第14話『学舎』
5月16日、金曜日。
午後6時。樋口先生の仕事が終わったので、俺、エリュ、恵と一緒に豊栖大学へと向かい始めた。恵が一緒なのは人間同士の女性が結ばれる瞬間が見たいかららしい。
ルーシーを倒すことも考えて、陽は沈んでいないけれど、エリュは力を溜めて夜モードになっている。
ここまで、金倉さんから遠藤さんに何かされているという連絡は無い。それがちょっと不気味に思えるけれど、このまま何事も無く告白できれば何よりである。
「あれだけ練習したんです。きっと大丈夫ですって!」
「……そう信じたいね」
金倉さんが自分のことが好きだと分かっている状況だけれど、やはり告白するとなると緊張するようだ。キャンパスが近づくにつれてその緊張の度合いは増してきているようで、樋口先生の顔が段々と青白くなっていった。
「うわあ、懐かしい……」
しかし、今まで通っていたキャンパスに到着すると、学生時代の楽しい思い出が蘇ってきたのか、先生からにこやかな表情を見ることができた。
「金倉さんと4年間、ここで一緒に過ごしてきたんですよね」
「そうだよ、椎原君。そんな場所に自分の教え子と一緒に来ているなんて、何だか不思議な気分。まだ、卒業してからあまり時間が経っていないからかな……」
新年度が始まってから1ヶ月余り。まさか、こんなにも早くかつての学舎に教え子と一緒に来ることになるとは思わなかったんだろう。しかも、同級生の女の子に告白するために来るなんて。
「さあ、行きましょう。金倉さんが待っていますよ」
「……そうだね」
そして、俺達はキャンパスの中に入って、金倉さんが待っている日本文学専攻研究室へと向かう。研究室に行くまでの間、樋口先生はしきりに懐かしいと呟いていた。1ヶ月半しか経っていないけれど、教師として仕事をしているからか、気持ちとしては1ヶ月半よりも長く感じているのかもしれない。
「はあっ、緊張するなぁ……」
扉の前に立った樋口先生の脚は震えていた。そして、一つ深呼吸をしてから、
――コンコン。
研究室の扉をノックした。
『はーい』
中から金倉さんの声が聞こえた。だからなのか、樋口先生の顔は見る見るうちに赤くなっていく。ここでもう緊張のピークが来てしまっているのか、もしかして。
中から扉が開かれ、金倉さんが出迎えてくれた。彼女は樋口先生のことを見ると、とても嬉しそうな笑顔を見せる。意中の人と久しぶりに再会だけあって、俺達の前では見せなかった目映い笑みだ。
「久しぶりだね、早紀ちゃん」
「そうだね、麻衣」
「……とりあえず、中に入って。今日も私1人だけだから、周りを気にせずにゆっくりと話そうよ」
「……うん」
俺達は研究室の中に入る。本当にこの研究室には誰も来ないんだな。金倉さん以外で来た学生さんといえば、イレギュラーな遠藤さんくらいだろうか。
「懐かしいね、ここ」
「卒論の発表が終わってから、この研究室が寂しくなったよ。今の4年生は誰も来ないからね」
「まあ、私達の時も同級生はあまりこなかったもんね」
「そうだね。ここで2人きりでいるときも多かったね。隣同士に座ってさ。そんな早紀ちゃんが教師かぁ。スーツ姿を見ると就活生って感じだね」
「確かに就活で使ったスーツと同じだけど、これでも立派な教師なんだよ! ほら、私の可愛い教え子がこんなにもいるんだから」
樋口先生は俺達のことを指さして胸を張っているけれど、そもそも俺達がここにいる理由は先生が告白するのに1人では緊張するからだったと思う。
それでも、いい感じで話が弾んでいるじゃないか。そして、そんな状況を見て1人興奮し発狂しそうになっている恵のことを、エリュが何とか落ち着かせようとしている。
「あれ、麻衣。席、変わったんだ」
「大学院生だからって端に追いやられたよ。どの研究室でも院生は端っていう風習があるみたいで。まあ、1人きりが多いからこの席は好きだけどね。窓から見える風景も結構いいし……」
「なるほどね。私のデスクは周りに先生がたくさんいるから緊張するなぁ。それで、教室に行くと生徒がいるから緊張する。でも、最近は自分が受け持っているクラスに行くと心が安まってきたかな」
「椎原君やエリュちゃんがいるもんね……って、あれ? エリュちゃん、髪が赤かったっけ? それに、昨日までよりも雰囲気も違うし……」
金倉さん、今頃気付いたのか。エリュの変化に。
「あたし、特殊体質で。夜になると髪の毛の色が黒から赤に変わるんですよ」
「へえ、初めて聞いたなぁ、そんな人。あと、声色も昨日よりも違う気がする」
「気のせいですよ、きっと」
と言って、エリュは笑ってごまかしていた。まあ、吸血鬼だからそうであって、俺だって夜になると自然に髪の色が変わる人なんて聞いたことがない。
「……ねえ、早紀ちゃん。そろそろ本題に入っていいかな……」
「う、うん……」
すると、樋口先生と金倉さんは互いに向かい合う形で立って、俺達がそんな2人をちょっと離れたところで見守ることに。
「ついに来るわよ……」
いよいよ告白の瞬間が来るということで、恵の興奮は高まるばかり。俺は興奮こそしないけれど、金倉さんと告白の練習をした身として緊張してきた。
「あのね、早紀ちゃん。私、早紀ちゃんにどうしても伝えたいことがあって……まずは私から話していいかな?」
「うん、分かった」
樋口先生がそう答えると、金倉さんは先生の手をぎゅっと握る。
さあ、金倉さん。頑張って好きだという想いを伝えてください。
「わ、私……早紀ちゃんのことが――」
「邪魔するぜ」
金倉さんが樋口先生に想いを伝えようとした瞬間、背後から男の声がした。この声の正体はまさか――。
「へえ、今日はやけにたくさん女がいるじゃねえか。今日は金曜だ。ゆっくりと、そしてたっぷりと楽しませてくれよ」
振り返ると、研究室の入り口にたくさんの男子学生がいる。その先頭に立っている学生はやはり、遠藤さんなのであった。




