【サイドA】2-2
協会で大立ち回りをして、諸々の事を人に丸投げして私はしばらく療養中。
怪我をそのままに無茶をしたから、ネグリアの怒りを買ってウィティウムの拠点の一つに軟禁された。前に会議した場所とはまた違う屋敷のその一室で、私は手持ち無沙汰になって掃除に勤しむ。
ここは、しばらく使ってなかったらしいから。どうしても、気になる。あともう少しで終わる。
「なんでじっとしてないの」
固まって声の主を見ると、ジト目のネグリアがいた。その横には、ため息をこぼしそうなトリシャ。揃って静かな非難の声を上げている。
早速ここに馴染んでいるトリシャに、私の方がため息をつきたい。でも、それには触れずに塵取りを見る。
「そこのごみが気になって」
「それくらいは我慢してください! どうしてもなら、私がやりますよ!」
籠を持ったトリシャに叫ばれたけれど、この子は隅とか拭き残す。だから結局気になって私がやってしまう。これでは、二度手間どころではない。
そんな私に、ネグリアが仁王立ちのまま言った。
「そんなに動きたいんなら、シウさん呼んでくる?」
「先生は止めて!」
塵取りと箒を投げ捨てて即座にベットに入る。そしてシーツを頭から被った。駄目だ、先生だけは、駄目。掃除道具を片付ける気配がした。情けない姿をさらしているけれども、それどころではない。
「それと、そのシウ様からなんですけど」
トリシャがシーツをひっぺがす。
ああ、ついに来てしまった。この世の終わりだ、私はもう二度とあそこに近寄りたくないのに。かつての恐怖に震えていると、シーツを回収した彼女と目が合った。
「しばらくは休んでていい、とのことですよ。怪我が治るまでは」
「し、飼育小屋行きでは」
「動けない怪我人は邪魔だから、いらないそうです。追って連絡と言ってました」
そのまま新しいシーツを渡されて、私は深呼吸をした。当面は危機が去った。しかし、喜ばしくはない。もう勘弁願いたい。誰が、魔物相手に命がけの鬼ごっこをしたいというのか。
落ち着いたところで、ネグリアに傷の状態の処置をされる。
消毒が染みて痛い。あの、そんなにぐりぐりしなくても、大丈夫では。むしろ、怪我が悪化する可能性が、あるのでは。
「最近の治療法だと、違うと、聞いたような」
ウィティウムに居ても、現役の医者だ。
医学系の知見をネグリアはちゃんと追っている、はず。医学が発達した国に、確か普段はいたような、気が。そして貴方は外科医……目で訴えかけると、ネグリアは少ししてから傷を洗浄して湿布のようなものを貼った。
「こっちはまだ実証されていないんだけどね。君は、こっちの方がいいんだね」
そもそも、準備がされていたという事は、元はこちらで処置をするはずだったという事で。私情で治療法を変えるなんて医者にあるまじき行為。しかし、私は言えない。目が据わってる医者には従わないと、何をされるか分からない。
準備を手伝うだけのトリシャは「せっかくの消毒を流しちゃうんですか?」と首を傾げている。彼女はまだ通説を信じている。
「……さて、メア。シウさんじゃないけど、僕からも何らかの処罰はしたいんだけど」
「持ち物は、ちゃんと全部処分してきた」
「既に当人たちの頭に入ってたら意味ないよね。パミラに感づかれたらどうしてくれるの」
ここまで私情塗れになっている彼は珍しい。けど、事情は理解している。そして、うっかり失言していた。トリシャは顔に「?」をたくさん浮かべてる。彼も失敗したと思っている。傍にいるキドナがそわそわしているから、動揺が分かる。
「協会のパミラさんって、何人か居るんですか?」
「協会都市はそこそこ広いから、居るかもしれないね」
表情を変えないまま誤魔化したネグリアは、トリシャに薬をオーダーしてそれとなく追い出した。たぶん、トリシャは疑問をすぐに忘れるだろう。忘れてくれた方がいいから、それでいい。
見送ってから、私はでも、やはり心配になってくる。
「トリシャ、単純すぎる」
「君に言われたくないと思うよ、彼女も」
ネグリアは、私の熱を測りながら残念な生き物を見るような目を向けてくる。そして全く実感していなかったけど、それなりに体温は高かった。大人しく、シーツを被ろう。
「不安しかない。ヴィッセさんとかを協会に送るべきじゃなかったのかな」
