第5話『ルーシー・アメリア』
エリュが、樋口先生に憑依した魔女を壁に追い詰めている。
「素直に教えてくれれば何もしないけれど、教えてくれなければ痛い目に遭うわよ」
さすがは夜モードのエリュ。強い口調と大きな声で魔女を更に追い詰める。さあ、魔女の方はどう対応するか。
「壁ドン、こうして実際に見てみるとなかなかいいわね! しかも、互いに敵同士の種族がするなんて最高に萌える! エリュさん! 魔女の顎をクイ、って上げてみて!」
おいおい、こんな状況にも関わらず恵は興奮しちゃってるよ。まあ、女性同士で壁ドンしているから思わず興奮してしまう恵の気持ちも分かるけれど。
「さあ、さっさと教えなさいよ」
そう言って、恵の言うとおり、右手で魔女の顎をクイっ、と上げた。
「うおおっ! 壁クイきたあああっ!」
おそらく、今の恵は有頂天なんだろう。あと、今の状況を壁クイっていうのか。初めて知った。壁ドンは実際にやったことがあるから知っていたけれど。
「ああもう! 後ろのメガネの女性がうるさいですね! 分かりました。逃げませんしあたしのことも教えますから、さっさと離れてください!」
「……逃げようとしたらすぐに首筋を噛んで、強制的に吸血界に連行してやるから。覚悟しておきなさい」
そう言うと、エリュは魔女から離れる。
すると、樋口先生に憑依した魔女はさっき自分が座っていた椅子に座った。当たり前だけど、随分と不機嫌そうである。樋口先生の顔でこういう表情は一度も見たことがないから、何だか新鮮だな。
「まずはあなたの名前を言いなさい」
「……ルーシー・アメリアといいます。今回が人間界で初めての任務となりますが、これでも魔女界の中では期待の若手と言われているんですよ!」
ルーシー・アメリアというのか。相変わらず日本っぽくない名前の魔女だな。というか、彼女、魔女界で期待されているからってここまで胸を張れるとは。相当な自信を持って人間界にやってきたんだなぁ。
「初めての任務なんだ」
「ええ。そこにいるエリュ・H・メランの殺害と、人間界侵攻の足がかりを作るべくやってきたのであります!」
「今までの魔女とやっていることは変わらないのね……」
「そして、あなたのパートナーである椎原結弦を洗脳すれば、一気にこちらの戦力がアップすると思ったのですが惜しかったです」
初めての任務なんだ、とエリュが言っただけなのに、どんどん目的やその方法まで言ってくれるから、ルーシーというこの魔女自体を倒すことは難しくなさそうだ。
「椎原結弦君! さっきからあたしのことを舐めた感じで見てません?」
「いや、全く」
「……さっきはよくも結弦のことを洗脳しようとしてくれたわね。し、しかも……く、口づけっていう方法で!」
「何ですか? 顔を赤くして怒るなんて。口づけは効果的な洗脳方法なんですよ? もしかして、あなたは吸血鬼なのに人間の男性のことが好きなのですか?」
「はあっ? だ、誰がこんな男を好きになるのよ! まあ、色々と事情があって、結弦の側にいるだけよ。それに、彼はなかなか使えるし!」
しどろもどろになって言うエリュ。何だか、さっきよりも立場が逆転しているような。彼女にとって、人間界にいるためには俺の血を定期的に補給しないといけないからなぁ。そういう意味では唯一無二のパートナーなんだろう。
「ふふっ、エリュさんったら。意地張っちゃってかわいい」
「め、恵さんまで何言ってるの。それにあなたはあたし達サイドの人間! 変なことを言わないでくれる?」
「はいはい」
恵は単純にエリュの反応を楽しんでいるだけだと思う。
ルーシーのことも大分分かったし、魔女界に俺の存在もかなり知られてきていることも分かった。次からは気をつけないといけないな。
「ルーシー、俺からも質問させてくれ。どうして、樋口先生に憑依したんだろう。これまでの魔女は生徒に憑依していたんだけれど」
「……椎原結弦君を知っている人間の中で、彼女が特に大きな負の感情を持っていたからですよ」
「なるほど。負の感情を持った人間に憑依するのはこれまでと変わらないんだな」
「それが憑依の基本ですから」
胸を張ってそう言うなんて。とにかく、自分のしていることが一番正しいってことを主張したいんだろうな。
「樋口先生はどういう原因で負の感情を持っていたんだろうね。それは、さっき……俺に口づけしたことに関係しているかな。あの時、樋口先生の影響でルーシーまで興奮してきたと言っていた」
「ということは、もしかして……樋口先生も結弦君のことが好きってことなの?」
「どうだろうね。俺と一緒にいる恵や結衣が羨ましくて、俺のことが好きだとは言っていた。けれど、負の感情を抱く原因が直接、俺にあるのなら……告白して口づけをするという行為は、樋口先生の感情を満たすことに繋がる」
「つまり、それはルーシーが樋口先生の体から追い出されるってことになるわね」
「そう、エリュの言うとおり。俺のことが好きかもしれないけれど、負の感情を抱く理由が俺に関係ないところにあるはずだ。どうかな、ルーシー。樋口先生に憑依したってことは、彼女の気持ちを知っているよね。負の感情を増幅させるためにも」
自分から憑依した人間から追い出されるようなことはしないはず。俺に口づけをして洗脳しようとしたのは、何か別の理由があるからだ。人間界征服をするために、大きな力を得るためには、負の感情を現状よりも大きくさせるカギを知っているはず。
「ルーシー、答えるんだ。負の感情は魔女にとって大好物かもしれないけれど、憑依された樋口先生にとっては、今も苦しんでいるんだよ」
「今も……」
「それに、戦争っていうのは、自分の持っている正義のぶつかり合いだ。そして、誰かが必ず不幸になってしまう生き物の織りなす最悪の所行なんだよ。ルーシー、お前がどうしても人間界を侵攻しようとするなら、俺はどんな手を打ってもお前達の思い通りにはさせないぞ。さあ、樋口先生の負の感情を抱く原因を教えてくれないか」
多少、強い口調になってしまったけれど、全ては樋口先生の負の感情を抱く原因を聞き出すためだ。
ルーシーは複雑な表情を浮かべて、視線をちらつかせている。
「あたしは、魔女としての正義を全うしようと思ったのに、まさか……それが間違っているというのですか……」
「魔女としての正義が何なのか分からないから正しいかどうかも言えない。ただ、それを貫くために、人間界に侵攻しようとしたり、吸血界を征服しようとしたりすることは間違っているんじゃないかな」
魔女も人間や吸血鬼と同じ生き物だから、自分の持っている正義はあると思う。ただ、それを無理矢理に人に押しつけたり、相手の正義を潰すようなことしたりしてはいけないんだと思う。
「……魔女の正義が正しいかどうか、段々分からなくなってきました。でも、樋口早紀さんの苦しみはなくしたい。彼女はあたしの話をちゃんと聞いてくれた人ですから……」
樋口先生、ルーシーからどんな話を聞いたんだろう。ルーシーの憑依が解けたときに詳しく訊いてみることにしよう。
「そうか。それで、先生はどんなことで苦しんでいるんだ?」
「……男の人では椎原結弦君が好きだとは言っていました。ですが、樋口さんにはずっと前から好きな女性がいるんです」
「女性、か……」
なるほど、樋口先生は俺よりも本命の人がいて、その人は女性なのか。段々と、先生が負の感情を抱く原因が分かってきた気がしたのであった。




