないハルが答える。
「そちらの審査はいかがでしたか?」
「ああ、書き換えろって駄目だし喰らったよ」
「そうですか……まだ期限まで時間がありますし、ぜひお手伝いさせてください!」
俺の改善メモをぱっと見たハルが図書館に向かう。この場から逃げたように思えてならない。
そして曖昧な笑みのままサリアに声を掛けた。
「サリアは作業進んでいるかな」
「はい、進んでいますよ! 今年の『理』の就職試験も用意終わったんで、室長会議にかけてくださいね」
事務処理をさせたらサリアは有能だなあ、ハルの事が無ければ。
自分のデスクで作業をしながらため息をついた。それぞれ個別に話を聞いたから知っている。この痴話喧嘩は遊びだって。本当にふざけないでほしい、誰がそんなのに付き合うか。
残念な彼らを尻目に業務を終わらせる。そして帰り間際、俺はサリアに聞いてみた。
「サリアって、ブルッカ出身だよね」
「そうだけど、どうしたのフィロガ君」
サリアは俺の部下じゃなくて先輩的な立場に切り替えて会話に乗った。ラインハルトは居ない。勤務時間が終わったと同時に速攻で帰った。
イリアが魔族だって聞いて俺は真っ先にまたあの男を思い浮かべた。でも、イリアの対応はおっかないけど、まあ、まだ話は通じそうという結論になった。
魔族の組織ウィティウム、か。
もう関わりたくない反面、既に色んな所に侵食しているんじゃないかって諦め半分。
なにせ、エディだけじゃなくてクラリッサ署長まで知り合いだったから。だから、ブルッカ出身だって知ってるサリアにイリアの話を振って確かめよう、と思って。
「この前、ブルッカの研究者が同好会に来ててさ」
サリアは手鏡から目を外してにこやかになる。なんで化粧直しを今ここで、という言葉は飲み込んだ。
「あ、その話聞いた。あれでしょ、クラリッサ署長がびっくりしてたって話」
「え、どんな?」
「ブルッカだと女性の社会進出に貢献した偉人なんだよ、イリノア・ランチェッタって。だから教えを受けてた署長が間違えちゃったんだって噂になってて。お孫さんも顔似てるんでしょ?」
いや……たぶん本人だな。
誰だろう、社会を混乱させたくないとか表舞台に出たくないとかほざいた輩は。がっつりと社会を変えてるけど。言ってることとやってることが違いすぎる。
「いいなあ、フィロガ君達。知ってたら見に行ったのに。あ、そうそう。一時期、『ランチェッタブーム』って言って、女の子に似た名前を付けるのが流行って社会現象に」
「へ、へえ」
「ほら、私の名前も。親が高学歴に憧れててさ。協会にもそこそこあやかってる女性いるよ?」
ぽろぽろと心臓に悪いブルッカ事情を話してくるサリア。導師達どころじゃない、イリアには協会の知り合いがきっとまだいる。そう確信した。そりゃ、来たくはないだろう。
でもこれでほどほど事情は読めた。本当にスレイの代打で仕方なく出てきただけか。ウィティウムもひっかきまわされているんだろう、あの女に。
それで納得したから俺はサリアを置いて部屋を出ようとした。そしたら呼び止められた。
「あ、待ってよフィロガ君。どの口紅が好き?」
「それはハルに聞いたらいいんじゃないかな」
「あやつの好みなんて知ってるよ。キ・ミ・の、好みを聞いているんだって」
俺を全く男扱いしてないよねって丸分かりな普段通りのサリアに「どうでもいいだろ」と低めの声で即答した。他の人だとこれで引き下がる。でも、サリアは気にしないで続ける。
「まあ、見当はついてるよ。ほんのり赤みがかったローズピンクだよね、君は」
「なんでそう」
「女の勘! いやー、可愛いね、正解でしょ」
この先輩本当に鬱陶しい。思わず顔に出たかもしれないけど、そんな俺にサリアは「まだまだだね」としたり顔で出て行った。何故かその色の口紅を引いて……また俺が巻き込まれる前兆の気がしてきた。
今度こそ退勤して呆れながら塔内を歩いていたら、見知った姿が視界の端に映った。
私服姿のベルだ。どうして『理』の塔に来ているんだろう。そのまま使ってない部屋に入って、数分でで出てきた。ちらりと見えた浮かない表情が気になった。
俺が名前を呼んだら、目を丸くして振り返った。全然気づいていなかったのか。
「あら……何かしら」
「いや、気落ちしてるからさ」
そう話を続けると、ベルはごくわずかに視線を下げて「気のせいよ」と微笑む。
ベルは自分の感情を隠していることが多いから、はたからはあまり変化なく見える。でも、俺はそこそこ付き合いが長いから落ち込んでいるのは分かった。強がりかどうかは分からないけど、言わない限り俺は触れない。触れてほしくないだろうから。
「そのまま今日は帰りかしら」
「そうだね。同好会もないし、少しは休んだら、って方々に言われてさ」
おのおの仕事も忙しいし、サセックのあれこれの決着がまだ完全にはついていない。下手に集まって何か企んでる、なんて勘繰りされても面白くないからそう決めた。
「用事があったの?」
俺が話を振ると、ベルは無言で微笑む。俺に話したくない用事、か。
