エピローグ『側にあって』
エリュが吸血界から戻ってきたところで、俺達はそれぞれの帰路に就いた。樋口先生はこれから金倉さんの家に泊まり、週末にはゆっくりと2人の時間を過ごすとのことだ。
「これまでの中で最も大人しい魔女だったわ。身柄の引き渡しの時にも、あたし達が言うことに素直に応じていたし」
「まだ、ルーシーの中には魔女としてのプライドはあるかもしれないけれど、樋口先生と一緒に過ごす中で種族が違っていても、時間を掛ければ分かり合えることを知ることができたんじゃないかな」
「……そうかもしれないわね」
戦争は正義と正義のぶつかり合いで、いい意味で何も生まれることのないことなんだ。違った考えを相手が持っていても、そういう考えがあるんだとまずは受け入れてみることが大切なんじゃないかなと俺は思っている。
「エリュ」
「なに?」
「……樋口先生の願いは叶えられるのかな。いつかまた、ルーシーと会うことができるかってことなんだけど」
ルーシーは今、吸血界に囚われている身。そんな彼女と樋口先生はいつか会うことが許されるのだろうか。許されたとしても、それは俺達人間にとっては遥かに遠い未来なんじゃないだろうかと思ってしまうんだ。
「ルーシーの言っていたとおり、人間界を征服しようとして、結弦に洗脳しようとしていた事実もある。だけど、本人が征服なんてしないという想いがあるんだったら、樋口先生と再会できるのはそう遠くない未来にあるんじゃないかしら。それを判断するのは、あたしじゃなくて人間界でいう裁判所のようなところだけれどね」
「……そっか。早く再会できるといいな」
それを聞いて何だか安心した。
そこからは何故か家に帰ってくるまでは何も言葉は交わさなかった。ただ、繋いだ手は決して離さずにぎゅっと握っていた。
家に戻ったときは午後10時を過ぎていた。夕飯まだ食べていないけれど……とりあえず今はゆっくりしたくて、エリュと一緒にソファーに腰を下ろした。
「ねえ、結弦」
「うん?」
エリュは何故か頬を赤らめながら俺のことを見つめている。
「……樋口先生とルーシーを見ていたら、種族は関係なく分かり合えるんだなって思ったの。心が通じているというか……」
「確かに、仲のいい友達みたいだったよな……」
だからこそ、樋口先生はルーシーにまた会えるのかって訊いたんだと思う。種族は違っていても、親しい関係を作ることができる一例だ。
「……あたしも結弦ともっと分かり合いたいの」
エリュのそんな言葉に胸を打たれる。
「そう、なのか……」
エリュと出会ってからずっと一緒にいるから、俺はエリュのことを分かったようなつもりでいた。けれど、もしかしたら……まだ俺はエリュのことを全然分かっていないのかもしれない。
「分かり合うっていうか、その……あまり上手く言えないけれど。結弦にはあたしの側にずっといて欲しい」
「……いるに決まっているだろ。エリュは俺の血を定期的に補給しないと、人間界にいられなく――」
「そういうことじゃなくて!」
すると、エリュは俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。
「結弦とはそういうことは関係なしに側にいて欲しいの! 結弦の気持ちがもっとあたしの側にあってほしいの……」
エリュからの言葉は、彼女の体から伝わってくる温もりよりもとても熱く思えた。その言葉がエリュから感じる甘い匂いを更に甘くさせた。
「前に結弦、言ってくれたよね。俺から離れないでほしいって。でも、結弦と一緒にいると、結弦はかっこよくて優しいから、結弦のことが好きな女の子がどんどんあたし達の前に現れて。その度に結弦が離れちゃっているような気がするの」
「エリュ……」
そして、ようやく顔を見せてくれたエリュの目から涙がこぼれ落ちる。
「ねえ、結弦。結弦はあたしのことをどう思っているの? 金倉さんと告白の練習をするときにあたしに口づけしてくれたってことは、あたしのこと――」
「それ以上は言わないでくれるかな」
俺はエリュの口元をそっと押さえる。
「……俺はエリュが人間界にいる限り、ずっと側にいる。だって、昨日も言っただろう? エリュは俺にとってなくてはならない存在なんだから。そんな奴の側から心だって離れるわけない。だから、安心してほしい」
本当はエリュにどんな想いを抱いているのか分かり始めていた。でも、それを口にしてしまったら、いつかは訪れる悲しみがより強くなってしまうから。だから、絶対に言いたくなかった。
「……うん、絶対に離れないでね。約束だよ」
ようやく見せてくれたエリュの笑みはとても可愛らしかった。誰よりも可愛らしかった。そんな彼女のことを抱きしめずにはいられない。
「大丈夫、俺はずっと側にいる。だから、大丈夫だ」
「……うん」
エリュは再度、俺のことを抱きしめる。さっきよりもずっと強く。
そして、抱きしめ合うことで、俺はエリュ・H・メランという女の子がいてこそ幸せを感じることができるのだと改めて分かるのであった。
第4章 終わり
第5章に続く。




