第8章------(2)
イーマはポルルスへ入った。
この国は、朝の大陸東部に位置する内陸の国である。同時に、朝の大陸のうちでは境界線にもっとも広く面している国としても知られている。
ポルルスはまた、アルガ大神の四大性質のうちの土神を、「大地の神」と呼ばれるノーム神を守護神にいだく。有数の山岳地帯であり、ポルルスのほとんど全ての町や都市は高山の連なりの上にあるのだった。
イーマは無国境地帯から直接、山岳地帯へとわけいった。本来なら、もっと北側をゆく街道を北上しながらポルルスへ入ったほうが、安全だったし、道に迷うおそれもなかった。しかしそれをすると、フォルテに狙われやすくなるばかりか、ユネスの追手にも見つかってしまう。
イーマはその後、街道で、ユネス兵の検問にひっかかりそうになった。以来、街道にはよりついていない。赤髪も短く切った。そして手製の染め粉でこまめに染めかえた。だが、兵たちはイーマの真紅の瞳も知っていて、どうやらそれを手がかりにイーマを探そうとしているらしいことがわかったので、イーマはあまり髪に手をかけることをやめた。
サレスの町から逃げ出して以来、イーマは少しずつ変わっていった。かれはもう泣くことをやめていた。そんなことより、かれは毎日の飢えをしのぐためのものを探さなければならず、いつどこから襲いかかってくるかもしれないニケットやフォルテにそなえなければならなかったのである。
(赤髪の一族)
ポルルスの山脈に逃げ込んできたというその人々だけが、今や、イーマの味方だった。もっとも、具体的な情報は何もない。イーマにその話を聞かせた遊牧民の長にしても、数カ月も前に行商人とかわした世間話を思い出したのにすぎない。そんなあてのない話だったから、実際に、ポルルスの南側の山脈にへ入ったイーマが麓村の人々に聞いてみたところで、手がかりがあるはずはなかった。だがイーマは探さずにはいられなかった。
(どこかに、どこかにいるんだ)
そこは広大な無国境地帯の東端にかぶさるようにある、ポルルスから伸びる尾根の裾野だった。このあたりの旧道は、斜面はさほどきつくなかったが、地元の者でも迷いかねない獣道となっていた。またのしかかるように枝を広げた木々が、日中でもほとんど陽射しを遮ってしまう。
その枯れかけた森はユネスの見晴らしのよい丘の風景とは全く異なっていて、イーマの気持ちを鬱屈させた。おまけに斜面の登り下りは、普段、使わぬ筋肉を酷使して、イーマの足を痛めさせた。しかしモルスのようなむっとした熱気はなく、森に入ってしまえばむしろ涼しいくらいだった。怪鳥はさすがに森に入ることはできずにいて、しばらく姿を消していたが、ときたま森の視界が開けると、上空に影が見えたりした。
だが何より深刻なのは、飢えの問題だった。
森に自生する植物で食べられるものなど皆無に見えた。そこはまだポルルスの最南部で、干ばつ被害の酷かった他の地域に比べれば降雨もそれなりにあったはずなのに、山の斜面の畑のほとんども乾ききっていた。
それでポルルスの人々には、旅人をもてなすゆとりがなかった。ポルルスの農民は盗賊まがいの仕事をしていると、かつて、境界線の採掘労働者に扮したフォルテの男が教えてくれたが、それは事実だったのだ。ポルルスの人々は、イーマにほどこしを与えるどころか、叩き出した。イーマの命をつないだのは、皮肉なことにフォルテの襲撃だった。
イーマは怪鳥が殺したフォルテの人々の死体をあさった。はじめは泣きながらしたが、次第に何も感じなくなった。イーマはそうやって武器と金品を手に入れ、それを売って、食物を得ることを学んだ。しかし人気のない山岳地帯にわけいってフォルテの襲撃が途絶えてしまうと、それさえもできなくなった。
一日中、山をさまよい歩き、赤髪の人々を探す。
そういう日々を繰り返しながら、イーマはいつしか、自分が食物のことしか考えていないことに気がついた。赤髪の人々の手がかりは依然としてなく、イーマは探し続けることに疲れていた。その山間の集落を見つけたのは、そんな時だった。
