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第二十四章:穢れの大罪

第二十四章:穢れの大罪

      *

 暗い海。

 本来穏やかに潮騒を生むだけのそこは、しかし激戦の様相を呈していた。

 唸る砲声、爆ぜる光、戦士たちの猛り。

 双方の陣営入り乱れた殴り合い。

 アラビア海の沖合数キロ。インド神話体系局所属の護衛艦群とその船員たちは、突如現れ攻撃してきた百単位の小型輸送船を抱える戦士団と交戦していた。

 戦士団の主要武装は二つ。五千五百トン級の軍艦五隻に五千近い個人武装兵だ。

 対し、インド側の兵力は八千弱。隻数は前線に三、後方支援で五。

 戦力では上回っているインドだが、態勢不十分で陣形もまともに取れていないため劣勢に立たされていた。その上、戦士団からの執拗な攻撃で、すでに百名近い負傷者が出ている。

 現代の戦闘は、とにかく人員投入だ。

 旧代は武装主義が台頭したが、今では一個人でも都市の破壊が可能な時代。武装はあくまで気休めか防衛のためで、前線で戦うのは兵士たちによる直接対決だ。

 故に兵数や練度、連携が戦闘の最重要点となる。インドはこの内連携と兵数で不利な状況になっていたのだ。本来インドの持ち味はその兵数と統率性。しかし、先のエリスによる世界崩壊で、人員がバラバラになり小隊編制すらまともに出来ていないのが現状。

 それに反して、戦士団の士気は異様に高い。練度も熟練兵と遜色ないほど良く、明らかに有利な状況だ。

『――!』

 轟音のような猛り。

 戦士団の兵士たちは特攻や突貫を繰り返し、インド側の戦列を掻き乱している。今まで辛酸を味わされてきた事もあって、彼らの勢いは破竹。このままムンバイに入っていきそうなほどだった。

 インドは抑え込むのだけで精一杯。だが戦士団の輸送船からは続々と有翼系や海遊種が投入されていく。防衛線は徐々に、港へと近づいていた。

『怯むなァアっ!!』

 不意に、轟音を越えるこだましが響いた。

 それは海上を走るが如く飛ぶ魔人。浅黒い肌にスーツ姿で前線へ飛び出したその男は、一撃で十人の敵兵を吹き飛ばした。落下中に仲間の有翼種の足を掴み、彼は、

『私たちは誇り高きインドの防人! 怯んではならない。押せ! 押せ! 押し返せェッ!』

 インド兵たちを鼓舞した。すると、

『ヲ―――――――っ!!』

 たちどころにインド神軍が息を吹き返した。

 空中戦重視だったのを最低限の兵を残し、拠点攻撃へ切り替え、一気に輸送船団を強襲しにかかったのだ。

 遠征で最も大切なのは三つ。退路、補給、士気だ。

 幾ら強い兵団であっても、帰り道を失い、補給を失くせば、士気を下げる。

 輸送船には帰路と食糧貯蓄の役割がある。それを失えば、大艦隊といえども崩れ去る。それを狙ったインドの攻勢に、戦士団は慌てて防衛に兵が走った。

 形勢逆転だ。

 インドが攻め、敵兵が守りに転じた。この瞬間を上空にいたドルガーは見逃さない。

「後方の護衛艦、温存兵力の半分を敵の後方へ回して下さい。突撃ではなく退路を塞ぐようにして下さい。それと、周辺の哨戒を更に強めるように」

 素早く念話を飛ばして、彼は敵の総崩れを狙う。

 後方に位置していた艦たちから続々と航空・海洋部隊が飛び出していく。

「管制、結界の抑え込みはどうなっています!」

「(こちらムンバイ管制。現在全力で発動を食い止めていますが、満ちた魔力が強大でそれを処理しようと柱が活性化しています。柱一つに数名の術師では限界があります!)」

「でしたら市民からも有志を、いやこの状況ではまともに集められません。ムンバイを基点とした地脈は広大、ここで食い止めなければ―――」

 あの穢れた魔力を一度に消費できれば。

 成仏と退魔は違う。成仏は悪性に満ちた死霊が満足し、無性の魔力へ帰る事を指す。対し、退魔は悪性を残したまま魔力に帰す事を言う。エリスがやったのは死霊数百万分の退魔。

 今ムンバイに満ちている陰性魔力の量は常軌を逸している。地脈の陰と陽が拮抗した状態が崩れれば、インド亜大陸がドミノ倒し的に一挙に陰性へ落ちる。神州で起きた伊予二名の騒乱とは比較にならない天変地異が起きるのだ。

