2-1
絵具が乾ききったのを確認して、絵に布をかけた。
窓の景色は夜空と閑散とした草原と、そして森。月に照されている。サセックのあの森に比べれば、ほとんど雑木林程度。遠くに山が見える。
ここは協会都市からは結構遠い。ギリギリ協会の所有地だけれども、隣の国の境が見える。
寝る準備をしながら昨日の事を思い浮かべる。
報告書を上げたはいいけど、書き直せって言われてて。でも、あれ以上どう書けばいいか分からないし、メアとかあの騎士の人はまだ何も言ってこないし。
メアは分かるのよ。『癒』に軟禁状態で身動きが取れない。
で、騎士の人は? まだセレなんたらの処理とかで忙しいのかしら。あそこまでやったならもう連絡とか、寄こしそうな気がするのに。誰にも接触してない。
隊長は胃薬を片手に必死の形相で「やばいから、マジで俺を助けると思って!」と、最後は叫んでた。そう言われても、という気分で私は謝るだけ謝って帰宅したの。
そして翌日、私は顔が白くなってる隊長に無言で後を付いてくるように促された。
今、私が連れて行かれているのは中央に位置する本部。協会の敷地内は背の高い塔が五棟ある。その中の中心。他の四棟は各部署が所有している。
つまるところ、私はお偉いさんから呼び出しを喰らったという訳だ。
通されたのは導師の部屋だった。隊長から漂う空気が痛々しいからか、『剣』の署長が隊長を下がらせる。彼だけじゃない、他の部署の上長もいる。『癒』だけは、今、署長が空席だからこの前お世話になった部長が控えていた。
そして同じように呼び出されたらしい、義兄を始めとするいつもの面々。
完全に、サセックの件よね。分かるわ、それくらいなら。
フィロガとディートリヒは無言で会話をしている。ベルは目を閉じて無表情。ヤンはせわしなく頭を動かしている。振りむいたラインハルトとは目が合ってすぐに逸らした。
「揃ったね」
そう言ったのは高級そうな椅子に座るこの部屋の主。
つまり、導師ね。緩く編んだ三つ編みを垂らして好々爺って感じの人。他の上長は私達を取り囲むように控えている。周囲からの差す視線が、想像以上に痛いわね。
黙っていると、導師がため息をついた。
「ヤーニャ、フィロガ。同好会、立ち上げた時の約束、ちゃんと覚えてる?」
早速リーダーと副リーダーが槍玉にあげられる。ヤンが一歩前に出て、震えながら言葉を発する。
「活動報告は、必須と。そう取り決めました」
「そうだよねヤーニャ。で、この報告書は何だろうか」
そう机に置かれたのは、書類。見ると、私の報告書も入ってる。そして人数分、って事はつまり私達がそれぞれの上長にあげた報告書でしょう。導師はその内容を私達に聞かせる。
トリシャの依頼を受けてから、魔物と交戦して、二手に分かれた事。そして、私が救援信号を出してから二晩森を彷徨って救助隊に救出された事。
やっぱり、みんなして無難な部分しか書いていないわね。サセックの騎士の人とのすり合わせもできていないから。それが出来てたら、ベルとかはもっと詳しく書いているはずだし。
「さて。じゃあ、まず不明な点をこちらからあげようか。ヤーニャの解析器具によると、大気魔力が非常に不安定かつ高濃度だったという記録が残っている。君達は依頼人の護衛任務だから、本来は、直ぐに引き返すよね。こういう場合。そして、協会と組合に報告するよね。そうしなかったのは?」
この判断を誤ったという点で既に何かを疑われている。誤ったんじゃなくて、故意だったって。偶然だっただけなのに……フィロガがヤンの代わりに狼と魔物の件を話す。
全然納得の表情じゃない導師は書類に視線を落として続ける。
「それと、リリーとヤーニャの報告書だと、橋を渡ったって記述があるんだけど。サセック側にカオリャンが聞いたら、そこに橋を建設してないって返答だったよ」
それは初耳だった。私達は確かに向こう岸に行ったんだもの。ヤンもびっくりしているから、私の白昼夢とかじゃないわよ。
「記述が矛盾しているのはどうしてかな」