この距離感がもどかしくて、そして寂しいと思うのは俺が未練がましいからだ。早く切り替えないといけないのに、それでも俺はやっぱりどこかでベルの事を諦めきれないでいる。
さっさとディートリヒなりグレスなりと付き合ってくれれば諦めがつくんだけどな。二人ともなんでベルには奥手なんだろ。手の早すぎるハルは参考にならないけど、こう、もう少し積極的になってもいい気が。
俺があいつらのお膳立てをするべきかどうか考え出したところで、ベルが口を開いた。
「フィロガは」
「どうしたの?」
「フィロガは……いえ、やっぱり何でもないわ」
歯切れの悪いベルの言葉。向こうも、なんとなく距離を掴みかねている。友人に戻るって想像以上に難しい。破局した人達が連絡を取り合わない理由が分かってきた。
俺からの一方的な別れは事情があるって知られたけど、でも、だから俺達はもう関わらない方がいいんじゃないかなって思う事もある。忘れてくれた方が、きっとベルが楽になる。現状は同好会で話をする程度だ。リリーはそこまで俺達を会わせたがらないから、三人で何かするという事もない。
小さなため息が隣から聞こえる。うつむいたベルは小さく呟いた。
「私、貴方の事、やっぱりまだ好きなの」
今度は俺が黙る番だった。それに俺は応えられない。
俺なんかよりも、もっとふさわしい人がベルにはいるよ。ろくでなしな俺なんかよりも……もう先が無い俺なんかよりも。
「ごめんなさい。私から、お友達に戻るって、言ったのに。時間をもう少しちょうだい」
俺はどう声を掛けたらいいだろう。
大丈夫だよ、っていったらいい?
やっぱり距離を置こうか、っていったらいい?
でも、どう言ったところで、俺からの言葉そのものにベルは傷つく気がするんだ。もう傷つけたくなんてないのに。
やっぱり、一緒にいない方がいいんだろう。俺はそう結論付けた。別れ道に差し掛かったから、俺は理由を付けてベルから離れる。
「忘れ物があったから、取りに戻るね」
「そう。それじゃ」
そしてまたベルと顔を合わせた時に気付いた。サリアがなんで俺の好みを言い当てたのか。
気付いたら胸がどうしようもなく苦しくなった。自分で決めた事なのに、すぐにでもひっくり返したくなる。でも、これ以上ベルを振り回しても幸せになんてできないんだ、俺は。
――もう忘れてくれていい。その分、幸せになってほしいと、そう思うのに。
感情が抑えきれなくなって俺は近くの空き部屋に隠れた。そして、壁に体を預けて目を閉じる。いつまでもずっとこんな気持ちを持ってるのは馬鹿だろう。誰か馬鹿だと言ってくれ。なんでこんなに辛いんだよ。
どのくらい、居たのか分からない。数分くらいか。もう廊下の明かりが消えている。
落ち込んでいてもどうしようもない、諦めるしかないんだから。それよりも帰らないと。今日は早めに帰るっていったから、リリーが心配しだす。
無理くり理由を付けて目を開けた。
「こんばん、は?」
間が悪い、というレベルじゃない。最悪な奴に醜態をさらしていた。例によってスレイは暗闇でも分かりやすい白いケープを身に着けている。この女の趣味なのか、暗殺者だったら普通は選ばない色だ。
「どこかに行けよ、疫病神」
「……マテウスコース」
サセックの騎士の名前を出したスレイ。ああ、彼も結構ひどい目に遭いまくったんだろう。会う機会があったらぜひともねぎらいたいってレベルだよ。
気まずそうなスレイは動かない。むしろ俺が出たほうが早いか。胸糞悪い気分のまま立つと、「あの」と声を掛けられた。
「フィロガ、メアは、その、なんとなく分かる気がする」
「は?」
「そういう時も、ある」
意味不明な言葉を吐くスレイが懐からハンカチを取り出した。
「そんな時は、ため込まないほうがいい」
さっきからこいつは何を言っているんだ。
無視して廊下に出ると、後ろからスレイが腕を取ってくる。振り払おうとしたけどびくともしない。
「その、もう少しだけ。今出るのは、尚早かと」
「離せよ!」
「だから! ちょっと待って!」
何故か言い合いになって俺は部屋に戻される。スレイの見た目は全然筋力無さそうなのに、俺よりも力強いとか反則だろ。魔族の異能とやらか、腹立つ。
「とりあえず! 誰も見てない!」
「はあっ!?」
「メアは空気! つまり誰も見てない! だから気にしないで泣けばいい!」
こ、こいつ。本気で俺はこの女が理解不能になりつつあった。
阿呆だ、土足で人の領域に入ってくるくそ迷惑な阿呆だ。
「メアは今空気! 何も見てない!」
「阿保かお前」
「それでいいから見てない!」
何故かきっぱりと言い切るスレイがあまりにも滑稽すぎて、俺は呆れるしかない。呆れるしかなくて、すべてが馬鹿らしくなってきた。
「……付き合ってられない」
スレイは空気になり切っているのか、無言で首を振っている。空気になる位なら動くなよ。頭を抱えたい気分で俺は壁にもたれた。ああ、今更過ぎる、もうこいつに見られてる。
「馬鹿は俺だよ」
俺はこの一晩の事を忘れることにした。
丸々全部、忘れることにした。




