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【サイドB】2-2

※本編2-4の期間中のフィロガ視点です。

 俺が『剣』の演習場の結界に罅を入れたり、個人的な事情で死ぬほど落ち込んでたり、スレイが余計な仕事を増やしまくったりで心がささくれ立っている中で、外部から同好会への依頼が入った。


「こんな時期に外部から依頼が入るって、なんかきな臭くねーか?」

「確かに気にはなりますね。ちらっと聞いた話だと、古代魔術関連の依頼らしいですよ」

「すげーな。それが本当なら」


 ディートとハルは席についてのほほんとお茶を飲んでいる。俺は飲む気がないから書架の整理をしているけど。そして、ディートが机の一角に広げた大量の資料を選別するヤンを眺めている。彼の眼は完全に疑いにかかっている。


「なあ、ガセとかじゃねーのか、リーダー」

「……ああ、ディートか。ガセとは?」

「話くらい聞けよ!」


 やっぱりヤンは聞いていなかったらしい。最近は自分の世界に入りすぎだよ。今だって、個人的な研究データのごみ掃除しかしてない。

 でも、分からなくもない。みんなはリリーの療養が偽りって知らないから、どこか気がそぞろだ。


「だからよ、もしかして、ほら、あれだあれ。また厄介事だったりしねーか」

「ディートの想定する厄介事が何かは知らないが、依頼の話であれば、きちんとした研究機関からと聞いているぞ。古代魔術の魔道具が出土したとか何とかで。最初はうちの作業室に依頼が入ったんだが、室長が突っぱねてな」


 紙の束を揃えてヤンは肩を竦めた。

 ヤンが所属している部署は、主にインフラ整備関連に携わる比較的新しい部署だ。俺が学園生の頃に設立されたんだっけか。だから人が少ない上に若手が多い。余裕が無いって事だね、普段から。


「そこで室長からこちらへ依頼したらどうか、と先方に打診したと聞いている。休暇中の事であまり詳しくは私も知らないんだが」

「あー、じゃあ元からこっちに来る予定だったっつー事か」

「そうなるな。室長の話だと、解析には苦労するかもしれないとの見立てだ」


 そこまで珍しい魔道具がここに来るのか。

 すごく興味をそそられる案件なのに、今の俺は下手をしたらその魔道具を傷つけかねないから悩んだ。協会の魔道具なら最悪直せるけど、重要な遺物となると事が事だ。


「えーと、ちょっと『癒』に行ってくるね」


 諦めて自主避難するか。そう思って扉を開けた。

 そしたら、ぼろきれのような布が俺を押しのけ、いや、突進してきた。思いっきり頬にぶつかって床に座り込んでしまう。


「きゃっ! す、すみません! 扉に人が居ると思わなくて」


 若い女性の声が遅れてやってくる。

 見上げると、こげ茶色の髪をハーフアップに纏めて、詰襟の足首まで覆う長いワンピースを着た女性だった。空色の瞳が見開かれている。全体的にきっちりとしているけれど、きつい感じはしない。

 ああよかった、この人相手には例の症状は出ない。ずれた眼鏡を直したところでじっと見られている事に気付く。何だか、女性は戸惑っているような感じだった。


「珍しい目の色ですね」

「え、あ、ああ。そうですね」


 確かに紫色の目って、他で見かけた事はないね。すぐに起き上がると、彼女はぺこぺこと謝罪する。抱えている荷物が腕からはみ出しそうだけど、誰か他に人はいないのかな。女性には大きすぎるよ。