「導師。僭越ながら、僕から説明しても?」
向こう隣にいたラインハルトが説明しだした。その話によると、マッドベアが魔術で作った橋だったらしい……私は思わずあの時残った人達の横顔を見てしまう。緊張している様子だけれど、ベルもディートリヒも、そしてフィロガもラインハルトに異を唱えない。
「マッドベア、か。ヴァレンティン、知ってるかい」
「はい。確かに、南大陸では知能が高い事で有名な魔物です。魔術を使うのであれば、雌熊かと」
「魔術で追い込み猟なんかも?」
「はい。むしろ、狼さえ彼等に従っていたのでは、と推察します」
マッドベアと狼がそんな関係を築くなんて。人間とほぼ変わらないわ。そんなのと戦っていた事を知って、私達は顔色が余計に悪くなった。誰ひとり知らなかったから、あの魔物について。
導師は他にも気になる点が多くて、追及してくる。
「リリーとヤーニャは、そもそも、何故大気魔力の高濃度地帯に突っ込んだんだい? その記述がごっそり抜けているよ」
それは、トリシャが走り出してしまったから。でも、そうしたらそのままサイネリア村について聞き込みをされるじゃない。最悪、騎士の人との契約が破られることになるわ。
みんな分かっているから、誰一人説明しない。
「ふーん、そこは黙秘か……最後は全員合流したみたいだけど、その前にマッドベアが近くにうろついている極限状態の中で一晩明かしたって事になるんだけどさ、君等は。この場合は魔力を無駄に使わないはずだよね。で? 交戦したって書いてないのに魔力の使用量がおかしい」
あの時、ほとんどの人達は魔術をどこかしらで使っていた。サイネリア村での戦闘行為をみんな書けなかったから魔力の使用量の逆算が合わないのは当然よ。『癒』には魔術師の管理のために、基礎データは全部保管されているもの。
『剣』署長が睨みながらフィロガに確認する。
「フィロガ。攻撃魔術を使ったか」
「……いいえ。今回の依頼では、使ってません」
「ならば何故ディートリヒの魔力まで減っている。治癒魔術を使わせたのではないのか?」
初めから、『剣』署長はフィロガを警戒している。個人的な理由とかでないから、それをどうこう私が言う筋合いはないのだけど。これは可哀想に思うわ。
「その件については、もうディートリヒ君から報告受けましたよー」
居た堪れない空気の中、やや間延びした声で『癒』の部長が助け舟を出す。
「例の症状がリーメアさん相手に出たらしくて、フィロガ君の魔力の制御が甘くなったんだって。それに、汚染度は上がってなかったから、魔力に対して侵襲性の強い攻撃魔術は使ってないと思うよ。久々の極限状態なら、消耗するのは仕方ないって。ね、フィロガ君」
『癒』部長は患者の生命が関われば容赦ないけど、他の事なら割とおおらかに接する。私達とは親子くらい歳が離れているから、余計に母親っぽい対応をされているんじゃないかしら。
そんなことを思っていると、別の女性の声が割って入った。
「パミラ、彼等と親しいからって庇ってるおつもり?」
「いえいえ、ただの純然たる事実ですってクララさん」
「黙らっしゃい! 彼等は明らかに何かを隠してます!」
そうきつい口調で言いだしたのは、『飾』の署長。絶対、般若の顔になってすごんでる。キンキン声に、私は耳を塞ぎたいけれど。そんな事したら、直ぐにまた突かれるでしょう。
この人の事、私は嫌いなのよ。だからなるべく関わらないようにしてたのに。
「導師、このままでは埒があきませんわ。すぐにでも制約で事実確認をした方がよろしいです!」
私は『飾』署長の姿を小さな子犬に置き換えて冷静になろうと努める。
今いる人の中では、一番同好会にも否定的。大体いつも攻撃対象を探している感じの人だから、『飾』でも嫌ってたり怖がっている人は多いらしいわよ。
「ベル、貴方にも失望しました! 室長に任命したのに、この体たらくとは」
「……クラリッサ署長、申し訳ございません」
