第1話『吸血タイム』
四月二十九日、火曜日。
今日は昭和の日なので学校はお休み。特に予定はないけれどどうしようかな。家でゆっくりするか、エリュと一緒にどこかに遊びに行くか。
「結弦さん」
朝食後のコーヒーをゆっくりと飲みながらそんなことを考えていると、昼モードのエリュが話しかけてきた。
「うん? どうした?」
「大切なお願いがあるのですが、宜しいですか?」
「大切なお願い?」
大切、って言われると自然と構えてしまうな。
エリュの表情は真剣に、そしてどこか恥ずかしそうに頬を赤くしている。
「結弦さんの血を補給したいんです」
それを聞いて肩すかしを食らう。エリュの表情が真剣だから、もっと重大なお願いかと思ったんだけど。でも、エリュは俺の血を定期的に補給しないと人間界で生きていけないから重要なことか。
「もちろんだ」
「ありがとうございます。この人間界にやってきたときに結弦さんの血を補給したのですが、そろそろ補給しないといけなくなりまして」
「なるほどな。ちなみにそれはどこで分かるんだ? お腹が空く感覚なのか、ちょっと体がだるくなり始めるとか」
死活問題となっている血液補給のサインがどういう感じなのか気になっていた。俺が見た限りでは特におかしい様子は見受けられない。
「そうですね。お腹が空くという感覚もありますね。でも、一番は疲れが取れなくなってくるんです。むしろ、何もしていないのに段々と体力がなくなっていくというか」
それはかなり辛そうだな。エリュにとっていかに俺の血が重要なものかが分かる。
「そっか。じゃあ、さっそく俺の血を吸ってもらわないと」
「そこまで急がなくても大丈夫ですよ。ただ、兆候が出始めたので、早めに補給しておこうかなと思いまして。それで結弦さんにお願いしてみたんです」
「そういうことなら遠慮しないで言ってくれていいんだぞ」
「ありがとうございます」
エリュは嬉しそうに笑った。
エリュが血を吸うことができるように、俺は着ているワイシャツの袖を捲り、ボタンを外して胸元を晒す。
「エリュが前に俺の血を吸った時ってどこから補給したんだっけ」
「首からでしたね」
「じゃあ、今回も首からがいいかな」
俺がそう言うと、何故かエリュの顔が真っ赤になっていく。
「ゆ、結弦さんの好きなところでいいんですよ! 私、結弦さんの体のどこからでも血が吸えれば大丈夫ですから!」
「でも、前は首からだったんだろ? 同じ所の方が安心しない?」
「まあ、確かに首から補給する血は新鮮ですからいい箇所ではありますけど、その……」
「それなら今回も首からで吸ってくれよ。どうしたんだよ、そんなに恥ずかしそうにして」
生きるか死ぬかのことに恥ずかしさが入ってくるとは思えないんだけど。
「だって、首から血を吸うとなると、結弦さんとか、体が触れることになってしまいますから。い、嫌とかじゃないんですよ! ただ、何といいますか……あうっ」
エリュの顔から発せられる熱が俺にも伝わってくる。
吸血鬼といっても、普通の女の子なんだ。特に昼モードのエリュは。血を吸うためだとしても、男の俺と密着するのは恥ずかしいのかな。毎日、一緒にベッドで寝る際に体が触れているからあまり気にしないと思っていたんだけれど。
「エリュにも色々とあるよな。エリュの吸いたいところから吸ってくれていいから。俺はエリュと体が触れても嫌だとは思わないから」
「結弦さん……」
「でも、首の方がいいなら是非、エリュには首の血を吸って欲しいな。エリュには早く元気になって欲しいから」
供給する立場である俺にとって、新鮮なものを渡したいというのが本望だ。そのための痛みや苦しみは全然気にしない。
「それでは、結弦さんのお言葉に甘えて首から摂取しますね。ですけど、血を吸う時に万が一、気分を悪くされるかもしれないので、べ、ベッドの上で行なってもいいですか?」
「ああ、分かった」
俺がそう言うと、エリュは昼モードでは何時になく強引に俺の手を握り、俺を寝室へと連れて行く。
「結弦さん、ベッドに座っていただけますか?」
エリュの指示通りベッドの上に座ると、エリュは俺に向かい合う形でベッドの上に乗り、両手を俺の胸に沿える。
エリュは首筋を舐め、麻酔薬である生温かい唾液を塗っていく。その時に感じるエリュの匂いや時折漏れる彼女の声が体を刺激する。
「それでは、血の補給を始めますね」
そう言うと、エリュは俺の首筋を噛む。
麻酔薬のおかげで痛みはないものの、エリュに血を吸われているのが分かる。トクッ、トクッ、と体では感じるけど、ちゅっ、ちゅっ……とエリュが血を吸う音の方に気がとられてしまう。
エリュは俺と体を触れてはまずいと思っているのか、必要最低限の密着に済ませようとしている。それ故に体勢が不安定になっているので、俺がエリュのことを抱きかかえる。
「ふえっ、結弦さん……」
「さっきも言っただろ。俺はエリュに体を触れられても平気だって。さっ、遠慮なく血の補給を続けてくれ」
「……あ、ありがとうございます」
そう言うエリュは恥ずかしそうにしていたものの、嬉しそうにも見えた。そして、彼女はさっきとは打って変わって体を密着させ、血の補給を再開する。
「んっ、んっ……」
そんなエリュの声はちょっと甘い。
エリュはこんなにも華奢なのに、彼女から感じる温かさは俺を包み込むようだった。この体でこれまでエリュは魔女とたくさん戦ってきたんだよな。
そんなことを考えていると、段々くらくらしてきた。おそらく、エリュに血を吸われて貧血状態になり始めているからだろう。
「エリュ……」
どのくらいかかるのか訊きたかったけれど、俺は彼女の名前を呟いたところで堪えた。エリュが人間界で生きるために、彼女が元気になれるまで吸わせないと。
だが、それから程なくしてエリュの口は俺の首元から離れ、
「結弦さんの血液、美味しい……」
うっとりした表情で俺のことを見ながらそう言った。
その顔はとても可愛い。可愛いんだけど……美味しいものが俺の血液なのでかなりシュールに感じた。口の周りには俺の血がちょっと付いているし。あと、血液の美味しさの基準って何なんだろう。
「結弦さん、血の補給はこれで終わりました。あとは噛んだところを舐めるだけです」
そう言うと、エリュはさっき噛んだ箇所を舐める。
「これで大丈夫ですね。結弦さん、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
貧血状態になってしまったけれど、エリュが元気になったのならそれでいい。
「結弦さん、血の補給薬を飲んでゆっくりと休んでください」
「ああ、そうさせてもらうよ」
俺はエリュから貰った血の補給薬を飲んで、ベッドに横になる。
「お昼頃になれば気分も大分良くなると思います。あと、結弦さん、お昼ご飯に何か食べたいものはありますか?」
「……鉄分の多いものが入っている料理なら何でも。強いて言えばレバーが食べたい」
血を多くして、次にエリュが血の補給をするときに貧血を起こさないようにしないと。
エリュははにかみながら、俺の頭を優しく撫でる。
「……もう、結弦さんったら。分かりました。結弦さんのために頑張りますね」
エリュは両手で俺の右手をぎゅっ、と握った。
彼女の手から伝わってくる優しい温もりを何時までも感じていたくて、俺は彼女の手を握り返したのであった。




