第3話『アンネ・ローザ』
松崎亮太に新たな魔女が憑依している。
エリュのその言葉で俺達は松崎のことを見る。俺にとっては普段の彼とさほど変わっていないように見える。しかし、吸血鬼のエリュには、彼から魔女独特のオーラが発せられているのが見えているはずだ。
「エリュ、藍川の時のように、松崎から魔女のオーラが見えているのか?」
「その通りです」
「そうか。じゃあ、その魔女が洗脳している生徒がいるはずだ。洗脳されている生徒が誰なのかを調査してほしい」
俺が小声でエリュに耳打ちをすると、エリュは一つ頷いた。
魔女達は人間の力を利用してこの人間世界を征服しようとしている。今回、松崎に憑依している魔女もリーベと同じように、負の心を持った人間を洗脳しているはず。
「コソコソしちゃって。吸血鬼の女の子に何を言ったの、椎原結弦君」
気付けば、松崎が俺達の目の前に立っていた。そうか、エリュが姿を消していても魔女には見えてしまうのか。ということは、松崎本人はエリュと初対面になるのかな。
「松崎……いや、違うな。お前は誰だ?」
顔こそ松崎だけど、目つきが普段と違っていた。普段は俺のことを蔑むように見ているのに、今はどこか楽しげだ。
魔女は松崎の声でくすくすと笑っている。
「さすがは椎原君だね。今の私を見て松崎君じゃないと見抜くなんて。まあ、椎原君やそこの吸血鬼さんとのお友達はみんな気付いているみたいだけど」
そりゃまあ、エリュに教えてもらったからな。でも、彼女がいなかったら松崎を見ただけでは魔女が憑依しているとは分からなかっただろう。
「結弦さんの質問に答えて頂けませんか。あなたは誰なんです? 魔女なんでしょう?」
「その通り。私の名前はアンネ・ローザ。そこの吸血鬼、エリュ・H・メランの言う通り、私は魔女。どうぞお見知りおきを」
何故かは分からないが、吸血鬼を目の前にしてもアンネ・ローザは落ち着いている。松崎に憑依したことでエリュよりも強い力を手に入れたのか?
「あなたの目的は何なんですか? このタイミングですから、リーベが吸血界に連行されたから代わりに私を殺し、人間界を征服しに来たというところでしょうか」
エリュが推測を告げると、アンネはふっ、と一つ大きく息を吐く。つまんない考えだと言いたげな表情をしている。
「……まあ、そう思ってくれていいけれどね。でも、吸血鬼としての力が全然ない昼間のエリュを殺しても全然面白くないんだよね」
おそらく、アンネの今言った言葉は真実だと思う。エリュを殺し、人間界を征服をするためにこの世界にやってきたこと。そして、吸血鬼としての戦闘力がほとんどない昼モードのエリュと戦うつもりは全くないこと。
ただ、それだけでは何だかスッキリしないな。もっと、アンネには別の理由があってこの人間界に来たような気がしてならない。エリュの言葉に対する彼女の態度から見て、そのくらい考えつくのは容易だった。
「どうやら、椎原君にはお見通しのようだね」
「やっぱり、何かあるんだな」
俺がそう言うとアンネはご名答、と言うかの如く口角を上げた。
「全ては人間界を征服するためだよ。そして、吸血鬼の思い通りにはさせない。覚悟しておくんだね。リーベのように私は甘くないから」
そして、アンネは憑依している松崎の席へと向かっていった。
まさか、新たな魔女が松崎に憑依するとは。何というか、
「松崎の声で女口調で話されると、松崎がオネエっぽく見えるな」
藍川がリーベに憑依されているときから、もし魔女が男性に憑依したらどうなるのか気になってはいたけれど。あくまでも、憑依したら、憑依した先の人間の体に依存するんだな。というか、魔女も女性だから男性には入らないかもしれないと思っていた。
「まあ、魔女は女性ですが、パワーアップできそうな負の心を持っている人であれば誰でも憑依しますよ」