心底気落ちしたベルに、『飾』署長はその後も酷い言葉を投げつけている。だから嫌われてるのよ。仕事なら仕方ない、で私の気持ちは済ませられない。そこまで言わなくてもいいんじゃないのって。
そして見かねた『理』の署長になだめられる。
「まあまあ、落ち着くんだ、クラリッサ」
「ですがザクセン!」
穏やかなおじさまという印象が強い、『理』の署長。理知的でフィロガが尊敬している人だけれど、その分、筋が通らないと容赦しないらしい。私は接点ないからよく知らない。
『理』署長が私達に困った顔を向けながら、導師に進言する。
「私としては、制約を使うべき内容の精査がまだ、完全ではないと思っているよ」
「本人たちが話さない以上、是非はありません!」
「しかしだね……カオリャン達の報告では、あちらもなかなかに曲者だったらしい。私の見解では、国の問題に関わった可能性も睨んでいる。そうでなければとっくにラインハルトは報告しているだろう」
普段ラインハルトが『理』署長とどんな話をしているのかは、全く分からないけれど。完全に裏目に出てるとしか思えない。チラッと向こう隣りのラインハルトを見たら表情を消している。
「だったら早急に手を打つべきでしょう!」
「仮に、サセックがもみ消しを望んでいるとしたら……私が考える最悪のシナリオは、彼等の暗殺だね。もちろん、直ぐには外聞が悪すぎるから、条件を破った場合に実行する、というのが国としての対応ではないかな」
そして大体当たっている内容を言い出す『理』署長。私は視線を落としてなるべく反応しないようにした。でも、これは時間の問題。目の前の導師はじっと私達を見て、考え込んでいる。
どうやっても、最終的にはばれるわ。制約魔術がある以上は。
そんな中、『剣』署長が不意に険のある声になる。
「……静かに」
「どうしたの? ヴァレンティン君」
無言で警戒態勢を取る『剣』署長。
そして、唐突にドアが荒々しく開く音がした。誰かが蹴飛ばしたらしい。
私は呆気に取られて固まった。
「……唐突に何かな」
「各方面からの報告、せっつかれているだろうと」
導師が侵入者に声を掛ける。
おかしいわよ、ここに来ること自体。だって、普通は外の人達に止められる。
そう、メアだった。両腕に包帯をしてて、血が滲んでる。しかも、相変わらず顔色は悪そう。左手には書類の束があるし。
意味が分からない。どう考えても、メアは部外者。警戒と疑問が混ざった空気になった。
「君の報告に意味はあるのかな」
「一番、事情を知るのはこちら。彼らはなかば巻き込まれただけ。話を聞いたところで要領は得ない」
かちゃ、と後ろで鞘から剣をはずす音がした。『剣』署長、かしら。私以外もすぐ気づいた。一部は確かに知らない事もあるけど、メアの言い分は通るはずがない。
数人、魔術を発動しようとしてる人がいる。メアも気づいてはいるでしょう。
「彼らを監督する責務はこちらにある。君は……信用には欠けるね」
導師がそう口にした瞬間。『剣』署長が距離を詰めてメアに剣を振りかざす。それだけじゃない、『癒』部長の水狼がメア目掛けて襲い掛かり、導師と私達には『理』署長の結界が張られる。
それを、メアは――ただ、笑ってみてた。
覚えがある。目が金色になってた時に楽しそうだったあのメアの表情と被った。
「馬鹿な人たち」
そう呟いたメアは、左手を剣に伸ばした。ぐにゃり、と魔力で作った刀身が形を失う。それだけじゃない。横からメアを捕捉していた水狼がただの水に戻った。
私が魔術をメアに放った時と同じ現象。魔術が解体されている。
メアはそのまま『剣』署長の蹴りをいなして導師の机の近く、窓辺に飛び乗った。『理』の署長が導師に結界を張りなおす。
私はいきなり敵対しだしたメアに困惑している。何があったのよ。
ラインハルトは既に攻撃している。ただ、メアには全く彼の風が届いていない。『飾』署長は魔道具を持ち出してひたすら石のつぶてを打ち続けた。そして素早く壁を走るという人間離れした芸当でメアは躱している。
「これはどう?」
不意にメアの目に、紋様が浮かぶ。嘘でしょう、それ、協会の魔術じゃない。
