第4話『2人きり』
5月13日、火曜日。
昨日はあまり進捗がなかったけれど、今日も引き続き、先生の動向の確認と先生のことの調査の同時並行。今日一日やってみて、昨日と状況があまり変わっていなかったら、先生の所に直接聞いてみることも検討していかないといけないな。
学校に行くとき、エリュに洗脳されている人がいるかどうか調査をしてもらったけれど、依然としてそういう人は1人もいない。学校に到着して、教室行くまでの間も洗脳されている人はゼロ。うん、まだ行動していないってことなのかな。
朝礼になっても、樋口先生の様子は昨日と変わらない。爽やかな笑みを浮かべながら連絡事項を言っている。若干、俺の方を見ることが多いけれど、これはもしかしたら、俺の隣にいるエリュのことを見ているのかも。
「それじゃ、今日も授業を頑張ってね」
何事もなく朝礼が終わってしまった。さあ、今日も――。
「結弦さん」
エリュに肩を叩かれたので顔を上げると、樋口先生が俺の方に向かって歩いてきていた。魔女に憑依されていることは分かっているので構えてしまう。
「椎原君」
笑顔の樋口先生は俺の名前を口にすると、そっと耳元で、
「放課後になったら自習室まで1人で来て。2人きりで話したいことがあるの」
そう囁くと、樋口先生は楽しそうな表情を浮かべて教室を出て行った。
樋口先生が見えなくなったことが確認できたのか、結衣と恵はすぐに俺の所にやってくる。
「結弦、先生に耳元で何を言われたの?」
「まさか、洗脳のための呪文とか?」
「いや、そうじゃないよ。ただ、放課後になったら1人で自習室に来て欲しいと言われたんだよ。2人きりで話したいことがあるって……」
「それ、もしかしたら、結弦さんを洗脳するためかもしれません。おそらく、これまでの私達のことで、洗脳するなら結弦さんがいいと思われているのかも」
やっぱり、エリュもそう考えるか。洗脳をするなら、2人きりの方が周りにばれることなくできるからな。それに、俺を魔女界の方に引きずり込めば、エリュから味方がいなくなるし。もしかしたら、俺の血を定期的に補給しないと人間界にいられなくなることも知っているかもしれない。
「ただ、エリュさんのことが分かっていて洗脳目的なら、耳元で囁いたとしてもこんなにも堂々と人前で結弦に伝えるかな」
「確かに……」
結衣の考えは鋭い。俺の洗脳目的であれば、エリュには知られないようにこっそりと伝えるはずだ。
「もしかして、洗脳とは別の目的があるのか……?」
「それは分かりませんが、魔女の方から動いてきたんです。まずは今日の放課後に自習室で結弦さんは先生と2人きりで会ってもらいましょう。もちろん、外には私や恵さんがいますから。結衣さんは引き続き、部活の方から先生の情報を集めてもらえませんか」
「分かったわ」
昨日から調査してもこれといった情報は何も得られなかった。これからのことを考えるにも、魔女の方から動きを見せたのはまたとないチャンスだ。状況によっては、樋口先生の負の感情の原因を探るようにしよう。
「じゃあ、放課後は俺が自習室で樋口先生と話すよ。でも、エリュ。一応、今日の授業中も洗脳される人が出てくるかもしれないから、その調査はしておいてくれるかな」
「はい」
万が一、洗脳されている人がいたら、自習室に入った途端に拘束される可能性も生じてくるからな。
ただ、この後……授業の間、エリュに洗脳されている人が新たに出てくるかどうか調べてもらったけれど、誰一人として出てくることはなかった。
放課後。
終礼の時の樋口先生も普段と変わりは無かったけれど、俺のことをちらっと見るときは笑顔を見せていたようにも思えた。
これから魔女に憑依されている樋口先生と2人きり、ということで何があっても対応できるように、エリュには力を溜めてもらって夜モードのエリュになってもらっている。
「エリュ、ちょっと遠いところから俺達を追いかけてくれ」
「分かったわ」
樋口先生が教室を出たので、俺は彼女を追いかけるようにして教室の外を出る。
「先生、ここから直接、自習室に行きましょうよ」
「うん、いいよ。鍵はもう借りているから」
そう言って、先生は俺に自習室の鍵を見せる。俺がこうしてすぐに追いかけてきてくれると思っていたのかな。というか、自習室っていつでも入れるように鍵はいつも解錠してあると思うんだけど。
「椎原君、クラスでの嫌がらせは大分なくなってきたかな」
「ええ。まあ、一部の生徒からは未だに嫌味は言われますけど、今は藍川さんや灰塚さん、松崎君などがいるんで大丈夫です」
「そっか、良かった」
先生、嬉しそうだ。以前、俺が受けていたいじめを気づけなかったことに、とても悔しそうにしていたからなぁ。
そして、自習室……らしきところに辿り着いて、先生は鍵を挿している。
「先生、ここって自習室なんですか? 自習室っていつも空いているような……」
