2-12
あのお話し合いの後、緘口令を出されて通常業務に戻された。『剣』ではメアと共犯者が逃げた、って騒ぎになっていたのだけど『剣』署長が鎮めたわ。そしてエスカーチャが二人を捕縛して引き取ったって話にすり替わった。
もうエスカーチャと話がついたのかしら。どうやって説得したのか……なんだか後が怖い。私の懸念は解消されないまま、時間だけが過ぎた。
次の日は待機命令が出て、同好会の部屋でみんな集まっている。
ヤンはすっかりイリアさんに怯えてた。あの惨事の時も恐怖で震えてたから当然の結果よね。ディートリヒとフィロガは揃ってなんだか気まずそう。全然接点の無かったベルは筒を触りながら複雑な表情。
そして書類を目の前にラインハルトが途方に暮れた。
「これ、どうします」
どうしたもこうしたも、ここに置いておくわけにもいかないじゃない。ディートリヒがこめかみを掻いて「わかんねーよ」とため息をついた。
「つーか、魔族っていわれてもなんだって感じなんだが。お前ら、知ってるのか?」
昨日の話を蒸し返したディートリヒに、微妙な反応をするみんな。書類をめくるラインハルトが呻きながら頷く。
「言い伝えで不老長寿の魔物、と言われてました。それ以外は僕にもさっぱりです」
「オーガ並みのお伽話って事だよな」
「そうですね。信じられませんけど」
ぼそぼそと後悔を呟いているヤンを観察していると、ラインハルトが大げさな顔で弁明を始めた。
「だって向こうがノリノリだったんですから! 僕達には何も落ち度なんてありませんよ!」
でも、みんなしてイリアさんを嵌めてたって話だもの。それじゃあ言い逃れ出来ないわ。
そんな風にお通夜状態になっていたら扉が急に開いた。
「すみません!」
私は息を切らせたイリアさんに目を向けた。その後ろには学生のような制服のメアも涼しい顔で立っている。ええ、とっても美少女。私は現実逃避したわ。
「あの魔道具と解析結果はまだありますね! よかった、処分前に間に合った」
汗をぬぐいながら笑顔になるイリアさん。本心から必死だったのは、伝わった。
メアが「入ってもいい?」とお願いしたから二人を通した。ベルが手を引っ込めた筒を見て「無事でしたね!」と輝かしい顔で近寄ったイリアさん。
「危うく学閥から追放の危機でした」
「名誉枠は残っているのでは」
「給料が入ってくるのと来ないのとでは全然違うでしょ」
あの時の二人の関係性との温度差が感じられる会話にみんなして置いていかれたわ。お話し合いの時は絶対服従って感じで接してたのに、今のメアはどこかイリアさんに気安い。
「ヤンさん、最終報告書はどちらに!?」
勢いよく迫られたヤンはおずおずと「こちらです」と手渡した。書類を受け取ってご満悦のイリアさんと、そのイリアさんを放置しててきぱきと筒を布でくるみはじめるメア。中身を読みながら「これで新たな仮説の補強が」とかイリアさんは自分の世界に入り浸っているわ。
「その、どこまで本当なんですか」
あまりにも通常運転だったから、そう口にしてしまったわよ。本当はどういう人か分からないのに。
イリアさんは空色の目を私に向けた。良かったわ、怒ってはいなそう。
「どこまで……嘘はつきましたよ」
「どんなですか」
「考古学者の助手ってところですね!」
つまり大学の人じゃない、って事かしら。でも、さっきから明らかに研究者っぽい反応よね。そう首を傾けたらメアが補足した。
「彼女はランチェッタ教授その人」
ええと、つまり考古学者の助手じゃなくて、学者本人って事?
え、それだけ?
