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第二十六章:揺れる灯のひかり

第二十六章:揺れる灯のひかり

      *

 爛々と光り輝く大地。

 星空のように無数の明かりを灯すムンバイの上空は月明かりに照らされ、夜だというのに薄暗い程度で視界は良好だった。

 海上からムンバイの地まで一直線に伸びる赤い光。

 黒い煙を尾にたなびかせて、直系三十メートルを超す火球が宙を轟々と奔る。

 海岸でアラビア海からの流れ弾を処理していた遠野は、その大火球が直上を過ぎ去るのを見た。火球はそのまま内地へと入り、中高層ビルに激突、霧散した。

 轟、という直撃の激音が数秒遅れて耳に届く。

 立ち昇る煙の隙間からはビルディングの壁面にクーレーターが出来ているのが視認でき、その中には蒼い鱗を持った飛竜種の姿もちらちら覗けていた。

「……飛竜種、空か!」

 見た目より威力がない。ビルが折れないよう加減したのか!?

 彼が少女の名を泣けンダ瞬間、わずかに手元の刀が震えていた。遠野はそれに気付けるほどの余裕はなかった。

      *

      *

『――ったぁ』

 クレーター状にへこんだ壁面で飛竜種は埋もれている。

 挟まった背を小さく身動ぎで脱出し、軽い前傾でいつでも動けるようにした。紅の双眸で敵の位置を見つつ、

 ……マズいよ。全然勝てそうにないよ。あのヒト、強過ぎる。

 大見栄張って色々言ったものの、実現できるか怪しくなってきた。それに、

 ……力が出ない。

 全くと言っていいほど本調子でなかった。神役の保護領域が遠過ぎるのだ。加護が得られず神力も魔力優遇もまともに働かない。前回、特務官で訪れた際は戦闘などしなかったため分からなかったが、どうやら、

 ……わたしの保護領域って案外狭いんだね……。

 否、どちらかと言えば支配権の問題だろう。

 ここはマーリーの神役の領域内で、その上力量差でも敗けている。単純に相手が強いというだけだ。領域内のブーストや調整を行う、遠野や波坂のような神力は別として、空のような概念的現象の神役には、領域外でもその場からそれなりの加護が得られる。

 しかし、その場所にその神役を継承した者がいて、なおかつ力量差で負けていれば、加護は十割方相手に奪われる。これが神役加護の支配権。近年研究により解明された現象だ。

 この状況もそうだ。つまり空がマーリーよりも上手なら、この場でも加護を得られ、全力に近い実力が発揮できる。しかしそうではないため、現状、空は神州から伸びる細々とした微弱な加護を背負っているに過ぎない。

 ……負けたくない。なら、頑張ってあのヒトを落とさないと。

 翼と化している腕に力を入れる。

 斜めになっている足場に後ろ脚の爪を食い込ませて、空は首を更に前へ傾ける。洋上に浮遊する紅い竜を睨む。

 悠々と羽ばたくその姿は余裕に満ち、こちらが侮られているのがすぐ分かった。

 空は小さく息を呑んで、次いで足場を蹴って大翼を振った。まず二の腕に近い位置の魔力放出陣から使用する。一振りで落下を一瞬止め、次の翼の振り抜きに態勢を整えた。

 全身での前傾姿勢。首は真っ直ぐ敵へと向け、噴射弾を発射させるように待機。その中で、指先と後ろ足の計四陣を展開。全六陣全ての放射口を後方へと移して、飛竜種は、

『――!』

 全力で翼を振り抜き、六つの圧縮魔力が初速を全速とさせた。

 天を翔ける矢の如く。

 飛竜種は街を越えて岸を越え、わずか数秒で己の間合いに詰めた。すでに何をするかは決めている。予備動作も完了済み、あとはこの喉奥で圧縮された魔力が解放されるのを待つのみ。

