第16話『洗脳解除-Kazuma Ver.-』
「椎原のことを悪く言わないでくれますか」
佐竹はこっちの方へゆっくりと歩み寄ってきて、俺の横に立つ。
「……佐竹。今の話を聞いてたら、お前がどうすべきなのか分かってるよな」
前田部長は鋭い視線で佐竹のことを見て、半ば脅迫のように彼へ答えを求める。自分達の思う通りの答えへ導きたいのか、後藤先輩も厳しい表情をして佐竹のことを睨み付けている。
そんな二人を目の前にしているからか、佐竹の脚が震え始めている。立ち向かおうとする表情はしているけれど、佐竹は何を口にするのか。
「……俺は部活でちゃんと練習がしたいです。大会にも引き続き出場したいです。試合に勝ち続けてもっと上に行きたいです」
「そうだろ? だったら――」
「でも、俺は、俺は……」
佐竹は一つ大きく息を吐いて、
「俺は……テニスがしたいんです。テニスを楽しみたいんです」
前田部長と後藤先輩のことをしっかりと見ながら、はっきりとした口調で本音を告げた。
「二人の所為で俺はテニスを楽しむことができませんでした。むしろ、苦しくて、辛くて……逃げ出したくなるときもありました。でも、そんな時に椎原達が手をさしのべてくれたんです。それまであなた達のことが恐くて何もできなかったけれど、椎原達と一緒なら立ち向かってみようと思えるようになったんです」
そういえば、昨日の部活が終わったときからずっと、佐竹の視線は俺達へ真っ直ぐと向いていた。もしかしたら、佐竹は部活中に俺達のことを気付いた時から、俺達に助けを求めようと決めていたのかもしれない。
「俺が今回のことを先生達に告げることで、テニス部の活動が停止になって、今出ている大会も辞退しなければならないかもしれない。そうなるのが怖い気持ちももちろんあります。それでも、今の部の状態が続くよりはずっとマシです」
「お前、俺や後藤に歯向かうつもりだな? たった一度、俺達にテニスで勝っただけの一年生の分際で……!」
やはり、俺の時とは違って佐竹本人が反論すると、前田部長や後藤先輩も怒る度合いが格段に違うな。
しかし、そんな二人を前にして佐竹は……口角を上げたのだ。
「……たった一度負かされたにしては、俺のことを恐れていたように思えますが。だから、俺にテニスの練習を一切させなかった」
「あ、あれはだな――」
「……二人はそれでも、テニスを楽しめていましたか。俺には……俺にテニスをさせないことを楽しんでいるように思えました。そして、そんな行動は周りの部員にも悪影響を及ぼしている。二人を常に恐れていて、テニスを楽しめていないんです。あなた達は多くの部員からもテニスを楽しむという大切なものを奪っていたんです」
さすがに、佐竹も周りの部員が今回のことをどう見ていたのか、どんな影響があるのか分かっていたみたいだ。
「今までありがとうございました。テニス……いや、スポーツをする上でやってはいけないことを体験させてくれました。もう、テニスコートで二人と一緒になることはないと思います。早く先生方の所へ戻ってください。二人に対する処罰をお話しするために、学校中を探し回っていると思いますよ」
そう言って微笑む佐竹にはもう、前田部長と後藤先輩を恐れているようには見えなかった。彼は見事に立ち向かうことができたんだ。
「前田! 後藤! ここにいたか!」
すると、青いジャージ姿の屈強な男性教師が教室に入ってきて、二人の肩を掴む。
「佐竹達、二人に何かされなかったか?」
「いえ、俺達は大丈夫です」
「そうか、分かった。二人の処罰や男子テニス部の今後について結論が出たら、樋口先生が君達に教える予定になっている。こら、勝手に逃げ出して! さっさと戻るぞ!」
そして、前田部長と後藤先輩は男性教師によって、あっけなく教室から連れ出されてしまうのであった。その時の彼等には怒りと諦めの感情が取り巻いているように見えた。
二人が教室からいなくなったことで、ようやく教室の中もいつもの空気に戻ってきた。
「……佐竹、あの二人によく言えたな」
