第11話『連鎖-後編-』
――八つ当たりだったんだ。
佐竹のその言葉が切なく胸に響いた。
「お前に酷く当たる上級生の名前、前田と後藤って言うんだな」
部長と先輩と言い分けていることから、青髪の方が前田部長で焦げ茶色の髪の方が後藤先輩かな。部活のトップである人間があんな態度を取っていたら、周りの生徒が萎縮してしまうのは致し方ない。
「その二人の所為で佐竹は苦しめられたんだな……」
「……ああ」
「どうして、佐竹はあの二人にあんな態度を取られたんだ。特にあの二人へ直接、妬まれるようなことはしていないんだろう?」
「私は二人があなたの持つ実力に妬んだって聞いたけれど」
結衣は同じことを今朝、俺にも言っていたな。
佐竹は結衣の言葉に頷く。
「……そうだ。俺はただ、全力を出しただけだった。どのくらい実力があるのかを知ってもらう機会があって、一年生から順番に相手をしてもらったんだ。もちろん、前田部長と後藤先輩とも戦ったんだ。そのとき、俺は二人に勝ってしまった」
「じゃあ、その二人の先輩方は佐竹さんに負けたことを根に持っていたのですね」
「ああ、多分な」
憔悴しきっていた佐竹の表情から、再び怒りが見え始めている。
「入部当初は俺にも普通に相手をしてくれたし、練習だってさせてくれた。でも、例の一件があってから、あの二人は俺に冷たい態度を取るようになり、何か思いついたのか急に酷い扱いをするようになった。お前は部活で一番上手いんだから練習する必要はない。サポートだけしていればいいんだ、って言われてボール拾いとか雑用ばかりさせられるようになったんだ」
「そんなのサポートどころか、単なる雑用係じゃないか」
それだけ、自分よりも実力がある後輩の存在が嫌だったのか。明らかに不公平であり、辛辣な態度を取ることで佐竹に嫌がらせをしたかったんだ。
「……パワーハラスメントのようなものですね。ここは学校の部活ですが、部長や先輩という立場を利用して、佐竹さんからテニスの練習をするという当然の権利を不当に奪い、継続的に心身共に傷つけています」
「エリュさんの言う通りね。こんなの許されることじゃない」
夜モードならともかく、昼モードのエリュがここまで怒っている表情を見せるのは珍しい。結衣は自分もテニスをしているからか、エリュ以上に怒りを露わにしていた。
二人がそのようにして怒りを見せる中、俺はある疑問を抱いていた。
「でも、前からそんな扱いをされたなら、部活に参加しないという選択肢もあったと思う。辛い目に遭うのは分かっていたのに、どうして練習のある日にはきちんとこのテニスコートに来ていたんだ?」
部活から逃げるという選択肢も考えていたはずだ。苦しかったら一度、逃げてみる。それは全然恥ずかしいことじゃない。部活を休むことだけはどうしても避けたかった理由があったのかな。
「……大会があるからだよ」
「大会……」
「部活に参加しなくなったら、顧問が俺の大会出場を許可しないかもしれない。俺は大会に出場して試合に出ることだけを考えて、あの苦しい時間を過ごしているんだ」
「でも、今の言葉の通り、佐竹さんはとても苦しそうに見えました。そして、あの二人に対する怒りも垣間見えて。そこまでしても、あなたは大会に出たいのですか? もっと大切なものがあるような気もするのですが」
心身共に健康な状態でなければ、大会に出て試合をすることはおろか、テニスそのものさえできなくなってしまう。俺が見る限り、今の佐竹は危険な状態にいると思う。
「……俺からテニスを取ったら何もかもなくなる。高校生のテニスプレイヤーとして、公式試合に出ることだけは何としても守りたいものなんだ。だから、どんなに苦しくてもそれに絶えるという選択肢しかないんだ。一度逃げたら、俺はここに戻って来られる自信がないんだよ。お前みたいにはできない」
だから、どんなに辛くても、今の流れに身を任せ続けようとするのか。自分で軌道修正して立て直す自信がないから。
「でも、このままの状態で試合に出続けられたとしても、いずれは沈むことになるぞ」
「分かってるさ! でも、今のままじゃなきゃ駄目なんだ。それが駄目だと分かっていても自分の身を守るためには、これしか……」
「だけど、そのままだとテニスを楽しめなくなるわよ。でも、もうそうなっているかもね」
そう言う結衣はとても楽しそうにテニスをしているように見えた。佐竹だって彼女のようにテニスを楽しみたいのが本望じゃないだろうか。
「……それでも、俺は居場所が欲しいんだ。あんな扱いをされても、男子テニス部の中での居場所が欲しいんだよ、俺は。居場所がなかったら、大会にも出られない。それさえ叶えばテニスなんて楽しめなくていい」
「ふざけないで!」
そう言うと、結衣が佐竹に詰め寄ろうとしたので、俺とエリュで必死に彼女のことを止める。
「そういう風に考えているならテニスなんて辞めるべきよ! 技術のありなしなんて関係ない! テニスをするのに必要なのはテニスを楽しむ気持ちなの! 楽しめなくていいなら、テニスなんてやらないで! 毎日、練習を頑張っている人達に失礼だわ!」
結衣は息を乱しながら佐竹に話した。
