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プロローグ

 夕日で染まる山、秋の景色。穏やかなせせらぎが聞こえる中。

 大きな石が集まる河原で、男はひとり、落ち込んでいた。


 ずっと想っていた女性に、にべもなく振られた。

 いや、面と向かって告白をして、その結果、失恋したというならまだ良い。

 第三者の悪意により、誤解されたまま、軽蔑の言葉を浴びせられ。

 その後、連絡すら取れなくなってしまった。しかも、そのうえ――


 座り込んだまま、頭を抱え込み、何度も何度も首を横に振る。

 まだ三十前だろう、若い、いかにも人のよさげな男。

 悔しさと、後悔に苛まれて。

 

 ――このまま死んでやろうかと、そんなことすら頭をよぎった。


 しかし、諦めきれなかった。

 せめてもう一度、顔を合わせて、言葉を交わしたい。

 その願いが叶うのであれば、俺は、何を失っても――

 

 不意に。

 夕焼け空がぐにゃりと歪み、刹那、辺りに陰が落ちる。

 しん――と、すべての音が消えた。

 胸騒ぎに襲われ、男は慌てて顔をあげる。

 何事もなく、音は戻っていて。

 ゆっくりとした川の流れが、夕日の色を跳ね返していた。

 

「――魂と、引き換えだ」


 背後から声が聞こえた。

 とっさに振り返ることができなかったのは、人あらざる恐ろしい存在を。

 そこに、感じたから。


「私と契約すれば――お前の願いを叶えてやる」


 男は唾を呑みこんだ。どくんと、心臓が高鳴る。

 聞こえたのは女の声。

 その声色は、身を凍らすような低い揺らぎを含んでいた。

 男は覚悟を決めて、ゆっくりと振り返る。

 そこには――


 幼い顔つきをした、ごく普通の、可愛らしい少女が立っていた。


 白いワンピースを身につけたその身体は。

 少く細く見えるけれど、標準的な女子高生といった感じであるし。

 綺麗に整えられた黒髪は、いまどき珍しく清楚な雰囲気を漂わせていた。

 相手を怖がらせようとしているのか、何やら必死で睨みつけるその目は愛らしく。

 というか、彼女の方こそ怯えているかのように、その足を震えさせていた。

「も、もう一度、言う……」

 その震えが喉に移ってしまったかのように、ひきつった声で、少女は言う。

「お、お前の魂と、引き換えに、わ、わ、わた……」

 言葉を詰まらせると、凍ってしまったかのように、動きが止まる。

 すぐに、くるりと背を向けて。

「……や、やっぱり……無理かも……」

 まるで電車の中、身を縮めて電話でもかけているかのような姿勢で。

「威厳を示せって……そんなこと、言われても……」

 声をひそめてぶつぶつと、ひとり何かを呟く少女。

 男は、その後ろ姿を眺めながら、ただ呆然とするしかなかった。

 やがて少女は振り返る。

 きりりとした目つきで――いや、明らかに不安感を覗かせてはいたが。

「お前には、何か願い事があるのだろう?」

 男の目をじっと見ながら、言った。

「それこそ、何を引き換えにしても、叶えたい願い事が」

 男は思わず息を呑んだ。胸の内を読まれたのかと、怖れすら覚える。

 いや、しかし……まあ。

 こんなところでひとり頭を抱えている姿を見れば、そりゃ、何か悩みごとを抱え、その解決を望んでいることくらいはバレバレだろうと。

 男は、何やら街角で見かける、うさん臭い占い師の姿を思い浮かべながら。

「ええと……君は、いったい……」

 そんな漠然とした問いを発していた。

「わ、私は」

 少女は、目を見て話せない内気な子供のように、わずかに視線をそらしてから。

「……お前たち人間が、怖れる存在」

 そんな曖昧な答えを返す。

「……はあ?」

 どう理解したらよいものかと、思わず呆れた風な声をあげていた。

 ――何を子供じみた馬鹿げたことを、と、そんな風に聞こえたのかも知れない。

「……むう」

 照れくさそうな表情をしていた少女が、わずかに不満の色を浮かべた。

「信じてないな……ならばっ、見せてやるっ!」

 可愛らしい声を張りあげて、少女は左手を高く振り上げた。

 ちりちりと、空気が乾いた音を鳴らした後。

 

