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第二十二章:戦いの乱流

 インド後編です。この編で印度とのイザコザは終了します。現場に駆け付けつつある遠野や現場で戦う海瀬たちの活躍をどうぞ読んで下さい。

 

第二十二:戦いの乱流

      *

 息が荒れる。

 祖国から離れて六千キロ。すでに神役の保護域は遠の彼方で、その中で緻密で繊細な作業を三時間以上続けているのだから、限界が来るのも無理もない。

 治癒や手抜きでどうこうなるものではない。ジリ貧といってもいい集中力の限界だった。

「――はぁ」

 息が荒れる。

 目眩と頭痛が一緒くたに来、かつ息苦しさにも見舞われる。全くと言っていいほど嫌になる状況だ。唯一救われるのは雲の上で景色がいい。その程度の事しかないのだ。

 操縦はすでシステム調整でケータイに一任している。彼は今、機体の推力とステルスだけに全力を注いでいた。

 大丈夫カ? と正面ディスプレイに文字が映る。

「……ぉ前に心配される程じゃ―――」

 喋ろうとして気が緩んだか、機体が失速しかけた。

「……っ」

 歯噛みして、彼は力ずくで推進力を繋ぎとめた。

『喋ラナクテイイ。――邪魔シテスマナイ。ソロソロダカラ必要ナ事ダケ言ウゾ』

 流石に彼を心配してか、ケータイは茶化す事なく二の句を継いだ。

『コレハ強襲ニ近イ。ダカラ機体ノ機密保持ノタメニ、空中カラケータイサンモ一緒ニ降下スル。機体ハ爆破ダ。脱出点ハ敵本拠地頭上。少シ無茶ダガ、高度ハコノママデ降リル。問題ハナイナ?』

 問いかけに、彼は小さく頷きを返した。

 ヨシ、とケータイは力強い調子で返事する。そして、

『アト十分ノ飛行ダ。親父ニ逢ッタラ、景気ヅケニ頭突キデモシテヤレ!』

 馬鹿が、と彼は憔悴しながらも呟いた。が、ややあってから、

「当たり前だ。十七年の失敗、――俺が清算してやる……!」

 小さな機体は更に速度を上げにかかった。

      *

      *

 マーリーは敵の攻撃が続く事を当然として理解した。

 ……何なのよ一体!? こんなの対処し切れないじゃない!!

 剣において、攻撃の種類は九つしかない。どんな手練れだろうと、いざ攻撃となれば行うのはその九つのうちのどれかだ。しかし、

 ……コイツに型ってものはない訳ッ!?

 敵は想像を絶する武士もののふだった。

 敵である海瀬の逆手二槍流は、変幻自在にして奇々怪々。二槍同時攻撃は当たり前で、刺突袈裟振り下ろし何でもあり、そこから次の攻撃までのタイムラグはほぼゼロ。こちらは攻撃回避以上に次の攻撃に怯えていなければならない。

 その上、下から天へと昇るこの雫が最悪だ。月明かりに反射して槍の矛先と見間違いそうになる。それに、槍も槍だ。敵の任意で元の四尺三寸から八尺近くまでは伸びてくるのだから、もはやマーリーは防戦に転じるしかない。

 ……最初からここまでの流れが全部型だって言ってくれた方がまだ嬉しいわ!!

 戦闘開始から約五分。相手は、おそらく七百連撃を突破している。

 よくもあの死に体のような身体がここまで動くと思う。いや、愚問だろう。この世界にいる限り、彼の肉体は無尽蔵の体力を持っていると考えて差し支えないほどだ。故に勝つには、

 ……この世界を壊す事だけど。

 そんな事できるような余裕は生憎ない。

 どんな者だろうと、この連撃の前では防戦に入るしかない。世界最強のヒトだ、この敵は。だが、それでも、マーリーの心は尽きる事のない高揚感に包まれている。

 ……最高だわ!

