第四章 紫色の秘密
紅い瞳の少年は、手の中にそれと同じ色をした空気の渦を作り出す。限界まで膨張した塊を、狙いを定めて解放する。彼の故郷に眠る宝玉の加護が、その身体を通じて呼応したようにも感じられた。
「これは、いける……!レセカドォ!!」
レダイヌの群れは大きな衝撃波に散り散りとなり、仲間達が間髪入れずそれを仕留める。流れるような戦闘に、まるで熟練の勇士の如き貫禄が現れていた。
「まぁ、レダイヌくらいならそろそろ楽に倒せるくらいじゃないと……」
「ノグレー君ったら夢がない!ここは、やっべー自分達超すっげー!!とか言わないと」
「そうだぞ!見たか?やっとレセカド使いこなせるようになったんだぞ!長かった……あれから一ヶ月くらい経つんだもんな」
やかましい二人の訴えを交わし、いつからかパーティのリーダーに任命させられていた銀髪の少年は自分の手のひらを見つめる。先程の戦いで繰り出した緑水晶の初級加護魔法・リトロワも、この約一ヶ月をかけてテュルキシアの街で修行を重ねて得たものだった。
初めての攻撃魔法を習得し、ノグレーは表情さえ変えずにいたが心は踊っていた。出来れば戦闘は避けたいのが本音であったが、今の世の中そうも言ってはいられない。ならば、足手まといにならないよう前線で戦えるようになるのが一番良い。
「にしてもよ、もう春だぜ?南の大陸は覆い尽くすような花で満開なんだろうな」
「こんな時期に北の大陸いる人って絶対少ないよね。まぁあたしも、自分の街から出たことないんだけど!」
これから向かう第二の街メトュストスより更に北、最北に位置するダンジョンは一年中雪が降ると言われている。真夏に避暑に行こうとしても予想を超えるあまりの寒さに凍えて逃げ帰る、とも。街周辺はそろそろ雪解けの時期だが、花の蕾はまだ固い。南から順に上陸する花の盛りを待つまでには、おそらくは既に東の大陸に出ているだろう。リンザ以外の三人は、北の大陸での遅い春しか見たことがない。もしかしたら今年も難しいかもしれないが、この先きっといつだって機会はあるはずだ。
「花は心を優しくするわよね」
「リンザおねーさん良いこと言う!」
「やっぱり、女のひとって花が好きなんだね」
自分自身、と言うよりは母方のファミリーネームが花の名が由来だったためか、家の中で季節の花を見ない日は無かった気がする。母が楽しそうに水遣りをする光景を見るのがまるで日課のようだった。
「そうか……花か。ひらめいた!」
「ええ~、でもぉ、チスパ君が花贈る姿って何だか似合わない!」
なんだとー、と詰め寄るチスパと、爆笑しながら逃げるグラシエ。最後は皆が笑いの渦に包まれる。
「ノグレー君ならちょっと似合うかも!王子様顔だもんね」
「おお?グラシエはノグに気があんのかー?」
「違う違う!チスパ君に比べたらってことー!でもあたしのメンクイ番付によれば、トップ10も夢じゃないね!」
「僕を引き合いに出すのは止してよ……」
同世代の女子との交流は教学院でもそれなりにしていたと思うけれど、陽気で人懐っこいグループとはほぼ挨拶程度だった事を思い出す。幼馴染のシラも、共に旅をしているリンザも控えめなタイプだったから、そういった人間との距離の掴み方がまだ分からない。男女・教師問わず誰とでも活発に交流していたチスパの影に隠れて、おこぼれのような交流しかしてこなかったのだと今更ながら悔いていた。助けを求めたくても、チスパはおそらくこの状況を楽しんでいる。堅物なノグレーが心乱される姿が珍しくて、ついからかっているのだ。
「そいやーノグは教学院でも密かにモテてたよなー、女子から手紙もらってうっほほう!となってたら、『ノグレー君に渡して下さい』っての一度や二度じゃないぜ?」
「へえー!何それもっと聞きたい!」
「はいはい、もう終わり!スノークロウがこっち狙ってる」
いつもは嫌な魔物との戦闘も、話を中断するには来訪が有り難くすらある。スノークロウ――背中側が純白、腹側が真っ黒な羽で覆われた雪烏だ。太く鋭い嘴で突っ込まれたら身体に穴が開くだろう。名が現すとおり雪の積もる地域にしか生息しない。
道の脇には所々白い塊が残っていて、土が混ざってあまり綺麗ではない。まだここは街に近い部分だから遅くてもいずれ花の咲く春を迎える。少しずつ少しずつ溶け出して、頑なに留まる塊が無くなってしまえばすぐだ。