 自力で起き上がったところで、女性がはにかんだ。


「イリア・ランチェッタと申します。ブルッカ国立大学教授、の助手です。協会の方に協力いただけるなんて感動です」


 ブルッカという国は協会とはちょっと離れている場所にある。同盟国だけど、あまり馴染みは無い。

 ところで、さっきの「助手です」がやけに小さかったんだけど。あわよくば、教授の振りとか考えてたり。いや、まさか。俺もディート並みに疑いすぎてるな。


「協会魔術師のフィロガです。初めまして、イリア」


 年齢は大体、ベルとヤンの間くらいかな。そう思って笑い返して挨拶をしたんだけども。


「……あの、私は自己紹介しましたよね」


 笑顔から表情が少し抑え気味になって呟くイリアに俺が盛大に彼女の機嫌を損ねたと理解した。

 え、どうして。原因が分からず固まったら、ヤンの声がする。


「混乱させて申し訳ない。代表のヤンです。後ろにいるのは向かって右手からディートリヒ、ラインハルト。協会では、慣例としてファーストネームで呼ぶので……」

「まあ、そうでしたか。郷に入らば郷に従えですね。分かりました、イリアで大丈夫です」


 ああ、つまり名前呼びが駄目だった、と。

 協会にずっと居たからすっかり失念していた。初対面の女性を下の名前で呼ぶとか、確かに礼儀に厳しい人だと嫌かもしれない。せめて、敬称を付けるべきだった。やらかして、冷や汗を背中にかいた。


「ええと、では依頼内容をっ、とお!?」


 ほっとした顔のイリアが手を合わせて、荷物を落としそうになった。近くに俺が居たから地面に落ちる前に拾ったけど、これが依頼の品なんじゃ……とりあえず、机に置こう。うん、そうしよう。イリアが「ありがとうございます」と安堵の息をついた。こっちがひやひやする。


 ラインハルトがお茶を片付けに奥に引っ込んで、残りの俺達はイリアの説明を聞くことにした。そのままヤンが対応する。


「古代魔術の魔道具のご依頼とお伺いしているのですが」

「はい、この遺物がそうです。ルクス王国の旧遺跡群から発掘されたものでして……あ、私、考古学専攻なんですけど」


 イリアが布をよけると、長くて大きな筒状の魔道具が姿を現した。

 丁度筒の表面、真ん中に大振りの魔力石が配置されている。そして、上下にも数個。中は空洞だった。何かの容器だったのかもしれない。でも、全く用途が不明だ。


「ん? 待て。ルクスは同盟国じゃなかったよな。うちに依頼した理由は」


 疑心暗鬼になってるディートが探りを入れた。元から強面だし、初対面だからイリアには分からないだろうけど、顔に不信感が出てる。ブルッカの出土品じゃないのも不思議だよね。俺も少し疑問はある。


 そうしたら、イリアは「聞いてください!」といきなりディートに迫った。驚いてディートは身を引いているんだけどお構いなしだな。


「元々ルクスとブルッカって友好国で、発掘したチームに史料の研究の権利があるんですけど! うちが見つけたのにルクスのチームが、全部こっちに寄越せって主張しだしたんですよ! 本当にあり得ないですよね! でも一応折れたんですよ、ルクスの物だし! で? あちらさんが意気込んで調査したら光術の魔道具じゃないってわかった途端に興味を失くして下げ渡しされたんですよ!? 本当に、礼儀知らずにもほどがありませんかこれ!」


 それだけ一気にまくしたてたイリアは、このまま机をドン、と叩きそうな勢いで腕を振り下ろした。とにかく落ち着かせた方がいいか、これは。だから俺は質問をした。


「光術、とは何ですか?」


 さっきの失敗でちょっと気が引けているからぎこちない言葉になった。そして、イリアは笑顔のまま一瞬固まった。全然うまくかみ合わない。もう彼女の対応は他人任せにした方がいいな、このレベルだと。

 イリアはそれでもとりあえずは答えてくれた。


「私は魔術師じゃないんでよく分からないんですけど、魔術に属性があるじゃないですか。その中の、光属性だけの魔術です」

「光だけ?」

「はい。それ以外は全部邪道らしいです」


 俺は本気で意味が分からないし、戻って来たラインハルトも似たような顔している。ヤンとディートも、魔術に邪道があるのかって要領を得ない態度だ。

 イリアは疲れたように肩を落とした。冷静になったらしい。


「はあ、まあ、それでですね。これの解析をお願いします」


 机の物体を指差してようやく席に着いた。

 そして鞄から書類を出して俺達に見せる。契約書やら計画書やら……書類はまともだった。


「まずは二週間後に解析結果を上げてもらっていいですか。それから今後の方針を決めようかなって、えー、話になってます」

「あー、短い気がするんだが」

「特徴が分かればそれでいいんです。どちらにしろ、復元は無理でしょう。こちらの調査の足掛かりになれば……と、言ってました」


 なるほど。無茶ぶりをする依頼者じゃなくてよかった。

 その後は、具体的な計画を一通り話して一段落ついた。ディートのハーブティーを飲みながら、イリアは「あのー」とすこしそわそわしだした。何だろうと見ていたら、イリアはディートに声を掛ける。