 これ以上にない敵だと、そう思える相手だった。

 炎は燃えるだけ燃えて消える宿命にある。故に、滾る相手ほどその熱は高まる。炎に呑めないものは存在し得ない。この人生で、最も燃え盛る事の可能な相手がいるのだから、

「出し惜しみなんてしないわ!」

 マーリーは顔を歪めて、化身へと顕現した。

『――!』

 上る火柱に肌を焦がす灼熱。足元の水が沸騰して湯気が立ち上っていく。マーリーの身体は一瞬で炎に変換され、溢れ出した業火が眼前の敵を襲った。

 敵が後退、一気に背後へと跳躍した。

 マーリーはそれを追った。定形のない今の彼女に物理攻撃は利かない。距離を取ろうとする彼目掛けて、彼女は右腕の部分を投げ飛ばして、彼の目の前で爆散させた。

 凄まじい爆風と炎熱が暗く静かな世界に広がる。

 煉獄の焔と化したマーリーは一時停止。轟々と唸る爆心地を静観していた。終わっている筈が無いからだ。敵がただの人間なら肉片か焼肉になっている。が、

 ……相手はこの世界のゲームマスターみたいな奴なんだから、当然―――。

 当然というように、目の前で唸りをあげていた炎が瞬時に四散、彼が現れた。

 全てのエネルギーを無しにして、彼は淀みない歩調で間合いにまでやって来た。

 火竜の闘争本能が全開になる。

 たとえ敵わないと理解していても、戦いを止められるほど自分は強くはない。精霊の自分に野生の本能などを問われても門前払いだ。

 口元があった場所が笑みを再現しようと奇怪に燃える。戦いたいと身体が前のめりになっていく彼女。

 だが、次の瞬間に。

 マーリーは虚を突かれた。呆けたのだ。

 実を言えばここまで、彼女は敵の顔を一度も注視していなかった。光は月明かりしかなく、戦い出したら槍にしか目がいかず、今自分自身が光源になる事でやっと、彼の顔が見えた。

『――――』

 虚ろな瞳だった。

 悲嘆に満ち、これから来る恐怖に絶望しているような、哀しげな目。思わず彼女が息を呑んで手を止めるほど、それは驚きに値するものだった。

 マーリーは思った。まさか、こんな目でずっと戦ってたの、と。

 ……あり得ないわ。戦意の一かけらもないこんなヒトに―――。

 自分は魂を滾らせていたなんて。

 彼女の身体が熱を増す。マグマのように流動的な炎がとぐろを巻いて盛る。マーリーは激怒のあまり絶叫した。

『ふざけないでよね。そんな、――そんな呆けた奴にアタシはァアア!!』

 炎の身体がその体積を爆発させた。

 身長百七十センチほどだった彼女の炎は瞬く間に、体長四十メートルの火竜へと成長した。

『――!』

 炎の飛竜の咆哮が大地を揺らす。

 大翼の羽ばたき一回。燃えるような風を撒き散らして、火竜の紅い双眸は敵へと向いた。

『〝黒煤のマーリ―(カーリー・マーリー)〟、その煤は敵を燃やした煤!』

 マーリーは叫ぶ。

『――アンタを消し炭にしてやるわ!!』

 豪勢そのまま、火神アグニの名を持つ火竜は愚直に突っ込んだ。

 死んだ目をした敵は、槍をハの字に構えて無気力に応戦した。

      *

      *

 アグニ。

 それはインドにおける火の神の名だ。

 紅い肉体に炎の衣を纏った偉大な神とされ、旧代においてはその絶大な人気から太陽神のような扱いさえ受けていた。なおかつ、最強のインド神であるスカンダを産み落とした神でもある。

 そして、それに連なる彼女のもう一つの名がカーリーだ。

 シヴァの妻であり、至高美の女神といわれ、その容貌こそがシヴァの性力の根源とさえいわれた神。しかし、怒り狂えば途端にシヴァですら手の付けられない狂乱者になる。

 その美しさと強さ、かつ幾つも併せ持つその性格が、カーリーがインド女神における最大の人気を勝ち得るに至った理由だった。

 アグニとカーリー。

 つまり、マーリーこそがインド神話体系局の看板と言ってもいい立場にあるのだ。故に、貿易艦隊の総指揮官、アーディティア神群の長など様々な役職を得ているのだ。

 第四戦の最中、彼はずっとそんな事を考えていた。

 考えたくない事があったから、無理やりそんな事を考えていたのだ、彼は。

 炎を相手にすると、いつもそうだった。

 ……ああ。

 一体何をしているんだろうか、自分は。

 彼女がいなくなってからもう十五年以上、自分は愚かな事を続けている。己を偽り、息子に一生償っても償え切れぬ過ちを犯して、半身である人まで巻き込んでしまった。

 彼は思っている。本当に馬鹿だった、と。

 目の前の彼女が怒るのも無理はない。戦いに全力を投じていないのだから、相手にしてみれば侮辱を受けたも同然な筈だ。

 過ちばかりだ己の人生は、と彼は自分を下卑た。

 ……ああ。

 怖い。息子が、もうすぐここに来る。

 きっともう、自分の嘘に気付いている筈だ。嘘がばれるのが恐ろしくて、ずっと逃げ続け、最後には自らボロを出した。滑稽だろう。息子は自分を父親にもった事を悲嘆していたとしても、自分にそれをとやかく言う資格はない。