 今はまだ宙に浮いているだけで害悪はないが、もしも結界が作動し、地脈と大気魔力が繋がりでもすれば、たとえ魔力を消費できても地脈が陰性に染まる。

 インドにとって、敵よりもこの魔力が厄介だった。できれば、前線を下げてでもムンバイの悪性魔力をこの戦闘で消費したい。が、

 ……たかが一回の戦闘で尽きるような魔力ではありません。あるのは、まさしく無尽蔵のエネルギー。 ――しかし、これしか今は策がない。

 ドルガーは苦渋の決断で、敵戦士団ごと戦闘域をムンバイに近付け始めた。

「――神州が竜王様。よければ、ムンバイに来る流れ弾の排除をお願いしたく」

「(何だ、あの程度の兵団ならばオレ一人でも十分打ち倒せるぞ。丁度暇になったところだ。オレが相手しよう)」

「事情はお察しとお見受けします。故に何卒……」

 ドルガーはこれ以上にない譲歩を見せた。これで、神州側はインドに大きな貸しを作れる事になる。先程の無効試合の借りを帳消しにできる貸しが、だ。

「(クク、――ならば良かろう。半島の端から大洋沿いに配置しよう。案ずるな、全て撃ち落としてやろう)」

 感謝に堪えません、と返事してドルガーは念話を絶った。

 吐息一つついて、しかしドルガーは更に支持を各方面に飛ばした。

「全軍更に消費魔力を増大。大泉マナから悪性を取り除くのです。護衛艦と管制は個別結界で電子系統を保護して消費するようにして下さい。――何としても地脈を守りなさい!」