 そう。

 飛竜種は残量魔力の三割を費やして、〝竜撃〟を撃つのだ。急激な接近にマーリーは回避行動も遅れている。これならば直撃が無理でも身体の半分は奪える。故に、

『――!』

 空はその口内から加圧された魔力が生む衝撃波を解き放った。

 狙いは一点。火竜がいるそこのみ。

 仄かに青を帯びる光の槍が、天を割き、空を穿った。

 光条は一瞬のうちに火竜の許へ辿り着く。その衝撃が彼女の炎を消し去る寸前、空は己が目を疑った。

『……な』

 大爆発。いや、炎の大膨張だ。

 まるで体積そのものが何乗にもされたかのような勢いで、マーリーという炎が膨れ上がったのだ。アラビア海の上空に現れる一つの塊。

 その中心部を、飛竜の放った〝竜撃〟が貫いた。炎を抜けた〝竜撃〟はそのまま、遠方で起きるインドとテロ集団との戦場の真横を掠めていった。

『…………』

 巨大な火柱。それを呆然と眺めるのは飛竜だ。が、ややあってから、

『……っ!?』

 炎と成っている魔力の海から、火竜はすり抜けてくるかのように、ヌルりと現れた。

『何よ、こっちの神力を見せるは初めてだった? ――神力〝火天イグニス〟。燃焼という概念全てを統括し、調整、ブーストまで行う神役であり、神力の能力は燃焼現象に過剰干渉する力よ』

 魔力さえ伝われば、アンタの炎だって爆発させられるわ。と、彼女は声高々にそう告げた。

『……』

 接近を止め、口を噤む空は火竜を下方から見据えた。

 余裕綽々の姿。おそらく身体を膨らませたのは、こちらの〝竜撃〟によるダメージを軽減させるためだろう。大槍で刺されるか針で突かれるかの違いだが。多少消耗しても、軽傷で済む方がマシだ、とそう判断したのだろう。

 ……〝竜撃〟もそう何回も使えないし、神力はもっての外。空中戦でも分が悪い。あのヒトを火のまま海に落とせば勝てそうだけど、それが出来ないから悩んでるんだから―――。

『うう、……うん。勝てないね、どうしよ』

 一回楽観的になってはみたものの、非常に危うい事に変わりはない。

 空の神力〝劫火業炎〟や異業〝竜撃〟は、威嚇や真正面からの迎撃や殲滅用に過ぎない。飛竜種の誇る高機動空中戦は、撹乱とその巨体から繰り出される体当たりが評価される。が、マーリーには神力はおろか異業、そして体当たりすら逆に致命傷にされる。

 こちらの攻撃手段を全て潰されているのだ。

 ……全然大丈夫じゃないよ。

 しかし、それでも敗ける訳にはいかない。この勝負には神州や世界の命運がかかっている。この勝負には、大事な友達の名誉がかかっている。この勝負には、皆から託された想いがあるのだ。故に、勝たねばならないのだ、絶対に。そう絶対にだ。

 だから。

『……行くよ』

 もはや躊躇う気はない。

 飛竜種が、その大翼に再び魔力を集約させ始める。加圧は一瞬、蓄えられたエネルギーを一挙に放出し、彼の竜は高速に空中を翔けた。

 軌道に迷いはない。飛竜種は愚直に炎神の下へと飛んだ。

 空は特攻作戦に打って出たのだ。

      *

      *

 後方で起こった大爆発はその赤く禍々しい光を辺りにはなった。

 しかし、その直後に、彼は自分たちの戦場の横を、一本の強い光が過ぎ去ったのを認めた。

 数十秒遅れてくる大爆発の轟音。ドルガーは少し肩越しに背後を見た。

 巨大な焔が見える。戦場をムンバイに近付けたとはいえ、それでも海岸までは数キロ以上は離れている。それでも大きく感じると言う事は、

 ……まさか〝火天〟で爆ぜたのですか?