「…………あぁ」

 ボクは、父親失格だったようだ。

 だが、そう毎度言い訳して逃げる訳にもいかない。

 今回だけは息子の晴れ舞台となる場所なのだ。たとえ嫌われたとしても、蔑まれようても、疎まれてでも、自分は戦い続けよう。

 この肉体があとどれだけ持つかは分からない。が、それまでに何とか、

 ……和時。お前に、ボクの全てをみせておきたいものだよ。

 よく子どもは親の背中を見て育つと聞く。こんな愚かな親でも、何かを学んでくれればそれだけで嬉しい。ユイにも、出来るといわれてしまったのだから仕方ない。

 だから、行く。

 彼は無気力。しかし、決して無軌道な訳ではなかった。

 前を見る。炎がいる。突っ込んで来ている。

 槍を構えた。

 ……夕日沈む時は、いと美しきかな。

 海瀬の腰が更に落ちた。

      *

      *

 エリスは嗤っていた。

 彼女の剣が地面に叩き付けられる。

 もはや力任せに相手を切り裂こうとしていた。その浅黒い肌の先にある鮮血と骨肉を求めて剣を振り、そして相手の必死の応戦、避けても掠れる敵の剣にエリスは嗤った。

 皮膚を薄く裂いて、そこから血が、つぅーと頬を伝っていく。

 愉しい。

 エリスとドルガーの剣が絶え間なく交錯する。

 指揮官として大軍を持ち出してきたドルガーだが、こちらが先手で一騎打ちに出てくれば正々堂々と相対を受けた。途中から魔力で編んだ剣を持ち出している。根っからの結果利益主義者ではないようだ。まあ大軍をゾンビの群れで総崩れにしたのは自分だったりするのだが。

 ……ふふ、でもこんなに思い切り戦うのは久しぶり。もう二十年も殺ってないんだから当然かな。心臓の響きが全身に痺れてやってくるよ。こんなに興奮で来て、カズトキのためにもなるなんて、――ホント、最っ高ォのシーンだよ!!

 高鳴る鼓動を全身で感じながら、彼女は一刀を叩き付けた。

 力任せの振り抜きに手が反作用で震える。が、止まりはしない。下に向いている切先をそのまま返して、再び振り上げた。休む暇なく剣戟が交わされる。

 愉しい。

 ドルガーは応戦して来る。一方的な攻めを受けつつも、こちらが生むわずかな隙を見逃さずに攻撃をしっかり返してくる。

 当人は首を撥ねるつもりだろうが、いい具合に性感帯の耳の裏を掠めていくから気持ちがいい。これだから魔導の血統はいい。全ては魔術のために肉体を弄り回されているからだ。

 ……イイ、イイよ君! 不屈の戦意こそ戦士の誉れ、もっと抗ってよ!!

 胸が張り裂けんばかりの情動で身体は火照りっぱなしだ。

 快楽漬けの中で剣を振るうエリスは、微笑みでも顔を歪めるでもなく、ただただ遊戯に興じる子供のような笑みでこう思った。

 ……カズトキ、アナタは世界を望んでいる。カイセやユイの願い通り、この世が最も求める幸いを望んでくれる子に育ってくれた。声にはあんまり出さないだろうけど、カズトキのトモダチを観れば分かるよ。

 和み、和ませ、輪に和むうつしみの時間。

 和は頂きの意志、時は全てを押す流れ。世界を統括する意志と時間を併せ持たせた真名。

 あの二人が、己らとは違う、ただ幸いを得ていく生を送って欲しいと願い授けた。それは彼一人でもあり、この世全てにも繋がる。独りよがりの人間でも全てを望む愚か者でもいい。