 彼の吠えに皆が応じた。

      *

      *

 静まり返った空間。

 外の震動とは別に、この空間は音も立てずに存在していた。

 大広間。煌びやかな照明に美しい質感を持った壁、床には赤い絨毯が敷かれている。ヒトが消えて、置かれたままになっているのはスクリーンとプロジェクタ。そして椅子だ。

 それ以外は何もない、ただの大広間。

 かちゃり、と広間の入り口である扉が開いた。

 押し開けられる。広間に入ってきたのは、紅白の制服を着た少年だった。

 哀しみを抱いた瞳は、しかし押すような威圧感を放っている。粛々たる殺気が向けられるのは、一脚だけ広間に置かれた椅子だ。

 椅子には老女が座っていた。

 老いた女は白い布を纏って、静かに腰掛けている。彼女はどこを向くでもなく、頭を垂れて何かを待っていた。

 研ぎ澄まされた殺気が、老女の背中を刺した。

「アンジュ・アールス・ガンジィだな。勝負、受けて貰おう」

「ほほほ、――随分と遅い到着ですね遠野様。どこを探しておられたのですか?」

「お前に言う筋合いはない」

 遠野の冷たい言葉に、しかしアウヴィダは動じない。

 老女はゆっくりと腰を上げて、遠野に振り返った。微笑みを絶やさぬ顔で、彼女は目を瞑ったままこう告げた。

「勝負の前に、少し話などいかがですか?」

「お前と何を話せばいいと言うんだ。インドが窮地に立たされているというのに、お前は悠々と見物か?」

「いえいえ、あちらはドルガーが対処していますので、私は関与する気はありません。私は今のところ、貴方様と話してみたいのです」

 不意の発言に、遠野は眉をひそめた。

      *

      *

 アウヴィダは楽しんでいた。

 面白いものを見ている、と。世界の一時代を築いた者どもの生んだ子が、これほど哀しい顔を浮かべて、冷徹に殺気を放てるとは実に面白い。

 英雄の子は、大方甘やかされて軟弱に育つか馬鹿になる。が、彼にはそれがない。どちらかと言えば敗北した側の子に現れる様相に近い。つまり、

 ……あれほど大勝を上げながら、あの方々は負けていたと、そういう事でありましょうか。

 自分にとって、ヒトの根本を聞くのは愉快な事だ。

「何故、貴方様はそれほど悲しそうなのでありますか?」

「こういう性分だからだ。昔、嫌な思いをしたからな」

「嫌な事は、乗り越えられそうですか」

「どうだろうな。嫌な事なんて、目を向ければ幾らでもある」

 彼の性格は敗者のそれ、しかし秘めたる力は勝者のそれだ。

「ですが、たとえ嫌な事があろうとも、貴方様には楽しい事もあるのでしょう」

「ふ……、どうだろうな」

 ここに来て初めて、遠野が表情を少し緩めた。

 ……成程。彼はある一点のみに悲しみを抱いたのですね。それが何かは分かりませんが、少なくともこの方は強い。挫折しかけた人間ほど心が強くなるものです。

 アウヴィダは見る。彼の中を、だ。

「貴方様は面白い方ですね。神州からお独りでこちらに来られたと見受けますが、随分と消耗されているようですね。大丈夫ですか?」

「一人じゃない。ここにもう一匹くらいいる」

『ハアーイ! ケータイサンダヨォオ』

 遠野の胸ポケットから電子音に似た奇声が聞こえた。アウヴィダは少し驚いたふうに、

「おや、それは人間でよかったのですか。驚きですね」

『ヒドイ! ケータイサンハ御年二十歳、ギャルヲ求メテ三千里、ハルバルヤッテキタノニイィイ!!』

 遠野は胸ポケットを殴った。小さな貴金属がひしゃげた音がした。

「疲労に関しては問題ない。もう回復している。あと二、三時間なら能力は保つ」

「私は無継承ゆえ神力は不得手ですが、あまり与えられた力を乱用するのはよくありません。使うとしても細心の注意を払うべきでしょう」

 遠野が眉をひそめた。

「何故神力だけが与えられた力なんだ。我々の今日の現状も、全て諸元の神々が与えたものだろう?」

「ほほほ、――どうやら貴方様はまだ長としての役目を得ていないようですね」

 彼の視線が鋭くなった。老女を殺気だった目で睨み付ける。

「知りたければ己が上司に聞いてみるとよろしいでしょう。彼は探究心の盛んな研究者ですから」

 アウヴィダが横に歩を進めて、遠野から距離を取った。

 それは彼の間合いぎりぎりのラインだ。つまり、

「話とやらもういいのか、アンジュ・アールス・ガンジィ」

「もう少し聞きたい事はありましたが、ええ、もう結構です。貴方様のこれからに期待するとしてみましょう」

 すると、二人の間に緊張が走った。

 広間の空気が一気に重くなる。遠野は手に持っていた刀に手を掛け、アウヴィダはその場に佇んだままだった。

 彼は感覚を鋭敏にする。先手を取られまいと全方位に集中力を向け、腰を落としていく。

 だが、ふと不意に、アウヴィダは片手を掲げた。口を開いて、

「――参りました」

「は?」

 いきなり降参された。

      *

      *

 理解ができなかった。

 遠野は自分の頭に疑問符が浮かんだのが分かった。

「どういう事だ! 何故降参する!?」

 遠野の糾弾に、しかし老女はあっけらかんと答えた。

「勝てませんし。この世全ての異能を操る全盛期の少年に一介の老婆が勝てるとでもお思いですか、貴方様は。赤ん坊でも分かるような力量差でありましょう」

「確かにそうだろうが、しかしお前は魔術師だ。魔術師に歳など大して関係ないだろう。旧代に生きた魔術師なら尚更だ!」

「魔術師でも勝てぬものは勝てません。魔術師にも近接戦ができるものはいますが、大方の魔術師は遠距離戦重視。その上相手は近接戦闘士。勝ち目がない勝負はしない方が吉でありましょう」