「土産でも買おうかと思うんですけど。何かいいものありませんか?」

「あ? ああ。誰あての土産なんだ?」


 指名されたディートが困ったように頬を掻く。営業はそんなに得意じゃないからね、俺も人の事言えないけど。

 イリアは手を遊ばせながにこにこしている。


「ええとですね、ボスと、根暗な先輩と、可愛い後輩達の分です! 装飾品がいいですね、先輩のはどうでもいいんですけど」


 やけにその先輩だけ、扱いが悪い。依頼人の背景は分からないし、突っ込まないけど。目を輝かせてディートに迫るイリアは勢いがあるな、なんて他人事のように見ていたら衝撃発言をした。


「あと、大好きな旦那様の分は豪華にしたいです!」


 え、既婚者なの?

 既婚者でこの落ち着きの無さなの?


 あたふたしているディートを眺めながら俺は別の意味で驚いている。知っている既婚者が殆ど年上だったことを考えると、もしかして俺の認識が間違っているのか。この年代はこうなのか。分からない、既婚者の協会魔術師って片手で足りるから、分からない。


 ラインハルトがすごい微妙な顔をしながら無駄に洗練された動作でイリアの目の前にカタログを置く。


「こういう物があるので参考にされてはいかがですか」

「ありがとうございます」


 そしてイリアはハルの顔を見ないで頭を下げた。あからさまに避けられている。困っているハルがヤンに目を向けてその場を譲った。ホッとしているイリアに、ヤンが営業用の笑顔になった。


「よかったら、私が説明しますよ。どういう物をお求めですか」

「そう、ですねー……後輩達なら、お揃いのペンダントとかいいです」


 緊張が解けたのか、ヤンの説明に耳を傾けながらカタログを見ている。


「あ、このデザイン可愛いですね、どんな人が作っているんですか?」

「ああ、彼女はこの同好会の一員です。装飾品の魔道具専門で」

「へーすごい!」


 どうやら、ベルの作品が気に入ったらしい。

 ぺらぺらとページをめくるイリアはあれこれ独り言を言いながら悩み始める。


「実物をお見せしましょうか。手に取った方が選びやすいでしょう」


 ヤンがそれとなく目を光らせて申し出た。

 着ている服もそうだけど、指輪とかイヤリングは素材が高い物ばかりだ。この人は金持ちだろうって、俺達は分かる。旦那には一番値が張る魔道具を推してもらおう。目配せをすると、心得たとばかりに反応が返ってきた。