正直な気持ちを佐竹に伝えると、彼はふっ、と笑った。
「あの二人には怒りしか抱いていない。それが分かったら、後のことは考えずに好きなことを言えるようになったよ」
「そうか……」
「だけど、そうさせてくれたのは椎原達だ。本当にありがとう。そして、今まですまなかったな、椎原」
佐竹は真面目な表情をして、俺に深く頭を下げた。
「……いいさ。あんなことはもう二度としなければ」
どんなことをしようとも、それを悪いことだと認識して、この先絶対に同じようなことをしないと心がければ、俺は別にいいと思っている。
佐竹もあの二人の先輩も他人を傷つける行為をした。ただ、決定的に違ったのはそのことが悪いことだと想い、自分を正す心があったかどうかだった。佐竹にはそれがあると分かったから、俺は佐竹を助けることに決めたんだ。
「……もし、俺に許して欲しいとか思っているなら、テニスを存分に楽しんでくれ」
「ああ、もちろんだ」
佐竹の勇ましい表情を見て、きっと物凄いテニスプレイヤーになれると俺は確信した。今回のことで佐竹は強くなった。
そして、三十分ほど経ち、俺、結衣、佐竹は樋口先生に呼び出され……昨日話した進路指導室へと向かった。
前田部長と後藤先輩の処罰については一年間の停学処分に加えて、男子テニス部の退部と再入部の禁止処分となった。また、現在参加している大会について、二人については出場辞退をすることに決まった。
そして、佐竹がテニスを楽しみたいという気持ちと、二人の先輩が退部したことで通常通りの練習ができることを期待し、今日の放課後に限っては練習を行なわずに職員達が男子テニス部への指導を行ない、ゴールデンウィーク明けから通常の練習を再開することに決まった。
尚、佐竹もトーナメントを勝ち進んでいることもあって、現在開催されている大会も二人の先輩以外は出場辞退をしないことになった。
「じゃあ、そろそろここから出ようか」
「……ちょっと待ってください、樋口先生」
「どうしたの? 佐竹君」
「実は椎原や藍川に話したいことがあって。そのために、ここを使わせてほしいんですけど、いいですか?」
佐竹が俺や藍川に話したいことって何なんだろう?
「……じゃあ、その話が終わったらここの鍵を職員室に戻しに来てね。私、職員会議に戻らないといけないから」
「分かりました、ありがとうございます」
そして、樋口先生はここの鍵を机の上に置いて、進路指導室を後にした。
「ああいう風に先生には言ったけれど、きっと、椎原達の方が俺に聞きたいことがあるんだろう? それも、アンネや何も関係ない人達のいないところで」
「そう、だな……」
佐竹は俺達のことを考えてくれてここを使わせてほしいと言ってくれたのか。
確かに、佐竹には色々と話を聞きたいことがある。彼が洗脳にかかったときのアンネの様子や、松崎が負の感情を抱く原因に心当たりがあるのかどうか。
「……エリュさん」
「何でしょう?」
「さっそく、俺にかかっている洗脳を解いてくれないか。そっちの方が俺も話しやすいかもしれないから」
「そうですね、分かりました」
そして、エリュは松崎の首筋を噛み、彼の体の中に唾液を流し込むことで血の浄化を行なっていく。そのことによって、松崎は虚ろな表情になり、机に突っ伏した。
「洗脳解除、完了です。すんなりと終わったので、数分ほどしたら意識が戻るでしょう」
「ありがとう、エリュ。佐竹からは色々と話を聞かないとな」
「佐竹君は松崎君の親友だから、松崎君が負の感情を抱く理由を知っているかもしれないもんね」
「ああ。アンネの憑依を解く鍵を見つけよう」
今のところ、クラスメイトということ以外は松崎と俺を繋ぐものはない。佐竹のように俺とは全く関係ない原因で負の感情を抱いているのか。それとも、俺が遠因となって彼の心を苦しめているのか。
佐竹が自らこの場で話す機会を与えてくれたってことは、おそらく彼は松崎が負の感情を抱く理由を知っているんだ。彼が目を覚ましたら、松崎のことについてじっくり訊いてみることにしよう。




