第13話『アンネの思惑』
午後九時半。
結衣や佐竹と別れ、俺はエリュと二人で家に向かって歩いているところだ。
「これで、男子テニス部の件が解決できたら、佐竹さんから洗脳を解くことができそうね」
「ああ、そうだな。ただ、そこまで行き着くまでまた一悶着ありそうだけど」
「そうね。今頃、あの二人の先輩にも連絡が行っているようだし。もしかしたら、電話やメールで彼が何か言われるかもしれない」
「まあ、佐竹の家族にも連絡をしたし、今夜は大丈夫だろう」
学校側から、佐竹にはあの二人からの連絡を一切無視するよう指示されている。とりあえず、佐竹があの二人から何かされることはないだろう。
「でも、学校を動かすことができたのはエリュのおかげだよ」
「えっ?」
「だって、エリュの機転であの動画を撮ったんだろ。エリュがいなかったら、今も佐竹をどうやって助けるか悩んでいたかもしれない。本当にありがとう」
俺はエリュの頭を優しく撫でる。
「……べ、別に大したことはしてないわよ」
そう言って恥ずかしそうにしながらも、エリュは頭を撫でられることを嫌がるような素振りは見せなかった。
「まったく、人気が全然ない所だからってイチャイチャしちゃって」
「ふえっ!」
反射的に声を上げると、エリュは驚いて俺から離れる。
それにしても、今の声って――。
「ま、松崎……」
ジーパンにTシャツ姿の松崎が俺達の目の前に立っていた。姿は松崎だけど、今の話し方だと……意識はアンネかな。
「アンネ……!」
さっきとは打って変わって、エリュは強気な表情を見せている。ま、まさか……今から吸血鬼と魔女の戦いが始まってしまうのか?
「夜になって戦闘能力が宿っている今の状態のあなたでも、戦うつもりは全くないわよ。それに私、コンビニに買い物に来てただけだし」
ほら、とアンネはコンビニの袋を持つ右手を突き出した。
「そんなこと言って、あたし達のことを見張っていたんじゃないの?」
「……まあ、それも間違いじゃないけれど。でも、コンビニスイーツを買うつもりだったのは本当。人間界のスイーツは安価で美味しいと魔女界でも噂になっているのよ。それを確かめたくて」
「へ、へえ……」
さすがのエリュも今の話には苦笑い。
魔女といっても女の子だから、やっぱり甘い物には興味があるのかな。そういう一面があることを知ると、魔女が可愛く思えてくる。
「しっかし、佐竹君を勇気づけて、よくここまでやったわね」
「……アンネ。もしかして、あなたが佐竹さんを洗脳するときは、既に男子テニス部の事情は知っていたの?」
エリュのそんな質問に対し、アンネは一つ頷いた。
「この体に憑依して、彼の記憶から佐竹君の様子がおかしいことが分かった。松崎君は佐竹君と親友らしいから、少しでも負の感情があれば洗脳するつもりだった。実際に佐竹君の様子を見に行ったら、前田部長と後藤先輩によって酷い扱いを受けていることを知ってね」
「それで、何て言って彼を洗脳したの?」
エリュがそう問うと、アンネはふっ、と笑った。
「あの二人を殺しましょう、ってね」
やっぱり、そう言って佐竹を洗脳したのか。きっと、アンネは男子テニス部での彼の姿を見て、相当な負の感情を抱いていることを知ったんだ。それがあの二人の先輩に対する殺意に変わってもおかしくないくらいの辛くて、苦しい想いを。
「あなたの思い通りにはさせないわよ。正当なやり方でここまで来たんだから、学校側の判断を待って、あの二人には相応の処罰を受けてもらうつもり。佐竹さんは苦しい想いをしたけれど、そんな想いをさせた二人に対する処罰は、決して死ではない。二人を殺害することだけは絶対にさせないわ!」
さっきアンネが戦わないと言ったにも関わらず、エリュは臨戦体勢になっている。
エリュの言う通り、前田部長と後藤先輩には厳しい処罰が必要だけど、それは決して死ではない。そして、その処罰を決めるのは学校側だ。俺達でもなければ、アンネでもない。
「……やれやれ。吸血鬼っていうのは、私達魔女のことを冷酷な存在だと思っているのかしらね」
どうやら、アンネは今のエリュの態度に呆れているようだ。
「確かに佐竹君を洗脳するときにはあの二人を殺すって言ったけれど、それはあくまでも洗脳しやすくするために使った言葉。私が殺そうと考えているのはエリュ・H・メランと、その協力者である椎原結弦だけ」
