第六章 紅色の決意
ずっと三人一緒だね、幼い頃は疑うことなくそう思っていた。例え成長過程で差が開いても、この関係は変わらないと信じていた。そうきっと、変わりはしない。目指す道を違えても、二人なら笑って送り出してくれるはずだから。
握るペン先は引っかかることもなく滑らかに文字の羅列を作り出す。少しでも追い付けるように。早く、速く――
クアマリーネに着いてグラシエと合流した時には、既にセラータの姿は無かった。あの後何か話したのか聞いてみても、饒舌なはずの彼女は不自然に黙している。特に何も、また会いましょうって。それでも必要とされたことで少しばかり自信が生まれたのかもしれない。意外と自分を卑下する傾向のある彼女の瞳は、もう揺らいではいなかった。
程なく、旅に出てから三ヶ月が過ぎた。非常事態に繰り上げの措置を取られた勇士選抜の優先試験が始まる。各街教学院の今年の卒業試験で、十一位から三十位の卒業生を対象としたものだ。九割の正答を要する厳しい試験だが、間違えていた箇所をしっかりと復習すればそう難しい事もない。
そういえばここ数日シラからの連絡は途絶えている。集中している証拠だろう。
「変にこっちから連絡してプレッシャーになるのもなぁ」
「ったく、俺なら応援メッセージ大歓迎だけどな!やる気出そうだし」
「シラさんはチスパ君と違って繊細でしょーからねっ」
よく知らないけどきっとそう!とグラシエの根拠のない自信はそれなりには当たっていた。ノグレー君とチスパ君を足して二で割ったようなイメージ!という言葉に、そうかもしれないなと今更ながら納得する。繊細さと大胆さを併せ持つ、潤滑油のような幼馴染だ。今はもう回復魔法が使える為にアイテムはほぼ使わなくなったけれど、道端でホンプクの葉っぱを見つけると、餞別にと渡されたあの日を鮮明に思い出す。どんな気持ちで旅立つ二人を見送ったのか。
午前十一時。教学院の鐘の音が鳴り響く。大陸中で時間を合わせた優先試験が始まりを告げた。
午前中に終えられた試験は翌日には結果が出る。間違いの無いように、違う教員が二度採点する事にはなっているが、各街で二十人程度に限られた試験である為に不可能ではないらしい。けれど教学院の教師は休日返上の総動員だったのだろうと想像はつく。
朝食を摂り終え、三人は陽の当たる港を囲む公園のベンチに腰を落ち着けていた。
「あー蒸っしあつー!丁度昨日海開きの報入ったよな、泳ぎてぇ」
港に入ればすぐにクアマリーネの領地であり、魔物の出る街道は海側には存在しない。襲撃以降海に棲む魔物の侵入を防ぐ結界が強化されてはいるが、ルチルの復活が影響を与えているのか時折かいくぐって公園内で人を襲うこともあるらしい。
公園内は見渡す限り白い砂浜、小さなベンチとパラソル付きのテーブルが点在するだけのシンプルな場所だ。今では戦う術を持つ勇士以外の立ち入りが禁じられている。かつては多くの民の笑い声で賑わっていたらしい。
「目の前に青い海!眩しいおひさま!なのにねぇ。海水そのまま流し込んだ屋外遊泳場は内地にあるみたいだけど」
「そんなの海じゃねえ!人工プールみたいなもんだろ。んな子どもの遊び場じゃあ満足出来ないな」
一般民は外海の遊泳も禁止となっているが、たとえ勇士であっても泳ぎながらの海上戦は危険だろう。何か万が一の事があった場合は勇士にも制限がついてしまう可能性がある。
高い空を優雅に泳ぐ白いすじ雲は、海に繰り出せない人々の憧れを投影したかのようだった。