「基本的に成り行き任せなんで!」
「教授の時はこれが常。深く考えない方がいい」
「私は私ですよ。オンとオフ、みなさんも切り替えますよね、それと同じです」
メアは遠い目をしている。色々見てきたんでしょう。
しーんと静まり返っている室内。
「驚かせてしまったのは、謝ります、ごめんなさい」
イリアさんは改めて頭を下げ来るからこっちが反応に困った。そして「ここ防音大丈夫ですか?」と確認してくる。内密の話をしたいと考えた私は風の魔術を使う。ラインハルトは引き気味な顔で見ているだけで、魔術を使う気なそうだったし。
「えっとですね、元からこの魔道具は解析してもらうつもりで。ただ、私自身は協会に来る気は無くて、『飾』に持ち込みしていた時は助手に対応させてました」
「それは、本当に本物って事ですか」
「ええそうですよ! あんの失礼なルクスの研究者達の対応も本当ですし! 酷いですよね、光物にしか興味ないなんて。研究を舐めてるとしか思えないです!」
憤慨している内容は私には分からない。他の人が聞いた経緯に矛盾が無いんだろうことは、義兄達の反応で分かった。そして何か考え込んだようなフィロガがやっぱり疑わしそうに「来る気は無かったのに、来たんですか」と追及した。あの時から、イリアさんを明らかに警戒しているわね。ヤンと違って怖がってるわけじゃない。
「あー、それはですね。メアの怪我の原因が私にあるって話になりましてですね」
メアを見てから笑いに変わるイリアさん。
「あれはメアが最期に油断しただけ」
「メアはそう思っているんだろうけど、あの根暗はここぞとばかりに突き上げてきたの」
「先生は教授が適任とお考えだったのでは」
「え? 違う違う、私への嫌がらせ」
温度差は会話だけじゃなかったらしい。メアのいう先生が誰かは知らないけど、きっとその人に対する認識にも違いがあるわよ。
「でももう容赦しません! なーにまた勝手に動物園を作ってやがるんですかね」
「いえ……牧場では」
イリアさんは生態系がどうたら、環境保全がどうたらって、難しい言葉を捲し立ててた。言ってる内容がだいぶ昨日と落差があってそれも反応に困る要因よね。
「あー、マッドベアって、その、魔族が勝手に放ってたって、認識でいいのか?」
ディートリヒの疑問にメアが遠い目で頷く。
「サセックが例の件がらみで黙認した。あくまでも、飼育と出荷目的」
「出荷って……なんだよ」
「南大陸向けの商売」
私は『剣』署長の言葉を思い出す。南大陸だと、むしろペット的な意味で歓迎されていたことを。あの殺気立ったマッドベアを飼おうとする人の気持ちは私には分からない。飼うなら懐く生物のほうがいいと思う。
衝撃的な内容が続くせいでウィティ……ウム? のイメージがだいぶ愉快なものになってきた。一体、どんな人達がいるのかしら。ロマンを追い求める人と、動物好きと、他には?
「リリー、突き抜けているのはごく一部」
メアが私の気持ちを読んだのか、そう弁明した。
一通り動物好きの人の悪口を言ったイリアさんは「そうでした」と私達に目を向けた。
「疑問があれば、ご説明できる範囲でお伝えしますよ。皆さんを巻き込んでしまったので」
説明、と言われて私はすぐに声を上げた。個人的に思っていた疑問をぶつけるにはちょうどいいかもしれないわ。
「あの、メアが金色の目になったのはどうしてですか」
そう口にしたら、メアが顔を赤らめて「黙秘で」と言っている。
でも、イリアさんはその言葉を無視した。
「あれはですね、魔力が底をついたんですよ」
「魔力が底を」
「そうです。人間だと、その場合って衰弱死の危険があるじゃないですか。でも、魔族はそういう窮地に落とされたら特定の方法で魔力を人から貰うんです」
つまり命の危機だったって事よね。改めて私はメアの無茶苦茶に驚いたわ。
「それを吸魔っていうんですけど。メアは血に含まれてる魔力をもらうタイプです。魔族としても歓迎しない状態ですけど、応急処置的に黙認してます。そうですね、応急処置です」
イリアさんは笑顔だけどそれ以上は答えたくなさそう。きっと、メアほどじゃないにしてもその金色の目の状態を嫌がっている。あの時のメアの様子を思い出した。イリアさんが似たような状態になったら、面食らうわね、私も。
他の人は言葉が見つからないみたいだけど、ヤンが「も、申し訳」と頭を下げたわ。よっぽど報復が怖かったらしい。顔は青いままよ。そんなヤンに、イリアさんは首をかしげた。
「何のことですか?」
「いえ、魔道具の……」
「あ、そうでした! あの温水が出てくる魔道具を取り付けたいなーって思ったんですけどお値段はどのくらいで」
ヤンの不安は杞憂ね。イリアさんが通常運転でまた買い込もうとする気満々だったわ。
筒を抱えたメアが控えめに「教授、今月はもう駄目です」と締め上げた。
「経費はもう落ちません」
「そんな! あともう少しだけでも」
「管理者からは、駄目と」
あの時のイリアさんと、ショックに慌ててる今のイリアさん。本当に、同一人物なのか疑わしくなってきたわ。いえ、本人だって分かってる上で。金銭管理を他に頼ってる時点で、どこか抜けている。
メアの言葉にしおれていたイリアさんだったけれども、すぐに復活して懐からどん、と革袋を取り出した。
「でも、これは良いですよね! よかったら使ってください」
革袋の中身がみんな怖くて開けない。そもそも、お金ないんじゃないの?