「自習室は自習室だけど、ここは……個別自習室だから」
そう言って、樋口先生は扉の横にあるプレートに指さす。そこには本当に個別自習室と描いてあった。そういうところがあるんだな。
「先生が個別に勉強を教えたり、面談をしたりするところかな」
「へえ……」
ちらっと横目を向くと、遠くの方にエリュと恵の姿が見える。これで、何かあったときには彼女達が助けに来てくれるだろう。
俺は樋口先生と一緒に個別自習室の中に入る。中には小さなテーブルと、それを挟む形で椅子が2つ置かれている。
「席に座って」
俺は先生に言われたように、扉側の席に座る。そして、その直後に樋口先生が椅子を持って俺と隣り合うように座る。
「どうして、席を動かして俺の隣に座るんですか」
「いいじゃない。だって、椎原君のことを考えるとドキドキするんだもん……」
「……えっ?」
何だ、いつもよりも甘い声になっているような気がする。
先生のことを見ると、赤くなっている彼女の顔が俺のすぐ側にあった。
「昨日の朝礼の時にも、椎原君に見られてドキドキするって言ったこと……覚えてる?」
「ええ、覚えてますけど」
「……あれって、椎原君に睨まれて恐いからじゃなくて、椎原君に見られていること自体にドキドキしてたんだ……」
「そうなんですか」
あの時は先生がエリュに憑依されていることが分かったときだから、凄く睨んでしまったんだけど、恐かったからドキドキしていたんじゃなかったんだな。
「私、教師失格だな。だって、私……椎原君のことが好きなんだもん」
樋口先生は俺のことをぎゅっと抱きしめてくる。その瞬間、彼女の甘い匂いを感じた。まさか、樋口先生が俺のことを好きだったとは。
「結弦君と一緒にいる藍川さんや灰塚さん達が羨ましかった。日曜日にあのイベントに行ったのは、本を買うのはもちろんだけど、もしかしたら椎原君に会えるかもしれないと思って行ったんだよ」
「そうだったんですか……」
以前に参加した『しろつゆ』という百合漫画のオンリーイベントで、先生とは会っていたからな。だから、一昨日の百合限定イベントにも参加すると思ったわけか。
「灰塚さんの隣で漫画を売っている椎原君の姿を見て、早く告白しないと灰塚さんや……一緒に住んでいるホームステイの女の子に椎原君を取られちゃうと思って」
ホームステイの女の子……ああ、エリュが先生と初対面したとき、咄嗟に俺の家にホームステイしているって言ったんだっけ。すっかり忘れていた。
「だから、今日の放課後、ここで俺に告白しようと思ったわけですか」
「うん。教師なのに、生徒に恋心を持つなんて、教師失格だよね……」
「でも、好きになってしまうのは仕方ないような気はしますけど……」
俺がそう言うと、それがOKという返事に取られてしまったのか、泣きそうだった表情から一変して、とても嬉しそうな笑みに。
「じゃあ、私と付き合ってくれるんだ!」
樋口先生は顔をゆっくりと俺の方に近づけ、
「それなら、あたしの仲間にもなってくれますよね? 椎原結弦君」
樋口先生とは違う声でそう言われ、先生は俺に口づけをしてくる。まさか、口づけをすることで俺を洗脳しようと……!
――ドンッ!
エリュや恵に状況を知らせるため、咄嗟にテーブルの脚を思い切り蹴る。
『どうしたの、結弦!』
廊下からエリュの声と激しく扉を叩く音が聞こえるけど、まさか先生が内側から鍵を掛けたから開けられないのか? ここに入るときに扉を全然気にしなかったのがまずかったか。
「やっぱりエリュ・H・メランが後を付けていたんですね。そんなこと最初から分かっていますよ。だから、あなたと話す場所を鍵が掛けることのできるここにしたんですから。さあ、洗脳が完了するまでの間、口づけを楽しみましょう。樋口早紀の影響で、あたしまで興奮してきましたから……」
「くそっ……」
駄目だ、先生に口づけをされると段々と力がなくなってきて、意識も遠く――。
「恵、先生を引き離しなさい」
「分かったわ!」
すると、恵によって樋口先生が俺から離されていくのが見える。
「うっ!」
首筋からチクッとした痛みが走る。そうか、魔女の洗脳にかからないよう、エリュが俺の体に唾液を流し込んでくれているんだな。疲れは残っているものの、意識は段々とはっきりとしてきた。
「……吸血鬼にはあんな扉なんか関係無しに移動できる手段はあるのよ。覚えておきなさい。あなたがどんな魔女なのかは知らないけれど」
「もう少しで椎原結弦をあたしの仲間にできると思ったのに……!」
そう言うと、樋口先生に憑依した魔女は恵のことを振り払い、恵が尻餅をついてしまう。
すると、エリュはすかさずに魔女のことを壁まで追い詰める。
「大人しくしていれば攻撃しないわ。さあ、あなたの名前と樋口先生の抱く負の感情の原因を教えなさい」




