第8話『待ち人』
観覧車を降りると俺とエリュは遊園地を後にした。
エリュと手を繋ぎながら手を繋いで歩いているものの、観覧車の中で彼女と口づけをしたからか、観覧車を降りてから彼女とほとんど話せていない。
エリュのことを見て様子をうかがっているが、たまに目が合うと瞬時に頬を赤くして意図的に俺から視線を逸らされてしまう。
そんな何とも言えない空気を変えることなく、俺とエリュは電車に乗った。
二人で座れる場所が幾つもあるくらいに空いており、俺達は行きと同じように隣同士に座る。
「……結弦さん」
エリュは俺に声をかけると、ゆっくりと腕を絡ませてきた。
「……今日はとても素敵な一日になりました。日差しのことを気にせずに結弦さんと一緒に遊園地で遊ぶことができましたし」
彼女の放ったそんな言葉だけではなく、表情や声色からも、今日がとても楽しかったということが伝わってくる。エリュにとって楽しい一日になってよかった。
「俺もだ、エリュ。エリュのおかげで忘れられない十六歳の誕生日になったよ。今日は俺を遊園地に連れてきてくれてありがとう」
「……私はただ、結弦さんと一緒に来たかっただけですから。でも、そう言ってくださるととても嬉しいです」
やっと、エリュらしいいつもの優しい笑顔を見ることができた。やっぱり、エリュには笑顔が一番似合う。
「……結弦さん。何か欲しいものはありますか? やっぱり、お誕生日が今日であると知ってしまったら、結弦さんに何かをプレゼントしたい気持ちが出てきて」
「そっか。嬉しいな。俺は今日、エリュと一緒に出かけたことで胸がいっぱいになったからなぁ。欲しいものか……」
改めて訊かれるとなかなか思いつかないもんだな。エリュのおかげで誕生日を迎えられたことがとても嬉しいから、正直、今日をエリュと一緒に楽しく過ごせたことが一番のプレゼントなんだよな。だから、欲しいものはなかった。けれど、
「……じゃあ、明日もどこか一緒に出かけようか」
「えっ?」
予想外のことを言われてしまったからなのか、エリュは目を丸くした。
「言っただろ。俺はエリュがいたからこそ、誕生日を迎えることができたんだ。そんな俺にとって、一番の願いはエリュと一緒に楽しい時間を過ごすことだ。だから、明日も一緒にどこかに行こう。ただ、明日の行く場所は俺の我が儘を通してもらってもいいかな」
エリュからプレゼントして欲しいもの。
挙げるとするなら、エリュとの楽しい時間と思い出。お金では決して買うことのできない、とても大切なものを明日はエリュからプレゼントをしてもらおうかな。
「……もちろんですよ、結弦さん。明日も今日みたいに楽しい時間を一緒に過ごしましょう」
「うん、そうしよう」
「もう、どこか行きたい場所とか考えているんですか?」
「場所っていうよりも、スイーツ巡りかな。豊栖に引っ越してきてまだ一ヶ月ちょっとしか経ってないから、行きたくても行けていない店が多いんだよね……」
当初の予定では学校帰りでも店に寄るか、買って家で食べる日々を計画していたんだけれど、不登校になったり魔女の件があったりしてそんなことを楽しむ余裕がなかった。
「エリュがスイーツ好きだって知って、エリュと一緒に行きたい店とか結構あるんだ。それでもいいかな?」
「もちろんです! じゃあ、明日は結弦さんについていきますね」
「ああ。俺についてこい」
明日はどんな一日なるんだろう。エリュの笑顔を見ていると楽しみで仕方なかった。こういう日が訪れたのもエリュのおかげなんだよな。
エリュと一緒に明日はどこへ行こう。エリュと一緒に何を食べよう。
エリュの隣に座りながら、俺はずっとそんなことを考えた。
豊栖駅に到着した頃には日が沈んでおり、駅を出るとエリュは夜モードになった。しかし、俺の手を繋いで歩くことは昼モードの彼女のときと変わらない。
「今日は忘れられない一日になったわ。結弦の誕生日だしね」
「……ああ、そうだな。でも、夜のエリュとはお化け屋敷しか遊ばなかっただろ」