甲高く鳴る着信音は、澄んだ空気を裂くように響く。三人は素早くそれに注目した。発信源はノグレーの一般通信用携帯端末だ。相手は勿論、試験結果が出ただろう幼馴染。何故か一瞬手に取るのを躊躇ってしまった隙をついて、チスパが腕を伸ばす。
「よおシラ!どうだった!?……ん?ああ、ノグレーのだ間違ってねーぞ。まーいいだろ別に」
ノグレーに連絡したつもりが、聞こえてきたのがいきなり耳をつんざくようなチスパの声だったのだからそれは誰だって抗議するだろう。とりあえずチスパから携帯端末を取り上げて、オープン通話にする。
「ごめんねシラ。気付いたら取られてた」
『もう!びっくりしたよう!チスパの声で魔物一匹くらい倒せちゃうわねっ。洞窟とかで追い詰められたら試す価値あるかも』
そんな怒んなよー、と呑気なヤジが飛んでくる。
『……あのね』
「うん」
『合格した!わたしもこれで勇士だよ!』
きっと大丈夫だろうと信じてはいたけれど、やはりホッとする。グラシエもまるで自分の事のように嬉しそうな顔をしている。見知らぬ他人の成功を素直に喜べるのは彼女の良いところだ。
「おめでとう。ご両親には伝えた?」
『うん!お父さんなんて、勇士になっても旅に出ないでここにいて良いんだぞって。ホント心配性』
「箱入りだもんな~シラは。とーちゃん泣いてたろ」
『な、泣いてなんか……いたかも。そんな事より!ノグレーありがとうね。分からなかった所教えてもらって自信ついたの』
「おい俺には~?あんだけ応援メッセージ送ってやったのに。シラがんばれダンス動画、あれ良かっただろ?」
「……行き詰まった時に見て悩んでるのがアホらしくなって少し元気を取り戻すくらいの効力はあったわね。アリガトー」
棒読みのお礼にチスパは若干不満げだったが、そんな怪しい動画をいつの間に送っていたのかとそっちの方が気になってしまう。けれど見ない方が良いと心が警鐘を鳴らすので、素直に従った方がおそらくは賢明だ。
『それにしても、さすが卒試首席のノートよね……ページめくってて汚したらどうしようってくらい丁寧で分かりやすかったよ。いつ返せば良いかな』
「母さんに渡しておいて。シラに会いたがってるだろうし」
「ええー!ノグレー君首席卒業だったんだ!すごっ……あっ」
素っ頓狂な声音は考えずとも向こうに確実に届いてしまっている。部外者だからと声を潜めていたようだが、数十秒で撃沈だ。くすくすと控えめな笑い声が聞こえる。
『もしかして、グラシエさん?二人から聞いてるわ』
「びっくりさせてごめんなさい!初めましてシラさん。お会い出来るの楽しみにしてます!あたしのことはグラシエで良いんで!!」
「今クアマリーネなんだけど、合流場所はここで良いかな。丁度グルナカルスからも遠くないし」
『あ……、あのさ、えっと』
「ん?」
『ううん、何でもない。じゃあクアマリーネ向かうね。またその時に話すわ』
いささか歯切れの悪い返答を不思議に思うが、とにかくこれで旅立ちを約束した三人が揃うのだ。グラシエも、メンバーに女子が増えればやはり安心するだろう。男子勢には言い辛い事もあるに違いない。
「でも、女の子一人でここまで来るの大丈夫なのかな。お迎え行った方が」
「合格者の中から行き先が同じ人達を集めて、最初の街までは仮のパーティを作って一緒に来るみたいだよ。教学院の通信ページに書いてあった」
「良く見てんなノグ、教学院のページなんて文字ばっかで見たくねーや」
