第13話『Chu』
午後8時。
夜モードのエリュが作ってくれた夕ご飯を食べ終わって、今はリビングでゆっくりしている。最初の頃に比べると本当に美味しくなった。
後片付けくらい俺がやらせてほしいと言ったんだけれど、エリュは片付けまでが料理だからやらせてと聞かなかった。なので、今、エリュは1人で後片付けをしている。赤い髪のエリュがエプロン姿で家事をしている……いいな、これも。
「な、何をじっと見てるのよ……」
「……今でも夜のエリュが後片付けをしている姿が新鮮でいいなぁ、って」
すると、エリュは頬の色が髪と同じくらいに濃い赤色になっていく。
「……ば、ばかぁ。あんまりじっと見ないでよね」
そんなことを言って、エリュは後片付けを再開。出会った頃は、俺が全てやっていたのに。ゴールデンウィークぐらいから段々変わってきた感じだ。
そうだ、エリュに口づけをしてしまったことを謝っておこう。今まで言おうと思っていたんだけど、なかなか謝る勇気が出なくて。エリュも口づけを気にしていたのか、今まで俺の顔をあまり見てくれていなかった。夕飯の時もテレビを観ながら駄弁っていただけで。
「なあ、エリュ」
「なに?」
「……夕方はその、ごめんな」
「何を突然謝ってるの? あたし、結弦に謝られるようなこと、されたっけ?」
俺の方に振り返ったエリュから特に怒った様子も見られず。思い当たる節がないのか笑顔も見せてくれるほど。
「いや、その……金倉さんと告白の練習をしたとき、金倉さんに乗せられてエリュに口づけしたじゃないか。その時、エリュ……とても顔を赤くしていたし、動揺していたから口づけされたのが嫌だったのかなって思って」
口づけは好きな人同士がするものだろうし。嫌いじゃない、と言われる程度の人間と口づけをしてしまって、エリュはショックを受けてしまったんじゃないだろうか。それがずっと気がかりだった。
すると、エリュはもじもじしながら俺のことを見て、
「……べ、別に相手があなただったから、い、嫌じゃなかったわよ……」
夜モードのエリュにしては、いつになく汐らしい声でそう言った。昼モードのエリュが話しているように思える。
「べ、別に結弦のことが好きだからとかそういうことじゃないわよ。そこは勘違いしないでよね。ただ、その……あたし達、一度、口づけしてるじゃない。遊園地の観覧車の中で血を補給するときに……」
「……そうだったな」
それは俺の誕生日だった。血を補給するということと、エリュが口づけはどんな感じなのかを試してみたくて、俺の唇を噛む形で血を補給したんだったな。
「だから、これが初めてじゃないし、ね。ただ、口づけって大切なことでもあるから、あの場面でされるのはちょっと嫌だったかな……」
「……ごめん」
「謝るほどじゃないわよ! それに、人間は結婚するとき、愛し合ってずっと一緒にいるときの誓いとしてするんでしょう? あたしと結弦は、ある意味でずっと一緒にいないといけない関係だし、口づけしてもいいんじゃないかとは思ってる」
俺のことをジロジロと見ながらエリュはそう言った。へえ、夜モードのエリュでもこういうロマンティックなことを考えるんだな。
食事の後片付けが終わったエリュはエプロンを外し、リビングに入ってきて俺の隣に座る。心なしかエリュから熱が伝わってきているような。
「ね、ねえ。結弦」
「……うん?」
エリュは俺のことをじっと見て、
「……あたしはその、結弦が……なくてはならない存在になっているけれど、結弦はあたしのことをどう思ってるの?」
至近距離でそんなことを訊かれると、さすがに俺もドキドキしてくる。さりげなく、エリュは俺のことをなくてはならない存在って言ってくれたけれど、それは人間界で生活するには俺の血が必要だからっていう意味だよな。それとも、この前、先生と金倉さんが喋っていたように、一緒に住んでいるから自然と俺のことが好きになっているのか?
