第10話『プレゼント-後編-』
エリュの持つボールペンがアンケート用紙に近づく。エリュはそこにどんな想いを書こうとしているのか。
しかし、ペン先が紙に触れたところでエリュの手が止まった。
「……あたしも遊園地で遊んだけれど、昼のことなら、昼のあたしの方がいいわね」
そう言うと、エリュの髪の色が赤色から黒色に変わる。昼モードのエリュになったのかな。
そういえば、夜モードのエリュから昼モードのエリュになるのはあまり見たことがない。吸血鬼の力に左右され、普段は日光に吸血鬼の力を封じられてしまうから昼モードのような穏やかな態度になると本人が言っていた。ということは、吸血鬼としての力を自発的に抑えて昼モードになったということか。
「あら、お昼のエリュ様になりましたね」
「……主に今の私が、結弦さんと一緒にお出かけしましたからね」
「そうですか。それでは、ここに書かれている質問に答えてください。日焼け止めの塗り心地はいかかでしたか? 塗ったことでお肌に問題はありましたか?」
「いいえ。塗っても違和感はありませんでしたし、塗りやすかったです、よ……」
そう言うと、エリュはぽっ、と顔を赤くした。
「どうかしたの? エリュさん」
「い、いえいえっ! なんでもありませんよ、結衣さん」
あははっ、とエリュは何かをごまかすように笑いながら、アンケート用紙に回答を書き込んでいく。もしかして、今朝、俺がエリュの背中に日焼け止めを塗ったことを思い出しているのかな。
「続いて、直射日光を浴びる環境の中にいて、気分が悪くなるなど体調に異変にありましたでしょうか?」
「いえ、特にありませんでした。体調も全く悪くならずに、むしろ日差しを全く気にせずに結弦さんと遊園地で遊ぶことができましたから」
エリュは嬉しそうな笑顔を浮かべて、アンケート用紙に答えを書いている。本当に今日が楽しかったことが伺える。
「いいなぁ、エリュさん。ていうか、普通にそれはデートだと思うんだけれど」
「デ、デートっ!?」
結衣の言葉に対してエリュは甲高い声を上げた。そして、あうあうっ、と悶え始めてしまった。
「男女二人でお出かけだもん。それに、結弦とエリュさんはその……一緒に住んでいるだけあって、親しい関係だと思うし。デートっていう方が自然じゃない? 私にとってはちょっと複雑な心境だけれど……」
そう言いつつも、結衣は笑みを見せてくれている。
もしかしたら、結衣の放ったデートという言葉で、エリュは観覧車の中でのひとときが頭の中で駆け巡っているのかもしれない。口づけまでしたし。
「結弦さんとデート、あううっ……」
「これはもしかしたら、魔女と戦う上としてのパートナーだけではなく、本当に男女としてのパートナーになるかもしれませんね」
「ひゃううっ」
余計なことを言わないでくれませんかね、アンドレアさん。エリュの喘ぎ具合が激しさを増していっていますよ。
「しかし、本日のエリュ様と椎原様のお出かけはデートそのものでした」
「……ん?」
「四六時中手は繋いでおり、お化け屋敷を中心に腕を絡ませ、そして、どのようないきさつなのかは知りませんが、夕暮れの観覧車の中でお二人は口づけをされていた」
「ちょっと待ってください。……何で知っているんですか」
すかさずに突っ込む。どうして、アンドレアさんが今日の俺とエリュの行動を事細かに知っているのか。
「お二人のことを見張っていたからですよ。ちなみに、出発前ではリビングで椎原様がエリュ様のお背中に日焼け止めを塗っていたのも知っています」
「そうですか……」
まさかとは思っていたけれど、やっぱりそうだったか。アンドレアさんはテスターのエリュの様子を気付かれないところで監視していたんだ。
「しかし、なんでエリュのことを見張るようなことを……」
「お客様に何かあったときのためです。あとは私自身も日焼け止めのテスターをしていたのです。なので、色々と意味があって監視をしていたのですよ。あとは、今日のお二人がどうなるのか気になったのもありますが……」
聞こえていないつもりで小さな声で言っているけれど、全部聞こえていますからね。まあ、最後の部分を除けば納得できる理由である。
「ねえ、結弦」
後ろから、結衣に肩をがっしりと掴まれる。その瞬間、背中に悪寒が走る。
恐る恐る後ろを振り返ってみると、そこには笑顔の結衣がいた。
「エリュさんとのデートはいいよ。エリュさんが本当に楽しんでいたのが分かったし」
ここまでは笑顔だったんだけれど、急に目つきが鋭くなって、
「でも、口づけと日焼け止めを塗ったってどういうこと?」
ガッ、と両肩を痛いくらいに掴まれる。それに加えて、今の声のトーンが普段よりも低いから結衣の恐さに拍車がかかっている。お化け屋敷でのバイト幽霊さんより恐い。
「まさか、エリュさんと二人きりだったからって、厭らしい気持ちがあって自分からしたわけじゃないわよね……!」
か、肩が痛い! このままだと骨が砕けそうだ!
