第23話『キット・シット』
あれから皆で食事に行き、楽しい時間を過ごした。
だが、そんな中でエリュだけは時々、物思いにふけるような様子が見られた。そして、何かに悩んでいるような。リーベを倒すことができたのに。
家に帰ってきて、夜モードになるとエリュの異変が更に顕著なものとなる。俺の前では精一杯笑顔でいてくれるのだが、俺が少し離れるとため息をする声が聞こえてくる。
このままじゃ駄目だよな。
ここはちゃんと話をしてみよう。湯船に浸かりながら俺はそう決めるのであった。
風呂から上がって、自分の部屋に行く。
部屋の中ではベッドの側でエリュが座っていた。何か思い悩んでいるように彼女は俯いていた。
「エリュ、どうかした?」
俺はエリュの隣に座る。
「皆で食事をしている時から時々浮かない顔をしてたけど、どうかした?」
ここはストレートに、だけど柔らかく訊いてみる。
すると、エリュは俺のことをちらちらと見てきた。
「……ごめん、リーベからあたしを守ってくれたのに、馬鹿って言っちゃって。結弦が守ってくれなかったら、きっとあたし殺されてた。あたしの所為で辛い目に遭わせちゃって、本当にごめんなさい」
「俺はただの人間だからな。吸血鬼一人守るのが大変なことだっていうことが、あのことでよく分かった。だから、自分を責めたりしないでくれ」
そうか。エリュがため息をついていた理由は、俺に辛い想いをさせてしまったからだったのか。
しかし、エリュは依然として浮かない表情をしていた。
「……結弦に怪我をさせただけじゃないの」
「えっ?」
「リーベを結衣さんから追い出そうとしたとき、結弦……結衣さんに口づけをしたじゃない。それを見た瞬間、嫌な気持ちになったの」
エリュの真剣な表情からして、こちらの方が大きな理由のようだ。
「……結弦があたしの側からいなくなっちゃうような気がして。そう思ったら、何だか寂しくなっちゃって……」
なるほど、エリュは俺が藍川と口づけをしたから、藍川と付き合って自分から離れてしまうんじゃないかって思ったのか。
俺はエリュの背後に回り、ベッドに座る。そして、エリュのことを後ろからそっと抱きしめる。
「俺はエリュの側から離れないよ」
「……だって、藍川さんと口づけしていたじゃない。それって、藍川さんのことを一人の女性として気になっていたからじゃないの?」
エリュは俺の方に振り返り、俺の目を見てくる。その真剣な眼差しは、俺の視線を釘付けにする。
「あの時は、藍川に一人じゃないってことを、どうすればすぐに伝えられるのかってことだけを考えてた。だけど、全然良い方法が思いつかなくて。気付いてたらしてた、って感じだった。口づけしているときも、強引だったかなとか、間違っていたかなとか色々なことを考えてた」
結果、リーベを追い出すことができたけれど、それでも駄目だったら俺はどうしていたんだろう。
「藍川は魅力的な女の子だとは思っているけど、恋愛的な感情は全然ない。彼女を助けたかった。それだけだ。でも、どんな理由であれ、エリュを不安にさせたのは申し訳ないって思う。ごめん」
考えれば、口づけはとても大きな出来事なんだ。口づけをする二人だけでなく、その状況を見ている人にも大きく心を動かす場合がある。
「……ねえ、結弦」
「うん?」
「これからも結弦はあたしの側にいてくれる?」
「当たり前だよ。俺はずっとエリュの側にいる。それに、エリュは俺の血を定期的に飲まないとこの世界で生きていけないだろ」
「……じゃあ、仮にあたしがあなたの血を必要としない、人間の女の子だったら? それでも結弦は同じことを言ってくれる?」
「もちろんだよ」
俺は即答した。エリュが人間であろうと魔女であろうと、彼女の側にいることが俺の本望なのだから。
「あの時言ったように、俺はエリュを守りたいんだ」
「……ありがとう。今度、魔女が来たときは結弦に苦しい想いをさせないように、あなたのことを守りたい」
「……そうか」
俺とエリュは互いに助け合う存在、ってことか。エリュと気持ちが重なっていることが分かって俺は嬉しい。
エリュはようやく笑顔を見せる。そして、エリュを抱きしめる俺の手を握った。
「……ごめん、何だか嫉妬しているみたいで。ただ、結弦にはあたしの側にいてもらわないと困るってことだけ。人間界で過ごしていくために、あなたの血が必要なのは事実なんだし」
「はいはい、そうかい」