その後シラのメッセージを受信して、落ち合うのは一週間後に決まった。朝の船に乗れば夕方前には着くはずだ。念入りに準備をしておくようにと返信しておく。自分の旅立ちを思い起こしながら、シラの父親の事を考える。大きな雑貨屋を営み、他人の子にも分け隔て無く世話を焼いてくれた。護るべき家族と店がある今は、ひと昔前に名を馳せた勇士として旅立つ事は叶わず、その願いを自分達に託してくれた。それでも、目に入れても痛くないたった一人の愛娘を送り出すのは辛いだろう。
責任は重大だ。多少は仕方ないとはいえ、目立つ怪我をさせてはきっと責められる。自分だけでなく他人も護ることが出来るように、それでも難しい部分はパーティ全体で補えるようにしておきたい。
「明日の魔法講習、絶対落とさないようにしないと」
「俺は武器講習だな!シラ驚くぜ、この俺様の発達したムキムキな筋肉!いや、これは旅に出る前からだったな。はっはっは!」
「あたしは明後日!オールマイティーな魔法少女目指すの」
「浅く広くを取るか、深く狭くを取るかってところだね」
「だって!何でも出来るの超カッコイイじゃん!リンザおねーさんみたいに全部の魔法は覚えられないけどさぁ」
ヘテロクロミアの中でもアメトリンと称されるリンザは、紫水晶と黄水晶それぞれの習得不可を補って、理論上は全ての魔法を覚えることが出来る。実際本人がどこまで使えるのかは聞いていないが、可能性は無くもない。
「さーて腹減った!飯にしようぜ」
「地道に依頼をこなしたから、結構稼いだよね。贅沢しちゃう?」
「こらこら。まだこれから何があるか分からないんだから。使いすぎないように」
「はーいリーダー!」
いつも通りのやり取りが、いつまでも続けばと願うのはきっと。この先に潜む試練から目を背けたいためだ。時はゆっくりと、けれど平等に迫り来る。何も知らなかった頃に二度と戻れないように、変わり行くのは自分が周りか。今はまだ誰も知らない。
雨季に入りぐずついた天気が続く中、その日は久し振りに快晴となった。柔らかい陽の光が街全体を照らし、前日の雨が残る紅い宝玉の屋根や扉がきらきらと輝く。
「行ってしまうんだね。本当に気をつけて、何かあったら連絡を入れること。ホンプクの葉は足りているか?それから……」
「もお、ノグレーとおんなじ事言って。分かってるわよ。大丈夫だから、心配しないで」
娘の旅立ちを心配する父親の心は、気持ちの良い晴れ模様とは裏腹に嵐よりまだ酷い精神状態かもしれない。父親は、娘が口に出した彼女の幼馴染の一人――自分にとっても息子のような存在――の名を聞いて、神妙な面持ちになる。
「シラ……本当に、お前はそれで良いんだな」
「……うん。もう決めたの」
「そうか。お前がそう言うのなら、彼らも分かってくれる」
父親は、娘の後ろに立つ男女の方を見る。男の方は緑の髪と瞳をした精悍な好青年、少女はノグレーと似た銀の色彩を持つ。
「エタンドル君、イーシャさん。至らない娘だが、宜しく頼むね」
「はい」
「お任せください!」
二人と出会ったのは、優先試験三日前の事だ。勉強の息抜きに店の手伝いをしていた。この日は特に忙しくて、それでも久し振りの接客は楽しい。常連のおじさんが自分を見つけて嬉しそうに話し掛けてくれたり、新米勇士と思われる隣街出身の男の子に品物の案内をしたり。もし試験結果が思わしくなかったら、このままグルナカルスに留まって家業を継ぐんだろうなと思っていた。旅が終わればどの道そうなるのだから、早いか遅いかの問題だ。それに、勇士でない国民も二人以上の勇士が護衛についてくれれば街から街への移動は許されている。幼馴染であるノグレーは赤ちゃんの時に生まれ故郷からここグルナカルスに移動してきたはずだが、両親共に勇士だったと聞いている。
