第7話『誕生日』
今日、五月五日は俺の誕生日だ。今日で十六歳になる。
そのことをエリュに告げると、とても驚いている様子だった。
「そ、そうだったんですか。今日が結弦さんのお誕生日……」
あまりにも驚いてしまったのか、それ以降、彼女からは何も言葉が出てこない。今日が俺の誕生日であること以外にも驚く理由があったのかな。それとも、何か別のことを言われると思っていたから肩透かしを食らったとか。
エリュはちょっとの間、口を開かなかったが、
「どうして、もっと早く言ってくれなかったんですか!」
そう言って、申し訳なさそうな表情をした。
「いや、事前に今日が誕生日だって伝えると、エリュが変に気を遣っちゃうかもしれないと思ってさ」
「……そうでしたか。せっかくのお誕生日なのですから、結弦さんにプレゼントをご用意したかったのに……」
エリュはやっぱり、優しい女の子だな。今日になった時点で、何時言ってもこのような反応をしてしまっただろう。
けれど、このタイミングで誕生日のことを話そうと思ったことには、ちゃんとした理由があるんだ。
「エリュにはたくさんプレゼントを貰ってるよ。今日一日、この遊園地で過ごした時間はとても楽しかった」
「結弦さん……」
「実は、昨日……雨が降ったとき、正直、喜んじゃったんだよな。これで誕生日にエリュと遊園地に行くことができるってさ。さすがに、落ち込んでいるエリュの前でそんなことを言うつもりは端からなかったけれど」
今日という楽しい時間をエリュからプレゼントしてもらっている。それに、
「エリュがいなかったら、俺は今頃、死んでいたかもしれない」
俺はエリュからとても大切なプレゼントを与えてもらったんだ。それは今、ちゃんと生きているということだ。
「エリュが俺の前に現れて、一緒に立ち向かおうって言ってくれなかったら、俺は今日みたいな楽しい時間を過ごせなかったと思う。生きていなかったと思う。エリュのおかげで、俺は十六歳の誕生日を迎えることができたんだ。本当にありがとう」
俺は優しくエリュの頭を撫でた。
エリュがいなかったら俺は今頃、どうなっていたんだろう。想像するだけでも怖い。死んでいるか、生きていても今日が誕生日であると分かっていなかったと思う。
エリュのおかげで生きているということの尊さを教えてもらった。それは他の誰からも与えてもらうことのできない大切なことだ。それを二度となくさないようにしないと。
「……何だか、私がプレゼントを貰った気分になっちゃいました」
エリュは笑顔を見せながらも、涙を流す。
「結弦さんがいなかったら、私は今日みたいな楽しい時間は過ごせなかったです。結弦さん、本当にありがとうございます。そして、十六歳のお誕生日おめでとうございます」
そして、俺だけに見せてくれる夕陽に照らされたエリュの満面の笑みは、出会ってから一番可愛らしく思えた。
「もう、エリュそのものが俺へのプレゼントみたいだな」
いつも側にいてくれて、笑顔を見せてくれて。俺の心の支えになっている彼女の存在自体が俺にとっての最高のプレゼントのように思える。そんな彼女に対してありがとう、という言葉だけでは伝えきれないほどの感謝がある。
そして、当の本人は、
「……ふえっ。ということは私は結弦さんのもの? ふええっ……!」
顔を真っ赤に染めてあたふたし始めていた。
「落ち着けって。観覧車が揺れる」
「……す、すみません。私がプレゼントだと言ってくださったことがとても嬉しくて」
「大げさだったかな」
「そんなことありませんっ! 私自身が結弦さんへのプレゼントでも私は構いませんし」
すると、エリュは俺の隣に座ってきた。まさか、本当に自分自身を俺へのプレゼントにするために、俺の側に来たのかな。そうだとしたら本当に可愛らしいことをすると思う。
「むしろ、俺が何かエリュにプレゼントしたいくらいだよ。もし、何か欲しいものとかがあったら遠慮無く言ってほしい」
形あるものでもないものでも、エリュに何かしらの形でお礼がしたい。エリュに何かほしいものがあるといいんだけれど。
「……そうですね。では……」
すると、エリュは突然、俺のことを跨いで、俺と至近距離で見つめ合う体勢になる。エリュの柔かな感触が直に伝わってきて、温かい吐息が優しく口元にかかる。
「結弦さんの血をちょっと、私にください」
そして、じっと俺のことを見つめていたエリュは、ゆっくりと目を瞑って俺と口づけをした。
その直後、僅かに唇に伝わってくるチクリとした痛み。しかし、それは彼女の唇の柔らかさに包み込まれてゆく。
以前、首筋を噛んで血の補給をしたときには、俺と体が密着させないようにするためか不安定な体勢になっていたけれど、今日は違った。まるで、普通に口づけをするようにエリュは俺に体を密着してきている。