「あれは……」
一軒の民家の庭に立派な大木があって、そこに瑞々しい果実がなっているのを見ると、イーマは急激な咽喉の渇きをおぼえた。農家のようだったが、住人は畑に出ているのか、人の気配はない。イーマは吸い寄せられるように庭に近づいた。そっと大木にのぼり、枝を切り落とす。その枝を大事そうに抱え込み、その先についている果実に震える手をのばす。
「何、してるんだ」
咎める声をかけられて、イーマは木からすべり落ちた。無人だと思った家の中から、手刀をもった男女が飛び出してくる。はじめにイーマに声をかけた女は笑って、仲間を制した。
「何でもない。ただの果物どろぼうだ。坊や、お腹が減っているのかい?」
だが、イーマが何より驚いたのは、現れた男女のほとんどが鮮やかな赤髪だったことだった。
「赤い髪」
イーマは重いものを吐き出すように呟いた。
「まさか本当に破壊王の――」
「だったらどうだっていうんだ。お前もご先祖のお宝でも狙って、ここを嗅ぎつけたっていうのか」
「ちがう、僕は……僕も――……」
イーマはわっと泣きだした。
「隠れ里なのさ。ここは。お前、よく見つけたね」
女はロクサヌと名乗った。年のころは中年にさしかかったあたりで、笑うと口もとに大きな皺ができる。彼女は赤茶けたきれいな髪をしていて、それを高く結い上げていた。イーマの話をひととおり聞き終えたロクサヌは、同情するように頷いた。
「大変な旅だったね」
「いえ」
イーマは背筋をのばしてロクサヌにすすめられた椅子に座っていたが、その目がじんわり滲んだ。涙などとっくに枯れたものだと思っていたのに、ここへ来て、かれの涙腺はまたとても脆くなってしまったようだった。ロクサヌはイーマの背中をやさしくさすった。
「お前も私たちの仲間なのかい」
「わかりません。僕には記憶がないから……」
イーマは正直にこたえた。
「でも追われていたんだろう? それにその髪。可哀想にこんなに滅茶苦茶になってしまって。後で少し、切りそろえてあげようね」
ロクサヌはすり傷だらけのイーマの手足の手当をすると、イーマに好きなだけそこにいていいと告げた。
「でも、そんなことをしたらご迷惑が」
イーマは言ったが、ロクサヌはゆっくり首を横に振った。
「行くところがないなら、ここにおいで。私たちは皆、追われて集まってきた孤児みたいなもんだ。全員が全員、赤髪ってわけじゃないし、破壊王の子孫っていっても、ご先祖のことは本当に何も知らない連中ばかりだ。だけど、外でお前がどんな目に遭ってきたかわかる連中ばかりさ。ここは暮らしが貧しいから、お前にもはたらいてもらわなけりゃならないけどね」
「はい」
それは当然のことだったから、イーマは何の疑いもいだかずに頭をさげた。
その夜は、宴となった。集落には数十人の赤髪の人々が住んでいたが、報せを聞きつけたそれらの人々が、かわるがわるにロクサヌの家にあがりこんできては、イーマを眺めまわしていったのだ。
「細い腕だなあ!」
「お前の毛は本当に赤いな。これじゃ、さぞ大変だったろう」
口々に言い、それぞれの性格にしたがって、イーマをどやしつけたり、食べ物をすすめたり、諸国の話を聞かせろと言ってみたりした。
そしてまた人々は陽気に飲み食いしながら、自分たちの身の上話をイーマに聞かせる。イーマはこんなに大勢の人々に囲まれたのは、本当に久しぶりだったので、目をまわしそうになった。それでも一生懸命、人々の話を聞き、相槌をうった。酔いがまわってくると、赤髪の人々のお喋りはますます高じた。
「とにかく他の連中ってのは、髪が赤いってだけで、こう、目つきが変わるのさ。獲物を見る目つきっていうのか、わかるか、坊ず」
髭面の男はとろんとした目でイーマを見、杯を差し出した。イーマが、酒は飲めないのだと言って断ると、髭面の男は「そんなはずはねえ」とわめき、もっと強引に杯を押しつけた。するとイーマの近くに座っていた若い女が、男の頬をはり倒した。