 浅黒い肌をした青年ドルガーは、眉根をひそめてそう疑問した。

 先程戦場を横切った光条の事も一緒に考えると、おそらく飛竜種の〝竜撃〟をおそれてかわすのではなく貫かれる面積を減らそうとしたのだろう。おかげで、彼女自身にダメージはなかった筈だ。

 だが、気力の消耗は相当だろう。形はどうあれ、自分の身体を内から爆発させたのだ。身体は散り散りに分裂し、意識も一瞬飛んだだろう。今のマーリーの肉体は、急ごしらえで繋がっているだけでとにかく脆い。精神的な疲労は想像に難くない。

「できれば、あまりそういう無理はしてほしくないところですが……」

 現状、エリスが解き放った膨大な悪性魔力は三割近く消費され、不活性の霊子へ返還されている。このまま行けば、安全値である八割以上の消費が出来るかも知れない。が、

「――――」

 眼下、戦闘を続けるインド軍の表情は重く疲労にまみれている。先程アナーヒアが後方からの支援を開始したとはいえ、敵の士気に比べれば不安を拭い切る事はできない。

「悪性ばかりを吸収精製しているせいか、こちらの疲労度が想像以上に溜まっています。相手が無性魔力ばかりでは均衡も保てません」

 これでは消費どころか敗北の危険すらある。ムンバイの結界制御にも目途が立ちそうだが、こちらに応援に来たところで、全員が疲労困憊では加勢の意味もない。すでにインドは限界を迎えだしていた。

      *

      *

 炎の竜は全速力で天空を縦横無尽に飛び回っていた。

 マーリーだ。

 彼女は逃げていた。正確に言えば回避行動をひたすらにとっていたのだ。追い縋るのは飛竜種。その全身に火傷を負いながらもこちらを追い続け、攻撃をかけてくる飛竜種。

 つい先ほどから、飛竜種はまるでヒトが変わったかのようにその動きを豹変させ、こちらを叩き落すために狂ったようにこちらを追い掛けてくる。どんなに距離を取ってもすぐに肉薄して来、そこで〝竜撃〟をぶっ放してくる。

 マーリーには恐怖以外の何ものでもなかった。

 ……何なのよこの子は! 死にたいの!?

 突貫して来る飛竜種を、彼女は何度も火で飲み込んだ。だが、飛竜はその度に〝竜撃〟を吐いて振り回し、抵抗する。

 そう。振るうのだ。

 〝竜撃〟は喉の奥で魔力を加圧し、放散させたり直射させたりする。身体へのダメージを極力減らすため、基本的に首の骨格は真っ直ぐ固定する。しかし、今の飛竜はその鉄則を無視して、こちらに攻撃を当てるためだけに直射型の〝竜撃〟を振り回している。

 本来直線的に飛ぶ筈の物を、無理やり喉と口の中で曲げる。街を焼き払う威力をもったものを、内側で反射させて曲げるのだ。もはや自殺行為にしか見えない。

 恐ろしい執念だ。

 思い付いても決していないような攻撃を、何度も何度も行ってくる。狂乱ゆえの強者。

 何度も続く〝竜撃〟の振り回し、すでにマーリーの身体は幾度も起たれた。その度に再生させてはいる。一時は恐怖に逃げようかとも思ったが、もはや均衡は崩れている。

『……!』

 飛竜種は魔力の加圧もできずに、先から喀血を繰り返している。

 ……さっさと負けを認めるのよ! 

 敵に情けをかけるほど彼女は甘くない。しかし、飛竜種はもはや見るに堪えなかった。

 すると、口内の激痛に飛竜種が一瞬動きを鈍らせた。それをすかさずマーリーが迎撃する。飛竜種の翼を掴んで、思い切り岸の方へと投げた。

 空中で姿勢制御を取りつつ、火竜は口元に魔力を呼び込む。数瞬で二十メートル近い大火球を創り出し、ついでに神力の補助も捻じ込んで火竜は火球を吐いた。

 眼前の飛竜種が一気に火に呑まれ、か細い悲鳴に似た鳴き声を上げる。

 火は魔力に押し込まれ、大した抵抗もなく海岸へと叩き落とされた。港に炎がゆらゆらと燃えている。

『――っ』

 こちらもかなり消耗した。想像以上に手強い相手だった。

 姿をヒト型に変えて、マーリーは宙で息をついた。

      *

      *

 遠野は火に包まれた空が落ちてくるのを見とめた。

 落ちる。

「空ッ!」

 五十メートルほど離れた落下場所に、彼は急いで駆けた。

 傍に着くと、そこで彼は見るもおぞましい光景を目にした。小さな火があちこちに撒かれたその中心で、ヒト型に戻った少女が仰向けに倒れている。その身体は火傷を負ってボロボロ。まるで焼身自殺を失敗した人間のようだった。