 ただ幸いを。

 二人の剣戟が鳴り響く。

 長身のドルガーに対して矮躯のエリス、本来なら力の差と身長差で圧倒的にドルガーが有利だが、二人が今いるのはエリスの世界だ。彼女の世界では彼女に全ての利が預けられる。

 力の差も、高さの差も、速度さえも全てが向上する。

 エリスは子どもの体躯でありながら、子どもと大人の闘いでありながら、圧倒的な勢いのままドルガーを押す。が、

「――ふふ」

「くっ」

 ドルガーが奥歯を噛んで、最初に出した魔力の腕を顕現させた。

 魔人の異業〝自在天手じざいてんしゅ〟だ。新たに生まれた六本の腕が、それぞれ魔力の剣を握った。

 ドルガーの反撃が始まる。一振りのエリスに対して、ドルガーは七本の剣。手数が一気に逆転した。が、それを愉しむようにエリスは攻撃を返し続けていた。

 ……ああ、たのしい。

 何故ならば、目の前にあるからだ。己が欲すものが。

 興奮という快楽。愛する者が求めるモノへの手助け。己をこの世に留めてくれている彼とのつながり段々と鋭敏となっていく感覚。どれも比類なき幸福だ。未だかつて、これほど充足を感じた事など滅多にない。

 ……でも駄目―――。

 足りない。あの時に比べれば。あの時、彼と、信念を賭けて殺し合ったあの時に比べれば、これではまだ足りない。

 出逢ってまだ十日と経っていないというのに、命を賭けて、全力で、過ちを犯した自分を止めてくれた。あの時の殺し合いは、今でも忘れはしない。

『死してなお。殺してでも。殺されてでも仲間を守るなんて! そんな身勝手な理由で、君は皆を殺すのか!? ――仲間に手を掛けた時点で、君は友達失格だ!!』

 戻るに戻れなくなった私の過ちを、彼は全力で否定する事で赦してくれた。そして、時が来てしまった自分を、そのボロボロの内側に受け入れてくれた。

 きっと、あの時に、自分は彼の事を好いたのだろう。

 楽しい。

 あの時の殺し合いに比べれば底辺だが、今のコレも十分興奮に値する。

 命の駆け引き。信念のぶつかり合い。己が欲望のため。それら意思を持ってして、互いに剣戟を交し合う。

 先程までの形勢は、今では逆となっている。ドルガーが押し、こちらが受ける。彼の六本の仮想腕が進攻を邪魔する。それどころか、二撃、三撃と、攻撃回数が増加している。

 流石のエリスもドルガーの攻撃を捌くので手一杯になり始めた。

「……っ!」

 剣を三本一気に弾いた彼女は、ドルガーから、大きく数歩飛んで離れた。

 ドルガーは追わずに、エリスを直視したまま口を開いた。

「どうやら、貴女の死体たちも押され始めているようですね。このまま私たちが残滅してさしあげましょう。――所詮、貴女は前時代の住人だ」

「よく見えてるのね、その眼」

「魔人は二つの異業を持ちますから。〝自在天手〟と、視野・処理力を利用した〝邪眼俯瞰セーナー〟。これに神力を加えれば、近接戦において私に敵う者はそうそういません」

 ドルガーはちらりと遠くの塔に目を向けた。

 魔人族の視力にはアウヴィダの姿がはっきりと見える。主君と見定めた老女は、穏やかな雰囲気でこちらの戦闘を傍観していた。それを確かめた彼はエリスに視線を戻す。

 だが、次に戦場で響いた一人の少女の笑い声は、皆を沈黙へと誘った。そして、それに続く叫び声のは、歓喜に震えた妖艶な叫びだった。ああ、と。

「――ああ、愉しい。愉しいよカイセ! 

