第12話『告発』
午後六時半。
俺、エリュ、結衣、佐竹は樋口先生のいる職員室の前まで辿り着く。部活が終わる時刻になっているから、校舎内にはほとんど生徒は残っていなかった。
ちなみに、ここに来る間に日の入りの時刻を迎えたので、エリュは夜モードになる。アンネに洗脳されているからか、佐竹はそんな彼女の変化に驚いた様子を見せなかった。
「エリュは樋口先生に姿を見せるつもりか?」
「……同人誌のイベントで一度会ったけれど、それは日中のあたしだからね。今の髪も赤いし、姿を見せない方が無難かもね。だから、結弦が佐竹さんのことを説明して。動画にはあたしの声は入ってないから大丈夫」
俺はエリュからスマートフォンを返してもらう。当たり前だけど、姿を消していると彼女のことが見えない人には声が聞こえないってことか。
「分かった。俺に任せてくれ」
「うん。結衣さんと二人で佐竹さんのフォローをお願い」
「任せて、エリュさん」
そして、俺達は職員室に入り、樋口先生の所へ向かう。
彼女は紅茶を飲んで一息ついているところだった。
「あら、椎原君に、藍川さん、佐竹君じゃない」
樋口先生はティーカップを持ちながら俺達の方に体を向ける。この様子だとエリュのことは見えていないんだな。
俺は佐竹に話を切り出すように、彼の右肩を軽く叩く。
「……あ、あの。先生。ちょっと……自分のことで大事な話があるんですけど。今、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫だけれど。大事な話だったら、別の場所で話そうか。大事な話だったら、私と二人きりの方がいい?」
「いえ。椎原と藍川が一緒にいた方がいいです。むしろ、三人でこれから話すことを言おうと思っているので」
「そっか、分かった。じゃあ、進路指導室にでも行こうか。あそこなら他の人のことを気にせずに話せるし」
「ありがとうございます」
「じゃあ、行こっか」
樋口先生はティーカップを持ったまま立ち上がり、進路指導室の鍵を取りに行く。
そして、俺達は樋口先生の後について行き、進路指導室へと向かう。
教師と生徒が一対一で、落ち着いてじっくりと話すことを目的としている場所なのか、進路指導室はそこまで広くなくて、五人でいるとちょっと狭いくらいに感じる。
ただ、ここなら周りを気にせずに、男子テニス部の不祥事について話すことができそうだ。
樋口先生と佐竹はテーブルを介して向かい合う形で座る。
「それで、私に話したい大切な話って何かしら?」
そう言うと、樋口先生は紅茶を一口飲んだ。
樋口先生に視線を向けられている所為か、佐竹は男子テニス部でのことが言いづらいのか。非情に勇気がいることだと思う。
結衣と目配せをして、俺達が代わりに言おうとしたとき、
「……じ、実は……」
佐竹の口がようやく開く。
「実は、俺……男子テニス部である二人の先輩から酷い態度を取られているんです。その所為でまともにテニスができなくなって……」
「ど、どういうこと? 詳しく訊かせてくれるかな」
樋口先生は真剣な表情になって、着ているスーツの内ポケットから、メモ帳とシャーペンを取り出した。
佐竹を中心に、俺達は樋口先生に男子テニス部でのことを話す。前田部長と後藤先輩の実名を出し、できるだけ具体的に。そして、
「一応、証拠があった方がいいと思って、俺のスマートフォンでその様子を撮影しました。今日の部活動の様子です」
俺は樋口先生にエリュがさっき撮影した男子テニス部の動画を見せる。この動画を見ると実際に見た光景を思い出して怒りが湧き上がってくるな。
樋口先生は俺達の話に対して時々質問をしながらも、終始メモをとっていた。
「……これは酷いわね」
樋口先生も怒った表情をしているけれど、それよりも潤んだ瞳が印象的だった。自分の気付かない間に、教え子がこんなにも辛い目に遭っている事実を知ったからだろう。
「佐竹君、よく話してくれたね。こんなことをされて辛かったよね」
そう言うと、樋口先生は両手で佐竹の手をぎゅっと握った。
「……はい。椎原や藍川がいなければ、樋口先生には今も言えなかったと思います」
「そっか。顧問の先生はこのことを知っているの?」
「……いえ、まだ話していません。大会中ということもあって黙認している可能性があるので、まずは樋口先生に話そうと思って話しに来たんです」
「……なるほどね。先生とかをあまり疑いたくないけれど、部長とエース級の上級生が関わっているようだと、その可能性は否定できないわね」