 これを見たのが自分だけで良かったと、拳を震わす遠野はそう思った。

 波坂や蒼衣がこれを見れば、一体どんあ行動に出るか想像に難くない。無論、自分も心の中では同じ事を考えている。火竜を殺してやりたい、と。

 波坂からの執拗な念話の呼びかけを一切無視して、遠野は少女の許に駆け寄った。

「空! 聞こえるか!?」

 焼けただれた皮膚、肉の生焼けした異臭、綺麗で柔らかかった髪は無残な姿に。

 内側で暴れる激情を必死に抑え込む彼。抑えなければならない。ここは国外、相手は正当な理由で空をこうした。それに反論しては、自分たちの立場を悪くさせるだけだ。

 耐えなければ、ならない。

「……ぁ、かうォ―――」

 空が虚ろな目でこちらを見て、口を動かそうとしていた。

 意識があるのか、と彼は歯噛みする。見れば、少女の口の中は血塗れで呼吸ができているのかも怪しい状態だった。呼吸が怒りにつられて荒れてくる。

 ……自分で分かってやった事だ。褒められたものじゃないが責める訳にもいかない。

 感情を押し殺して、遠野は口を開いた。ゆっくりと、言い聞かせるように、

「喋るな。降参するな」

 勝敗は、相手の気絶か降参、または死亡や違反の場合のみに適用される。空が起きているのなら、まだ勝負は決着していない。だが彼の問いかけに、空は、

「……ぃ、ぁ」

 目で訴える訳でも、言葉で否定する訳でもなく、その重傷でありながらまるで駄々をこねる子どものように、空は拒否を遠野に訴えかけた。

 嫌だと。ただひたすらに嫌だと、諦めを見せない。

「馬鹿かお前は! そんな状態でどうやって戦う気だ!?」

「(――おね、がい、もぉちょっとだから、――まだ、できる、から……)」

「やるやらないじゃない。これ以上は死ぬんだぞッ、お前が!!」

 それでもなお必死に伝えようとしてくる念の言葉に、遠野は奥歯を噛んで目を閉じた。

 ……これ以上の無様は見れない。死ぬよりかはマシだ。敗北もいいだろう。だから空、恨むなら俺を―――。

 己の内側を意識する。この世全ての力を保存した〝所有〟の中から、彼は催眠性を持った異能を探そうとした。が、その瞬間。

「――っ!!」

 左手に提げていた炭刀の鞘が震えた。かと思えば突然、〝火君〟が鞘から飛び出た。

 紅く燃ゆるは刀身から溢れる焔。

 〝火君〟の刀身はまるで吸い込まれるように、少女の腹の上へ。

 落ちた。

 直後。空の小さな身体が、炎に呑み込まれた。

      *

      *

 少女は痛かった。

 喉が痛い。頭が痛い。肌が痛い。全部が痛い。

 でも、嫌だ。諦めたくない。

 そう願い続けた末に、少女は困惑を得た。

 不意に痛みが消えたのだ。代わりに、身体中が温かくなる。

 それはまるで、お日様に干した毛布に包まれたように温かくて優しく、そして心地いい。

 ずっとそこで過ごしていたくなるような心地に、少女は頬を綻ばせる。

 ――痛くない?

