第23話『エリーゼ・ヴィオレット』
エリーゼ・ヴィオレット。
それが風戸に憑依している魔女の名前、か。
アンネがその名前を発した瞬間、風戸……いや、エリーゼ・ヴィオレットは妖艶な笑みを浮かべる。自分の正体を明かされたから、もう隠すつもりはないようだ。
「……アンネ、情けないわね。あと、男の声でその口調は気持ち悪い。女の子に憑依した方が普段の口調でも違和感なく話せるでしょう? 本当に昔からあなたは……」
「あううっ……」
エリーゼの尖った言葉にアンネは更にへこんでしまう。確かに松崎の声で女口調は違和感ありまくりだけど、気持ち悪いとは思わなかったな。
今の会話だけで、アンネとエリーゼが以前からの知り合いであり、人間界征服のために一緒にやってきたことが分かる。
エリュは俺をエリーゼから守るように、俺の前に立つ。
「エリーゼ・ヴィオレット。あなたも……リーベと同じように吸血界への復讐のための足がかりとして、人間界の征服を企んでいるの?」
そんなエリュの問いに、エリーゼは俺達を蔑むかのごとく笑った。
「……それは魔女としての名目よ」
「それはリーベと一緒ね。あなたも個人的な恨みがあるのかしら。あの戦争で私に大切な人を殺された、とか」
エリュは弱々しい口調で話す。
リーベは吸血界との戦争において大切な人をエリュに殺された、という個人的な理由で人間界にやってきた。戦争という行為は、お互いの多くの大切なものを奪うことだ。だから、エリーゼだってリーベと同じような理由を抱えたっておかしくない。それに、アンネと同じように人間界の征服は魔女としての名目だと言っているし。
「……私はあの戦争で幾つもの大切な存在を奪われたわ。もちろん、エリュ・H・メラン。あなたにもね」
「……そう、やっぱりね」
自分が原因であるということで、エリュはしんみりとした表情となるが、それもすぐになくなって、
「それでも、あなたの目的を果たすわけにはいかない!」
エリーゼとアンネの目的を阻止するという強い意志が表れている。
そんなエリュに俺も協力したいところだけれど、エリーゼに金縛りに遭い、彼女が洗脳した女子生徒に後ろから抱きしめられている今の状態では何もできない。
「エリュ、魔女達と戦う前に俺の金縛りを解いてくれると嬉しいんだけど……」
「分かってるわよ。みんな! この子を結弦から引き離して!」
エリュが指示をすると、まるでこの瞬間を待っていたかの如く結衣、恵、真緒がすぐさまに俺を抱きしめる女子のことを引き離す。
「結弦、今すぐに金縛りを解いてあげるね」
そう言って、エリュは右手で俺の両目を覆って、首筋を軽く噛む。
唾液が俺の体の中に入っていくのが分かる。そのことにより、縛られている感覚が段々とがなくなってきている。
程なくして、元の状態に戻った。金縛りに遭っていたから、体がかなり軽く感じる。
「……これで大丈夫よ、結弦」
「ありがとう、エリュ」
エリュの唾液は魔女からの金縛りも解いてしまうのか。唾液の効果が幅広すぎる。
「離して! 離してよ!」
そうだ、俺のことを抱きしめていた女子生徒にかかった洗脳を解かないといけないんだっけ。
「何するのよ! 結衣だって結弦君のことが好きなんでしょう!」
「好きに決まってるじゃない! けれど、誰かに洗脳されているときにこんなことしても、全く嬉しくないでしょ!」
「だ、だけど……!」
女子生徒の抵抗は激しく、三人がかりでやっと取り押さえることができている感じだ。
「任せなさい!」
エリュは女子生徒の所まで向かい、
「ごめんね。状況が状況だから無理矢理にでもエリーゼの洗脳を解かせてもらうわ。目が覚めたら結弦に優しく抱きしめてもらいなさい」
そう言って、女子生徒の首筋を思いっきり噛む。
「んあっ! あああっ!」
女子生徒は苦しそうな表情をして、悲痛な叫びを上げる。その苦しみから解き放たれたいのか、さっき以上に激しくもがいている。おそらく、無理矢理に洗脳を解こうとしているがために苦しみが伴っているんだ。
「痛くて苦しいのは少しの間だけだから、もう少し辛抱して!」
「いやっ! 私、今のままじゃないと椎原君……に……」
そう言って、女子生徒は意識を無くし、結衣が彼女のことを抱き留める。
「苦しんでいる姿を見るのは心が痛むわね」
「乱暴に私の仲間を傷つけてくれたじゃない」
「人のことを言えるかしら? あなたただって、仲間のアンネのことを傷つけているじゃないの」
「……傷付いているのは、私に憑依されている風戸美紀に振られてしまった松崎亮太。アンネじゃないわ」
「そうかしらね……」
エリュは納得していない様子だった。
当の本人であるアンネは未だに落ち込んでいる様子だった。彼女に憑依されている松崎が風戸に振られて傷付いているとしても、アンネにもここまで影響が出るものなのか?
