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吸血彼女  作者: 桜庭かなめ
第1章
16/86

第15話『しろつゆ』

 四月二十六日、土曜日。

 今日の天気は快晴で、早くも今日からゴールデンウィークで旅行に行く人が多いのだとか。絶好の行楽日和だと思う。

 午後十二時過ぎ、俺、エリュ、直見、桃田、黄海は『しろつゆ』という漫画のオンリーイベントが開催される会場の最寄り駅である白瀬しらせ駅にいる。

「やっと白瀬に着いたよ……」

 と、黄海は声を漏らす。豊洲駅から各駅停車で四十分ほど乗ったからな。乗り慣れていないと結構長く感じるんだろうな。俺もそうだし。

「ここから数分ですよね、結弦さん」

「ああ。白瀬総合会館の三階でやっているらしい」

 数分の所にあるし、イベントのパンフレットを持って会場に向かっている人もいるのでその人について行けば大丈夫だろう。

 漫画のオンリーイベントは初体験なので緊張するな。ましてや、灰塚の洗脳を解かなければならないので尚更だ。

「さあ、早く行きましょう」

 俺はエリュや直見に手を引かれる形で、オンリーイベントの会場に向かうのであった。



 数分後。

 会場がある白瀬総合会館は大きな通りにあったので、迷うことなく到着することができた。結構立派な外観だ。

 エントランスにある案内板を見ると、『しろつゆ』のオンリーイベントは三階の大展示場で行っているとのこと。

 俺達はさっそく会場になっている三階の大展示場へと向かう。

 入り口横に受付があり、テーブルの上にはたくさんの本が平積みされている。あれがイベントのパンフレットかな。パンフレットを購入しなければならないからか、俺達の前に十人ほどの列ができていた。ちなみに、男性の方が多い。

 二、三分ほどでパンフレットを買うことができ、無事に会場入りを果たした。

 何だか、思っていたよりもゆったりとしているな。そして、意外にもサークル参加している人も一般参加している人も女性が多い。お盆と年末に東京で行われる大規模イベントのニュースを見るけど、それはまた違うんだろうな。

 パンフレットを見ると、四十ほどのサークルが参加している。サークルごとにスペースが割り振られており、灰塚が代表者のサークル『パイオン』は白20となっている。会場マップを見ると、白20は白ブロックの端にある。

 さっそく、『パイオン』のサークルスペースに行こうとしたが、

「ねえねえ、椎原君。あれ、樋口先生じゃない?」

「えっ?」

 直見にそう言われたので、彼女の指さす方を見てみると……い、いた。どこかの高校の制服を着た先生が。写真を撮られているぞ。しかも笑顔で。撮影会でもやってるのか?

 ここは敢えてスルーしてさっさと灰塚の方へ――。

「ひぐちせんせ~」

 と、桃田が空気を読まずに柔らかい声で先生に声をかける。

 その瞬間、樋口先生は固まった。何であなた達がここにいるの、と言わんばかりの表情をしている。

「ひ、樋口先生って……だ、誰のことかしらね……」

「もう、とぼけなくていいじゃないですかぁ。先生、制服姿もとっても可愛いですね! 千尋ちゃんもそう思うでしょ?」

「うん。先生、可愛い顔だから似合ってるよ」

「……ど、どうもありがとう……」

 と言いつつも、先生は両手で赤くなった顔を隠している。まさか、生徒に制服姿を見られるとは思わなかったのだろう。

 でも、桃田や黄海の言うとおり、制服姿も結構似合っている。ちょっと幼顔だし、黒いロングヘアなので清純な感じがする。高校生だと言っても通じそうだ。

「こんな姿を見られて恥ずかしいよ……椎原君に」

「俺ですか」

「だって、知り合いの男の人に見られたんだもん……」

「……そうですか」

 おそらく、男子生徒に見られたのは俺が初めてだったのだろう。灰塚がサークル参加しているから、女子生徒に対しては大丈夫なんだろうけど。

「ところで、先生はどうしてこんな恰好をして写真を撮られているんですか?」

「コスプレ参加しているんだよ! これは主人公達が通う女子校の制服なの」

「……なるほど」

 確かに、パンフレットの表紙に先生と同じ制服を着たキャラクター達がはっきりと描かれている。

 パンフレットを見ると、コスプレに関する注意が二ページにわたって書かれている。サークル、一般だけではなくてコスプレ参加もあったのか。

「コスプレ参加をするということは、先生は『しろつゆ』のファンですか」

「当たり前でしょ。百合漫画の中では一番好きな漫画よ」

「ゆ、百合?」

 俺がそう答えると、先生から露骨にため息をつかれる。あれ、これって知らないとまずいと思われるのか?