 こんなに楽し過ぎる殺し合い、とっ――ても久しぶりだよォ! カイセと本気で殺し合ったあの時みたいに、胸がはち切れそうなくらい楽しいよォ――っ!!」

 銀髪の、齢八つほどの少女は、とろんとした瞳で、明後日の方向を見詰めた。

「だ・か・ら、あの時みたいな愉しいお遊びになるよう、もうちょっとだけ、もうちょっとだけホントの私に戻ってもイイよね、……カイセ!?」

 興奮に強張る頬を無視して、幼女は口元を歪め、高らかに己が真を謳った。それは魔女たる彼女の真名、

「――犯し開け〝気品溢るる我が死霊の楽園(エリザベス・ネクロマンテイア・ツアペックドックス)〟。目覚めよ〝死玩具海(ヴ―ドュット・バロン)〟!!」

 〝愛しき死霊エリス・ネクロマン〟の世界は、深い闇に犯され呑まれた。

 再び、その世界にいた者全てが呑み込まれた。

       *

       *

 神州、インドの代表たちのいる塔は特に変化もなく、〝世界〟に立っていた。

 エリスによる二度目の〝魔法〟の発動により想像された〝世界〟。

 庭園の〝世界〟から、遊園地にへと造形を一変させていた。

 眩い光が所せましと煌めき、様々な遊具が林立している。それは、子どもが憧れ憧憬とするものに最も相応しい景観だといえた。

「成程、この塔は元々こちらのモノという訳か。そこな老婆、あの銀髪は何をしたか分かるのだろうな?」

 蒼衣の視線に、老婆は笑んだ。

「ほほ、面倒な役回りで御座います。――単に、あの方は魔術師として真名を名乗り、全力で相手を葬り去ろうとしているだけです。久方ぶりに見る、魔導の決闘で御座います」

「決闘?」

 空が小首を傾げた。が、アウヴィダは頷いて、

「真名とは己が名に与えられた意味、つまりはその魔術師の深淵で御座います。深淵など絶対に秘匿物。それを敢えて教えて闘うのですから、相手を抹消する事を宣言しているのですね。

 エリザベス・ネクロマンテイア・ツアペックドックス。魔法機関プロティスタにおいて原初魔術を第一先駆で行く二十六家系。その内の死霊魔術ネクロマンシーを牛耳ったツアペックドックス家が残した集大成が、彼女であります」

 インドで一生を過ごしているアウヴィダでさえ知っている彼女の栄光とは、

「弱冠七歳で成熟した天才にしか与えられる第五位〝力天使〟の称号を得、九歳にして十二番目の魔法使いとなった。死後なおも霊体として生き続け、怨霊としてこの地に姿を現した、正しく死霊で御座います」

 彼女は本来、三十年以上も前の人間なのですから、と老婆は言ってのけた。

「前時代の魔術師同士の戦争なぞ知らん。だがアヤツらを見出した事は、結果的にはオレの思惑には丁度良かったようだな」

「そうでありましょうか?」

「何だと?」

 蒼衣の睨み付けに、しかしアウヴィダは平静のままこう答えた。

「彼女が最終的に与えられた異称は〝リリス〟で御座います」

「――――」

 蒼衣は言葉を返すのを止めた。

 その視線は〝世界〟を俯瞰する。煌びやかな世界にはムンバイの市民たちがいる。誰もがゾンビ相手に疲弊したふうだ。が、ゾンビたちは新たな〝世界〟にも、すでに湧き始めていた。

