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メアの体調を確認しつつ、交代で周囲に異常がないか、警戒をすること数時間。
トリシャは痛み止めを作っている。でも、彼女の顔色はあまりよくない。必要な原料が一部足りないらしい。
床で横になっているメアは、ディートリヒに見張られたまま居心地悪そうにしている。眼は閉じてても寝れてない。
「予備の薬草も使い果たしててな、悪ぃな」
「……メアは気にしてない」
そうは言っているけど、顔はやや青い。水でも飲ませようかと水筒を探していたら、トリシャが立ち上がった。
「代用できる薬草、探してきます」
「遠くまで行くんじゃねーぞ」
ディートリヒの言葉に頷くトリシャは、今度は走り出さない。
表情から察するに、彼女の中では村とメアの関係については保留になったみたい。今は、メアの傷を心配している。当然、護衛無しで行かせるわけにはいかないから、私が着いていくことにした。他の人達は村を観察したり、あの魔物が来ないか見張ったりだから。
トリシャは森と村の境目まで進むと立ち止まった。その表情は思いつめている。こっちには誰もいない。
「……リリーさん、少し先に、赤い縄が見えますか?」
トリシャは私じゃなくて森の奥を見ている。
目を凝らす。確かに、奥で何かが横断している。赤かどうかは分からないけれど、きっとあれの事でしょう。
「あの先は、本当の、本当に秘密の場所なんです」
トリシャはそう言いながら歩き出す。私も遅れて歩き始める。
近づくと、色が大分褪せてはいるけれど縄は確かにあった。綻んでいないからかなり丈夫に作られているわね。
その縄を潜り抜けてトリシャは入る。私も入っていいのか迷ったけど、トリシャは止めようとはしなかった。
一歩足を踏み入れる。その瞬間、緑と青の木々に溢れていた景色が変わった。
さっきまでは森が続いていたはずなのに。柔らかい黄緑色の草が地面に敷き詰められているように生えていて。その間を縫うようにして道が続いていて。そして、古びた小屋が一件建っていた。
隣は池かしら。水草が静かに浮かんでいる。不思議なのは、動物の気配がまるでないこと。小動物はいなくても、虫くらいは飛んでいてもおかしくないのに。
トリシャはそのまま小屋の扉を開ける。
中は、壁一面の棚と作業台があるだけ。棚には瓶詰がずらっと並んでいる。その瓶詰から幾つか彼女は中身を取り出す。乾燥した草……もしかして、薬草かしら。
「大分、足りなくなっていますね。足す人、居ないから」
寂しそうな声でトリシャは独り言を呟く。
私はまずこの場所があの森の中かどうかから疑っている。もしかして、転移魔術で全然別の場所に飛んでるんじゃないのか、って。
用意を終えたトリシャがきょろきょろ見回している私に言う。
「リリーさん。リリーさんには、何に見えていますか?」
「え、ええ。小屋の中よね」
「そうなんですね。人によっては、小屋が岩に見えて、周りの風景も森が続いているようにしか見えないんだそうです。詳しい事は私にも分からないんですけど、古くからあるそうです」
そうすると、古代魔術? 協会の『理』でも大体は意味が分からないと頭を悩ませる魔術ばかりと聞いている。
トリシャが触る机には、道石と同じ紋様があった。もしかして、ここに続く物なのかしら。
「私や、ババ様みたいな『毒娘』に害意がある人が入ると森の中でずっと彷徨うそうです」
「魔術が人の意志を判別するの!?」
「えっと、昔からそうだって、ババ様は言ってました」
その『毒娘』とかババ様とやらは一体何者よ。
魔術は魔道具であっても、誰かが発動していないと止まる。魔力石なんかで魔力の供給をしたとしても、いつか魔力は無くなるから、補充はどうしても必要。
それを無視してずっと維持され続ける魔術は、協会の技術では無理だ。ここは、人知を超えた力が働いているってことかしら。
「ところで、『毒娘』って?」
「私の村の風習で。『毒娘』と決まった女の子は薬の勉強をするんです。ババ様……先代の『毒娘』が教えて、それでその子が薬を作ります」
まずは落ち着こうと知らない単語を聞いてみたら、トリシャはあっさりと答えた。薬師と一緒って事かしら。トリシャは薬草魔術を学んでいるし。
でも、何か、含みがあるような。
「戻りましょうか。薬草は手に入ったので」
話を逸らしたんでしょう。でも、私はそのまま了承して村まで戻った。
メアは大分消耗していた。さっきよりも一段と辛そうに顔を顰めている。
「森の中で魔術を使うのはよくないぞ、ここいらは大気濃度が下がったが、森の中はそうとは限らない」
乾燥した薬草を見たディートリヒは、薬草魔術を使ったと勘違いして説教してきた。私もトリシャもその間違いは訂正しないで謝った。何となくあの場所は口外しないほうが良いって思ったから。