(あれ?お父さんが居なくなったのが先だっけ?最初しばらくはチスパの家に滞在してたらしいから、おじさんが迎えに行ったとかかも)
又聞きとはいえ、複雑な事情のようだから本人からも深くは聞いていない。トラモント家とエカイユ家は元々親同士が仲が良かったのだが、互いに同じ年に子が産まれ、更に新しく同じ年齢の男の子が加われば、成長して子供同士が遊び相手になるのは普通のことだ。
(チスパは知ってるのかな。……知ってるよね、ご両親が事情を知って親子を受け入れたのだから隠すのもおかしいし)
きっと、自分だけが知らない。二人はいつもシラを誘ってくれたし何をするのも一緒だった。いつからだろう、何かに遠慮して聞きたいことも聞けなくなったのは。それは自分が女の子で、彼らが男の子だと自覚した時だったのか。女子の方が精神的な成長は早いと聞く。
(……それだけじゃない)
二人は昔から何をしても注目を集める名コンビだった。控え目だけど勉強がよく出来るノグレーと、身体能力抜群なチスパ。自分は良くも悪くも平凡で、彼らの輝きを羨むばかりだった。二人と一緒にいることで舞い込んできた幸運も一つ二つの話ではない。
(わたし一人なら、出来ないことばかりだった。良いとこ取りをしてたみたいで、周りからは嫌な子に見えてたかなぁ)
ああ、解ってきた。勿論二人のことは家族同然に大切な存在だ。疎ましいとか嫉ましいとか、そんな負の感情は持っていない。上手く言い表せられないけれど、要は自分自身の問題なのだ。
「シラ、お客さんよ」
「あ、はい!いらっしゃいませ!」
母の声に我を取り戻し、俯きかけていた顔を上げる。目の前には、自分よりいくらか年上に見える青年が優しく微笑んでいた。後ろで束ねた長い髪がさらさらと流れる。
「お店の手伝い?感心だね。グルナカルスには初めて来たけど、君のような可愛らしい看板娘さんがいるなんて」
「あ、ありがとうございます。何かご入り用ですか?」
「そうだね、君と話がしたいかな」
端正な顔立ちの青年の、どこか悪戯っぽい緑色の瞳に見つめられてたじろぐ。何だか恥ずかしくなって、けれど目を背けられない。
「えっと……」
「もー、またそうやって女の子口説いて!困ってるでしょう」
隣から割り込んで来た声の主を見て、シラは一瞬息を詰めた。美しいプラチナシルバーの長い髪に、同じ色をした瞳の美女。ノグレーが女の子になったらこんな感じかな、と思わせるような風貌だった。
「ごめんなさいね、私はこいつの親戚みたいなもんでお目付役。んん?そういえば貴女、もしかして私と同じ歳くらいかしら」
「は、はい。教学院は今年卒業で」
「どんぴしゃ!これも縁だわ、お友達になってくれない?お手伝い終わったら向かいのカフェでお話したいな」
母の方を見やると、あと一時間もすればピークは引くとの事で、その後待ち合わせる事になった。
(不思議な人たち……)
これまでも同じ年代の勇士に店先で話しかけられることはあったが、友達になりたいと言われるのは初めてだ。少し照れ臭いけれど、本当はとても嬉しかった。
「あのー、あれください。何だっけ、迷っても入り口まで戻れるやつ」
「はいいらっしゃいませ!帰路輝石ですね、こちらにございます!」