 アウヴィダがつま先を扉へと向けた。歩を進め始める。

「心配されなくても貴方様の勝利になります。これで模擬戦は二対二。次の模擬戦が楽しみです。――それでは遠野様、また見える事を愉しみにしておりますよ」

 そう言い残すと、アウヴィダはゆっくりと広間を出ていった。

「――――」

 遠野は脱力したふうにそれを見送って、やがて嘆息した。

「全く。長になる人間の考える事は分からん」

『マッタク。オ前ラ親子揃ッテ、何故ケータイサンヲ苛メルノカナ』

 ケータイを取り出して、少年は踏み潰した。

 適当に部品を拾ってポケットに入れ直した後、遠野はその場で腕組みした。

 ……予想外に暇になったな。会長へは戦勝報告するとしても、それからの行動が全くだ。会長らと一緒に防衛に当たるべきか、それとも―――。

 個人的な目的を優先させるべきか。

 副会長から言い渡された任務は、インドでのごたごたに介入、蒼衣を手伝え、だ。まだ遠野は模擬戦で一勝したに過ぎず、到底任務を達成したとは言えまい。

 ……なら、報告ついでに港へ行ってみるか。

 再度吐息をついてから、彼は広間を後にした。

 そこに、自分の両親だった二人がいる事を願いつつ。

      *

      *

 波坂は念話で、遠野が勝った事を知った。

 個人的な士気が鰻登りだった。魔弾の流れ弾を邪眼で破壊しながら、

「勝ちましたの! 勝ちましたのね!? 嘘じゃありませんわね蒼衣・空!?」

「(う、うん。お兄ちゃんがそう言ってたから多分そうだと思うけど……)」

 ああん空さんも可愛らしくて堪りませんわァア。

 周りに誰もいない事を良い事に、波坂は身悶え捲っていた。胸を押し上げるように身体を抱いて、フフフと不気味な笑いを漏らす。

 波坂がいるのはインドの最先端。たまにしか流れ弾が来ないので楽でいい。が、

「どこか怪我したのか波坂、変なストレッチだな」

「にょわあああ!!?」

 なんでいますのおおおおお!

 波坂は自分の身体を抱いたまま、ぎぎぎ、と首を後ろに向けた。

 いつものすまし顔をした彼がいた。遠野はキョトンとしたふうにこちらを見ている。

「あ、あら、もうこちらに来てましたの遠野・和時。お久しぶりですわね」

「ああ、中々に大変だった。で、波坂、会長の配置を教えてくれないか?」

「会長なら、市街地の高層ビルのどこかにいると思いますわよ。遠距離から〝竜撃〟撃ちまくりだそうで」

 こちらの答えに、遠野は難しい反応をした。

「高層ビルをいちいち当たってたら切りがないな。仕方ない念話ですませるか。――そうだ。波坂、親父たちを知らないか?」

「……も、申し訳ありませんわ。ワタクシも存じませんの」

「そうか。ありがとう」

 すると、遠野は波坂に近寄ってきた。何事かと思う間もなく、両肩に手を置かれる。思わず頬を赤らめて強張る彼女に、しかし彼は真面目な顔で、

「気苦労も多いと思うが、ストレスの発散のさせ方はもう少し考えた方がいいぞ」

 じゃあな、と遠野は早々に手を振って去った。

 ややあってから、波坂は傷心で膝を折っていた。

 ……もう、生きていけませんわ……。

 彼女は念話を空に送った。あの可愛らしい声と反応で慰めて貰おう。

      *

      *

 遠野からの報告を念話で聞いた後、蒼衣は、

「追加戦の選出をどうしてくれようか」

 自分が出るのが一番手っ取り早いが、流れ弾処理で生憎忙しい。

 とすれば、万全の状態で残っているのは田中と空。戦闘が可能そうなのが朝臣と波坂。海瀬とエリスは所在不明で期待するだけ無駄だろう。

 ……相手は炎の精霊。スライムは言うに及ばず、攻撃能力の低い緑と会計を出すのも得策とはいえまい。なら、残るのは空のみだが、

「……火竜と飛竜、どちらが優れているかは実際に戦わねば分からぬ。追加戦ならば和時を出してもよいのだが、あまり気乗りはせんな」

 アウヴィダ相手ならともかく、移動で消耗した和時を火竜にぶつけてよいものか。覇王とは呼ばれても、戦況は正しく読み事を進ませなければ、こちらが掬われる。

 先程の遠野の不戦勝と無効試合。こちらの防衛という貸しを向こうはすぐに清算してきた。運悪く、こちらから出せる手駒は少ない。相手は最初から指定した上に、模擬戦においてはかなり譲歩してきている。できれば動かしやすい駒で勝ちたい。