「あたしと結弦ですって……?」
「リーベの件で俺の存在が魔女界に知られたんじゃないか。吸血鬼に協力するから俺も殺そうと考えている、ってところだろう」
洗脳しても、洗脳された人の心を救って解いてしまう。憑依した人間の心も救って追い出してしまう。そのきっかけを作っている俺のことを、魔女達はやっかいな存在として見ているんだろうな。
「まあ、それに……魔女としては人間界征服のため、手始めとして佐竹君や梅澤君を洗脳したけれど、一個人としてはそんな気は全然ない。むしろ、悩んでいる人間の姿を実際に見たら考えることはあなた達と一緒だった
「じゃあ、梅澤の洗脳を解いたときも……」
「……彼の思惑は何となく分かっていた。私の洗脳によって、欲を満たそうとしているんじゃないかって。だから、あなた達が動いても何も手出ししなかった」
梅澤は洗脳された直後にアンネが優しい笑顔を見せたと言っていたけれど、それは……梅澤の洗脳を俺達に解いて欲しかったからだったんだ。一個人として、彼の願いを叶うことを祈っていたんだ。
「じゃあ、今日の佐竹のことも……」
「……放課後はずっと、遠くであなた達のことを見ていた。ちゃんと学校側に男子テニス部の問題を伝えたから、私はそれを邪魔するつもりはないわ。人間同士の問題は人間が解決すべきだと思っているから。もちろん、殺すことなんてしたくないからね」
「アンネ……」
「まあ、佐竹君に殺人だけはしてほしくないのは松崎君も同じなんだけどね。佐竹君に殺しましょうと言ったとき、胸が痛んだわよ」
魔女は憑依した人間に依存すると言っていたけれど、気持ちの部分でもある程度影響を受けてしまうのか。
「だから、佐竹君の件が解決するまでは、エリュや椎原君と戦うつもりはないわ。憑依した人間の親友が笑顔になることを見届けたいから」
そう言うアンネの目はとても澄んでいた。彼女の真っ直ぐな眼差しは俺達を捉えたままぶれることはない。
「……信用していいんじゃないか、エリュ」
どうやら、目の前にいるアンネという魔女には少しは温かい心があるようだし。
「……そうね。でも、何かしようとしたときには容赦しないから」
「ご忠告ありがとう。でも、忠告したいのはこっちの方。前田部長と後藤先輩に気をつけなさい。明朝、話を聞き出されることを知ったら、佐竹君はどうなるかしら。それに、あなたや藍川さんが関わっていると知られたら、あの二人に何をされるか分からないわよ」
「心に留めておくよ。ご忠告ありがとう」
確かに、逆恨みであの二人が何をしてくるか分からない。佐竹の件が解決したとしてもすぐには安心できないか。
「仮に今回の件であの二人に負の感情を抱いたとしたら、アンネは二人のことを洗脳するつもりなのかしら?」
「そんなことするわけがないじゃない。憑依した人の親友を傷つけたのよ。そんな人達を自分の手中に収めるようなことはしないわ。気分が悪い」
「……それを聞いてちょっと安心したわ」
負の感情を持っていれば、誰であっても洗脳するというわけではないんだな。
「……そろそろ私は帰るわ。このコンビニスイーツを早く食べたいしね」
「そ、そう……」
「……佐竹君の件、解決できるといいわね」
そう言うと、後は任せたと言わんばかりの笑顔を見せて、アンネは俺達の元から立ち去っていった。
「……結弦」
「うん?」
エリュはもじもじしながら俺のことを見る。
「……あ、あたしも甘い物が食べたい」
何を言うかと思えば。スイーツを買ったアンネを見て羨ましくなっちゃったのかな。
「途中にコンビニがあるから、そこで買ってから帰ろうか」
「……うん!」
この満面の笑み……種族を問わず、女の子と分類される存在はみんな甘い物が好きなんだろうな。
それにしても、意外だった。アンネも俺達と同じように梅澤や佐竹の心を救いたいと思っていたなんて。それでも、やっぱり……アンネには人間界の征服と俺やエリュの殺害の他にも、何か別の目的があるような気がする。全く心当たりはないけれど。
でも、まずはアンネの言うとおり……佐竹の件を解決することだ。前田部長の後藤先輩の反応次第ではまだまだ先になってしまうかもしれないけれど、全ては明日になってみないと分からない。
「さあ、コンビニに行くわよ!」
「はいはい」
そして、程なくしてコンビニを見つけると、俺はエリュに手を引かれてコンビニに連れて行かれるのであった。