 ごうぅぅ――! と。


 真紅の炎が大地から湧き上がり、少女の周囲を取り囲んだ。

「なっ!!」

 思わず立ち上がる。

 少女は炎の中、得意げな表情で、平然と男を見ている。

 じわりと、空気を通じて熱が伝わり、赤い光で周囲が染まる。

 それは間違いなく本物の炎。

 男は今度こそ、本気で驚愕した。

 

 こんなのはもちろん、人間の所業じゃない。

 この子は、本当に――


 男が動揺するなか、頬を赤く染めた少女は、にやりとほくそ笑む。

 額にダラダラと汗をかいているのは、決して熱さのせいではないのだろう。

 少女は、左手をオーケストラの指揮者のごとく、大きく揺らし始めた。

 同時に、少女の着ていた白いワンピースが、うっすらと輝き始める。

 やがてそれはふわりと形を崩し、光の霧となって少女の身体を包み込んだ。

 その光景は、さながら魔法少女の変身シーンのようで。

 しかし、少女の細い身体に絡みつこうとしているのは。

 悪を懲らしめる者がまとう衣装ではなく。

 むしろ対極の、正義を叩く悪の女幹部が身につけるような、艶めかしい服。

 炎の中、ぼんやりと視覚できていたその服が色付き、形作ろうとする間際。

 少女は口を開いた。


「ふふふ、おそれるが、よい。人間よ。わがすがたを、かつもく、せよっ」


 恐ろしいほどの棒読み口調。それはまるで幼稚園児が演じる劇のようで。

 緊迫していた男の感情が一気にゆるみ、思わず、ずっこけてしまっていた。

 そんなことに気付いた様子もなく。

「そしてっ、きくがよい! わが名は――」

 少女は熱っぽく続ける。

 対して、男は妙に落ち着いた気持ちになっていた。

 だから、つい。


「ええと、君、明星ヒカリさん……だよね……?」


 さっきからずっと気になっていたことを、少女の言葉に重ねてしまっていた。

「……っ!」

 少女は、これでもかというほどに、大きく目を見開いた。

 ぷしゅう、と――タイヤから空気でも抜けたかのような音が響いた後。

 周りで燃えていた炎が、嘘のように消え去っていった。


 夕焼け空、穏やかな河原に、平穏が戻る。


「あ、あなた……ど、ど、ど、どうして……わ、私のことを……」

 少女は必死の形相で、何度も言葉を詰まらせながら、男に訊く。

「い、いや……だって、俺……」

 男はなぜか顔を真っ赤に染めながら、じっと目の前を見つめ続け。

「君が通っている高校の、教員……だから……っ」

 はっとしたように、そこで言葉を切り上げると、慌てて顔をそらした。

 少女は、男が凝視していたもの――すなわち、少女自身の身体に目を落とした。

 河原の石の上に、裸足で立つ、私。

 両脚は細く、色白で。

 そして自分でも嫌になるほどの華奢(きゃしゃ)な腰と、小さな胸。

 それらを覆い隠していたはずの、白いワンピースは存在せず。

 さらに悪の女幹部が着ているような衣装も無く、ついでに下着も無かった。


 すなわち、少女は全裸だった。


「い、いやあああ――!」

 悲鳴をあげて、脱兎のごとく少女は走り去っていく。

 夕日を浴びて、遠く、小さくなっていく彼女の背中――と、臀部を。

 ドキドキしながら、男は見守っていた。

 やがて少女の姿が見えなくなると、男は大きく息を吐く。

「……いったい、何だったんだ」

 心底、わけがわからなかった。

 色々な憶測が頭をよぎるも、答えは出そうにない。

 思わず息を吐きながら、空を見上げた。

 今の一時、忘れていた想い人の顔が、再び脳裏に浮かんだ。

 遠くの山へ落ち始めた夕日に、思わず手を伸ばす。

 オレンジ色の手のひら、赤く染まる指先。

 透き通った川の流れもまた、同じ色に染め上げられていた。

 男は拳を強く握りしめながら――呟いた。


「魂と引き換えに、願いを叶えてやる……か」

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