そう思ったらイリアさんは「気にしないでください、個人的なお気持ちです」と頷く。
「フィロガさんとリリーさんはメアの工作に付き合わされてとばっちりを喰らったと聞いています。それくらいの報酬は然りですよ、メアからの迷惑も踏まえて」
「……その件については、申し開きがありません」
「立場上、後で追及するからちゃんと言い訳くらいは考えてね」
明るい口調でメアに通告するイリアさん。メアは怖がってるけど、これは裏があるのかしら。
そもそも、何もしてない私と、表立っては目立ったことをしていないフィロガが受け取る必要ないと思うわ。むしろ辞退したい。
「あ、受け取り拒否はなしですよ。金銭が一番後腐れないので。エイドリアンに話は通してあります」
じっと革袋を見つめる。変形しているから、一番安い硬貨が入ってるにしてもそれなりにある。
「物どころか、生活費が消えますよ」
フィロガは微妙な顔でイリアさんに言っている。物って何のことよ。
「えー、あー、バイトでいつもどうにかしてます。お互い気を付けましょうね!」
イリアさんはやっぱりフィロガからは距離を取ってる。バイトで生活費工面しているって事実にもびっくりよ。ディートリヒ以外のみんなは私と義兄が嘘を付いていた、って点を聞き出したそうにしているけど、誰かが口を開く前にまた扉から人が。
「あの女性が来てると聞いたのですがっ!」
ここに来て『飾』署長の登場……もっと騒がしくなるわね。
「『飾』の署長さん! お会いできて光栄です!」
署長は変装しているメアと、態度の全然違うイリアさんを見て顔を引きつらせている。
その勢いのまま、イリアさんが『飾』署長の手を取ってにこにこした。
「あの時会ったはずですが!?」
「え、だってあっちは立場違うじゃないですか。ブルッカ大学のイリアです」
「どこに違いが」
「まあまあ、落ち着いてください。私、考古学者で、ルクスの遺物を調べてもらいましてですね」
「その建前が通るとおも」
「流石協会魔術師は優秀ですね! 短期間でここまで調査してくれて助かりました!」
『飾』署長の話をことごとく遮って自分のペースを崩さないイリアさん、なかなか強敵だったわ。普段の口煩さが完封されている。そんな署長をメアが同情の目で見ている。
「ああそれと、署長の作品、とっても良かったってボスが言っていたのでまた買います!」
ぶんぶん腕を振られて面食らったままの署長を放置しているイリアさんはかなり精神面が強いんじゃないかしら。私だったら、この状況で悪びれなくそのノリを続けられない。
勢いに押されてた『飾』署長は、はっ、と我を取り戻してイリアさんをきっと睨みつける。
「協会にのさばらせるわけないでしょうこんな危険人物!」
「え? 別に危険という訳では」
「その演技もいい加減になさったらどうです!?」
署長は手を強引に引き離した。
この状況でイリアさんに強く出れないわよ、普通は。少しだけ見直し……いえ、上方修正、ええ。印象が最悪から少しだけ上がったわ。
そんな署長の様子に、イリアさんが不意に目を細めた。
でも、怖い空気じゃない。だって微笑んでいるから。
「前にも言ったでしょう。愛はきちんと言葉で示しなさいと。それでは当人達に伝わりませんよ、クララ」
目を白黒させる署長を置いてけぼりにして、イリアさんは「さ、メア行きましょう」と颯爽と出て行った。メアは遠い目で会釈をしてついていく。
「え? え?」
完全に困惑して止まった署長と、実はこの人とも関係あったのかと衝撃を受ける私達。イリアさん、私達を混乱させないでちょうだい。あの時と言ってることが真逆よ。
「え……え、どういうこ、え、あっ……イリノア先生っ!?」
騒々しく出て行った署長を見送りつつ私は思った。
イリアさんって。イリアさんって、すごいわね。もうそれしかなかったわ。
***
メアの件に片が付いて良かった。非番が回ってきたから、今日は協会都市を散策している。
次の絵の構想をさっさと作らないと魔力石の発注に間に合わないのよ。この前の『蜜をとむらう蝶』の分は終わったとしても。女性をモチーフにしてばかりだったら、次は男性のほうが展示の構成はいいかしら。
広場の端っこにあるベンチに腰を下ろした。
ぺらりとめくった白紙のページ。道行く人を見ながら木炭を走らせていると、近づいてくる影があった。
「これはまた、変わったものを描いているねぇ」