「百合っていうのはガールズラブのことを指すの」

「ガールズラブ……言葉の意味的には、女性同士の恋愛ってことですか?」

「その通り! さすがは学年一番だね」

 虐められていたせいか、その言葉は皮肉とかにしか聞こえない。

 先生曰く、『しろつゆ』は女子校に通っている主人公が、クラスメイトの女子のことが好きになってしまい、女性同士で付き合って大丈夫かなどの葛藤をしながらも、ひたむきに意中の女の子と向き合っていくラブストーリーとのこと。主人公の純情さや、心くすぐられる相手の女の子との描写が女性を中心に人気を呼んでいるのだとか。

「椎原君はあまり知らないみたいだけど、直見さん達の中でファンでもいるの?」

「いえ、俺達はサークル参加している灰塚に誘われてきたんです」

「灰塚さんに誘われたパターンね。意外よね、灰塚さんが同人誌を作ってサークル参加をしているなんて。彼女を見つけたとき驚いちゃった」

「……そうですか」

「灰塚さんに挨拶しに行ったら、彼女に同人誌を貰っちゃった。買うのが礼儀だと思ったんだけれどね。お金の代わりに私のこの姿を撮らせてほしいって言われたわ」

 サークル参加は初めてで緊張しているとメールに書いてあったが、こういうイベントには結構慣れているのかもしれない。

「そういえば、椎原君。さっきから気になってたんだけど、後ろに立っている黒いワンピースの子は誰なの?」

「えっと……」

 昨日は姿を見えなくさせていたから、エリュと先生は今回が初対面なのか。

「初めまして、エリュ・H・メランと申します。私、今はギリシャからホームステイに来ているんです。私の両親と結弦さんの両親が古くからの知り合いなんですよ。日本好きの両親の影響もあって、私も日本に行きたいと言ったところ、結弦さんのお父様が快くホームステイに了承してくださったんです」

 エリュはまるで本当のことのように作り話を話す。毎回思うけど、彼女のとっさの対応力は凄い。

「そうだったの……」

 先生、簡単に信じているし。

「でも、ギリシャの女の子にして妙に日本人らしい顔立ちな気がするけど。髪も黒くて艶やかだから」

 お決まりの流れだな。外国人なはずなのに、顔立ちがまさに大和撫子という。

「それはきっと両親からの遺伝だと思います。特に母は日本人らしい容姿ですから」

「へえ……」

 相手から変に疑われないようにする話術と表情は彼女の武器の一つだ。

 エリュが吸血鬼であることを言わない理由を察したのか、直見、桃田、黄海は何も口を挟まなかった。

「日本の漫画は好きなので私もついてきてしまいました」

「漫画は日本の誇る文化だからね。そっかぁ、何時かギリシャにも百合の風を吹かせてね!」

「そ、そうですね……」

 どうやら、先生は漫画の中でもこの百合というジャンルがかなり好みのようだな。学校の授業よりもよっぽど情熱的に説明しているし。

「私、他のレイヤーさんと会う約束があるから、この辺で」

「……レイヤーさん?」

「コスプレをしている人のこと」

 なるほど。コスプレイヤー、略してレイヤーか。

「あと、椎原君。君は高校生だから、成人向けの同人誌は買っちゃいけないよ。エリュさん達が見張っておいてね」

「買うつもりは全くありませんよ」

 女子高生のコスプレをしている女性担任が言うと、色々な意味で破壊力があるな。

 樋口先生は俺達の元から立ち去り、コスプレをしている人のところへ向かった。何やら楽しく話しているようだ。

 思わぬ人と出くわしてしまったが、早く目的を果たさないと。余裕を持ってここには来たけれど、今のことでタイムロスをしてしまったから。

「さあ、灰塚のところに行こう」

 俺達は灰塚のサークル『パイオン』のスペースへと向かう。

 灰塚は椅子に座り、スペースに訪れる人に笑顔で対応している。彼女のYシャツ姿が真面目な印象をそのまま反映させたように見える。

 そして、俺達のことに気付き、

「あら、陽菜と千尋を見かけたと思ったら、直見さんや椎原君まで。しかも、昨日、彼の側にずっといた女の子も」

 俺達のことを見て穏やかに笑う。あと、灰塚にはエリュのことが見えていたんだな。

「彼女がいるってことは、ここに来た理由が何となくは分かりましたけど……私にも目的があるんですよ」

「……それはいったい何なんだ?」

「それはですね。……陽菜、千尋、それに直見さん」

 灰塚は桃田と灰塚、直見に手招きする。

 三人がやってくると、灰塚は自分で製作した同人誌を三人に渡した。

「直見さんが来るのは予想外でしたが、友達が来たら自分で作った同人誌をプレゼントしたいと思ったんです。初めて作った作品ですし」

「そうだったんだ。ありがとう、恵ちゃん」

「ありがとう、メグ」

「私までありがとね、恵ちゃん」

 目的を果たせたようで、灰塚は満足そうに笑っていた。

「椎原君には千円で買ってもらいましょうか。普通は五百円だけど、サービスしてあげますよ」

「どこがサービスだよ」

「……冗談ですよ。あなたにも差し上げます。私の意中の人でしたから」

 そう言われ、俺も灰塚から彼女の作った同人誌を貰う。

 同人誌のタイトルは『攪拌』。ご丁寧に「全年齢向け」と書かれている。先生もこの文字を見て安心しただろう。ちなみに、表紙には先生がコスプレで着ていた制服を着た女の子二人が描かれている。彼女達が主人公と意中の女の子なのかな。可愛いタッチ描かれているので、結構ウケはいいんじゃないだろうか。