それよりも、俺がエリュのことをどう思っているのか。それは――。
「……この前も話したけど、エリュがここに来てくれたおかげで今の生活があると思っているよ。俺もエリュはなくてはならない存在……かな。魔女の件が終わったらエリュは吸血界に帰っちゃうだろうから、その時はきっと寂しく思うんだろうな」
もはや、エリュがいない生活を考えることができなくなってきていた。ここに1人でいる未来を想像してみただけで、ちょっと寂しくなってしまう。
「エリュは、俺に通っている血なのかもしれないね。まあ、エリュから血を補給したことはないけれどさ」
「……何よ、格好付けちゃって。いいこと言ったつもりになってるの? でも、その……ありがとね。凄く嬉しい……」
エリュは顔を真っ赤にして視線をちらつかせている。そんな中でも、手をしっかりと重ねてきていて、そのときのエリュの笑顔がとても可愛らしくて。何だか、夜モードのエリュとは思えない感じ。
「……ねえ、結弦。1つ、我が儘を聞いてもらっていい?」
「うん、何かな」
「……後片付けを終えたらお腹が空いちゃって。血の補給が必要なの。唇から補給したいから、その……結弦から口づけしてくれない?」
「……わ、分かった」
「じゃあ、お願い」
すると、エリュは夕方と同じように目を瞑ってくる。これじゃまるで普通に口づけをするみたいじゃないか。
血の補給をするということなので、夕方よりもしっかりとエリュと口づけをする。
ただ、唇には柔らかな感触だけで、一向にチクッとした痛みが来ない。この前は唇に痛みが来たんだけど。
「んっ」
エリュのそんな声が漏れた後に、ようやく唇に痛みが。徐々に口の中で鉄の風味がしてきたので、血の補給をしているところか。エリュは俺の胸に手を添えているし、痛みと鉄の風味がなかったら普通の口づけだ。
そして、唇を離したとき、エリュの口元にちょっと血が付いていた。
「はぁ、美味しかった。料理もいいけれど、血に敵うものはないわ……」
満足そうな表情をして、唇に付いている血を舌で舐めているところが吸血鬼らしいというか。
「あっ、噛んだところを舐めてあげるね。このままだと傷になって、食事の時に辛いと思うから」
そう言うと、エリュは口づけをし、俺の唇を舐めてきた。唇を舐めるだけなら口づけはしなくていいと思うんだけど。まあ、何も言わないでおこう。
「いつも思うけど、結弦の血って凄く美味しいわよね。あたしがちゃんとレバーとかを頻繁に食べさせているからかな」
「……分かったからさ、血の補給薬をくれないかな。今日はいつもよりも多く血を吸ったんじゃない?」
ううっ、段々とクラクラとしてきたぞ。食事の後だからか、吐き気もしてきたし。
「ご、ごめんね! 今日の血はいつもよりも美味しいから、ついたくさん飲んじゃって。今、水持ってくるから!」
そして、俺はエリュに渡された血の補給薬と水を飲んで、気持ち悪さも段々となくなってきた。
「結弦、大丈夫……?」
「ああ、気分も大分良くなったよ」
「……そっか。良かった……」
エリュは安堵の笑みを浮かべている。昼モードの彼女なららしさを感じるけれど、今の彼女が優しい笑みを見せるなんて何だか新鮮だ。
「樋口先生も金倉さんも……きっと、こういう時間を過ごしたいのよね」
「……そうかもな」
ゆっくりと2人きりの時間を過ごしたい、ってことかな。あと、時々、口づけをしたりもして。明日の夜、樋口先生と金倉さんがそういう風に過ごせるように、俺達ができることをちゃんとしていかないと。
そんなことを考えていると、エリュはさっきと同じように俺に手を重ねてきた。
「ねえ、結弦。もうちょっとだけこのままでいい?」
「……ああ」
いつまでも、エリュとこうして2人で過ごすことはできない。だから、彼女がこうしていたいのなら、俺は時間の許す限りずっとこうしていたい。
そう、俺にとってエリュはなくてはならない存在なのだから。