「まあ、そうだけれど。けれど、まあ……あれはあれで思い出深いお化け屋敷だったわ」
「お前、ずっと俺にしがみついてたもんな」
「だって、暗いのが苦手なんだもん。それにお化けだって……」
そういえば、お化け屋敷でエリュが夜モードになったとき、彼女は何か慌てた様子だった。考えてみれば暗いのが苦手な夜のエリュにとって、お化け屋敷なんて一番行きたくないアトラクションだろう。
「じゃあ、エリュは精一杯に頑張ったんだな」
「……結弦と一緒だったからよ。一人だったら絶対に外に出てる。だからさ、その……あのときは、あたしのことを守ってくれて……ありがと」
目を逸らして、頬を真っ赤に染めながら、エリュは俺にそう言った。本当に夜のエリュは照れ屋さんだな。というか、守ってくれて、と言うってことはお化けが相当怖かったんだな。彼女にとってあそこが試練の場だったことが伺える。
「……俺もエリュが一緒じゃなかったら、どうなっていたか分からなかったよ。だから、俺の方こそありがとう」
あのバイト幽霊さんはかなり恐かったけれど、それ以降はエリュに気を回していたことで、出てくるお化けが全然恐くなかったからな。
「……ねえ、結弦」
「うん?」
「……何だか寒くなってきちゃったから、もっと結弦の側に寄ってもいい?」
「ああ、いいよ」
この時期は、昼は暖かいけれど、陽が沈めば結構涼しい。袖のほとんどないワンピースを着ているエリュが寒く感じても仕方ないだろう。
エリュは俺と腕を絡ませる。
「……あったかい」
俺も……あったかいな。着ているジャケット越しにエリュの温もりが伝わってくる。
気付けば、俺とエリュの住んでいるマンションが見えていた。さてと、夜ご飯は何を作ろうかな。何の食材が残っていたっけ。
「……まったく、いちゃついて帰ってきちゃって」
「えっ?」
まさかとは思うけれど。
目を凝らしてマンションの入り口の方を見てみると、そこには私服姿の結衣が立っていた。パンツルックがよく似合っている。
「どうして結衣がここにいるんだ?」
「だって、今日は結弦の誕生日じゃない」
俺、誰かに誕生日を教えた記憶がないんだけどな。スマホのプロフィールに誕生日を登録してあるから、考えられるとすればそれを交換したときに知ったのかな。
「じゃあ、もしかして?」
「うん。誕生日プレゼントを渡すために来てみたんだけど、二人が家にいなかったから、帰ってくるまでずっとここで待ってたの」
「そっか。すまなかったな」
「ちなみに、どのくらい待っていたの? 結衣さん」
「……ええと、五時間弱、かな」
爽やかな笑顔をしてさらりと言うけれど、五時間も待ってくださったのか。結衣って待つのとか苦手そうなイメージだけれど、意外と平気なのか?
「へ、へえ……五時間も」
あまりの時間の長さに驚いたのか、エリュは苦笑いをした。
「……まあ、私も待つのはあまり得意じゃないんだけれどね。好きな人に誕生日プレゼントを渡すんだもん。いくらでも待てるって」
好きな人に、か。それをすんなりと言えるってことは、俺のことが好きな気持ちが相当であることが分かる。まあ、五時間近くも俺を待てるくらいだし。
「ここじゃ何だから、家に上がっていってくれよ。結衣さえ良ければ、三人分の夕飯を作るつもりだけれど」
誕生日プレゼントをくれる上に、結衣の貴重な休日の時間を、俺を待つことに費やしてくれたんだ。しかも、五時間。それなのに、ここでプレゼントを貰って彼女を帰らせてしまっては失礼だろう。
「いいの? じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
結衣は二つ返事で了承した。
結衣からの誕生日プレゼントが何なのか気になるけれど、それは家に帰ってからのお楽しみにしておこう。
エリュは結衣が家に上がることにあまり嬉しそうではなかったけれど、
「……まあ、結衣さんと一緒に、っていうのもいいのかもね」
そう呟いて、小さく笑うのであった。