夜モードのエリュは、こういう風にちょっと自己中なところがないとな。彼女らしくないというか。やはり、元気なのが一番いい。
「でも、結弦が側にいるって言ってくれて凄く嬉しい」
「……そうか。エリュも俺の側にいてくれ。お前のおかげで俺は勇気を出して学校に行って、クラスメイトと向き合うことができたから。最初よりは大分状況が良くなったけれど、俺一人じゃ踏み出せないときもあるんだ。だから、側にいて欲しい」
「……しょうがないわね」
エリュは俺を小馬鹿にしたように笑う。
もし、俺とエリュが逆の立場に立っていたら。俺もきっとエリュが口づけをすることに嫌に思うだろう。一緒に住み始めて間もないけれど、これまで積み上げてきた「当たり前」が崩された気がして。だからこそ、彼女の側にいたいとより強く思う。
「ねえ、結弦」
「……なんだ?」
「リーベが倒されたことで、これから魔女が人間界に続々とやってくる可能性は十分にあるわ。既にまた誰かに入り込んでいるかもしれない。人間に入り込まれたときには結弦の力を貸してもらうことになるけど、協力してくれるかしら?」
「もちろんだ。一緒に魔女を倒していこう」
「……ありがとう。でも、人間って良いわね。相手のことを殺すって言わなくて、必ず倒すって言うから。戦争を何度も経験したあたしには、殺すっていう方がしっくり来ちゃうのよね」
エリュは苦笑いをした。
「人間も吸血鬼も魔女も、生きていることに変わりはないだろ。だから、殺すってことだけは絶対にしちゃいけないって思ってる」
それに、リーベは彼女なりに藍川を守ろうとしていたし。そんな魔女を殺そうと考えることは出来なかった。
「……結弦といれば、誰も殺さずに済みそうね」
エリュはそう呟いた。彼女は戦争で身を守るために魔女を殺したことを悔やんでいるから、きっと誰も殺すことはないだろう。
「結弦。そろそろ寝ようか。今日は色々あったから眠くなっちゃった」
「そうだな」
まだ十時過ぎだけど、俺も眠くなってきた。
「じゃあ、ベッドに入ろうか」
エリュがまだ真っ暗な状態が怖いので、ベッドについているライトを点けておく。
いつものようにエリュと一緒にベッドに入るが、今夜はいつもよりもエリュが俺に密着していた。普段なら腕が触れるくらいなのだが、今日は頭が俺の肩の辺りに乗っている。
「結弦」
「うん?」
「……幸せです。……ふえええっ!」
「ど、どうした?」
いきなり叫ばれるとさすがに驚いてしまう。
「い、いえ。何でもないです……」
「……あれ、そういえば昼モードのエリュになっているような……」
髪も黒いし、敬語で話しているし。何があったんだ?
「え、ええとですね……リーベとの戦いで疲れが溜まってしまって。なので、こうなってしまったのかと……」
「そうか」
昼も夜も同じエリュ・H・メランのはずなんだけどな。どうも、今の反応を見るとまるで一つの体に二つの心があるように思える。まあ、例えそうだとしても俺のすぐ側にいるエリュ・H・メランに変わりはないけど。
「でも、今のエリュと眠るのも新鮮な感じがしていいな」
「そ、そうですか。そう言って頂けると嬉しいです。それに私もこうして結弦さんと一緒に夜を過ごしたかったですし……」
「……そっか」
こんなに耳元で囁かれると、さすがにドキドキしてくるな。エリュの温かな吐息が俺の胸元をくすぐってくるし。
「結弦さん」
「ん?」
「今日は私を守って頂いてありがとうございました。あと、結弦さんのおかげでリーベを倒すことができましたし……」
「礼を言われるほどのことはしていないよ。俺はただエリュを守りたかったから、体が動いていただけだよ」
「……ありがとうございます」
エリュは嬉しそうに笑った。
リーベを倒したことで、より強力な魔女が人間界に侵攻してくる可能性もある。これからはより一層、気を引き締めていかないと。また怪我をして、エリュのことを悲しませたくはないから。
「もう少し結弦さんとお話ししたいのですが、もう眠くなってきちゃいました……」
「そうか」
「明日は学校がありますからね。早く起きて……朝ご飯を作らないと……」
そう言いながら、エリュはゆっくりと眠りに落ちていった。
「……今日はご苦労様」
エリュが起きないように、俺はエリュのことをそっと抱きしめた。その時に彼女の髪からふんわりとシャンプーの甘い匂いが香ってきた。
今日ぐらいはこういう風にして寝てもいいだろう。
「おやすみ、エリュ」
ベッドのライトを消し、俺も眠りにつくのであった。