 そしてヤンはイリアを連れて販売所に向かった。



 ***



 まずは、魔道具を確認するか。ディートはルクスの資料集めの為に図書館に行った。

 魔力石を手に取る。着脱式でそのまま取れた。ルビーか、薄紅だからサファイアだな。魔力としては地属性っぽい。

 本体はハルがいじっている。部屋に二人っきりだと、まるで普段の職場みたいな空気感が流れる。


「炎色反応を確認したほうがいいと思うんですけど、削ってもいいのでしょうか」

「いやーどうだろう。確認しないと駄目じゃないかな」

「そうですよね。一本だけ結構傷ついているのは、許可を貰えそうですが」


 金属類を調べるなら、本当は専門分野にしているベルに見てもらった方が早い。二週間というやや短い期間だから、開いている時間を確認に行くか。

 ようやく本来の副会長の仕事ができるようになったよ。自分で過去の自分に突っ込みたいけどそれはやめた。


「ベルの予定、聞いてくるね」


 そして筒を叩いているハルに声を掛けると、少し間をおいてから返事が返ってくる。


「先輩、女性にはちゃんと目に見える形でお詫びをした方がいいと思います」


 俺は予定を聞きに行くって話しているんだけど……ハルは何故か違う事を言ってきた。


「もしくは食事に誘ってはどうですか。第三者と一緒であればそう気まずい事にはなりませんよ」

「えーと、ハル。何でそんな話に」

「ここ一週間はサリアが空いているので、彼女を交えたらちょうどいいのではないしょうか」


 き、聞いていない。

 俺の言葉を無視して更におすすめのお店まで伝えてきたよ。


「待って、本題がどんどん逸れている」

「君達の場合はそこからの方がいいでしょう。ベルの荒れ具合を見るに」

「そこは関係あるかな!?」

「これからも人間関係を保つなら、早い方がいいです。既に遅れ気味ですけれど」


 持ち上げてくる癖に、結構、ハルは俺に辛辣なところがある。いや、元から辛辣だったけど、俺を認めたから持ち上げるようになったが正しいか。うん、逆なんだよね。だからこの人の思考回路がいまいち俺には理解できない。

 でも、そこそこ一緒に過ごしているから、何となく何をしたいかなら分かっている。

 このまま乗っかると俺の精神が削れるんだよ。だから、どうにか断る方向で話そう。

 

「サリアにとっては迷惑じゃないかな、唐突で」

「むしろ、抉る勢いで話を振りたがっていますから、大丈夫ですよ」


 サリアは俺の研究室の女性職員、つまり同じ『理』の魔術師だ。そしてラインハルトの同僚で、恋人。

 ああ、段々目が据わっていく彼の様子からして、やっぱりまた喧嘩したのか。彼女と顔をつき合わせたくないと。サリアもサリアで、きっと誘ったら延々とハルへの恨み言しか言わない。


「ベルも元々忙しいから、機会があったらかな……考えておくよ」

 

 二人の間に挟まっても、誰も得しない。そして最終的には外野を放置してよりを戻してる。

 俺は絶対に、間に入らない。もう、後輩時代の板挟み状態はこりごりだ。勝手にやってくれって思うよ。

 

 そんな元先輩から半ば逃げるようにベルの職場に向かった。

 でも、タイミングが悪かった。ベルは上司との話し合いで席を外していた。彼女の部下に伝言をお願いすると相手は「は、はいっ!」と上ずった声になったんだけど、大丈夫かな。


 ラインハルトの言い分は自分の都合ありきではあるんだけど、それでももっともなアドバイスなのも確かだ。ベルがかなり苛烈に振舞ってるって噂は俺の元にも届いていた。まるで『飾』署長の子分だって言われてるよ……やりすぎて、部下に怯えられてないかが、心配になる。

 

「あのさ、君」

「え、ええと何ですか!?」

「いや、そのー、職場は快適?」

「も、もももちろんですよ!」


 駄目かもしれない。ため息をついたところで、相手が「ひ!?」という声を出した。


「あら、どうしたのかしら」

「ちょ、丁度いいところに。フィロガ室長が、お話があると!」


 足早に去っていくベルの部下を見送って、俺は振り向いた。

 今日は営業があったのか、スーツを着て髪をまとめあげていた。非常に大人の女性って感じでいいなって思うよ、個人的には。ただ……雰囲気どころか顔も怖い。部下にもすぐ分かるレベルで機嫌が悪かった。だからあんなに早く逃げたんだろうなって。


 ベルは部下を目で追った後、すぐに俺に目を向ける。


「どういうご用件でしょうか」

「あー、えーとですね、そのー、同好会について、相談がありまして」


 思わず、敬語になった。

 肘を抱えて黙って話を聞くベルはかなり威圧的だ。素の彼女を知らなかったら誤解していただろうなって俺は思う。依頼の話を説明して「ご協力いただけないかと」と丁寧にお願いしたら、真顔のままベルは目を伏せた。


「今週は無理そうですね」


 俺は刺激しないようにただ頷いて了解した。

 よし、これでもう用事は済んだ。後はただ穏便にこの場を去ればいいだけだ。そう思って踵を返そうとした。


「そうですか。じゃあ、また来週来れそうなら連絡おねが……」


 目の前に、ファイアーボールが浮かんでいるんだけど。

 どうしたらいいんだろうね、こういう場合。振り向いたら、ベルがにっこりと笑ってた。


「フィロガ。付き合ってもらえるかしら」


 ……何に?