馬鹿にされたと思ったんだ、テニスを。テニスが大好きな結衣はそこを許すことができないんだ。
「……許せないわ。佐竹君をこんな気持ちにさせた二人の先輩のことが」
楽しめなくていい、と佐竹は言うけれど、元々は佐竹だってテニスを楽しむ一人のプレイヤーだったんだ。そんな彼を真逆に変えてしまった前田部長と後藤先輩のしたことは、相当酷いものであることが分かる。
「俺だって許せねえよ! あの二人のことが……!」
今の言葉が佐竹の本音なのだろう。テニスを楽しむという一番大切なものを前田部長と後藤先輩に奪われた。それをどうしても許すことができない。
「だったら、立ち向かおう。許せないなら、あの二人に立ち向かうんだ」
佐竹の本音を聞けたことで、洗脳解除への道が定まった。エリュと結衣は今の俺の言うことに納得したようで頷いている。
しかし、当の本人である佐竹は首を横に振った。
「立ち向かいたいけれど、そんなことをしたら、どうなるか……」
「悪いことをする人間に立ち向かう。それのどこが間違っているんだ。まっとうなことをするんだから気にせずに胸を張ればいい」
「怖いんだよ。あの二人はきっと俺に復讐をしてくる! 絶対に今よりも恐ろしいことを絶対にしてくるはずだ!」
佐竹はきっと普段の様子から、あの二人に恐怖心を抱いてしまっているんだ。その姿は不登校になっていた時の俺とそっくりだった。そんな彼に伝えるべきことは決まっている。
「誰が、お前一人で二人の先輩に立ち向かえって言った?」
「えっ……」
「お前には俺達がいる。一緒に立ち向かって復讐されるようなことになったら、また一緒に立ち向かえばいいんだ。俺達だって、あの二人を見ていると許せない気持ちになるから」
まあ、佐竹から受けた八つ当たりの原因が彼等である、という個人的な理由もあるんだけれど。
誰かに助けてもらいながら立ち向かうことは全然恥ずかしいことじゃない。それに、相手が複数人なんだから、こっちも複数人で立ち向かっても何らおかしくない。
「でも、二人の先輩に立ち向かうっていっても、どうすれば……」
「方法はありますよ、結衣さん。男子テニス部の今の状況を先生達に伝えるんです。部活の顧問に言うのが最もいいですけど、担任の樋口先生に言うのもいいと思います」
部活内で非行があったわけだから、それを大人に伝えるのが最も正当であり効果的なやり方だろう。
「確かにそれが一番いいわね。でも、佐竹君の証言だけで二人の先輩のしてきたことが立証されるかしら。二人はもしかしたら白を切るかもしれないし」
「それなら大丈夫です。これがありますから」
そう言うと、エリュはポケットから俺のスマートフォンを取り出した。そういえば、男子テニス部の練習風景を見る際に貸して、って言われたっけ。
「ここには先ほどの男子テニス部の練習風景の映像が記録されています。もちろん、佐竹さんが前田部長と後藤先輩から酷い態度を受けているところも映っています」
「じゃあ、それを提出すれば……」
「ええ、あの二人の先輩もこの事実を隠すことはできないでしょう」
映像という立派な証拠があるからな。
エリュ、こうなることを想定して俺からスマートフォンを借りたのかな。俺、全くそんなことを考えつかなかったぞ。
「佐竹さん、このことを先生達に伝えましょう。そのためには佐竹さんの言葉が何よりも重要なんです。よろしいでしょうか?」
エリュのその言葉は二人の先輩に立ち向かうかどうかの最終確認のようであった。佐竹が立ち向かう気でなければ、俺達も動くことはできない。
佐竹は不安と葛藤しているのか、少しの間、口を開かなかったが、
「……分かった」
「佐竹……一緒に立ち向かおう」
俺がそう言うと、佐竹は僅かであったが口角を上げた。
「ああ、そうだな。何かあったときには頼む。あと、顧問よりも先に樋口先生に伝えた方がいいかもしれない。顧問は今のところ何も言っていないが、黙認している可能性がある。そうなると、何かと理由をつけて潰される可能性があるからな」
それが事実だったら、男子テニス部の活動を一時的に停止する可能性もあるレベルだぞ。そうなったら、現在参加している大会にも辞退しなければいけない事態になる。その恐れがあっても、佐竹はこの事実を公にすることを選んだということだろう。
「分かった」
「そうと決まれば、さっそく樋口先生のところへ行きましょう」
「そうですね」
そして、樋口先生がいる職員室へ向かおうとしたときだった。
「誰ですか!」
いきなりエリュはそう叫び、真剣な表情をして周りを見渡した。
「ど、どうしたんだ? エリュ……」
「いえ、誰かの視線を感じて。私達が佐竹さんと接触しているので、アンネがどこかで見張っているのかと思ったのですが、どうやら気のせいだったみたいですね」
「そうか……」
俺にはそんな視線、全く感じなかった。
エリュは気のせいだと言っていたけれど、もし本当に誰かが俺達のことを見ていたらそれは魔女の可能性が高そうだ。それがアンネなのか、それとも別の魔女か。
まさか、前田部長と後藤先輩も魔女に……? 職員室に向かう中、俺はそんなことを考えてしまうのであった。