 肝心の中身を軽く見ていこう。

 表紙に描かれている二人が、部屋で二人きりになって色々と絡み合っているぞ。口づけしたり、互いに首筋を舐め合っていたり。可愛らしい絵なので厭らしい内容がより厭らしく感じる。『攪拌』というタイトル名の意味が分かった気がする。

 あと、これ……全年齢として売る内容としてはボーダーラインのような。

 俺は同人誌をエリュに渡す。

「どうでした? 椎原君」

「……何故俺に? 桃田や黄海に聞けばいいじゃないか。もともと渡したいと思っていた相手なんだから」

「だって、二人とも顔が赤くなってるから」

 灰塚の言うとおり、桃田と黄海は顔を赤くして同人誌を読んでいる。特に黄海は恥ずかしいのか同人誌を持つ手が震えている。あと、直見は何とも言えない表情をしている。

「それで、どうでしたか?」

「……結構刺激的な内容だったと思う。あと、可愛らしい絵だった」

「そうですか。嬉しい感想ですね」

「……これ、先生に渡してどうだったんだ? 読んだのか?」

「ええ、読んでくれましたよ。凄く興奮していて『あなたは才能の塊。このまま百合系漫画家の道を歩まないか』と勧められました」

「……つまり、先生には大好評だったってことだな?」

「簡単に言えばそうです」

 まあ、二十三歳の女性にはこのくらいの刺激さがちょうどいいのかもしれない。俺はギリギリ読み通すことができたけど、女子は自己投影ができてしまうから、こういう内容が苦手な人にはきついかもしれないな。

 というか、ここまでの同人誌を渡されると、授業中にも百合のことばかり考えているんじゃないかと思ってしまう。彼女に対する今までのイメージが崩れ去るのは確かだ。

「……女性同士の好意の表現って、ここまで直接的なものなのでしょうか」

 エリュも一読したらしいが、かなり恥ずかしそうにしている。吸血鬼の女の子にも感じるものがあるようだ。

「いいですね、その反応。最初はそれでいいんです」

「まるで自分は百合の道を極めたような言い方だな」

「いえいえ、私なんて駆け出しですよ」

「いや、こんな内容の同人誌が描ける人間が駆け出しなわけがないと思うぞ」

「何を言われてもかまいません。私は百合の素晴らしさを伝え、特に陽菜や千尋にはそれを実生活に繋げてほしいんです!」

 何時になく、灰塚が興奮している。こんな姿、少なくとも学校じゃ見れない。

 つうか、こいつ……魔女とは違う意味で桃田と黄海を洗脳しようとしてるぞ。

「陽菜、千尋。どうやら読み終わったようですね。お互いに見合ってください。すると、何だかドキッとしませんか?」

「う、うん……」

「……あんな内容の漫画を読んだ後だと、ハルのことを見たらドキドキしちゃうのは当たり前だよ」

「それでいいんです!」

 ついには、灰塚は大声を出して椅子から立ち上がる。


「女の子が女の子を見てドキッとした瞬間から、百合は始まっているんです!」


 灰塚がそう豪語した瞬間、

『おおおっ!』

 会場にいるほとんどの参加者が俺達の方を見て賛美の拍手を贈っている。えっ、ここでは灰塚の考えが推奨されるってことなの? 何だか急にアウェーな感じがしてきたぞ。

 目が合っては互いに頬を赤くしてしまう桃田と黄海。

 この場の空気に飲まれてしまってどうすればいいのか分からず、とりあえず苦笑いをするエリュと直見。

 女子全員が本来の目的を忘れてしまっているようなので、俺が話題を変えるしかない。藍川のことを考えると、あまり時間がない。

「灰塚。お前の目的はとりあえず果たされただろう」

「まあ、同人誌が渡せて、陽菜と千尋が意識し始めたようですし……」

「……それなら、今度はこっちの目的に付き合ってもらおうか」

「仕方ないですね。椎原君は同人誌の感想をくれましたからね」

 どうやら、灰塚の要求を先に叶えておいて正解だったみたいだ。藍川関係だということは分かっているだろうけど、素直に応じてくれた。

「ここだと何だから、場所を移そう。それでも構わないか?」

「いいですが、ちょっと待っていてください」

 そう言うと、灰塚はバッグの中からスケッチブックを取り出し、黒いサインペンで何か描いているみたいだ。

「これで大丈夫ですね。何時くらいに終わりますか?」

「一時までには絶対に終わらせる」

「それでは昼食ということにしておきましょう」

 と言いながら、灰塚はサインペンを動かす。

 そして、スケッチブックから剥がされ、テーブルに置かれた髪には『昼食のため、午後一時から販売を再開します。 パイオン』という文章と、笑った女の子の絵が描かれていた。なるほど、席を離れるときはこういう準備が必要なのか。

「行きましょうか、椎原君」

「ああ。エリュ達も行くぞ」

 そして、俺達は一旦、会場から出て行くのであった。


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