 ベルは「二時間後、第五区画の噴水前で」とだけ言ってそのまま職場に戻った。 

 残された俺は、歩きながら冷静になろうと考える。

 この場合は、復縁のことじゃない。それは、すぐに分かる。お互いに友人に戻るって話になったんだ、そりゃ違うよね。


 頭がさっきのベルの言葉を反芻している。

 「付き合う」。時間的に、つまりは食事。いきなり二人で。

 まてまて。いきなり高いハードルがやって来たよ。


 同好会はもう適当に済ませた。自分がどう動いていたかなんて、あまり覚えてない。

 そして、時間になる頃に、緊張しながら待ち合わせ場所に向かう。だってそうだろう、つい最近まで接触を断ってた元恋人だ。しかも俺から振ったんだし。


 しばらく待っていると、彼女がやってきた。服装とか化粧とか変えてるから、きっと一度自分のアパルトマンに戻った。

 一人になっている間に気持ちは切り換えられたのか、申し訳なさそうにしている。


「ごめんなさい、フィロガ。唐突に呼び出して」

「大丈夫だよ。時間はあるし」


 実は大丈夫なわけ無い。他の奴らも数人で、という落ちでもなく本当に二人きりだった。でも、諸々の雑念は頭から追いやって、ベルと歩く。


「部下達は事件の処理で大変だったから、何となく誘えなくて」

「そうなんだ」

「それに、仲のいい部下だけを誘ったら不平等でしょう」


 人間関係面倒だね、という言葉を俺は飲み込んだ。

 それでいて、俺には声をかけた、と。当然嬉しい。俺だけ特別ということだから。でも喜んじゃいけない立場だ。他の女友達とかには声を掛けなかったのかって点も少し気になる。


 それに、俺はまだ彼女を好きなんだよ。友人に戻るって言った手前、もう二度と言っちゃいけないけど……態度とかすぐ出そうで、正直、怖い。だったら断ればいいんだけど、でも、俺は断れなかった。

 ああまで感情的になるって、つまりベルにとってはギリギリって事だから。友人であっても大切な人には変わりないんだ。


 そのまま、ベルはとある酒場に俺を連れていった。

 協会都市は広い。俺が昔住んでいた町とは比べられないほど広い。でも、ここら辺は見覚えがある。何故なら、ベルの住んでるアパルトマンの近くだから……ま、まさか、な。自暴自棄とか、絶対ないとは、言いきれない。

 俺は、なるべく飲まないようにしよう。


 店内に入ると、まばらに飲んでいる人達がいる。魔術師の知り合いはいない。いるのは協会に住んでいる一般人の人達か。それと、ピアノが置いてある。シックな内装でかなり落ち着いた場所だ。

 ベルは真っすぐカウンターに座って店員に声を掛けた。


「こんばんは」

「いらっしゃい」

「いつもの、お願いするわ」


 そのオーダーを聞いた店員が酒の準備している。

 ベルは……夜歩きなんかしなかったはず。女性で一人は、やっぱり、そこそこ危ない。協会都市も犯罪がゼロって訳じゃないから。付き合ってた頃のベルは否定的だった。

 じゃあもしかして、誰かと一緒に来てる……俺が軽くパニックになっていると、彼女が催促してくる。


「フィロガは、何飲むの?」

「へ! あ、いや俺は、エールでも」

「ここはカクテルが売りなの」


 そう言って勝手に別のカクテルに決められた。ずっと調子が狂う事の連続だ。ベルがかなり強引になってるから余計に。

 そしてかねてから思ってた事柄が頭の中を駆け巡る。


 ね、ねえ、ベル。

 もう別の人と付き合っていたり? 

 いや、俺は、それでいいんだけどね? 

 だって俺からしたらもうずっと前に別れてるしね? 

 俺達、いい大人だしね?