 一体あのエリスという女は、どれだけ死霊を飼っているのだろうか。

 ……リリス。聖書などに登場するアダムと共に生まれた土くれだったか。後に悪魔の母と呼ばれるまでに至った悪女だった筈だが。

 エリスをリリスだとするならば、彼女の使役するのは悪魔そのものといえよう。

「悪魔の総数は一説によれば四千四百六十三万五千五百六十九体。――さて、一人の魂が本当にそんなものを抱えられるのか怪しいものだな」

 蒼衣の笑みは、視界の奥に向けられる。黒く、そして禍々しい巨体が、現れていた。

 幾本も伸びる腐肉の触手、体長は百メートルを超し、汚物を吐き出し続けるオオダコだ。

「う……、臭い」

 空が参ったとばかりに鼻を押さえて顔をしかめた。

 二キロ近く離れたここにさえ、その異様な腐臭は届いている。一体、現場ではどれほどの事態となっているのか、蒼衣は想像するだけで笑いが込み上げてきた。

      *

      *

 ムンバイ市民は慄いていた。

 自分たちが信じた神話体系局のためにと、戦いに出てきたものの、いつの間にかよく分からない場所に連れて来られ、挙句の果てには敵はゾンビの大群という。

 敵は一人と聞いていた。

 違う。これはもはやヒトなどという規格ではない。神だ。悪魔だ。化け物だ。

「わあ、臭い! 腹減ったぞ……」

「ほうれゾンビどもめ。ワシの華麗なるダンシングじゃぞ~」

「あのゾンビ四つん這いや。元絶対犬やベーコン食うか!?」

 本当に慄いているのだろうか。

 ともかく、皆戦う事を諦めるつもりはなかった。

      *

      *

 ふふ、という妖艶な笑みは妙齢の女性が生み出すもの。

 豊かな銀髪に豊満な乳房、淡い碧眼が常に微笑を浮かべて、白い肌に唇は薄ピンク色。その姿は艶美という言葉をそのまま形にしたように美しかった。

 しかし、彼女に纏わり付くのはねっとりとした粘液を垂らす触手。いや、吸盤を持ったそれはタコの足の一部だった。

 女性の肉体を弄ぶように犯していく触手。だが女性は嫌がる様子もなく、そのタコの足と楽しそうに戯れていた。悪寒を誘う異臭すら、いい香りだと言わんばかりに頬は紅潮している。

「……う」

 浅黒い肌を持った長身の男。ドルガーは思わず鼻と口を手で覆った。

 そんな些細な行為で押さえられるような臭気ではない。まるで何万という屍を積み上げ、腐らせたような腐臭。あの禍々しい容貌のタコに身体を弄られながら笑みを浮かべるエリスが信じられないくらいに、だ。

「ふふふ」

 エリスはこちらの目も気にせず、タコと一緒に自慰行為を愉しんでいる。

 元の大人の姿に戻っているため、近接戦は辛くなりそうだが、

「……一体どうすれば、そんな平然と―――」

「あら、さっきも言ったじゃない。私の身体は細胞の一つまで弄り回されてるんだから、腐った死体と戯れるなんて慣れっこだもん。それに、こんなに可愛い子のどこが嫌なの?」

 可愛いという言葉一つで、彼女は怪物を片付けた。

 怪物もそれに応えるようにエリスを優しく撫でている。彼女は喘ぎ声を漏らしながらも、

「私の家の大禁忌に入る術だよ。愉しんでね、イイ子だから」

 と言って腐肉のタコに接吻した彼女は、そのまま舌を突き出してタコを舐め回し始めた。

 その時、ドルガーは初めて魔術師という存在を理解した。狂っている、と。

 そして己が君主もまた、狂っているのだろう。こんな事をしでかしているのだから。

 ……この私も、そうでありましょうか。

 ドルガーは口元の手をどけた。エリスを澄ました顔で睨み付ける。

「ん? 臭いはもういいの?」

「ええ、臭気も香気も、元を質せばただの刺激です。要は慣れですので」

「面白くないなぁ」

 エリスは詰まらなさそうに手を掲げ、前に振った。

 瞬間。怪物の足が走った。

 鞭のようにしなる太い足は、蛇を描きながらも愚直にドルガーを狙った。

 大質量の一撃だった。しかし、彼はそれをいとも容易く魔力の剣で叩き切っていた。

 腐った血飛沫が彼のスーツを汚すものの、ドルガーはそれを微塵も気にしない。冷徹な眼差しのまま剣を振るっていた。

「――?」

 ふとドルガーは眉をしかめた。

 切って捨てた足先が、その形状を変化させていたのだ。変化は、まず肉塊の集約から始まって、次にヒト型のような形状を持っていく。軟質だったソレは、いつの間にか強靭な肉体を持つ巨人へと変貌していた。

 エリスの詰まらなさそうな声が響いた。

「あー、いーけないんだーいけないんだぁ。エぇリスさーんが赦さないー。

 ――もお、この子を何だと思ってるの君。十万の魂を集約させた子だよ。足先切ったら大型集合体のジャバウォックになるだけ。ジャバウォックを切ったら中型のバンダースナッチ、次はヘイヤとキティかな。切るだけじゃなくてもっと楽しませてよお」