馴染みのある、私達が普段使う協会の魔術体系。それを、いつの間にかメアがあっさりと習得している。
メアが使おうとしているのは、爆破の魔術。
すぐさま『理』署長が結界の強度を引き上げるのと同時に、『癒』部長の緑狼が姿勢を低くしながら飛び掛かる隙を伺っている。同じく、『剣』署長も追撃を考えているけれど、攻撃が当たらない事を考えると、短剣を投げても恐らく意味はないわね。
「何が目的だ」
導師の言葉に、メアはくすくすと笑う。
未だに魔術を解かずにいるって事は、いつでも爆破出来る。どこを爆破する気なのか。それが、分からない。
「邪魔ならさっさと片付けるに限る」
「……サセックの間諜か」
「何を言う、そんな訳ない」
メアは首を傾げる。顔は笑ったままなんだけど、その青い瞳に楽しそうという感情は、実は浮かんでいない。それだけじゃなくて、本気の殺意が感じられない。
だから、『剣』のはずの私はイマイチ攻撃しようと思えない。署長が不審な視線を私にも向けている。
「リリーは攻撃してくるかと。何故しない?」
「あんたどうしてこんな事してるのよ」
丁度いいタイミングでこっちに話しかけてくるから、私はメアにそのまま疑問をぶつけた。
周りの人達は、みんなして私にも「何を言ってるんだ?」って視線を向けている。でも、全然、メアは殺す気なさそうなの。だって最初の訓練の時と違って、私は反撃しようと思わない。見せかけの殺意でしかないのよ。
「そう。貴方は、引っ掛かってくれないと」
引っ掛かるって、何に?
困惑する私をよそに、メアは笑みの性質を変える。
「つまらない」
爆破の魔術を壁面に発動させてぶち抜いた。ここはそれなりの高さだから、当然風が強く吹いて危ない。近くににじり寄っていた『剣』署長が後退する。
紋様が消えたメアが告げる。
「メアと戦う気ないなら、魔力を汚染する。せいぜい、制御に頑張って、リリー」
「は?」
「もう発動したから」
いや、してない、明らかに嘘よ。私の魔力は絶対に汚染されていないと言いきれる。
そして思考が逸れたところで、メアの頬を猛スピードの何かが掠めた。
フィロガの魔術だ。『飾』署長と同じ魔術のはずだけど、先端が尖ってて凶悪化してた。魔力が暴走しかかってるわ。ディートリヒは必死だけど、無理そうだから導師まで制御に加わったわよ。どうするのよ、これ。
「呪術を、使ったと?」
「答える気はない」
義兄の声が低い。
それに反して、メアは頬の傷から流れた血を拭って口が緩い弧を描く。
「……面白い」
これは、本音ね。見ていると、金目のメアと被る時と被らない時があるわ。
好戦的な表情のままメアは窓から身を投げた。駆け寄る数人。様子からして、きっと逃げたらしい。何をしたかったか全然分からない。
考えていたら、肩を掴まれて振り返った。
「リリー大丈夫!?」
すごいショックを受けている義兄の顔があった。養父母が亡くなった時の表情に似ているからこっちが驚いて目を瞬かせるしかないわよ。
「体、どこがダルいとかない? 魔力を通しにくい箇所とか」
次いで来たのは、『癒』部長。とても厳しい顔をしている。
言われた通りに魔力回路に魔力を通すと、右足に少しだけ不思議な感覚がする。伝えるとすぐに靴を脱がされた。赤くなった足首に、私も目を丸くしたわよ。
痛くはないんだけど、結構な紋様が描かれている。協会の魔術じゃない。
「いつ頃からか、覚えてる?」
「分かりません」
部長は険しい顔のまま、急いで救護室に私を連れていった。私に掛かったであろう魔術を解析するため。結果として、確かに何らかの呪術なのではという話に至った。
ピンと来ない私の様子については、呪術だからで片付けられた。あれは精神に作用するから、私が影響を受けている、と思われている。
あれよあれよという間に、メアは協会内で指名手配された。ついでに、ディートリヒの講義を受講してたトリシャも。トリシャはどこに行ったのか、それも気になる。
そして私はそのまましばらく休職扱いになった。