一時間は長いようで、集中して仕事をこなせばあっという間に過ぎていった。エプロンを外して、レースの縁取りが可愛いお気に入りのボレロを羽織る。店の向かい側にある目的のカフェは、お昼時はすぐに満席となる大人気スポットだ。パスタやデザートを豊富に取り揃えていて、見栄えも味もレベルが高い。この店を切り盛りする夫婦には三人の子供がいて、一番上の兄は五年前に勇士として旅立っている。真ん中の女の子は今年の卒試五位突破で、シラの同級生だ。たまに連絡を取り合っていて、今は西の大陸第十一の街・ツィオトパスにいるらしい。下に三歳違いの弟がいて、彼は教学院に通いながら休日はカフェの手伝いをしている。
噂をすれば、とばかりに入り口で見事な客捌きを披露する弟くんを見つけた。
「ラント君!」
「あ、シラ姉さん!お久し振りです」
人懐こい性格で、ふわふわした癖のある金髪が年齢より幼く見える。人波も途切れたので、軽く近況報告も兼ねて世間話をする。
「シエロ兄ちゃんもユーラ姉ちゃんも現役勇士として立派に旅立っちゃったから、プレッシャーハンパないですよー。三年後とかまだ考えらんないのに」
「そうだね。今やラント君はカフェ・シャルマンの立派な看板息子だしね」
「ははっ、照れるな。でも、本当にこっちのが性にあってるかも。自分が勇士になるんじゃなくて、勇士を支える立場も悪くないよなって」
「支える?」
「うん。シラ姉さんとこの雑貨屋もそうじゃない?薬とか、他にも武具とか美味しい料理とか。国の平和を護る勇士達が健康に過ごせるようにさ。街に留まる者だからこそ出来る事があるんじゃないかなって」
ラントの言葉を聞いて、シラは急に自分が恥ずかしくなった。店を継ぐ事を、勇士になれなかった場合の逃げ道にしているように感じたからだ。
「偉そうな事言ってるけど、結局卒試は受けなきゃいけないし言い訳みたいなものかな。ユーラ姉ちゃんが聞いたら情けないって怒られそう」
「……ううん!その考えはとても素敵だと思う。わたしは、わたしは……」
言い淀んでいるうちに新しく列が形成されていく。これでは仕事の邪魔になってしまうと気付き、手短に先客の存在を告げる。銀と緑の色彩は本人達の見た目も相俟って目立つので、すぐに判別出来た。混雑する店内を用心深く進み、席に辿り着く。お待たせしました、と告げればにこやかに迎えてくれた。しかし本当に、見れば見るほど綺麗な顔立ちだなぁ……。
改めて自己紹介を終え、メニューを決めるとエタンドルが店員を呼んでくれた。その仕草はスマートで品がある。シラはいつもならパスタランチセットを頼むのだが、新メニューとしてでかでかと掲げられていたスペシャルパンケーキに惹かれてしまいそれを注文した。メインを食べてからではおそらくお腹に入らない。ラントが届けてくれた特製パンケーキはボリュームがあって分厚く、こんがりとした表面にはお店のロゴの焼き印が押してある。クリームは程良い量と甘さでしつこくない。たっぷりと彩り良いフルーツカクテルが並び、ベリー系とシトラス系に分かれていて二度美味しい。
「なかなか素敵ね、このカフェ。気に入っちゃった」
「わたしの同級生のおうちなんです。お兄さんと弟さんもいて」
「へえ。今日はお友達はいないの?」
エタンドルの問いに、彼女は今年勇士として旅立ったと告げる。
「そういえば、シラはずっと故郷にいるの?今年卒業なんだろう?」
「あ、えっと……卒業試験で勇士になれなかったんです。しあさって、優先試験が始まるからそこで合格出来ればって」
「やだぁ、引き留めちゃって大丈夫?お勉強の時間……」
「うん、今日はちょっと息抜き。あまり根詰めるのも良くないから」
勇士になったらどうしたいかという二人の問いに、シラは少しだけ考え込んだ。とりあえずは、先に旅立った幼馴染達と合流する。そうしたら、その後は?