 そんな心の中は他人には到底見せられない。「洒落たところだね」って立ちっぱなしだった言い訳をして、彼女の隣に座る。


 ベルの手元には、琥珀色の少しアーモンドっぽい匂いのお酒が来た。ロックグラスとか、意外と渋めなチョイスだ。

 そして、俺の前には少し長めの丸いグラス。見た目はエールと変わらない。俺が持つ前にグラス同士を合わせてベルは飲みだした。アンニュイなベルは大人の色気があって俺にとっては目の毒だけど、そこじゃなくて。でも、何をしたらいいんだろうか、まるで分からない。


 やけくそになって目の前のカクテルを一口含む。

 口の中に広がるジンジャーの匂い。エールの味もするんだけど、甘みがその後から襲ってくる。の、飲めなくはないけど。甘くないカクテルは、無いのかな。メニュー表を見ても、全然カクテルの内容が入ってこない。


 落ち着くためにまた内装を見てるふりをすると、ベルが控えめに笑う。

 観察されてた。もしかして今まで無視し続けた復讐とか、かな。そんな気もする。さっきからペースをずらされ続けたのとか、そうなのかもしれない。


「ごめんなさい、説明無しに」

「い、いや、別にいいんだけど」

「マスター、悪いのだけど、こっちと同じの出してくれるかしら」


 そうして出てきたロックグラスのカクテルを渡されて、代わりにジンジャーの入ったカクテルはベルが飲んだ。


「子供っぽい八つ当たりをしても、駄目ね」


 やっぱり、わざとか。

 ベルは大人しい性格じゃない。やられたらやり返す。そういう部分も、ベルらしいと俺は思っている。人によっては、違う感想を抱くかもしれないけど。


 少しだけほんのりと赤くなったベルは、また最初のカクテルを飲む。俺にとっても飲みやすいこのカクテルは、度数がかなり高そう。一杯飲み干しただけで俺は酔うって、分かる……チーズをかじりながら誤魔化した。隣のベルはただ飲んでいるだけ。会話は無い。


「えーと……愚痴くらいなら、ちょっとは聞くよ」

「ふふ、違うの。そのつもりで来たわけじゃないの。もう少し待ってて」

 

 もう一口飲んで、ジャーキーに手を伸ばしたら後ろから音楽が流れ出した。

 しっとりとした空気の中、奏でられる曲。音があるのに静かな感じだ。でも、暗くはない。音楽は詳しくないけど、それなりにいいね。格好いいというか、この空間に合っているというか。

 微笑みながら静かに聞いているベルは楽しそうだった。ああ、分かった。きっとこれ目当てでここに通ってる。


 いつの間にか二杯目に突入してるベルは、曲が終わってから俺に話しかける。


「素敵でしょう」

「うん。ジャズだっけ? 都会的というか、洗練された感じだよね」

「そうなの。歌手も演奏者もいいのだけど、私、この曲が好きで」


 はにかんだベルは机に頭を預けた。これは、そろそろやめた方がいいだろう。カクテルを俺の近くに引き寄せて様子を伺っていると、ベルは口を引き結んだ。


「……本当に、大好きで。だから……聞きに来ているの」


 さっきまで嬉しそうだったのに。グラスの縁をなぞるベルは、酒気で感情がいつもより分かりやすい。

 その目には微かに涙が浮かんでいる。


「駄目ね。思い出してしまうわ」

「……何を?」

「思い出。楽しい思い出。ずっとずっと、前の」


 ただ単に楽しいなら、懐かしい顔をするはずなんだ。でも、声を震わせたベルは、向こうを向いて無言だった。楽しいだけじゃない。哀しい事もきっとあった。

 俺は、そんな彼女に続きを促す言葉を振れない。ベルはふとした拍子に飛び越えたら困るんだと思うから。


 しばらくして帰り支度を始めたベルは、「迷惑料ね」と言って俺の分まで払った。


「ありがとう、フィロガ」

「本当に何もしないから、家まで送るよ」

「ふふふ、他の人なら信じられない言葉だけど、貴方のは信じるわ」


 あえて軽口を言いながら懐かしい道を歩く。

 何も、何も知らなかったら。俺は今でもベルの隣に居たんだろうか。それは、もう分からない。

 徐々に二人とも口数は少なくなって、ただ空を見ている。

 玄関に着いた。まだ酔いが覚めきっていないベルが振り返る。


「ベル、おやすみ」

「……おやすみなさい」


 あの店内で見せた表情を綺麗に隠して、ベルは扉を閉めた。

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