「メア以外は、差し障りがあると。そう聞いている」
「でも、結局、他の人で埋め合わせするなら変わらないよね」
地味にきつい言い方で駄目出しばかり。酷い、ベッドの中だと甘やかしてた癖に、落差が激しい。
シーツから頭だけ出して、チラリと彼を見上げると、顔に寂しさが混ざっている。私では決して埋められないもの。
「会いたくは、ない?」
「知らない方が幸せだから、会う気は全く無いよ」
頭に手を持ってこられたから、叩かれるかと身構えた。そうしたら、子供みたいに撫でられる。私は子供ではないのだけど、好きにさせた。
しかし、と思う。案外、あの人は問題なく受け入れる気がして。それなら、会っても良いのではないか、と。
小さく笑うネグリアは首を横に振る。
「僕はもう、隣に立つ資格はない」
とても、嫌な立場。協会の調査で、知りたくもない事だけどんどん知っていく。知らなかったら、比較しなかったのに。
手を離したネグリアが立ち上がる。
「ああ、そうだった。メア、絶対安静にしてね。序列七位としての命令だから、破らないで」
「はい……ドクター」
最終手段を取られたので、私は大人しく置物になることにした。
序列制度はいたってシンプル。上位の命令には絶対に従う。違法行為が含まれても命令遵守が、ウィティウムらしいというか。最悪、邪魔者を殺せと言われたら殺す。そういうレベルで従う。でも、私より上の魔族は使いどころを間違える人達ではないと、思う。
ネグリアは疑わしい視線を送ってくる。命令されたら、逆らった事ないのに。何故か信用が無い。
「もし破ったら、エクリナと一緒に診療所手伝ってもらうから」
「この前殺されかけた」
「買い手殺しの奴隷なんて異名があるから仕方ないよ」
当然のように言っている彼だけれど、やはり魔族は真っ当な道からみんな逸れている。ウィティウムの活動圏では、奴隷売買禁止の国がほとんど。それ以上に、物騒なあだ名の子を買っている理由が分からない。優しい人のはずなのに、時として理解できない事をしている。
「なぜそんなお買い物を」
「あの子は才能があるから。魔族の治療を出来る人間は確保したいんだ」
ネグリアが答えるけれども、しかし、やはり分からない。それが買い手殺しの子である必要は?
そしてそんな子供をあしらえるくらいには、彼はやり手という事で。やはり私のこの序列は誤りなのでは、と思う。
「今からでも、序列を下げられないのか」
「無理だよ。総帥達に権限があるんだから」
「でも、おかしい。メアが十位なのは」
この序列制度、全容が明らかでない点も含めてきっとどこかで不正が起こっている。容疑者は先生しかいない。そう確信した私を、ネグリアは淡泊に見つめている。
「……少なくとも、オーガ狩りの件数だけでいったら、君がぶっちぎりだからじゃないかな」
「そんなに?」
「他の人だったらまず潰れてる件数だよ」
何が潰れるのかは聞かない。分かりきっている答えを、聞く必要はない。
「それならばせめてあと一つ下で」
「権限の無い僕に言ってどうするの。そんな事を悩むのは後。患者は大人しく寝てるのが仕事だよ」
既視感を感じる台詞を遮断するように私はシーツを被った。
***
夢の中で、私は掃除をしていた。今と同じくらいの見た目の、もうずっと前の私。
紺色のお仕着せでひたすらカーテンをつるし上げる。リネン室から持ってきたものだろう。それが終わったら、次は花の差し替え。貰った花をバケツから取り出す。
懐かしいお屋敷。私の居場所だった、懐かしい場所。
『ねえ、どうして貴方が私の場所にいるの?』
甲高い声がして私は立ち止まった。持っている花は枯れていく。気持ち悪くてその花を放り投げた。周りを見渡しても、誰もいない。
『ねえ、どうして?』
居ない人の声。全く知らない人の声。
怖くなって、私は駆けだした。廊下はどこまでも伸びていて、どこかの部屋に逃げ込もうにも、扉が見つからない。延々と続く景色を走る。
『狡い、狡いよ、返して』
スカートの裾をたくし上げて、ひたすら走る。でも、絶対について来ている。分かる、この声は私を逃がさない。
足がもつれてつまずいた。擦れた膝の痛みにうずくまると、俯いている視界の上部分に、小さな足が見える。小さい小さい素足。私の手のひらにも満たない、まろみを帯びた素足。