「切る以外に対処法があるとでも?」

「ないよ。でも君はそれ以上を熟考してない。途中で思考停止してるから。こんな事になるんだよ」

 今度はエリスが冷たい目をする。

 ドルガーは無心でその忠告を耳で聞いていた。両手で剣を握り、仮想腕に一本ずつ握り直した彼は腰を落としながら。

 ……こんな事とは、――別の怪物を作った事でしょうか。いや、口調の印象からは私の全てを言っているように聞こえました。では何を指しているのか。難しい問題です。

 とにかく今は相手をどう打ち倒すかを考えねばならない。そのためにも、その対処法を見出す必要がある。彼女の言質からすれば、

 ……切る事が唯一の道といえますが、その回答を理解せねば性格な対応ができません。戦闘中随時対策の更新が必要のようです。

 青年は更に足を広げ、迎撃重視の体勢を取る。エリスは呆れた吐息をつき、しかし、

「さあ、私の玩具たち。私のために働く事が、君たちの幸いだよ!」

 彼女の台詞に合わせて、タコの怪物とジャバウォックがドルガーに襲い掛かった。

 巨物の鞭、そしてデカブツの拳に地面が抉れ、土埃が盛大に巻き上がった。

 第三戦は激化していく。

      *

      *

 火竜はその炎を撒き散らしていた。

 幾度となく炎を吐き、突撃を繰り返して、敵である男を黒焦げにしようとしている。

 彼はそれを易々といなし、弾き、そして的確に隙間を突いて攻撃を返していく。が、火竜もその炎の肉体を十二分に活用し、男の槍から難なく逃げおおせていた。

 そんなどうどうめぐりを何度も繰り返している。

 第四戦、マーリー対海瀬。戦闘は完全に拮抗、どちらも引く事なく紙一重の攻防を繰り広げていた。

轟、と唸りを上げて爆発が起こる。

 マーリーの魔力が引き起こした炎弾が爆ぜ、灼熱の爆風が海瀬を襲う。しかし、海瀬は怯まない。これ以上の炎を相手に取った事など一度や二度ではない。

「舐めないでくれ、炎神!」

 短槍一本で薙いで、彼は爆発を吹き飛ばした。

『――!』

 火竜が咆えて大翼を羽ばたかせた。

 翼は風を生み、更に爆風を起こして火竜を前へと飛ばす。目指すは眼前の男。摂氏千度を超える顎で噛み砕こうというのだ。

 その距離わずか十五メートル。一瞬で詰まる距離の中で、火竜は顎をばっくり開いて、海瀬の胴部を真横から噛み千切りにかかる。が、

『――』

 牙が空を切り顎が閉じる。逃げられた。

 後退した海瀬。火竜マーリーは迷わず追った。

 二度、三度と首を伸ばして噛み砕こうとするが、彼はこちらの動きを見切ったかのようにぎりぎりの間合いで避けてくる。苛立った火竜は、五度目の噛みをフェイクに、口から炎を吐いた。

「っく……」

 対応が一瞬遅れた男。

 ほぼゼロ距離からの炎を、しかし彼はもはや神がかった反射速度で対応した。前に持って来ていた槍を自らの魔力で爆破させ、マーリーの炎の進入路を消したのだ。

 男が吹っ飛ぶ。当たり前だ。炎神の炎を防ぐほどの爆発規模を全身に浴び、その上、

『追撃を防ぐためにもう一つの槍もすぐに爆発させたわね。よくそんな芸当ができるわ』

 ここが彼の〝世界〟でなければ、すでに彼は死んでいる筈だ。

 死にたがっているとしか言いようのない戦法や対処法、そのどれもがマーリーを苛立たせるものだったが、一つだけは嬉しい事があった。

『――アンタほど強い相手、初めてよ!』

 海瀬が空中で翻り着地するよりも前に、火竜は飛んだ。

 肉の炎が輝きを増して膨張を始める。それは内圧が爆発的に上昇し、一気に外へと放射させる現象の前触れ。それすなわち爆発。彼女は海瀬を確実に仕留める気でいた。

 火竜が動いた時点で何をするかを察知した海瀬は、制動するのを止め、着地と同時に足裏の摩擦を消した。彼の身体は水面を滑るように後退を続け、火竜との距離を保とうとする。

 しかし、それもただの気休め、わずか数秒で火竜の眼下には海瀬の姿があった。

 竜が更に膨張する。

 すでに竜という形状がソレにはない。半径百メートルをゆうに呑み込むエネルギーを内包して、彼女は自ら爆ぜた。

『死ねぇええ!!』

「――っ!?」

 月光の世界に、巨大な火柱が起った。

 凄まじい轟音が鳴り響き、灼熱は辺り一面の水を蒸発させる。爆心地はもはや煉獄と言えるような状態で、生身のヒトが生きていけるような場所ですらなかった。

「――ハハ」

 笑い声が漏れる。

 女性の笑い。高らかに勝利を確信した笑声だった。

 今、世界は揺らいでいる。創造者が死んだか、意識が飛んでいるか、少なくとも維持できなったからだ。それは彼女の勝利を意味し、インドの炎神が前時代の最強を倒したという事になる。