前田部長と後藤先輩も顧問の前では上手く誤魔化しているかもしれないけれど、ボール拾いばかりしている佐竹の異変に気付いている可能性はある。
とにかく、樋口先生が誠実に対応してくれたから、あとはこれを職員全体に伝えて、前田部長と後藤先輩を引きずり出すだけだ。エリュの撮影した今日の練習風景の動画があればあの二人だって何も言えなくなるだろう。
「すみません、俺、お手洗い行ってきます」
「うん、分かった」
そして、佐竹は進路指導室から出て行った。
樋口先生は佐竹がいなくなるのと同時に一つ大きく息を吐いて、
「……何か別の理由があって、スマートフォンに動画を撮影したんでしょう? もしかして、佐竹君に『復讐』をするため?」
「まあ、そんなところですね。もちろん、彼の心を傷つけるためではありませんが」
樋口先生には以前、俺が行なった復讐宣言の意図を、魔女関連の話を省いて説明しているからな。
「そういえば、椎原君を虐める人は何かしら理由があって憎悪感を抱いている、って言っていたわね。佐竹君の場合は男子テニス部だったってこと?」
「ええ。結衣のおかげで辿り着けました」
「藍川さん、女子テニス部だもんね」
「以前から何となくですけど、部活での佐竹君の様子がおかしいなって思っていたんです。それで、部活の仲間に訊いてみたら、この話になって」
「なるほどね。……っていうか、いつの間にか藍川さんって、椎原君と仲良くなっていたんだね。もしかして……もしかする?」
「ほ、本人の前で訊かないでください……」
結衣は顔を赤くし、恥ずかしそうにして俺や樋口先生から視線を逸らした。そんな彼女のことをエリュが不機嫌そうな表情をしてじっと見ていた。
「佐竹は男子テニス部でのストレスのはけ口として俺を選んでいたみたいです。まあ、周りの生徒が俺を虐めているのを見てそれに乗っかっただけかもしれませんが」
「そっか。でも、椎原君は強いね。自分を虐めている人の傷付いた心の原因を見つけて、助けようとするなんて」
「……俺は全然強くないですよ。結衣達がいなければできないと思いますし。それに、どんな理由であれ、虐められるのは嫌なんで。ましてや、佐竹のように、元々の原因に俺が全く関わってないのに虐められるのは心外ですから」
助けたい気持ちも確かにあるけれど、それよりも俺を虐めたことに対する怒りの方が強い。ただ、傷つけることで解決することは絶対したくないとは思っている。今は魔女のことがあるから傷付いた心を助けることをしているけれど、それがなかったらどうしていたかは分からない。ただ、復讐という名目で傷つけることだけはしないと思う。
「私は、結弦は強いと思うけどなぁ……」
依然として俺から視線を逸らしている結衣はそんなことを呟いた。そんな彼女の表情はどこか嬉しそうだった。
「椎原君、藍川さん。他の先生にこのことを説明するために、二人の協力が必要なの。あと、藍沢君が撮影した動画も見せたいから、もうちょっとだけ残ってくれるかな」
「もちろんですよ。彼を救いましょう」
「もう一度、テニスを楽しめるようになってほしいもんね」
そして、前田部長と後藤先輩には然るべき処罰を受けてもらわないと。それは佐竹のためでもあるし、今後の男子テニス部のためでもあると思う。
「佐竹君が戻ってきたら、まずは顧問の先生にこのことを伝えましょう」
そう言う樋口先生はとても頼りがいのある一人の教師だった。以前、本人は教師失格の新米だと言っていたけれど、その言葉を一蹴できるくらいに立派だと思った。生徒を守りたいという想いが存分に伝わってくるから。
佐竹がお手洗いから戻ってくると、俺達は職員室へと向かい、男子テニス部の顧問に今回の不祥事を伝えに行く。
顧問曰く、佐竹の異変には気付いていたが、その原因が前田部長と後藤先輩であることまでは分からなかったという。黙認している可能性もあったので、本当に知らなかったどうか俺が問い詰めたけれど、どうやら顧問の言うことは本当のようだった。
エリュが撮影した今日の練習風景の動画が決め手となり、残っている教師全員で緊急の職員会議を開くことになり、俺達も参加することになった。今回の問題に関して協議を重ねた結果、明日の朝一番に顧問を含めた数人の職員で、前田部長と後藤先輩に今回のことを訊くことに決まった。
職員会議が長引いたため、俺達が学校を後にしたときには午後九時を回っていたのであった。