「酔っぱらい、向こうへうせな。さ、イーマさん、こっちのものをおあがり」
「メダリオンの奇跡! 他の奴らは、そんなもんはてめえの暮らしとは全然関係ない、そんな顔してるくせに、こっちが本当に破壊王の子孫だと知った途端に態度を豹変させる。わかるか、坊ず、俺はダチに裏切られたぞ」
「え、ええ」
イーマはなんとなくギクッとなりながら、頷いた。女は髭面の男に罵る言葉を吐きかけると、イーマを庇うように自分の後ろに押しやった。
「疲れたようだね」
嵐のような時間が過ぎさり、家に帰る者は帰り、酔いつぶれた者は勢いよく眠り、家の中がようやく静けさを取り戻した頃、呆然とそこに座っていたイーマの肩をロクサヌが叩いた。
「ちゃんとご飯は食べられたかい? 皆、はしゃいで、お前をなかなか自由にしてくれなかったみたいだからね。お腹が減っているなら、何か用意しよう」
「大丈夫です。いただきました」
イーマは宴の料理が、ロクサヌが貧しいなかから、精一杯に用意したものだろうと見当をつけていた。家の中の様子をみても、彼女の暮らしが厳しいものであるのはすぐにわかった。ロクサヌがはじめにイーマに説明したところによると、彼女の夫は数年前に非業の死をとげた。子供は二人いるが、そのどちらも消息が知れない。彼女もまた破壊王の子孫であるがために人生を狂わされた犠牲者なのだ。イーマが遠慮すると、ロクサヌは笑いを含んだ声で言った。
「それなら奥の部屋のベッドを使えるようにしておいたから、おやすみ」
だが、その夜中だった。
イーマは咽喉の渇きをおぼえて目が覚めた。水を貰いに行っていいものかわからず、考えあぐねていると、隣室からぼそぼそ話す声がもれてきた。イーマは何気なしに耳をそばだてた。
「……――だから……悪い話じゃないだろう」
「あんななりをしているが極上の美形だ――ティエスの郭に売ったら、最高値がつくぞ……」
するとロクサヌらしい声が低くこたえる。
「そんな悠長なこと言ってる場合か。あの小僧……女でなかったのが残念だが。何、買い手はすぐにつく」
イーマは布団の中で硬直した。
(僕のことだ)
直感する。
(売る――売るって……僕を?)
イーマは蒼白になってベッドから抜け出すと、真っ暗闇のなか、手探りで荷物をさぐった。幸い、荷物は眠った時と同じ場所に置いてあった。イーマは音をたてぬよう細心の注意を払いながら、それをつかみあげようとした。が、剣がすべり落ちた。床に金属がぶつかる鈍い音がし、
「誰だッ」
野太い声とともに、部屋の扉が開けられた。パッと隣室の明かりがさしこみ、蝋燭をかかげた男がベッドをのぞきこむのを、イーマは暗闇に隠れながら息がとまるような気持ちで見つめた。
「小僧がいないぞ」
「なんだと」
男たちの蝋燭の明かりが床に落ちたイーマの剣を照らした時だった。イーマは手にしていた荷物を反対側に投げた。男の気がそれるのと同時に、剣に飛びつく。身をひるがえして、イーマはそれをかまえた。
「おや、イーマ。どうしたんだい」
二人の男の後ろからロクサヌが現れた。その声は全く動じておらず、イーマを寝かしつけた時と同じ穏やかな表情をしていた。イーマはたった今、聞いたばかりの話が気のせいではないかと思ったほどだった。けれども、ロクサヌは静かに言った。
「今の話を聞いたのか」
イーマは咽喉をひくつかせた。ロクサヌは平然と続けた。
「何を驚いている。お前ははたらくことを了解したじゃないか。まさか畑仕事でもさせると思ったのかい」
「ティエスの郭って……――」
「それはまだ先のことさ。垢を落として、髪を伸ばして、それからお頭のところへ連れていって、仕込んでもらわなくちゃならないからね」
「しこ――仕込む」
イーマは目を白黒させた。
「お前が自分の才覚で頭の稚児にでもおさまっちまえば、また別の道もあるだろう。だが奴隷も悪くはない。よい主人に買われれば、楽な暮らしができる。追っかけられて逃げているより、随分、いいだろう」