 頭をそっと撫でられる感覚。落ち着く声、自分の知らない、母のような温もりと優しさ。

 ――ん。

 少女は小さく笑んだ。

      *

      *

 遠野は一瞬、理解を拒絶した。

 彼には刀が空の腹を割り、途端に刀の炎が空を食らったように見えていた。

 何かの間違いだと思考が停止し、身体が硬直する。だが、すぐさま彼は、

「空……っ!!」

 落ちた〝火君〟を少女から離そうと手を伸ばした。

 途端、電流が奔ったように指先が柄に弾かれた。間髪入れずに、遠野は手元に水を操作する異能を手繰り寄せ、手中から辺りに水をばら撒けるだけばら撒いた。しかし、

「……馬鹿な!?」

 火は消えるどころか逆に勢いを増し、彼は炎に押され、少女は業火の中に閉じ込められた。

 いよいよ彼の顔が青ざめ強張る。もはや遠野に正気でいられるほどの余裕はなかった。

「空ァ!!」

 彼は叫び、そして次には炎の中に突っ込んだ。

 熱さや肌を焼かれる感覚を感じる暇もなく、少年は一心に少女に近付いた。自分の記憶だけを頼りに空を抱え上げようとした瞬間、

「くっそがァアアアア!!!」

 何か固い、結界のような壁に阻まれた。

 空が目の前にいるというのに救い出せない。遠野は少女が傷付く事を覚悟で、

 ……魔力で炎ごと吹き飛ばす!!

 片手を振り上げて、彼は内側に宿る魔力全てを地面に叩き付け―――、

『――大丈夫よ』

 叩き付ける寸前、彼の頭の中に知らない女の声が響いた。

 反射的に手を止める遠野。その一瞬の迷いが、逆に彼を正気に戻した。

「和時君……」

「そ、空!?」

 炎の海の中で、空と遠野の視線がかちあった。微笑む空の姿、そして、

 ……火が、熱くない?