「何だか、躊躇ってる?」
イーシャの言葉を聞いて初めて、自分の気持ちが定まっていないことを知った。そうなのかもしれない。これでは、今までと変わらないままだ。今まで通り、でも少しばかりの違和感を抱えながら彼らにくっついて行く、そんな旅になるだろう。
「自分がいると迷惑がかかる、そんな顔をしている」
「……わたしには、何もないから」
「ねぇねぇ、だったらさ!私達と一緒に行かない?」
イーシャの無邪気な提案に目を丸くする。エタンドルはまるでイーシャがそう言うのを分かっていたかのように穏やかな笑顔を向ける。
「でも、それじゃあ同じな気が……」
自分より能力が高いと知っていて誘いに乗るのは気が引けた。それでも独りきりでいるのも耐えられなくて、自分の弱さに泣きたくなる。
「やーね、こう言っちゃなんだけど私激弱よ!戦いはコイツに任せてすたこらさっさよ!」
「威張る事じゃないよイーシャ。まぁ僕もあまり戦闘は得意じゃないよ。きっと君の幼馴染の方が優秀だね」
和やかな雰囲気にシラもつられて笑う。
「無理にとは言わないよ。でも、本来気の置けない関係のはずの幼馴染に気を遣ってしまうのなら一度離れてみるのも良いのかもしれない。他人と一から関係を作るのも努力が必要だし、自信に繋がるんじゃないかな」
「うふ、インスピレーションとかタイミングって案外大事なのよ」
「イーシャはそればっかりだけれどね……。僕としても、君が一緒にいてくれたら魔法が無くても癒されそうで助かるな」
口説きが本気なのかこちらを安心させるための言葉なのかは分からないが、初対面にも関わらずここまで親切にしてくれる事には感謝が絶えない。ぐらついた心を正しく導いてくれる神の使者にでも遭遇した気分だ。シラの決意をそっと後押ししてくれた。
「……もし、もし合格したら、わたしの方こそよろしくお願いします!」
「わーいやったぁ!イーシャちゃんを護り隊メンバーゲット!」
「それはともかく。僕も嬉しいよ。足りないところは補いながら三人で頑張ろう。……世界を、救う為にね」
自分の意志で決めて、自分の考えで行動する。今までは安易な方向に流されて、頼り切って依存していた。こんな事を伝えても、あの二人は優しいからきっと否定する。けれど自分がそう思ってしまった以上、払拭する手立ては一つしかないのだ。自分が変わること。自信を持って、彼等と同じ目線で語り合えるようになりたいから。
ずっとずっと小さい頃から一緒だった。これからもずっと、そう思ってた。ねえ、ノグレー、チスパ。歩む道が少しだけ違っても、帰るところは同じだよね。三人の絆が綻びることは決して無いと、信じたい。
合格発表から一週間。初めて乗る船は想像より遥かに大きくて、揺れに酔わないか心配になる。
「二人とも東の大陸出身なのに、付き合わせてしまってごめんなさい」
「良いんだよ、同行を申し出たのはこちらなんだから。それに、大切な友達なら直接顔を合わせて告げた方が後悔しないだろう?」
太陽と海の輝きを受けて女神像は静かに微笑む。故郷の創世神も女神だが、だいぶ印象が違うと感じた。
昼の航海は、夜よりも速度が上がる。途中の二つの無人島での滞在時間は同じだが、丁度お昼も程よく過ぎた頃に入港となった。街道が無く直接領地に入るので、迎えに来たらしい勇士の姿がちらほら見える。自分達のように、誰かを残して先に行った仲間なのか。それとも船を見るのが好きで誰を待つ訳でもないのか。大きく手を振り返して応える。その中でも、気品のある銀髪と快活な橙色の色彩はすぐ見分けることが出来た。隣にいる金髪の女の子が、共に旅をしているというグラシエその人だろう。通話で声しか聞いたことがないが、イメージ通りの元気そうな子だ。