次の見張り番の順番が回ってきて、ラインハルトと一緒に夕暮れ時の森を見つめる。村はベルとかヤンが視界を確保したいと頑張ったから、まだ明るい。でも、森はもう暗くなっている。
彼と付かず離れずの所に佇んで警戒をする。時々、横から視線を感じるんだけど、無視した。あっちもそこまで距離を詰めようとは思っていないでしょう。
気を抜くわけにはいかないわね。黄昏の空は一番、目が慣れなくて危ない。索敵に魔力を割くと、魔力残量が規定値を下回る可能性があるから魔術は使わない。
何もなければ、明日トリシャを連れて救助隊を探しに行くつもり。だから、今晩どうにか耐えればいい。そう、思ったんだけど。
『リリー』
非常に小さな声が聞こえた。
ラインハルトが風の魔術で私に声を届けた。
『そばの茂みが、さっきから不自然に動いてて』
彼も索敵に魔術を使うのを止めている。なのに、魔術を使った。動きを気取られないようにしたかったって、事かしら。
だから私も小声で話す。それで勝手に向こうに届く。
『あぶりだす?』
『炎はやめて』
『なら、どうするのよ』
『考えがあるから、話を合わせて』
そこで話を切ったラインハルトが近づいてくる。
「そろそろ見張りの交代だよね」
どう合わせたらいいのか分からないから、返事だけ。本当の交代はもう少し後。そしてまた風の魔術を使い始めたラインハルトに首を傾げそうになって、やめる。
「僕は思うんだけれども。編成を見直した方がいいんじゃないかな。リリーはまだ平気でも、僕は連日魔術を使って規定値ギリギリだよ」
「そんなにだったのね」
完全に嘘だ。一番余力を残してるのがラインハルト。
規定値は総量との比率で決まるから、私が皆より魔力量が多かったとしても、もうそろそろ危ないのは私の方。でも、合わせろって事だから、否定しない。
「先輩は左耳が聞こえにくいし、ベルだって左足を捻挫してる」
これも半分は嘘ね。どっちも確かに負傷してたんだけど、二人とも右側。
「ディートとヤンは完全に荷物だし……」
「どうするのよ」
素で突っ込んでしまった。
嘘だらけで、私も混乱してきた。いえ、確かにディートリヒとヤンは戦闘には不安が残るのよ、確かに。でも、最後の手段はまだ残してる。
ラインハルトはへらりと笑っている。
「一回、みんなと話し合おうかなぁって」
「そう」
「『破壊の魔女』的には、どう思う?」
「……そうね、いいんじゃないんかしら」
そろそろ私はラインハルトの狙いが分かった。嘘の話の方向性が、私達の戦力に偏ってる。それにわざわざ『破壊の魔女』と私を呼ぶって事は、攪乱でしょう。もしもの時の為の。
それで話を打ち切って待っていると、すぐにヤンが交代に来た。
「ハル。待たせたな、時間だ」
「待ちましたよ、本当に」
ああ、ヤンもちょっとなら腹芸はできるの。元の順番とは違うなら、みんなにも声が届いたってことね。
そして茶番は終わった。ラインハルトが魔術を止めたから。ヤンが目だけで周囲を探る。遠くから監視されている可能性を考えているんでしょう。
「もういいのか?」
「君が来た事で餌には食いついてくれました」
「そうか」
一息ついたヤンが肩をすくめる。緊張感のない表情を引き締めて、ラインハルトが私に謝る。
「ごめん、リリー。不仲を装いたくて」
「いいわよ。それよりベルと相談してきてちょうだい」
『破壊の魔女』は、私を敵認定している団体が使ってる呼び名。そもそも女性魔術師に『魔女』なんて呼びかけは、否定的な意味合いしかない。それに……実際問題、私はラインハルトと二人きりは苦手だ。
騙したい相手に真実味を持たせるには丁度良かったんじゃないかしら。
そのままヤンが残る。表情を変えずにいるけど、その手には自作の魔剣。最悪の状況になったら、辺り一帯を氷漬けにするための魔道具。足止め用だしこれを使ったらヤンの魔力はほぼ底をつくから本当に最後の手段。
どちらにしろ、私がさっさと縛り上げるしかないのよね、基本的には。
ラインハルトが皆に状況説明して、ベルが指示を出す。それで対処することになるわ。待っている間、ヤンは他の魔道具も点検している。気持ちを落ち着かせようとしているのが丸わかり。
一方の私は周りの警戒を続ける。
「肝が据わってるな、リリーは」
「元から『剣』の仕事だもの」
「確かにそうなんだが」
研究馬鹿と言って差し支えないヤンだけど、本人はコンプレックスに割と悩まされている。実家の知名度が高いと、そういう所が嫌よね。求められる水準が高くて。
「向き不向きはしょうがないわよ」
「そう、思えたらいいんだが」
案外、後ろ向きな回答を私は流した。
その自信の無さは、地味に義兄を苛つかせている時がある。ヤンにはちょっとぞんざいな対応になってるのはそういう理由もある……集中力が逸れたわ。今はよそ見したら駄目ね。