はちみつ色の髪のおじさまがやってきた。
休暇中はこのモノクルがトレードマークのおじさまとよく出くわす。館長といい、この人といい、変わった人と縁があるのかしら。
「物好きですね」
「いやはや、そう言われると返す言葉もない。この風景を描いていたのかい?」
「そうですけど」
「ふーむ、相変わらず人物は服だけかい」
クロッキーブックに描かれた広場。レンガ造りの建物。そして、このおじさまの言う通り、人は全部着ている服だけ。見ようによっては服が街中を歩いているみたいな絵。
「ポリシーなんです」
「そう聞いたけど、やはり、僕は勿体ないと思うよ。おそらく君の描く人物画は生き生きと輝くだろうに」
モノクルをいじるおじさまは肩をすくめる。
そう言われても、生きた人間を描く気はないのよ。おじさまの言葉を無視して作業に戻る。
少し日がずれてきた。絵に集中していたらいつの間にかおじさまは消えていた。代わりに砂鼠が肩に上って絵を見つめる。綺麗なはちみつ色の毛並みにちらりと目をやってすぐに視線を風景に戻した。
あらかた描き上げたら肩の砂鼠を降ろした。
「……私にとっては、記録でしかないからです」
じっと見上げるその瞳は何を考えてるのかさっぱりだけど、見た目は可愛いからそれでもういいわ。
砂鼠に別れを告げて散策を再開する。
今日は空に月が昇っている。太陽にかき消されるようにして見えにくくなっているけど、確かにある。
私にとって、月は夜見るものだった。あの人の元へ会いに行くのに月明りだけを頼りにして。そして兄様に怒られて。優しい人達、私の愛する人達。
だから、もう、いいの。私は恋も愛もいらない。そのまま一生を終えていいの。
「リリー?」
声を掛けられてそっちに目をやると、無難なワンピースを着たメアがいた。
でもやっぱり顔が綺麗だからすごい目立つ。目を向けた瞬間、足元に小さな黒猫が見えた。もうすぐに消えたけど。
「あんた結局ここにいるのね」
「諸々の処理が終わるまでは、滞在許可が出ている」
それって例の任務絡みでって事かしら。
右手の人差し指につけている監視用の魔道具を見て生暖かい気持ちになる。
「信用、なさそうよね」
「いつものこと……と、いえば」
目を逸らすメアは慣れているらしい。それじゃ駄目じゃないの、と突っ込むかどうか迷った。
「そうだ、トリシャはどうしたの?」
「もう少し落ち着いてから復帰」
「来るのね、じゃあ、来たら教えてちょうだい。あたし、聞きたいことあるのよ」
不思議そうな表情のメアには詳しく言わないけど、あのゼリーの秘訣をどうしても聞かないと。
「……その、リリー」
「どうしたの?」
「いえ、その……さっき、寂しそうにしていたから、気になって」
視線を私の腰辺りに漂わせるメア。普通は表情を確認するはずだけども。
そんなに寂しそうに見えたのかしら。態度からなのか、それとも別の方法でそう思ったのか。
「メアって、そういえば精霊が見えるとか言ってたわよね」
「そ、それは、そう、だけど」
「精霊ってどんななの?」
首をかしげて聞くと、メアはあからさまに顔が明るくなった。
「精霊は、普段からいたるところにいて。そして私達を見守っている」
「それって幽霊とかそういう類?」
「違う。もっと、根幹的な者達。中でも、キドナとレイアは生き物に直接かかわる」
「キドナ、と、レイア」
「そう。おっとりしていたり、やんちゃだったりするけど、いい子たち」
テンションが今まで見てきた中で一番高いわね。普段は抑えめにしているのが全然抑えられていない。
そうか、メアにとってはきっと親しい友人みたいなものなのね。淡々としていたら、我に返ったメアが気まずそうに「迷惑、だった?」と上目遣いで聞いてくる。
「いいえ、別に。単にその精霊達が好きなんだって思っただけよ」
「好き。大好き。彼らの事はずっとずっと」
控えめに言っていろんな人を虜にするような顔でメアははにかんだ。
嘘じゃないわよ、道行く人が二度見どころか三度見くらいしてたから。
「あんたって、自覚薄そうよね」
「何のことか」
「いえ、こっちの話よ。じゃ、トリシャによろしくね」
私はメアと別れた。あの人は自分の事、分かっていなのか分からない振りをしているわ。
日差しはそれなりに温かくて、でも季節柄まだ肌寒さが残っている。
「忘れないから、だから――」
呟いた言葉は風に紛れた。誰にも聞こえない。それでいい。