そう言うエリュは苦笑いをしていた。
アンネ・ローザか。エリュの言うとおり、アンネは松崎の持つ負の心に何かしらの魅力を抱いて憑依したはず。
「今回はやっかいなことになりそうだな」
「ど、どうしてですか? 結弦さん」
「松崎は俺を虐める主犯格の一人だ。もちろん、俺に悪心を抱いているはずだけど、その理由が分からないんだ。結衣のように俺に告白をして振られるとかっていう直接的な出来事か一度もなかったから」
だが、悪心を抱いていることは事実なので、何か間接的な理由があるのか。それとも、俺が知らないだけなのか。
「今回もリーベの時と同じ方針で行くつもりですね」
「ああ。負の心の原因を突き止めて、アンネを松崎の体から追い出す。もしかしたら、アンネも誰かを洗脳しているかもしれない。いるかどうか調べてくれないか」
「分かりました」
おそらく、誰かがアンネに洗脳されているはずだ。アンネはエリュの殺害、人間界の征服以外にも何か理由がありそうだったから。それに、藍川を助けようとしたリーベの例があるからな。
「いました、結弦さん。二人の男子生徒さんがアンネに洗脳されていますね」
「誰と誰だ?」
「彼と……彼です」
そう言ってエリュが指さしたのは、女性的な顔が特徴的な梅澤勇希と明るいブラウンの髪が目立つ佐竹和馬だった。思い出してみると、彼等は松崎と話していることが多い男子生徒だった。彼等も、俺のことを快く思っていない生徒の一員だ。
「彼等は松崎と結構喋っている。洗脳するにはもってこいの人物だな」
「でも、洗脳するにも負の心がなければなりません。あのお二方が洗脳されてしまうほどの負の心を持つきっかけをご存じありますか?」
「梅澤が負の心を持つ理由は俺が関わっているはずだ。彼に関しては心当たりがある。だから、彼の場合はやろうと思えば今日の放課後にも洗脳を解くことができると思う。けれど、佐竹の方は全然分からない」
「佐竹君は男子テニス部なの。だから、まずは部活の方で調べてみるっていうのはどう?」
そうか、女子テニス部の結衣なら、部活を通じて何か情報を得られるかもしれない。男子テニス部も女子テニス部のすぐ近くで活動しているんだし。
「じゃあ、結衣にも協力してもらおうかな」
「うん、分かった」
「でも、無理なことや危険なことはしちゃいけない。何かあったらすぐに俺達に言ってきてくれ。彼の背後にはアンネがいるから、何をしてくるか分からない」
「……うん、気をつけるね」
そう言いながらも、結衣はとても嬉しそうだった。俺達に協力できることが嬉しいのかな。彼女の今の笑顔は入学した直後に一緒に楽しく話していたときと同じだった。
「では、梅澤さん、佐竹さんの洗脳を解いて、最後にアンネに憑依されている松崎さんを助けるという流れにしましょうか」
「そうだな」
基本的にはリーベの時と同様。負の心の原因を解決することで、まずは洗脳された人を助け、最後に憑依された人を助ける。
「そうなると、放課後に向けてどうにか力を蓄えておかなければなりませんね。アンネがすぐ側にいるので、力を溜める方法を考えないと」
「すまないな、急に今日の放課後に洗脳を解くことになって」
「いいんです。早いに越したことはありませんから」
優しげに笑うエリュは何も気にしていない様子だった。今の言葉通り、洗脳されている人のことをそのままにしておくことの方が許せないのだろう。
「それに、梅澤さんの洗脳を解くことで、松崎さんの負の心を抱く理由が分かるかもしれないですし」
「そうだな」
とにかく、何かアクションを起こさない限り、アンネを松崎に追い出し、彼女を倒すことは絶対にできない。できることがあるのならなるべく早めにすべきだろう。
そして、朝礼のチャイムが鳴り響き、エリュ以外は自分の席に着くのであった。