戦いを終えては、翻ったポンチョを直す。育ちは北の街とはいえ、その中でも南に近いグルナカルスに比べると身を切る寒さは耐え難い。リンザとグラシエも女性らしいデザインの防寒具を着込んでいる。そういえば二人してテュルキシアの服屋に入り浸っていたっけ。ここで期待を裏切らないチスパについては敢えて何も言わない。見てしまったらこっちが震えるはめになる、とだけ。
「さあっむいっ!」
我慢も限界に達したのか、グラシエが叫ぶ。
「やっぱ無理、言わせてもらう、なんでチスパ君そんな露出してて平気なの!?見てるだけで寒いよぉ!」
チスパは得意気に笑う。彼の鍛錬の賜物と言うのもあるが、火を司る紅水晶の加護が体温を高く保つらしい。
「グルナカルスは灯りとか炎に縁深い神様だからなー。宝玉ガーネットは燃える石炭って異名があるらしいぜ」
「へえー。テュルキシアはねー、旅人を守護する神様なんだよ。だからあたし一人で依頼受けてた時も運良かったのかな?」
大陸の創世神話はこの世界に住む誰もが最初に教わる物語だ。街の名は神の名であり、神についてはそれぞれの街でより詳しく知ることが出来る。ノグレーは生まれてすぐグルナカルスに移住した為、故郷の神話を詳しくは知らない。それについては、これから行く先々の聖護院で聞いてみるのも良い。ただ一つの不安は、父も見つからず自身の瞳の謎も解決しないまま、第四の街アディマンテのある東の地に足を踏み入れてもいいものなのか。
「ノグレー、また思い詰めた顔。大丈夫よ、貴方は出会った頃よりずっと強くなったわ。技術や魔法だけじゃなく、ね」
「……そうかな。そうだと良いけど」
リンザの見透かすような瞳も今は怖いと思わない。信頼が生まれている証なのだろう。だからこそ、この先の別れはきっと寂しい。そんなしんみりした空気に気付いているのかいないのか、前を歩く二人組は相変わらず賑やかだ。
「それにしても異名ってなんかカッコいいよな!俺も有名になったら二つ名とか出来んのかな」
「どんなのが良いの?」
「んー?そうだな、俺なら“豪腕の覇者”とか」
「うわあ……ちょっとゴテゴテだねぇ」
グラシエの控え目な批評も何のその、チスパは調子に乗り始める。ノグレーを“神速の銀”、リンザを“褐色の女神”と称す何とも言えないセンスを発揮した。そして最後にグラシエの異名を提案する。
「口から生まれたギャル!」
「何であたしだけそんな適当なの!?」
ボケとツッコミがよくハマるコンビだな、と感心しつつも半ば呆れながら見守るノグレー。そういえば街にも神の名とは別の異名があったっけ。そのほとんどは司る宝玉に関連するものだ。今度由来を調べてみるのも面白いかもしれない。
「着いたわ、ここが関所ね」
リンザが示す先には、溶けない雪で白く色付いた山がある。試練の霊山。ここを突破すれば紫玉郷メテュストス、リンザの生まれた街に到着する。春の息吹が届くのが遅い大陸最北の街には、まだきっと花は咲いていないだろう。
山の中と外を交互に巡る形で歩み進んでいく。所々の小さな仕掛けを解き、上の橋に括り付けられているロープで対岸に飛び移る。まるでアスレチックのような内部だ。魔物は紅水晶の加護魔法を持つチスパを主体にして弱点を突く。だが彼の場合、魔法より武器攻撃の方が強い可能性も捨てきれなかったが。
積もる雪道を踏みしめて足跡くっきり凹ませてみても、あっという間に平らに戻る程に激しく降りしきっている。時折緩やかに止みかけたところでなるべく先へと進む。もたもたしていると歩けなくなるのだ。そういう時は物陰に潜み、一時的なブリザードが過ぎるのを待たなくてはならない。
「動けない時に襲われたら万事休す、だな。チィ、魔法で和らげるとか出来るか」
「うーん、だだ漏れ状態で耐え切れるほど魔力多くないぞ俺」
「私も紅水晶魔法は少し扱えるから、交互にやりましょう」
「さっすがねえさん!頼りになるな」
チスパは両手を掲げロサートの魔法を唱える。最大限まで膨張した塊は、針で突かれた風船のように破裂し、広がった赤い光を浴びるように四人に降り注ぐ。
「今だね!走るよっ」
