第0話 ―Prologue―
「 」
――Two souls pay well and a tale starts finishing.
(二つの魂は引き合い、物語は終わり始まる。)
◇
紅い世界の真ん中。
既に世界は終わっていると思った。それ程までに目の前に広がる光景は、死に染まっていた。
原型を留めていない死体が幾つも地面に転がっている。人間の身体のパーツが落ちている。それだけでも卒倒しそうなのに、地面に敷き詰められているように、まるで海のように広がった紅い、紅い血液。
終わっている、と。男は呟いて、終わった世界の中心に立っている青年を、見た。
青年の表情は確認できない。ただ、俯いたまま紅い血液を視ているようだった。――いや、もしかしたら青年はその紅い液体に映る自分の顔を視ているのかもしれない。
「終わったよ。父さん」
その青年の言葉で、ようやく身体は動き出した。震える手で、無線を手にして。
「応援を――要請します。――はい。既に、僕以外の人間は、もう――」
報告を終えると手の力が一気に抜け、無線が手から滑り落ちる。
パシャン、という液体の跳ねる音。
その音で、ようやく青年がコチラに気がつく。――青年は奇妙に歪んだ笑みを浮かべていた。
思わず身体の動きが止まり、青年を凝視する。汗が流れ落ちる。
青年の黒い髪には、殺した人間の血液が付着している。その他にも顔にも飛び散っていて、不気味さが増していた。
「取り押さえろ!」
突然背後で響いた声。そして顔のすぐ真横を何かが掠めた。
「――!」
勢いよく横を掠めたのは一人の青年。刀を振り上げ、目にも止まらない斬撃を繰り出す青年に対し、もう一人の青年である紅く染まった青年はその斬撃を全て交わしていた。――奇妙な笑みを浮かべたまま。
「大丈夫か?君」
「う、ぁ――」
不意打ちの様に声を掛けられ、男は安心したのか地面に崩れ落ちる。
駆けつけ、声を掛けたその男は崩れ落ちた男を抱え、真っ直ぐに今だ奇妙な笑みを浮かべた青年を視る。
青年は学生服を着ていた。どこの学校に通っていたのかは、もう既に知る必要はないが、あんな幼い青年が此処までしてしまうとは、と思った。
――真っ赤に染まった白いシャツを乱しながら、なおも斬撃を避け続けている青年が、更なる動きを見せた。
とんでもない体制で地面を蹴り上げ、跳躍し、足を振り下ろした。仲間の青年はその振り下ろされた蹴りを刀で受け止める。
それはとんでもない力なのか、刀がガタガタと震え、弾かれ、二人の青年の距離は離れた。
「貴様だけは、絶対にッ――許さないッ」
攻撃を尚も繰り出す青年の斬撃は、空を切り続ける。
バシャ、という地面に敷き詰められた血液が跳ねる音。
そして、今度は奇妙な笑みではなく、優しい笑みを浮かべて青年は――。
「死ね」
しかし青年の攻撃は阻まれる。金属音とともに幾つもの鎖が青年を拘束する。全身を覆う形で放たれたその鎖は、数人の『魔法師』が発動した魔法の一つだった。
拘束された青年は尚も抵抗するために、身体に巻き付いたその鎖を引きちぎろうと動く。
だが、いくら抗おうともこの鎖は引きちぎられない。
「そう簡単に破られて溜まるか……。この魔法はお前のために特別に強化したものだ」
「――」
無表情になった青年は、ゆっくりと、ある場所を見ていた。
それは一つの死体。男たちが葬り去った人間の躯。その死体を見て、青年はとても寂しそうな声で。
「父さん――」
と、呟いて。
右手の鎖を一部だけ引きちぎり、右手に握った黒いナイフで、自らの意思で、自らの心臓を一突きにした。
◇
別の場所。別の青年。
気がつくと――その青年は揺れる電車の中に居た。
電車の窓の外を見ると、暗闇が広がっていた。夜よりももっと深い黒に染まった世界。それがとても恐ろしいものに見えて、青年は窓から視線を外した。
自分の服装を確認する。いつもと同じ、通っている高校の制服姿。脇にはスクールカバンが置いてある。
「――やあ、初めまして。ハジメ君」
「……?」
突然の声に、青年は顔を上げた。先ほどまで誰も座っていなかった向かい側の席に居たのは、黒いスーツの男の人だった。
「君はどこに向かうつもりなのかな」
男の人は何気なく、青年に尚も話しかけ続ける。
青年は、突然話しかけてきた男とは全くの初対面だった。しかし、その質問にゆっくりと深呼吸をし、考えこむ。
そういえば、自分はこの電車に乗り、どこへ向かうつもりだったのだろうか――思い出せない。それどころか、頭のなかが真っ白で、何も思い出せない。
自分の名前――それは向かい側の席に座った男が言っていた。確か――『ハジメ』。それが青年の名前。
だがそれ意外何一つ思い出せないし、知らない。急いで青年はカバンの中身を確認する。
しかし鞄の中には、切符が一枚だけ入っているだけだった。
その切符を取り出し、見てみると。
「――『異界行き』……?」
「そう。それが君が向かう場所。君はそこで、記憶を取り戻すためにあるニンゲンの身体を共有することになる。残念ながら、君の肉体は持っていくことが出来ない。負荷が掛かり過ぎるからね」
男は、理解し難い言葉をつらつらと述べた。
(身体の共有?異界?肉体を――持っていけない?負荷?……)
「なんっ……」
「あぁ、質問は受付れないんだ。悪いけど、それがルールなんでね」
男がそう言い終わった瞬間、突然アナウンスが流れた。
《――終点――『異界』――『異界』です――》
ゆっくりと停まった電車。開く扉。男は突然立ち上がり、青年の手を握った。
「さあ。行くといい。記憶を取り戻した後、また来るよ。――大丈夫。君ならきっと、いや、絶対に記憶を取り戻せるよ。いってらっしゃい。ハジメ君」
何一つわからないまま、何一つの記憶が消えたまま、青年は背中を押され、開いた扉の向こう側へ――。