『返してよ、私の居場所。貴方の場所はここじゃないでしょう』
耳を塞いだ所で、場面が変わる。
何もない。いきなり真っ暗闇に放り出されたような感覚だった。自分の体も何も見えないただの闇の中に。
『貴方の場所はここ』
さっきと同じ声がする。真っ暗闇なこの場所が、私のいるべきところと。声はそう言ってくる。分かっている。分かっているけれど、でも、私は。
『ねえ、返して。死ぬはずだったのは、貴方なのに』
声は全然やまなくて。ボロボロと涙をこぼしても、彼女はきっと許してはくれない。どんなに謝っても、きっと彼女は言い続ける。
『貴方は死ぬべきだった。貴方が死ぬべきだったの、シェリーメア』
そう声がこだまして、私は叫んだ。
そして、自分の声に跳び起きたら、もう時間は夜だった。椅子で眠りこけているトリシャを見つけて、落ちているブランケットをかける。
久しぶりに見た夢。最近は見なくなってほっとしていたのに、最悪だ。またネグリアに治療されかねない。もう大丈夫だと、そう言い張っても、彼は目敏いから気づいてしまうではないか。
私が目を覚ましてもまるで起きる気配のないトリシャ。包帯が取り替えられているから、彼女がやったのでしょう。
「ん……」
頭を撫でると身じろぎをしたトリシャは、目が震えるけどまた寝息を立てる。彼女はこれでいい。私のように、道を踏み外す必要はない。いい事など一つもないのだから。
またベッドに戻って冴えた目を閉じた。
夢はあくまで夢。あの声は私が作り出した幻想。私の罪悪感が、勝手に誰かの姿を借りて出てきただけ。
私自身、あの子と会ったことなどない。どんな子に成長するはずだったかも、分からない。ただ、私の預かり知らないところで、私は屍の上に生きていた……生まれた時から人殺しと、そう知ってしまっただけ。
だから、私は陽の光が当たる場所にいてはいけない。それに、魔族になってしまった以上は、もう自分の幸せなんて望むべくもない。
いつの間にか意識が落ちていた。次に目を覚ました時には、カーテンの隙間から光が差し込んでいた。少し、寝坊したか。やはり、私の具合は悪いらしい。
丸薬とスープをサイドテーブルに置いたトリシャが私の額の汗をぬぐう。
「起きたんですね。顔色が、少し戻ってて安心しました」
「そう……」
「本当に! 無茶苦茶なのはいつもですけど、今回はどうなるかと思いました。でも、良かったです。完治できる程度で」
トリシャが笑う。それだけでこの場の空気が明るくなった気がした。食事をとった後、着替えを手伝う彼女に私はおそるおそる聞いた。
「……トリシャは、今後どうしたい?」
「え? 今は色々あって協会の講義受けられないですけど、大丈夫になったら受けたいです」
「そういう、直近の話、ではなく。本格的に薬師として勤める場所を探す、とか……サセックなら、頼めば斡旋も」
「メア様。そんな話をされても、全然、整理できないです」
バッサリと切られて落ち込んだ私に、トリシャがため息をついてシーツをかけた。
彼女の態度は以前とそう変わりはなかった。四六時中取り繕うのは下手な子だから、恐らく私を毛嫌いはしていないと思ったのだけど。やはり、私の勘違いで許されていなかったのか。
視線を落としていると「あのー」とトリシャの呆れた声がした。
「時々メア様って、すごい被害妄想っぽくなりますよね」
「別にそんな事は」
「私がメア様の事怒ってると思ってますよね、たぶん。確かに、怒ってましたけど」
それでは被害妄想ではなく事実なのでは……? トリシャが訳の分からない言葉を連ねている。
「でも、それはメア様が考えなしだからです! 命がいくつあっても足りないですよこんな事したら!」
「しかし、私は責任が」
陶器の吸い飲みを出されてそのまま水を飲んだ。
「……メア様は、ルクスから帰ってきてすぐに寝てたんですよね。だから、私がどこで何をしているかも分からない状態で。サセックに飛んだのは、たまたま時期的に行くだろうって思っただけで、居なかったら別の場所を探す気だったんですよね。考えなしに」
地味な攻撃に傷じゃない場所が疼いているのだけど、トリシャにそんな気はない。私がびくびくしているからだ。
トリシャは吸い飲みを自分の膝に置いた。
「そういう人だったなって。酷い怪我をしているのに、必死になってくれたんだなって……そう、思ったんです。みんなのお墓を見た時に」