手持ち無沙汰にしていると、人が走ってきた。
「よかった! 人が居たのか!」
見た限り、装備とかはない、ただの人って感じ。
その人はぜえぜえと息を切らせてこちらに近づく。どこにでもいそうな男性。少しだけ、運動は得意そうな印象を受けるけど、それだけ。
「森に入って遭難したんだ、助けてくれ」
「あいにくと、あたし達もそうなのよ」
「そ、そんな」
へとへとって感じで、十歩くらい手前で立ち止まって肩で息をしている。
「君達は、見た感じサセックの人じゃないね」
「ええ。依頼でここに来ただけだから」
無難な会話を繰り広げながら、男性の手先とかを見る。少なくとも、肉体労働系なのは確か。
「でも、安心してちょうだい。明日には救助隊が来るはずだから」
「そりゃよかった!」
ちょっと駆けだした彼との距離が縮まったあたりで、私は呟いた。
「『セルリアンバインド』」
水を網状に構築した捕縛用の魔術を使う。
彼は予期してたのか、飛びのいた。結構、戦い慣れてそうね、この人。ヤンも初めから疑ってたから、すぐ結界魔術を展開して笛を吹く。
これで襲撃者の存在は皆に伝わったわ。
舌打ちをして表情をガラッと変えて、好戦的に笑う男性。
逃げようとするから、壁を作り出して退路を塞いだ。すぐに短剣が投げつけられる。ヤンの結界は物理障壁がしっかりしているから、その程度の攻撃は意味がないわ。魔剣でもなかったから、私はただ様子を見るだけ。
「魔女共が」
「そういう割には、魔道具に頼ってるわよね」
私の評判は割とどうでもいいのよ。魔術で探ってみたら、いくつも魔道具を持っている。用意周到な性格ってことね。
「こっちにかまけていいのかな?」
「何が」
「さあ?」
もう一度魔術を使う。迫り来る水の網を男性は何らかの方法で切り裂いた。飛び道具かしら。細い魔力の残滓が感じられるから、きっと鞭とかそっち系の武器ね。気を付けないと切られるわ。
「ヤン」
一応私も魔道具は作れるから、何となくは分かるけど。専門家のヤンの方が相手の魔道具を解析するのには長けているわ。
「ワイヤー状の魔道具二つと協会産の魔道具数個だな」
余裕の表情を浮かべる男性だけど、踏み込みを躊躇う。
アタリのようね。魔術師協会の魔道具は特徴的だから、すぐに分かる。私からしたら、ワイヤーの間合いだけが問題。
相手はどうやら逃げの一手を取ろうとしているみたい。言い当てられたのがやっぱりまずかったのかしら。
「リリー、まだ皆が来ない」
それなら、もしかして、陽動?
私達を足止めしておいて、村の中が本命って事かしら。男性はここぞとばかりにせせら笑っている。
「今頃もう焼け焦げになってるんじゃない?」
あのラインハルトの嘘っぱちを信じているんなら、絶好調のはずの私を相手にはしたくないわよね。背を向けたところでワイヤーで切り裂きたいのか、そのまま逃走したいのか。そんなところかしら。
「分かったわ。プラン四で」
「なんの合図だ、魔女」
プラン四は、敵対存在の無力化。目の前の男性の捕縛を第一に動くって事よ。
ヤンが結界魔術を解除した瞬間に私は男性に向かって走り出す。私自身の身体能力はそれなりでしかないけれど、風の魔術で迫りくるワイヤーをそのまま蹴散らして至近距離まで近づく。
「この!」
ベルトのバックルから引き抜かれた小さいナイフを魔術で弾いて、把握しておいた魔道具を全部壊した。きっと、衝撃波を出す気だったのでしょうけれども。不発に終わったわ。
すぐに離れた所でヤンの声が聞こえた。
「凍える息吹がその自由を奪いとる、『フリージング』」
教本そのままの詠唱で男性の手足が凍り付く。炎系の魔術を使えるか、魔道具を持っていなければ対処は難しい。魔道具の中に、それが無いのもヤンは確認済み。火種になりそうなものは、手足を使えなければ、恐らく使えないと判断しての拘束。
男性は、憎々しげに私達に暴言を吐いている。
「無駄よ。ヤン。縄借りるわね」
ヤン自身の得意な結界魔術と違って、これは攻撃魔術寄り。だから、集中していて返事はないわ。
そのまま縛り上げて、ヤンを見る。
「風纏う巨人がその自由を操る、『マニピュレイト』」
魔術を重ね掛けしてそのまま男性を歩かせる。
この人の顔が強張ってるのは予想通りよ。こういう風に魔術を短時間で重ね掛けするのは、結構難しいから。
「全部嘘か」
「何を聞いたんだか知らないけど、協会魔術師を舐めて貰っちゃ困るわね」
憎まれ口をたたく男性は、協会の技術を知らないわけはないでしょう。魔道具で身をもって分かってるはずだもの。それに……その魔道具、国からの支給品よね?
ヤンと顔を見合わせて私達は村の中に戻る事にした。
※2021.9月 改稿しました。