それでも、俺は万が一のことを考えて、この前と同じようにエリュのことを抱きしめた。
だが、ここで驚くことにエリュが俺のことを抱き返してきたのだ。
唇の痛みはあまりないし、エリュは本当に血の補給をしたかったのかな、と勘ぐってしまう。口の中には仄かに鉄の匂いがするけれど。実は俺と口づけをしたかったのでは、と。そんな考えが頭の中で駆け巡った。
唇を離したときのエリュは何故か目に涙を浮かべていた。そして、この前と同じようにうっとりとした表情で俺のことを見つめていた。
「今日の血はいつもよりも甘くて、特別に美味しかったです」
エリュは自分の口の周りに付いた血をペロリと舐め取った。口づけをした直後だからか、その仕草がとても艶めかしく見えてしまう。
一時間ほど前に甘いクレープを食べたんだけど、唇に甘さが残っているのを知っていて敢えて唇から血を吸ったってことなのか。
「……傷を塞がないといけませんね」
そして、俺はエリュに唇を舐められる。薬であるエリュの唾液を噛んだ場所に付けるためなんだけれど、元々、あまり痛みがなかったので、今まで味わったことのない独特の感触だけが感じている。
「これで大丈夫ですね」
「……俺はてっきり、エリュが俺と口づけをしたかったのかと思ってたよ」
一番訊きたいことを、ちょっと冗談っぽく訊いてみる。
「……それも、ちょっとだけありまして……」
「えっ?」
今の驚きは、唇から血を吸われている際にエリュが俺を抱きしめてきたとき以上のものだった。エリュは唇から血を吸うために口づけをしたんじゃ、ないのか……?
「だって、私は結弦さんと口づけをしたことはありましたけれど、結弦さんの言葉を借りれば、それは夜のモードの私、ですもん。ですから、私も、口づけがどういうものなのか気になっていまして……その、さっきのようなことをしてしまいました」
「そ、そうだったんだ……」
どう返事をすればいいのか分からない。
そして、エリュはちょっとした好奇心から口づけしてしまったことがとても恥ずかしいのか、両手で真っ赤な顔を覆い隠した。
「あううっ。ごめんなさい、結弦さん……」
「き、気にしないでいいよ。好奇心から行動することは大切だと思うし、俺はエリュに口づけされて嫌な気分じゃなかったから。それに、甘くて美味しい血は唇からしか吸えなかったんだろ? それなら、エリュは必要なことをしただけだ。な?」
声だけを聞いても、エリュが今にも泣き出しそうであることが分かった。そんな彼女へのフォローはこれで正解なのだろうか。本心で言っているけれど。
何というか、エリュの女の子らしい感情を一つ、刺激的な形で知ってしまったな。夜モードのエリュならまだしも、昼モードのエリュがまさかこんなことをするなんて。口づけをしてから驚かされてばかりだ。
「……あの、結弦さん」
「うん?」
「……本当に嫌じゃなかったですか? 私とその、口づけをして……」
そう言って再び顔を見せたエリュの目はうるうるとしていた。今の口づけで嫌がれたらどうしようという気持ちがひしひしと伝わってくる。
「……全然嫌じゃなかった。驚いたけれど、エリュらしい優しいものが伝わってきたよ」
素直な気持ちを伝えると、エリュはほっと胸を撫で下ろす。
「……良かったです。さっきのが、今の私のファーストキス、ですから。結弦さんとはこの先もずっと私の側にいて欲しいので、実はその意味も込めて……結弦さんと口づけをしたんです」
エリュはロマンチストだな。誓いの口づけ、か。
「……そうか。エリュがこの人間界にいる限り、俺はエリュの側にいると誓うよ」
俺はエリュから、とても大切なものを誕生日プレゼントでもらったわけだ。それがさっきの口づけに集約されていた。
「……はい。約束ですよ。ずっと側にいてください」
そして、エリュは俺のことを優しく抱きしめた。本当に可愛い女の子だな。
エリュの嬉しそうな表情を見ると、俺も嬉しい気持ちが湧いてくる。
しかし、エリュは吸血鬼だ。エリュの故郷は吸血界であり、今だって魔女が人間界を征服することを防ぐためにここにいるんだ。
エリュと一緒にいられる時間には限りがある。分かっていたはずなのに、改めてそれぞ自覚すると何だか切なかった。楽しそうで、嬉しそうなエリュの顔を見ると、より一層、その気持ちは膨らんでいく。
けれど、限られているからこそ、エリュとの時間を大切にしたい。エリュという吸血鬼の女の子をより近くで感じたい。そして、彼女のことを守りたい。人間界での彼女のパートナーとして。
気付けば、俺もエリュのことを抱きしめていた。そんな俺の行動を受け入れるように、俺のことをより強く抱きしめる。
なあ。エリュは今、俺のことを抱きしめながら何を想っている?
少しでも気持ちが重なっていたら、俺はとても嬉しい。




