第三話
男爵の食卓は豪華だった。オードブルの冷肉は山盛りだし、海なんて近くになさそうなのにエビの入ったスープは出るし、仔牛の丸焼きが暖炉でぐるぐる回っていた。塩漬けみたいなものは一つも出なかった。酒も何種類も用意されていたが、さすがにショタの身を思って飲まなかった。デザートも期待である。
ユーディトはディナーの場にもフルプレートで出席してきていた。ほんの少しだけ開いた面覆いとスプーンがぶつかってガチャガチャ音を立てている。
「ユーディト嬢はメンタルを病んでおられてな。顔を人に見られたくないのだ」
男爵も言いにくい個人的な事情をあっさりと公表するやつだな。まあユニコーンの騎士とか間違いなく精神的ブラック労働の部類だし、メンヘルも仕方ないよね。もうユニコーンは死んだので養生してください。全身鎧に興奮するやつもいるらしいけど。
「男爵、安藤くんには傭兵隊を任せてはいかがでしょう」
田端くんが何か言ってる。
「それはすばらしい!単騎で一揆を鎮圧するほどの腕であられるからな!荒くれ者どももおとなしく従うだろう!」
思いっきり異議を唱えたいところだが、男爵とかいう知らないおじさんに意見するという冒険は俺にはできない。おミソがいたらとりあえずは何かは言っただろうが、身分が違うとかで同席はしていない。
「では、明日の鷹狩りには安藤くんをお連れになるということで、そこで隊長たちに紹介を……」
俺の口出しできぬところでどんどん話が進んでいく。
「おお、そういえば『ニシュアン』をまだ召し上がっていただいていなかったな。おい!」
男爵がそう言うと召使がペーストを塗ったクラッカーのようなものを食卓に並べ始めた。これがデザートか。
「モミの木領には交易品になる名物が少なくてな。最近、この甘味料を輸出用として売り出そうとしておるのだ」
なるほど。このペーストも田端くんの言うところの文明化の一つなのだろう。外貨獲得のために色々やっているのか。どれ一つ。
犯罪的にまずい。長年の引きこもりで表情筋が死んでいなければ、完全に衝撃が顔に出ていただろう。一言で言うと腐った川魚を煮詰めたジャム。こんなものを人様の国に輸出しようとしているのか。年貢だけ取ってればいいものを殖産興業しやがって。
「そんなまずいのよく食べますね」
ユーディトがあっさり言い放ってくれました。この子本当にメンヘラなんですかね。
「ユーディト嬢は味覚が独特であられるからな。他領でも評判は上々ですぞ」
この世界では少数派なのは我々の味覚なんだろうか。俺には全然判断が付かない。田端くんは美味そうに食っている。
「新興商人たちに販路の拡大を頑張ってもらっていてなかなか好調だよ。流通はギルドが握ってたんだけど今は誰でも参入できるからね。増産に継ぐ増産さ」
売れてるのか。まあ甘味が貴重な世界なのかもしれないし、そういうことも……あるのか?あの味で。
「さて、私は所用があるので失礼させていただくよ。みなさんはゆっくりされるといい」
「僕もこれから部下と会議だから、これで」
男爵と田端くんがさっさと席を立つと、甲冑の隙間からなので手間がかかるのか、まだ食べてるユーディトと俺の二人だけが食堂には残された。
気まずい。
ユーディトは必死で食べてるだけで黙ってるし、何を話せばいいかわからんし、っていうかそもそも話せんしな俺。
いたたまれない感じになった俺を救ってくれたのは、ドアを開けて入ってきた一人の爺さんだった。
「よろしいですかな」
爺さんはローブみたいな服を着ていて、結構偉そうだ。
「大執事のランゴールと申します。新しい傭兵隊長どのにお話がありまして、私の執務室まで来ていただきたい」
人の、特に偉そうな人の言うことには無条件で従いまくってしまうのが俺の習性である。「あ、はい」という感じでノコノコついていかされてしまった。
執務室は地下にあった。明かりは灯っているが、薄暗くて、なんだか湿気が多い。
「こんな場所で申し訳ありませんな。なにしろ城も手狭になってきておりまして……」
ランゴールはため息をついた。
「単刀直入に申します。田端どのを止めていただきたい」
え、何?まあ田端くんのやり方に色々問題がありそうなのはわかってはいたが、それを俺に言う?まだ素性も確かじゃないのに?