 残り一勝のために、長や副長が出ては恰好が悪い。ましてや相手は有名だがそこまでの位置に着ける者でもない。ならば、今はまだ低い位置にいる者に任せるのが最良であろう。

「答えは一つか。仕方あるまい」

 アラビア海と市街地を俯瞰しつつ、蒼衣はある一点に念を送り付けた。

「空、聞こえているか」

 空へと向けられた思念は、数秒遅れで反応が返ってきた。

「(何、お兄ちゃん? 今伊沙紀ちゃんと話してたんだよ)」

「こちらを優先しろ。次の追加戦、出るのはお前に決めた。相手はあの火竜だ。準備をしておくがいい」

「(え、えぇええええ!?)」

 空の絶叫に眉をしかめつつも、蒼衣は言葉を繋いだ。

「追加戦は神州の威信に賭けて絶対に勝て。お前ならば大丈夫だ」

「(でも和時君とか、お兄ちゃんとかもいるのに……)」

「お前でなくば意味がない。問題あるまい。お前は、オレの妹だ」

 蒼衣の台詞に奮起して、しかし空は、

「(わ、わわ分かった……)」

 本当に大丈夫なのか心配になってきた。が、

 ……この二ヶ月、空に継承の気配はなかった。だが、このインドで再びその兆しを見せたならば、面白い事になりそうだ。そうであろう? 和時。

 蒼衣は、海岸を行く一人の少年の魔力を捉えている。静かで、清涼で、しかし内に滾るモノを持った魔力。長年劣等感に苛まれた者の鼓動だった。

「空よ。あの老婆へは自ら連絡をしておけ。怯むでないぞ」

「(う、うん!)」

 力みがちだが良い返事だと思った。

 念話を断ったところで蒼衣は、遠野の行き先が空へと向いているのを悟った。

 くく、と苦笑を溢す。ややあってから彼は、不意の流れ弾を手で弾き返した。

      *

      *

 波坂に念話で謝ってから、空はアウヴィダに念を送った。

 どこにいるかは分からないが、とりあえず経路伝いに思念を送ってみる。

「(あ、あの、わたしです! アウヴィダさんですか!?)」

 名前も言わずに空は念を送った。だが、少しすると、

「(その声と念の質は、神州の蒼衣・空様ですか?)」

「そ、そうです!」

 用件を早く言おうと、空は捲し立てるように喋った。

「(えっと、あの、それで、――次の模擬戦わたしが出る事になったので、それを言おうと思って念を送りました! はい!)」

「(おやおや、それはまた面白い人選ですね。分かりました。それでは場所はまたお伝えしますので、貴女様はムンバイ内に留まっていて下さい)」

「分かりました!」

 念話を終えた空は、ふう、と緊張の糸を切った。

 しばらくすると、不意に背後から声が掛けられた。それはよく知る少年の声で、

「ここにいたのか空。随分と緊張しているな。何かあったのか?」

「あ、和時君」

 学園で会った時のように、遠野は気楽な様子だった。空は彼の問いに答える。

「次の模擬戦わたしが出る事になったんだ。わたし、こっちに来てまだ何も役に立ってないから頑張ろうと思って。――和時君はさっき来たの?」

「そうだな。そのままドルガーって奴を蹴り飛ばして、さっきアウヴィダに不戦勝した。別にお前のに代わり出てもいいが、お前が皆の役に立ちたいなら止めれない。ここは俺がやっておく。お前は魔力でも練っていろ」