シラは逸る心を抑えるように胸に手を当てて、深呼吸をひとつする。真っ直ぐ前を向き、船を降りて早歩きで彼らのもとに向かった。
三ヶ月振りの幼馴染の姿は、何も変わっていなかった。けれど見た目だけではない何かに変化をお互いに感じていた。久し振りだね、とお互いに挨拶を交わし、告げる言葉を考える。懐かしい空気に、少しだけブレた気持ちを正しつつ。
「はっじめましてシラさん!!グラシエですーいつもあたしがお世話になってます!あれ?何か違う……まいっか!それにしてもやっぱシラさんイメージ通り~とってもおしとやかで可愛い!会えるのチョー楽しみだったんですよ」
チスパが二人いるみたいでしょ、とノグレーが揶揄するのにとても納得してしまった。なにおう、と二人揃って抗議する姿に笑いを禁じ得ない。ああ、羨ましいくらい相性の良いパーティだ。これなら自分がいなくても大丈夫。
「あのね、三人とも聞いて」
意を決して、シラは言葉を紡いだ。この三ヶ月で考えていたこと、自分の気持ち、拙いながらも全てを告げた。そして、少し後ろに控えていたエタンドルとイーシャを紹介する。イーシャの姿を見て三人が目を見開く様は予想通りだ。
「……シラは、負い目を感じてた?」
「ううん、そんなこと無いよ。自分だけ勇士にすぐなれなくて悔しかったし、ノグレーやチスパを羨ましく思うこともあったよ。でもね、きっとこの日の為だった。うじうじしたままのわたしじゃ、旅に出る資格が無かったんだわ」
「水くせーな、羨ましがられてたの俺らの方だぞ?シラを二人占めしてズルいとかって」
「うそー!そんな嬉しいこともっと早く言ってよね」
秘めた気持ちを見透かすような、ノグレーの視線を感じる。けれど怖いとは思わない。今は、暴かれて困るような思いは抱えていない。妙にすっきりとした気持ちだ。ちらりと顔を向けるとノグレーがふと微笑んだ。
「うん。分かった。シラは決めたら頑固だから。でも無理はしてないみたいだし、シラの気持ちを尊重するよ」
「あの、あの……あたしがシラさんの居場所取っちゃったんじゃ……」
「違うわ、グラシエちゃん。あなたはわたしの代わりなんかじゃないし、立派なノグレーパーティの一員よ。二人とも癖が強いけど、宜しくね。旅が終わったらガールズトークしましょ!」
「はい!ぜひぜひ!」
「チスパーティのが語呂良くね?うん、良いなチスパーティ!」
相変わらずのテンションなチスパは放っておく。いつまでも船着き場にいるのも何だからと、連れ立ってレストラン街に向かう。おいしい料理を食べながら会話は盛り上がり、ノグレーとイーシャが似てるという話題から始まり、旅した街の思い出話を語り、今後の展望を話し合う。充実した時間が終わるのはとてもとても早かった。
「どっちが魔法たくさん覚えられるか競争よ!」
「俺はパスー!こちとら武器を鍛えて物理的に強くなるんでい!」
「土俵が違うから勝負にならないね」
いつも通りの日常は、旅が終わるまできっと味わえない。こうして笑い合う間にも、世界は巣喰われ続けている。いずれ過酷な戦いに身を置くと知っていても、避ける選択肢などとうにないのだ。それなら、またいつか。再会した時に変わらず笑い合えるよう祈るだけ。
約束はたった一つ。生きて、また会おう。当たり前過ぎて現実味の無い願いかもしれない。それでも道中命を落とした勇士はいたのだ。彼等の無念の遺志を継ぐことが、自分達に出来る最大の弔いなのだ。
クアマリーネの滞在は思いの外長くなった。次の街へ行くのを無意識に遅らせたかったのか。そんなつもりはないと思っても、確実に否定は出来ないでいる。シラ一行はまだしばらくクアマリーネにいるとのことで、街の正門まで見送りに来てくれた。
「次はアディマンテだよね。ノグレーの生まれた街」