 動転していて全く気が付かなかった。炎は優しく自分たちを包んでいるだけだったのだ。

「これ凄く気持ちいいよ。温かくて、魔力が一杯。炎は見た目だけみたい」

「……お前、傷が」

 空の負っていた火傷、喉の怪我。どれも完治寸前だった。

「ん、たぶんこの火とこの剣のおかげかな……」

 身体を起こした空はその小さなお腹の上に乗った炭刀〝火君〟の柄を握って見せた。空が元気になったのを契機に、二人を包んでいた炎は一気に刀の中に取り込まれていった。

 しばらくすると、刀身から火の残滓が完全に消えた。

 落ち着いている空に対して、遠野は訳も分からずただ少女の言葉に応じるだけだった。

「確かに、そう考えるのが妥当だが、この刀は、燃焼を手助けする術式の筈。そんな力があるとは……。 ――いや、それよりも空、傷は本当に大丈夫なのか!?」

 少し震えた声での問いかけに、空は小さく、しかし明確に頷いた。

「――あ、それとこの剣と和時君の上着借りてもいい?」

 いつもの呑気な調子で言葉を作る空。武器と服を欲しがるという事は、

「行くのか?」

「ん、敗けたくないし、敗けたらいけないもん」

 先程まで瀕死の重傷を負っていた者の言葉とは到底思えない。少しでも心変わりするのを淡く期待して、遠野は、

「なら服くらい部屋まで取りに行けばいいじゃないか。上着だけじゃやりづらいだろう」

「大丈夫。この前、下着だけなら魔力でなんとか誤魔化せできるようにったから」

 そういうと空は、元気よく立ち上がり、裸の状態から下着だけを見事補填させて見せた。

 遠野の表情は決して良いとは言えない。が、彼は敢えて少女の言う通りにしてやった。

 ……勝てる見込みもない。本当なら行かせる訳にもいかない。いや絶対に行かせて堪るか。

 だが、それでも、それ以上に、少女に賭ける想いは並々ならなかった。勝てる訳がないと思う一方で、大丈夫だと思えてしまう自分がどこかにいる。

 空は下着の上から遠野の上着だけを着、前の合わせを全部留めていく。袖を捲って落ちないようにすると、少女は〝火君〟を握ったまま大きく深呼吸した。

 少女の肌はまだ少し火傷の痕が残っているものの、戦闘に支障があるようには見えない。

「じゃあ和時君、行ってくるね!」

 少女はまるでこれから戦うかの如く元気に手を振る。

 そして、こちらとの距離を十分にとってから、足裏から魔力を放出して飛んでいった。

 無言で少女を見送る遠野。

 ……大丈夫よ、か……。

 炎を消し飛ばそうとする寸前、ふと聞こえた声。聞いた事もない声だったが、不思議と本当に大丈夫だと思えてしまった。

 いつもの自分なら、何があっても今の空を再び死地に追いやる事などしなかった。だが、今は何故か行かせてしまった。大丈夫だと思えたから。

 少女の行く先、火竜がいる。ヒト型に戻っている彼女は静かに、少女を見据えていた。

      *

      *

 夜天。

 彼女の身体は燃えている。

 炎のままヒトの形を真似ているマーリーは、ふと不意に声を発した。

『一体それは、どういう事なのかしら?』

 高圧的に問いを投げる。

 問いかけの先には、足裏からの魔力放出でホバリングを行う空の姿があった。見れば、手には刃物を携えている。神州の、日本刀とかいう武器だったかとマーリーは心内で思う。

「ちょっと炎の中で休んだの。さ、続き、しよ?」

『回復はさほど驚かなかったけど、でもその武器、ルール違反じゃないの?』

「? 別にいいと思うけど。武器とか能力とか所有物に限るしかなかったし」

 空の言い分にマーリーは一瞬険しい表情をする。が、ややあってから、吐息し、

『ま、それを言い出したらうちのドルガーはもっとえぐい事してるし、相子ってところね。分かったわ。第六戦、第二ラウンドよ』

 と言った彼女は、心を鎮めて相手の出方を待った。思考を巡らせる。

 ……しょーじき言うと全然分かんないわ。あの大火傷でどうしてひょいと戻って来られるのよ? 炎で傷付いた奴が炎で回復するなんて矛盾してるわ。

 確かに、炎で回復するのはマーリーの十八番だ。空の神力が生む炎も幾度となく食らって、自分のエネルギーとして吸収している。故に、自分が空のように回復するのは分かる。

 だが、空は炎を味方にしている訳ではない。単に神役の種類がそうだっただけで、魂そのものが炎であるマーリーとは根本からして違う。空は炎に対しても火傷を負う。

 ……でもこの敵はそれをやってのけた。回復用の術式符でもあの短時間で、それも炎という擬態までさせて行うのなら、相当量の符が必要な筈。一抱えはないとここまで完治させるのは至難よ。

 視線の先、得物を手にした少女がこちらを見据えて身構えている。

 ……リュウ属が武器を持つなんて意外だわ。それにあの剣、ただの剣とは思えないわ。あれだけ余裕を見せてるんだから、あたしの弱点を突く武器の筈。

 対精霊用の魔装だとしたら不味い。一太刀でも浴びようものなら、それだけで致命傷になってしまう。故に慎重に相手の出方、戦法は見極めなければならないとマーリーは固まる。

 と、不意に少女が動いた。

 仰け反るように肺に吸気した直後、空はゆっくりと火の玉を口元から吐いた。咄嗟にマーリーは少女とその火球からバックステップで距離を取る。

 しかし、少女の眼前で火の玉はシャボン玉のように浮くのみ。一瞬疑問に思うマーリーだったが、答えはすぐさま出た。少女が炭刀を用いて、火の玉を横一線に薙いだのだ。

 彼女の動体視力はそれを捉える。少女の刀が火を薙ぐ直前、火は刀に自ら纏わり付き、そして、

『――っ!』

 振り抜いた時には、眼前に横一文字の紅い光が見えた。

 本能的に身体を振り回してその光を回避するマーリーだが、追撃をさせまいと身体を振った勢いを利用して火炎の熱気流を少女に向けて放った。

 高熱の嵐に元来バランスの悪かった少女の足場は崩れ去り、空は真っ逆さまに海へと落下していった。

 ……い、今のは火炎武装の技!? アタシに火の武器ですって!?

 落ちゆく空に視線を飛ばす彼女だが、次の間には眉をひそめていた。体勢を立て直し、心臓の高鳴りを感じつつも、

『……落ちたまま?』

 落下する少女は更に真下へ加速していく。

 手に持った刀、それが生み出す炎の出力が制御できずに暴走していたのだ。炎が造る推力に身体はクルクルと回り、慣れていないヒト型での飛行が仇となる。少女は落ちていく。

 が、しかし、不意にマーリーはその変化に気が付いていた。疑問が口をついて出てくる。

『……光?』

 彼女の瞳は頭上の天蓋へ向いていた。


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