 これが笑わないでいられるか。答えは否だ。

 全身を煤塗れにするマーリー。彼女はすでにヒト型へ戻り、衣服は燃やしたので炎を衣代わりにしていた。ほくそ笑み、轟々と立ち昇る黒煙を見詰める。

「ハハ、――これでアイツに文句なんて言わせないわよ」

 いつも叱られてばかりだが、この戦果を持ち帰れば彼も褒めてくれるだろう。

 ……使い魔だった時はあんなに褒めてくれた癖に、今ではさっぱりだから困るわ。

 まあ一回逃げてヒト型で戻ってきたら、そりゃ分からないわよね。

 いつか彼が驚く顔を見ていたい。そのためにも、彼とあの老女の目指すものを叶えてやらなければ。使い魔の仕事は主人の意向を汲む事だけなのだから。

「さ、これで帰れるわね」

『残念だがまだ帰れない。第二ラウンドだよ』

 マーリーは目を見開いた。

 驚愕に身体が硬直する。耳をそばだてて、今聞こえた声の方向を確かめようとする。が、

『この手はあまり使いたくないが仕方ない。君が想像以上の相手でつい使ってしまった。認めよう、君は限りなく強いよ』

 その声は、全方位から届いていた。

 彼女は思った。まるで世界そのものが喋っているみたいだわ、と。

 しかし、次の声は何もない真正面から始まった。

「まあ確かにその通りではあるよ―――」

 声の聞こえる辺りから靄が現れる。薄い靄は徐々に形をはっきりとさせていき、やがて確かな存在へとどこかで切り替わった。そこに立っていたのは、

「エリスならば完全にそうだけど、こちらは間接的に姿を消しているだけだからね。すまないがもう少しだけ待ってくれるかい? あと二十秒で仕上げる」

 身体ごと吹き飛ばした筈の海瀬だった。

 傷一つないその姿に動揺するマーリーだが、その直後に再度の驚愕を得る事となった。

「……なっ!?」

 世界が光に呑まれていたのだ。

 暗く、静かな世界が外から淡い光に呑まれ、まるで舞台を入れ替える演劇のようにあからさまに、それは行われた。

 足裏の感触、空気の質感、匂い、風、光の加減すら、変化していくのがありありと感じ取れた。

 ……土の匂い、この暑さは春先くらいの、晴れ? それに草が風に撫でられる音が――。

 数秒後、彼女の前から光が取り払われた。

「さあ……、戦いを再開しよう」

 遠の彼方まで続くなだらかな草原。

 空はどこまでも晴れ渡り、草と朗らかな風の香りがそこには満ちていた。

 優しい世界だと、彼女は思った。

 そして、その世界に一人佇む彼だけが、優しさの陰を体現したように哀しく見えた。

 傷一つないとはいえ、辛そうな表情までは取り繕えない。彼は確実に消耗している。おそらく何でも出来る世界といっても、その燃料までは無尽蔵という訳ではなさそうだ。

 ……それとも単に寿命、いえ肉体が崩れかけているからかしら。

 どちらにしろ、まだ戦況は拮抗と言える。

 持久戦でもこちらに分がある訳ではないが、勝機はそこにしかない。なら、

「さっさと行かせてもらうわよ!」

 火竜の間に彼の動きはかなり見る事ができた。

 これならば、ヒト型のままでも対処が出来そうだ。だから彼女は奔った。

 裸体のままマーリーは四肢を炎として突貫。海瀬もそれに応じるように再び短槍を二本取り出して構えた。体内魔力を更に滾らせていく。そして、

「……おお!」

 炎と魔法使いが激突した。

       *

       *

「……準備はいいか?」

 静かな問いかけに、無言の頷きがぽつぽつと返ってくる。

 男は数度息を整えるように呼吸をしてから、再び声を作った。

「我々は幾度となく苦渋を舐めてきた。しかし、今日この日をもってそれを終わりとする。あの蛮族ども打ち倒さなければ、我が一族の安寧はない。皆、これは聖戦である」

 男の熱を内に秘めた口上に、全員の瞳に再度光を灯らせた。

 容易は十二分に完了している。後は突撃を敢行するのみだった。

「さあ、行くぞ」

 総勢百隻に上る輸送船団は、インド洋を一挙に東進した。


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