「うん。ちょっと緊張するけどね」
「緊張?故郷なのに?」
「事情があって、育ちはグルナカルスなんです。生まれてすぐだから記憶もないし、実質初めて行く街と変わらないというか。そうだイーシャ、アディマンテはどんな街?」
「えー……、そうねえ。そんな特別なことは何もないわよ?」
「それもそっか。行ってからのお楽しみだな」
見えなくなるまで手を振って、しばらく会えないだろう幼馴染の笑顔を記憶に残しておく。最終目的は同じなのだ、いつかばったり出くわすこともあるかもしれない。
「ちょっと残念だったなー、でもシラさんにはシラさんの考えがあるもんね」
「エタンドルさんは穏やかでいい人そうだし。イーシャみたいな子は大人しめなシラと案外相性が良いかもしれない。あれはあれで、面白いパーティなんじゃないかな」
「んー?あれ、チスパ君どしたの?超静かだね」
言われてみればそうだ。先程から胸を過ぎっていた違和感の正体は、チスパの声が聞こえない事だった。
「……アイツ、大丈夫なんかな」
「シラのこと?まあ一人じゃないんだし、何だかんだで真面目だから大きな失敗もしなさそうだけど」
「そうだよな。……うん、まあどうにかなるわな」
どこか納得していない様子ではあるが、具体的にどう気になっているのかは聞けずにいた。何も考えていないようでいて、シラに応援動画を送るくらいには気に掛けていたわけだし、本来共に旅を始める約束をしていたのだから予定が変わった事で心配しているのだろう。チスパは情に厚いタイプで、特に襲撃事件が起こってからは仲間への想いも人一倍強い。自分が護れる範囲から外れてしまうのが怖いのかもしれない。
「しばらくは同じ大陸内にいるしさ、寂しいならいつでも会いにいけるって!」
「別に寂しかねーけどよー……」
街道に出て方角を示す立て看板を見付けてしまえば、否が応にも緊張が増す。自分を知る人など誰もいないというのに。むしろ瞳の色を見てその街生まれの人間だと認識されるだけで、逆に意識もされないだろう。
(もう隠してはおけないか。理由はともかく、こんな情勢じゃ生家と関わらずにいられるとは思えない。……父さんの手がかりとか、聞けるかもしれないし)
各街で一番の知名度・権力・財力を持つ、中央におわす四天王・天主とも直接顔を合わせる権限すらあるとされるローサ十二家。事実上絶縁状態であるとはいえ、自分はディアローサの血筋を引く者だった。父が母と自分を連れて屋敷を出た日の事。それを告げる母の辛そうな、けれど誇り高い表情。追われた街に戻るのが最良の選択肢かは分からない。けれど、真実を自分の目で見つめて行動したい。それはこの三ヶ月で突き詰めた、自分との固く誓った約束だった。
――――
金色の王者は寂れた玉座に座り直す。目の前にひざまずく三人の可愛い部下に労いの言葉をかけてやれば、彼らは恍惚の表情で見返してくる。透き通るガラス玉のような瞳は無数の金針で多い尽くされ、その眼力は見る者全てを虜にする。
「プラチナ。貴様の部下は息災か」
「はい。周りから固める作戦、あのコ達であれば必ずや陛下のご希望に沿えるでしょう。……ルチル様に気にかけて頂いてるなんて、恐悦至極に存じます」
「それは良き事よ。……レッド。力を持つ者は集まりそうか」
「はい。体力派と知力派、我が君が世界を手に入れる助けとなる者たちを選別して取り込んでいる最中です。我々に逆らえる者など、この私の手にかかれば」
「ふむ。期待しておるぞ。して、ブラック」
「ハアイ。どうやら観念して、ルチル様のものとなると決心したようでございますわ。魔力も家柄も申し分ないですし、愛でるも利用するも、ルチル様のご一存……」
四人の妖しい笑い声がこだまする。嵐の前の静けさは、今まさに終わろうとしていた。