「まあいいわ。意気消沈している方があたしにとっても好都合だし。下準備も終わったから……エリーゼ、覚悟しなさい」
「私のことをそう甘く見ない方がいいと思うけれどね……」
エリュとの戦闘態勢に入っているからなのか、エリーゼの体からは紫色のオーラが放たれている。
「それに、私は風戸美紀の体に憑依しているのよ? あなたが攻撃しても、私だけじゃなくて風戸美紀にも苦しい想いをさせる。あなたも戦闘態勢に入っているけれど、私とまともに戦えるのかしらね?」
「……痛いところを言ってくれるわね。でも、傷つけてしまうリスクが全くない選択肢なんてないと思ってる。でもね、私は一人で戦っているわけじゃないの! リーベの時みたいに、皆で松崎さんと風戸さんを助ける! そして、アンネとあなたを倒す!」
そんなエリュの固い決意を前にして、エリーゼははっきりと舌打ちをした。リーベを倒した経験があるから、エリュには今の程度の脅しなんて通用しないんだよ。
「……まずはお前を殺してやる。エリュ・H・メラン!」
「できるものならやってみなさい! エリーゼ・ヴィオレット!」
そして、エリュとエリーゼによる激しい戦闘が始まった。
戦うことはいいけれど、エリーゼの言うとおり、彼女が風戸の体に憑依している以上、迂闊に傷つけることはできない。エリーゼを倒すにはまず、風戸からエリーゼを追い出さなければいけない。エリュはきっと、俺達にその協力をして欲しい意味を込めて、みんなで戦っていると言ったんだ。
エリーゼを風戸から今すぐに追い出すためには、松崎の協力なしでは成立しない。
「佐竹」
俺が佐竹の名を呼んでも、彼は吸血鬼と魔女の激しい戦いを前に呆然としている。
「佐竹!」
「……あ、ああ、すまん。目の前の光景が信じられなくてさ。どうかしたか?」
「今、エリュはエリーゼと戦っているけれど、エリーゼが風戸に憑依している以上、エリーゼを倒すことができない。エリーゼを風戸から追い出すために、松崎に協力してもらうんだよ」
「でも、松崎は風戸に振られたんだぞ。それで、今、落ち込んでいるんじゃないか」
「……本当にさっきの風戸は風戸だったのかな」
「……あっ、そういうことか……」
「そういうことだ」
松崎が告白した際、風戸の意識はエリーゼに乗っ取られていた可能性がある。もしそうであれば、松崎はまだ風戸に告白していないことになる。
「でも、風戸が松崎のことが好きだという可能性に賭けるしかないんだけどな」
「可能性が少しでもあるならやる他はないだろ。それに、普段の二人を見てる俺は、二人が両想いであると信じている」
「……そんな佐竹の言葉を俺は信じるよ。まずは松崎をエリュとエリーゼから離れさせよう」
「分かった」
そして、エリュとエリーゼが松崎から離れたタイミングで、俺と佐竹は松崎の所へ向かい、彼を結衣達の所まで連れて行く。
「結弦、何か佐竹君と話していたけれど、エリーゼを風戸さんから追い出すいい方法でもあるの?」
「ああ。松崎が風戸へ告白するんだ。さっきはエリーゼだったかもしれないし」
「……なるほどね。でも、松崎君からの告白を風戸さんに届けるには、彼女の意識を少しでも取り戻さないといけない。あの激しい戦いの中、どうやって取り戻すつもりなの?」
「そこだよな……」
告白をする準備ができても、肝心の受け取る人間の意識がなければ、告白したところで何の意味もなくなってしまう。エリーゼはきっと、エリュと全力で戦うために、風戸の意識を眠らせていると思うし。
「そこはもう大きな声で告白をすればいいんじゃないかな。意識はどうであれ、体は風戸さんのものなんだから。松崎君の告白が風戸さんの耳に入れば、眠っている風戸さんにも伝わるんじゃないかな」
「風戸さんが松崎君のことが好きなら、松崎君の告白で意識を取り戻すかもしれませんね」
確かに、あの激しい戦いの中で風戸の意識を取り戻すには、真緒と恵が言うような方法が一番いいかもしれない。
「おい、松崎! さっきの告白のときの意識は風戸じゃなくて、エリーゼっていう魔女の意識だったんだ! だから、お前はまだ告白をしていないんだ! もう一度、風戸に告白してみようぜ!」
佐竹の必死の説得に松崎は首を振った。
「もう、いやっ……! 私、こんな想いをもう二度と味わいたくない。怖い……」
「どうしてアンネが答えているんだ! 俺は今、松崎に訊いているんだ! まさか、エリーゼに松崎の意識を取り戻させるなって命令されてるのか?」
「落ち着け、佐竹! 多分、エリーゼから指示はされていないと思うぜ」
この様子からして、アンネは今も落ち込んでいるんだ。そして、二度と同じような想いをしたくないと、アンネ自身が思っているんだ。
でも、おかしいな。松崎に憑依して依存しているから、風戸に振られたとショックを受けているのなら、せめてもその直後ぐらいでショックは収まるはずなのに。むしろ、松崎の負の感情が更に増幅して、アンネは喜んでもいい状況なはずなのに。どうしてここまで彼女は悲しんでいるんだ。
いや、待てよ。さっきの告白の時、風戸の意識はエリーゼに乗っ取られていた可能性がある。そして、
「結衣。リーベに憑依されているとき、意識の共有ってできたのか?」
「うん、そういうときもあったわよ」
「なるほどな……」
意識の共有、か。
もし、あの告白の時点で、アンネもエリーゼも乗っ取っている人間と意識の共有をしていたとしたら、アンネが今もなお落ち込んでいることに納得できる理由が成り立つ。
「アンネ、もしかして、お前――」
俺がアンネに話しかけたときだった。
「みんな! 逃げて!」
突然のエリュの叫びが響き渡る。
そして、俺達がエリュとエリーゼの方を見た瞬間、
「エ、エリーゼ……」
エリーゼの右手の人差し指から放たれた赤紫色の光が、アンネの左肩付近を貫通したのであった。