「結衣は誤解している! 口づけはエリュが俺の唇から血を吸うためだし、背中に日焼け止めを塗ったのも、手が届かないから俺に塗って欲しいとエリュに頼まれたんだ!」
「本当なの? エリュさん……」
俺の言っていることの真偽を確かめるために、結衣はエリュに話を向ける。
エリュは顔こそまだ赤いものの、さっきまで凄かった喘ぎはほとんどなくなっていた。これなら、何とか大丈夫そうだな。
「……はい。結弦さんの言っていることは本当です。日焼け止めを塗ってもらったことも、観覧車で口づけしたことも私の我が儘です。でも、そんな私の我が儘を、結弦さんは優しく受け入れてくれました」
エリュは笑顔で俺のことをフォローしてくれる。
「……そう、なんだ。だったらいいの、だったら。ごめん、結弦。疑ったりして」
「いや、いいんだよ。結衣がそう考える気持ちもよく分かるから」
誤解が解けて、ようやく両肩が解放された。
でも、よく考えると、今日はエリュと……まるで恋人同士のようなことをしていたのかもな。常に手を繋いで、時にはそれ以上に身を寄せ合って、口づけまでした。これを端から見てデート以外に何を思うだろうか。
「す、すみませんっ、アンケートの途中で……」
「気になさらないでください」
そうだ、今はエリュのアンケートの途中だったんだ。
「それでは最後の質問です。この日焼け止めを使ってみての感想や、特に気になる点があればお聞かせください」
「……そう、ですね……」
エリュは少しの間考えると、やがて穏やかな笑顔を見せる。
「日焼け止めのおかげで、日差しのことを全く気にせずに一日を過ごすことができました。日焼け止めがなければ、あんなに楽しめなかったと思います。結衣さんのような人間の女の子が羨ましいなって思いました」
「エリュ、さん……」
「私はこの日焼け止めに今日をプレゼントされたような気がします。本当にありがとうございました。正式に発売されるのを楽しみにしています」
エリュにとって、吸血鬼の天敵ともいえる日差しを気にしなくてよくなったのはとても大きかったようだ。エリュは本当に楽しそうだった。何も恐れるものがなくて。本当に楽しいものを満喫する人間の女の子のそのものだった。
「……そうですか。そう言って頂けると、とても嬉しいです。絶対にこの商品の発売が実現できるようにしたいと思います」
「お願いします」
どうやら、今日のテストは大成功だったようだ。これならきっと、近いうちに日焼け止めが発売されるだろう。
「これにてアンケートは終了いたします。ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございます」
「日焼け止めですが、気に入って頂けたのであればプレゼントいたします。あとはささやかなものなのですが……」
すると、アンドレアさんは持っていたバッグから、白い包装紙で包まれた箱を取り出し、テーブルの上に置いた。
「吸血界で人気のチョコです。人間界のチョコと同じようなものですから、椎原様や藍川様がお食べになってももちろん大丈夫です」
「ありがとうございます、アンドレアさん」
スイーツ好きのエリュにとっては、チョコのプレゼントは嬉しいはず。その証拠にお礼を言う彼女の声が躍っていた。
「今回はありがとうございました。それでは、失礼いたします」
そして、アンドレアさんは俺達にお辞儀をすると、白い光に包まれ、その光が消えると彼女の姿もなくなっていた。吸血界にある会社に戻って、今回のテスト結果の報告しに行っているのだろう。
ようやく、今日一日が終わって気分になる。その瞬間、空腹感が襲ってきた。
「さてと、俺は夕飯を作る準備をしようかな」
まずは冷蔵庫を確認して何が作れるか考えないと。
「結弦さん、これから夕飯であることは分かっているのですが、アンドレアさんから頂いたチョコを食べてもいいですか? どんなチョコなのか気になっていて……」
「私も気になるわね。一粒だけで我慢するから」
むしろ、俺もチョコを食べたいくらいなんだけれど。凄くお腹が空いているし。
「じゃあ、一粒だけだぞ」
スイーツが目の前にあるのに駄目だとは言えない。俺が言われたらかなり悲しい。
「ありがとうございます! 結弦さん!」
「じゃあ、開けてみるわね……」
今の二人の姿を見ていても、甘いものを目にしてテンションが上がっている、可愛らしい人間の女の子達にしか見えないな。
俺は夕食後に食べようかな。そこまでにチョコの誘惑に負けるかもしれないけれど、お楽しみをとっておくことにしよう。