しかし、それは私のただの我儘。話を先延ばしにして、ややこしくしたのは元はといえば私。
「昔ババ様に言われた事を思い出しました。『毒娘』は、覚悟を持たないと駄目だって。あの時の私は、全然意味が分からなくて聞き流していましたけど。私達は本当は居ちゃいけない存在だから、人に迷惑をかける前に決断しないと駄目だって。実際に、リリーさん達には完全に迷惑かけてしまいましたし」
彼女の師匠の言動を思い出すに、先代の『毒娘』が伝えようとした内容はそのまま彼女の最期と同じ。己で己を終わらせる覚悟、だろう。ただ、トリシャはどう受け取ったのか。まだ表情からは読み取れない。精霊達を見ても、細かな気持ちは分からない。
少し間をおいて、トリシャが続けた。
「元から、サイネリア村は遠からず消える村だったんです。だって、私が作ってたの、は。あれは、子供が出来なくなる薬だって、勉強してから気づいて……村のみんなして、食事の時に飲んでました。知らないで私も飲んでました」
困ったように笑うトリシャに、私はどう声を掛けたらいいか分からなくなった。少なくとも、女性としての選択肢の一つは、初めから絶たれてしまっている。
「あ、別に子ども欲しいとかはないんでそこはいいんです。でも、思い返してみたら、私以外には子どもが居なかったし、育ててる薬草の組み合わせが毒になるものが多かったし……サセックの王様達は、気が気じゃなかったんじゃないかなって」
私はトリシャの言わんとしている事をあまり聞きたくない。それは、確実に彼女を傷つけているだろうから。案の定、トリシャの目は悲しい色。
「きっと。メア様やシウ様じゃないんだろうなって。きっと、ババ様が……叔母さんがやったんだろうなって。私は、あの人達のお墓を見て思いました」
気付かせたくはなかった。そんなことまで、知る必要はないと私は思ったから。どうか、彼等の最期の願いにまで思い至らない事を、祈るばかり。
「話し込んじゃいましたね。体が冷えちゃったら困るんで毛布どうぞ!」
今は、トリシャの掛けた毛布の温かみだけを感じることにする。
当然ながら、はたから見たら私は休むべき人。そろそろいい加減認めよう、私の具合は悪い。
「あ! 忘れてました。今日、マーヤ様がお見舞いに来ようとしてたんですけど商談が入っちゃったから来れなくてごめんなさいって仰っていました」
トリシャから告げられた内容に、私の動悸が激しくなった。
私はすでにネグリアを怒らせている。そして、恐らく彼女も……念押しされたのに、完璧に私の不手際である。そして何故か「お見舞い品だそうですよ」とレーズン入りの袋を渡された。
「これ、は」
「え、メア様の好きな物なんですよね? なんか、伝手を頼って銘柄にも気を遣ったってマーヤ様が。メア様、気に入られているんですね!」
私は、その袋を掴んだまま凝視した。確かに、一緒に食事をすることはあったけれども、好き嫌いをいえる立場ではないのでそのまま出された物を食べている。だから、私がこれを好きだとは知られていないはずだった。
そもそも、ネグリアにも、言ってなかった、はずなのだけど。
「あと、このスープですけど、作り方も教えてもらいました! えっと本当はちっちゃなパスタをくたくたに煮るといいらしいって言われたんですけど。メア様、あまり食べないしスープだけでいいかなって。おいしかったですか」
キラキラした目を向けられた私は、表情を動かさないようにして頷いた。今すぐにでも、このスープを吐き出してしまいそうで。いえ、味付けはきっとレシピ通りでとてもおいしかったのだけど、そこではなくて。
そのまま食器を片付けにトリシャが出て行ってから、私は震えた。
怒っている。絶対、マーヤは怒っている。このレーズン、簡単に手に入る物じゃない。何故なら私の故郷のワイン業者が地元民向けに売っているだけの品物。一流品を扱う彼女の商会ではまず出回らないはずのもの。そして、この赤みがかったチキンスープ。よく食べた味……私の身元が、彼女にばれている。マーヤは私の素性など全く知らないはずなのに。
胃が、胃がひっくり返りそう。これは報復だ、私が粗相をしたから。休むどころじゃない、後が怖すぎる。
結局、私は多方面に怯えてシーツを被った。