「この老人の見たところ、田端どのとあなたはあまり反りがあっていらっしゃらない様子。こちらの味方も少なくありませんが、大戦争が始まるまで、もう猶予がないのです」
爺さんの正解である。思いもよらない再会のせいで田端くんはこっちに親しげだが、もともと俺とは仲が悪いのだ。なかなかいい観察力を持ってるなこいつ。
「厳しい検地やら、家族の死体を糞尿と一緒に埋めろやら、週二日の安息日を一日にしろやら、ギルドの排除やら、田端どののやることは過激すぎます」
なるほど、このじいさんは男爵の家臣の中で保守派なのね。
「火薬のおかげで軍事力はすばらしく高まりましたが、周辺の弱小騎士領はあらかた併合して、次の大司教領は大領です。今までのようにいくとは参りません」
で、俺にどうしろと言うんだ。。
「一言でいうと、適度に負けてほしいのです。できれば、田端どのが失脚する程度に」
いや、傭兵隊長って言ってもこっちもド素人ですからね。本当に俺が戦の指揮とかやるのかどうかすらわからないのに。
「なあに。うちの傭兵隊はタチが悪くて、すこし旗色が悪くなれば逃亡するような連中ばかりです。戦況の苦しいタイミングを見て退却とひとこと言えば総崩れでしょう」
そうだね。さっきの城下の連中はとても勤労意欲に溢れてるようには見えませんでした。
「正規軍の指揮官にもこちらの同志が何人かいます。彼らもサボタージュに協力してくれるでしょう」
ランゴールはどんどん話を進めていく。
「成功のあかつきには3000戸の所領をお約束いたしましょう。承諾いただけない場合には……ここで死んでいただくことになるでしょうな」
気づいて振り向くと背後には覆面のやつが3人、ナイフを構えて立っていた。
いやもおうもない、というわけで、俺は血判状に指を押し付けられ、見事厭戦派の一員ということになってしまった。どうすればいいの。まあなんの証拠能力もない……といいんだが。
ほうほうの体で帰り着いた自分の部屋に待っていたのは、おミソだった。
「どうしました?顔色が悪いですよ。明日はお楽しみが待っているのに」
お楽しみ?よくわからないうちに陰謀に巻き込まれた俺に気軽に話しかけないでくれ。
「大笑いですよ。この城には鷹なんて一羽もいないんです」
おミソはどこでもらったのか、赤緑縞の派手な服を着ている。
「鷹狩りで尚武の気を養うとか言ってるけど大嘘です。森の狩猟小屋に集まって乱交パーティーやってるんですよやつら」
おお、貴族っぽい。権力のパワーで明るく開放的な性の喜びを謳歌してらっしゃるのか。
「近隣の若い娘がガンガン集められていて、信心深い人々はそれはそれはキレているそうで」
ちょっと興味はないわけではないが、俺はそういうカリフォルニアンなポジティブエロには抵抗がある。大体男同士仲良く丸出しで楽しむとか無理だ。
「まあご趣味ではないでしょうなと思って、もう断りの連絡を入れております。明日はお好きにすごされるとよいでしょう」
こっちの心にもないことを勝手にやったり、逆に都合よく助け舟をだしてくれたりと、おミソは本当にわからんやつだ。
しかし今日はもう疲れた。あのよくわからない屋敷で目覚めて以来、俺はずっと緊張しっぱなしだった。やっと温かいベッドを手に入れたのだ。とりあえずは18時間睡眠だな。客人だし、隊長だし、放っておいてくれるだろう。おやすみー。
目覚めは最悪に不快なものでした。肩がガンガンに揺すられて、目の前には汚いオッサンです。ん?オッサン?なんで知らんオッサンが部屋にいるんだ?
「隊長!隊長!」
酔った。もうちょっと加減したシェイクをしてくれませんかね。
「敵襲です!男爵が討たれました!」
朝イチでの衝撃展開だけど、俺は気持ち悪くてそれどころじゃない。
「指揮をお願いします!正規部隊も所領に帰るものが続出しています!」
ふと枕元を見るとおミソが笑っている。
「命拾いしましたね。狩猟小屋が襲われたそうです」
うーむ。神は見ている。堕落したものどもの生臭い狂宴など許しはしないのだ、ってそれどころではなく、男爵が死んだイコール俺は保護者を失ったわけで、ここでの生活もどうなるかわからないということである。
「ランゴール大執事が大司教との停戦交渉に向かいましたが、おそらく無理でしょう。今日中にも、敵軍はやってくるのではないかと思われます」
これは……当たり前だけど逃げたほうがいいな。
「ちなみに、田端様は異教審問部隊に捕らえられ、拷問の末に亡くなられたらしいとの噂でございます」
うわー。悲惨。俺はそうならないようにしないと。
「ご出陣の用意を!我が軍は広場に集結しております!」
そう言うとオッサンは部屋から出ていった。
「ちなみに我が方に残ってるのはほんの少しの義理堅い正規部隊と、圧倒的大多数のカス傭兵です。略奪強姦をやりすぎて恨みを買いまくってて、群れる以外に生き残る方法がない連中です」
おミソがわざわざ説明してくれた。
「それと逃げるとか無理ですよ。さっき報告に来たアイツ、ご出陣をとかなんとか言ってたけど、逃亡防止のお目付け役ですからね」
目覚めると俺はゴロツキの頭目になってました。ということらしかった。