それがさもイーマのためだという口ぶりに、イーマは驚いた。かれは舌先を震わせた。
「あ……あなたは、味方じゃなかったの……?」
「味方だとも。だがね、私たちはお前のほそい体が心配なのさ。逃亡生活は甘くない。お前はきっと脱落する。その時、お前が他の連中に私たちのことを話さないとも限らないだろう。だから売ってしまうことにしたのさ。お前は良い暮らしが出来るかもしれないし、私たちにも大金が入る。悪くない話だ」
ロクサヌがゆっくりと一歩を踏みだした。
「僕に近づくなッ」
イーマは剣をしっかり握り、壁を背にして絶叫した。かれはロクサヌの裏切りが信じられなかった。
「どうして、どうして……同じ仲間なのに――どうして……」
「なぜ泣く。私はそんなに非道なことを言ってるわけじゃない。間引きなどよくあることだろう。それともお前に盗賊が出来るのかい」
「と、盗賊?」
イーマは今度こそ仰天した。ロクサヌはやれやれといったふうに息をついた。
「私たちがどうやってこのポルルスで生きていると思っていたんだ? この貧しい土地で。私たちは盗賊だよ。でもそれは生きるためには仕方のないことだ。破壊王の子孫なんて、どうあってもまともにゃ生きてゆけないんだ。私たちは追われる。私たちを直接追うのは、メダルの奇跡にとりつかれた阿呆どもだが、そいつらを野放しにする連中も、私たちを逃がすふりして通報する奴らも同罪だ。だから私たちが盗賊となって、そいつらから奪ったり盗んだりしても全くかまわないだろう? 第一、こっちは生きるためにそれをするんだからね。お前、それが悪いことだと思うかい」
そのものの考え方は、宴の時の、他の赤髪の人々の言葉の端々からも感じとれたものだった。人々には悲惨な身の上を吹っ切った者だけが持つ、逞しさや陽気さがあったが、その底にはやはり、彼らを追いつめた他の人々への強烈な怒りがあった。それはイーマにも痛いほど共感できた。
「でも……それは――でも……」
「誰にだって生きる権利はある。いくら先祖が大悪党だからって、千二百年もの間、子孫たちがその仕返しをされ続けなければならないなんて無茶な話があると思うかい? 他の連中が私たちから大切なものを奪ったんだから、私たちも同じことをしてやる。さあ、わかったら、その物騒な物を置いて、こっちへおいで。お前は仲間だ、イーマ。だからお前を殺して食べるわけじゃないし、ここいらの連中のなぐさみ者にしようってわけじゃない。せっかくきれいな顔をしてるんだ、なるべく高級そうな郭に売ってやるよ」
「なっ……何を言って……――」
イーマは剣を握りながらわなないた。するとロクサヌは隣りの男から手刀を受け取り、それをイーマめがけて投げつけた。イーマの右側の腕から胸にかけて鮮血がひろがった。
「アッ……」
信じられないといったように、イーマは自分の肩を見、震える手で手刀を引き抜いた。肩の肉がぱっくり裂けてしまっているのがわかった。
「おや、手元が狂った。まあいい、とっとと捕まえておくれ」
ロクサヌが、容赦のない本性をのぞかせて、言う。イーマは焼けるような肩の激痛に気絶しそうになりながら、後ずさった。二人の男はイーマを挟みうちにするように、じわじわ近づいてきた。そのうちの一人が、掴みかかってきた時、イーマの剣が閃いた。かれの剣は男の心臓を深々と貫いていた。イーマは目を見張った。はじめての殺人だったのだ。
しかしロクサヌは眉も動かさなかった。彼女が顎をしゃくると、もうひとりの男は心臓を貫かれた男をイーマの剣ごと掴み寄せた。そしてイーマの剣を抜き取ると、それを利き手に持ち直し、丸腰となったイーマにじわりと近づく。
「来るな……――来るなァ」
イーマは壁づたいに窓にいざり寄った。窓に体当たりをし、暗い外へ転がり出る。膝をひどく打ちつけたが、全く痛みを感じず、無我夢中で駆け出した。背後からロクサヌのどすのきいた声が聞こえた。