「いいの? 疲れてるんじゃないの?」

 空の疑問を遠野は鼻で笑って一蹴した。

「大した事じゃない。四時間飛んで二、三度攻撃しただけだ。お前の代わりくらい幾らでも出来る」

『ソノ割ニハ辛ソウナ顔シテタケドナ』

「……?」

 奇怪な電子音に、空は小首を傾げた。すると、彼のポケットからケータイがひょっこり顔を出して、また、

『コッチコッチ。初メマシテ、ケータイサンダヨ。仲良クシテネ、御嬢チャン』

「う、うん。よろしくお願いします。――ねえ和時君、変なオモチャだね」

『オモチャ違ウ。俺使イ魔。機械ニ憑依スル、グレムリン様ダヨ!』

「コイツの事は気にしないでいい。それよりも空―――」

「何?」

 ああ、と彼は頷いて、口を開いてこう告げた。

「――頑張れよ。ここはもう大丈夫だ。さっさと集中できる場所を探せ」

「ん、分かった」

 ぶっきらぼうだが優しい言葉に、空は微笑んだ。そして、

「おい、空。お前、どうして動かない?」

 空は、遠野から五メートルほど離れた後ろで突っ立っていた。

「だってここが一番安心できて集中できるから。ちゃんと考えて探したよ」

「っ……」

 屈託のない笑みに、遠野は嘆息、自らの敗けを認めた。

 空はその後、目を閉じて呼吸を整え、外界の魔力を精製、貯蓄を続けた。そして、その更に数分後。少女は、ふと不意に目を開けて口を開けた。

「……っあ」

 どうした、という彼の問いかけに、空は頷いて、

「アウヴィダさんに呼ばれた。場所は――――」

 少女が言う寸前。突然、肌が焼けるような感覚が真上から来た。声が響き渡る。

「ムンバイで、互いが出会った瞬間から。勝負方法は一対一のタイマンよ!」

 そこにいたのは、両腕を焔の翼に変えて浮遊する女性。

 赤みがかった茶髪に白い肌。勝気な笑みを浮かべる彼女は、眼下の少女を見下ろして、

「そこにいる子があたしの相手みたいね。よろしく、マーリーよ」

「……馬鹿な。俺がこの距離に近付かれるまで気付かなかっただと!?」

 武人としての感覚を極める遠野が驚きを隠せない中、マーリーはそれを鼻で笑って、

「アンタ魔力の機微に鈍いのね。急に世へ出たかと思えばこの程度。神州の副長とか呼ばれて怠けてたんじゃないの? そこの子はまだ分かってたみたいけど」

「……何だと?」

 マーリーの嘲笑に、遠野の雰囲気が一気に殺気立った。が、傍にいた空がいきなり地面を踏み抜いた。上体を一瞬反らして、口内から、

「――っ!!」

 マーリーに拡散型の〝竜撃〟を放った。

 油断していたマーリーは回避する暇もなく、海上へと霊体の核ごと吹っ飛ばされた。それを確認した空は、遠野の横を走り抜けて前に出るとすぐ振り返って、小さく、

「行ってくる。邪魔してごめんね」

 笑って、空は再び地面をリュウ属の強靭な脚力で蹴った。

 衝撃でクレーターが生まれ、周囲に震動が伝わる。衝撃の反作用で、矮躯の少女はマーリーのいる海へと飛ばされていった。空の視線の先、夜の海に炎の光が見える。

 洋上でマーリーは、足から炎熱の気流を放出して浮遊していた。それを真似して、少女も足から魔力を放出させて、洋上に留まる。マーリーが、

「やってくれたわねアンタ。いきなりにも程があるじゃない」

「……いきなりじゃないよ。わたしは怒ったの」

「なによ。意味が分からないわね」

 少女は静かに、しかし怒気を含めた口調で告げた。笑みもなく、

「貴女は和時君を馬鹿にした。和時君は誰よりも頑張ってる。誰よりも努力して、誰よりも勉強して、誰よりも周りを大切に想ってる。何も知らない癖に、和時君を馬鹿にしないで!」

「ふふ。――でもあたし知ってるのよ。彼、元々無能なんでしょ? 今も、かもだけど」

「――――」

 彼女の挑発に、空はもはや何も言わなかった。

 ただ鋭く研ぎ澄まされた殺気を彼女へ剥き出しにして、赤化した魔力を口元から漏らす。

 ……謝ってとは言わないよ。わたしがこのヒトに勝てば、わたしよりもずっと強い和時君が凄いって事、皆に分かるもん。

 充足する魔力。少女は内側に蓄積していく力を感じていた。

      *

      *

 神代暦十年。

 その年の七月、印度及び東南アジア経済協力圏の代表、連邦議会議長兼神話体系局局長を兼任するアンジュ・アールス・ガンジィは、ある声明を世界に向けて発信した。

 ――昨今混迷を極める世界情勢に、我々は危機感を拭えず、崩壊の一途を辿るこの現状を非常に危ぶむ。故に、我々はこの声を聞く者全てにこれを提示する。

 一、無法地帯及び苛烈な戦闘地域の平定に全力を投ずる者へ、これを支援する。

 二、平定地の発展のために行う裁量、これを支援する。

 三、以上の行為を執る者へ、我々の導き出した〝魔力併用理論〟、これを無償供与する。

 ――世界の恒久的な安寧のために、この声を聞く者は立ち上がる事を切に願う。

 世界経済を支えるインドの宣言は、もはや世界戦争の推奨に他ならなかった。

 大半が無法地帯となった北米やアフリカ、東シベリア、中東諸地域。それを平定するという大義名分さえ果たせば、インドの手厚い支援を得られる。その声明に最も早く反応したのは、世界の先導者である神州であった。

 神州は、インドの危険極まりない声明の撤回もしくは改変を求めるため外交団を派遣。インド神話体系局の本部が置かれるムンバイにて、二度の交渉を経て、両者は平行線。その結果、政治の延長である戦争の、その更に延長とされた、襲名者同士による模擬戦を世界で初めて実施した。

 国家的代理の完全なる正当性を確立した瞬間であった。

 模擬戦は、全五戦による勝数勝負。第一戦の勝者は神州。続く第二戦はインド。第三戦は神州側の戦線離脱によるインド側の勝利。第四戦は無効となり、第五戦で神州の不戦勝。同数勝利となったため、事前規定により追加戦が急遽用意される。模擬戦の途中、外部からの攻撃に見舞われるが、中断はなくそのまま続行された。

 追加戦。神州代表は火神カグツチ、それに対し、インド代表は炎神アグニ。

 両者の戦闘は苛烈を極める。


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