「逃がすんじゃないッ、大事な金づるだ」
イーマは肩を押さえながら、真っ黒な山道をやみくもに走った。木にぶつかり、枝にひっかかれ、張り出した根につまづいた。勿論、集落の男たちは追ってきた。が、黒いかたまりと化した夜の山へはいったイーマを見つけだすのは至難の業で、彼らは悪態をつくと、次第に遠ざかっていった。イーマは大木の幹に背をあてながら、息を殺し、がくがくと震える膝を押さえた。ブーツもマントもロクサヌの家に置いてきてしまったが、取りに戻る気にはなれなかった。
かれは無事なほうの手で衣服の裾をやぶると、傷ついた肩に巻きつけた。布は見る間に濡れて、血液がしたたり落ちた。体中の血管がその傷口にむけてうねっているようだった。
(破壊王の子孫たち……あれが子孫たちなのか。あれが――)
イーマはよろりと歩き出した。行くあては、今度こそ、本当になかった。かれの意識はどんどん遠のいた。足は他人のもののようになり、そのくせ肩ばかりが火のように熱く、体を立てにしているだけでやっとだった。
だが、行かなければならない。夜が明ければ、破壊王の子孫たちによる山狩りがはじまるだろう。
(逃げなきゃ。遠くへ――ずっと遠くへ……)
イーマは尾根の山頂を目指して歩きだした。ポルルスは高山の国であり、山脈の上へ行けばゆくほど、町や村があると聞いていたからである。かれは、同胞であるかもしれぬ人々から逃れるために、一刻も早く、人里に辿り着かなければならなかった。
(人を殺した)
かれは腹の底からわきあがる嫌悪感を噛みしめた。かれが殺したのは、フォルテでもニケットでもなく、赤髪の男だった。
(僕は――)
人が信じられない。
イーマは自分の激しい鼓動を聞きながら、暗闇を睨みすえた。水をほとんど飲んでいないのに、汗ばかりが出た。その流れた汗が涙とまじって頬につたわった。疲労は極限だった。が、そうであればあるほど、生きたいという熾烈な渇望がわき上がってきた。それは眠っていた原始の生命力がゆるやかに起き出して、漲ってくるようでもあった。
(また僕は騙された。なぜ、人は嘘をつくのだろう……信じさせて、裏切るのだろう)
怒りがこみあげてきた。
(なぜ……どうして――ッ)
その必死の叫びにこたえる声はない。
イーマは幻覚を見た。かれは闇のなかにいて、あてもなくさまよい、一条の光をみつけて走り出すのだけれど、走るにつれ、足が石のように重くなる。かれは怒鳴った。その殻をやぶれずにもがいていると、ニケットが嗤った。
見知らぬ青年がイーマをのぞきこんでいた。
「しっかりしてください、声が聞こえますか」
イーマは目を薄くあけた。青年は額のとんがった、鼻の高い顔つきをしていた。太陽を背にしているので顔の陰影だけしかわからない。青年はイーマを助け起こそうとした。その瞬間、イーマの心に暗い怒りが燃え上がった。かれは青年の手を払った。もしイーマが自力で起きあがることができたら、青年を刺し殺していたかもしれない。
「放っておいてください、僕にさわらないでくれ」
思いがけぬ強い拒否に、青年は傷ついたような顔をした。だが、放たれた言葉の悪意の激しさに、イーマ自身もうちのめされた。
(僕は……今、なんて――)
イーマは青年から顔をそむけ、背後に広がる景色を見た。そこはポルルスのどこかの山脈の頂上のようだったが、あたりに広がるなだらかな斜面は草花の絨毯でおおわれており、間近には豊かな水をたたえた湖があった。湖面は夕陽をうけて赤くゆらいでいた。その遠浅の湖の波にあらわれていたのは、崩れかけた円柱と奇岩の群だった。
(古代遺跡――……)
湖面に生えた遺跡は、斜めの長い影をひいて、悠久の歴史を静謐に告げていた。泣きたくなるほど美しい風景だった。空が高かった。大地の、草花のささやきが聞こえてくる。そのやさしい声を聞いて、イーマは涙を流した。
(……人は――どうして…………)