時限の有るバリアみたいなものだ。一定時間、天候の影響を受けずにいられるフィールド魔法。魔力の消費が多いためそう頻繁には使えないが、なるべく早く進みたい箇所では有効だ。外にいる時間は少なめにした方が、体力の消耗も減らせる。最南の灼熱の地では青水晶の加護魔法で同様の力を得られる。
「これで八合目内部まで来たね。この奥の仕掛けを解けば外に出られる」
「関所はどこも仕組み同じなのかなぁ。あたしまだここしか知らないけど」
「油断はしないようにね。これまでも、最深部や仕掛けの前でルチルの影響を強く受けた魔物が潜んでいたわ」
それを聞くと、嫌でも思い出す。グルナカルス-テュルキシア間の関所で出会った人を喰う魔物。考えたくない事を、傷を抉られるように叩き付けられる。
「行こう。何が出ようと、四人もいるんだし」
「用心して、早くここを出よ出よっ!」
警戒しながら内部に入り込み、塔の時とはまた違う仕掛けに挑む。皆が雑魚敵に対応している間にノグレーは一人パズルに向き合っていた。前回倒れてしまったからって気を使わなくても良かったのにと思いつつ、やはり興味はあった。今回は少し計算が必要なようだ。難なく解き終わると身体が柔らかな光に包まれ、浮くようなふわふわと少しだけ気持ち悪い感覚を覚える。まばたきをした一瞬で、彼らは雪深い地上にいた。まさか入った場所に戻ってきたのではと思ったが、よく似ているだけでちゃんとメテュストス側の入り口のようだった。リンザがそう言うのだから大丈夫だろう。
初めて意識のあるうちに瞬間移動をしたが、大陸自体が強大な力を持つとは言え本当に不思議な事ばかりだ。まるで当たり前のように過ごしてきたが、大陸が有するクォーツの作用等を研究する道もあるな、とノグレーは考えていた。勇士は期間限定の職業だと思われていた時期もあった。その昔悪の元凶と呼ばれたルチルが封印されて、その眷属である魔物は徐々に減っていくと発表があったからだ。今ではもうそれも予測出来ない。名ばかりの勇士では到底生き延びられない事態が発生してしまった。
「来るかな。……勇士が必要とされなくなる日」
ノグレーの呟きを受けて、仲間達もそれぞれ思いを巡らせる。
「お役御免になったら、俺は道場でも立てるかな!健康第一、強くなりたい奴来いやってな」
「はいはい!あたしはクオタリシアを股にかけた歌って踊れるアイドルになっちゃう!あたしの美声よ世界に届けっ」
「あら素敵ね。私はもう一度この大陸を巡ってみようかしら。きっといつ行っても新しい発見があると思うの」
ノグレーは?と問われ、先程思い至った事を告げようとする。
「僕が、勇士でなくなったら……」
『来るよ。勇士がいらなくなる日』
どこからか甲高い声が響いた。だがパーティの女性陣ではない。不審に思い辺りを見渡す。しんしんと雪が降り積もる大地に不自然な砂煙が次々と起こり、徐々に大きくなっていく。現れたのは顔と手足が黒く身体の毛並みは真っ白な獣。レダイヌの姿に酷似しているから亜種なのかもしれない。魔物の群れの中央に音もなく姿を現した女がもう一度告げる。
「ここの人類が滅亡してアタシ達の世界になれば、勇士なんてほら、イラナイでしょ?」
不穏な言葉に四人は戦闘態勢に入る。長い黒髪を持つ女は真冬の地に相応しくない肌の露出でありながら、余裕の微笑みを崩さない。
「ルチルの手の者か」
「あら、口の聞き方がなってないボウヤね。教育してあげなさい、アタシのブワイヌちゃんたち」
一斉に襲いかかろうとする魔物の攻撃を全て避けるのはなかなか難しい。四方八方から迫り来る敵から身を守ろうと四人は背中合わせで固まり、目の前の敵に集中する。次第に数は減り少し余裕も出て来た。
「おい、お前いきなり何なんだよ!その瞳、ルチルの一員なのは分かってんだ。何で俺達を狙う」
「……強い奴は先に潰すのって基本戦略でしょう?北の大地はアタシのシマ。せっかく塔にちょっと使える子置いといたんだけどね」
「お前の仕業か。あの場所に魔物を送り込んで、入ってきた勇士を喰わせていたのは!」
「ふふ。アタシだけじゃなくてよ。アタシは三金紅がひとり、ブラックルチル。我らが王で神となり得るお方を守りその目的を遂げると誓う!」
長い髪の毛が伸び、針のように皮膚を突き刺す。ブワイヌと戦う際に張った防御の補助魔法がまだ続いているとは言え、間髪容れぬ素早い攻撃をギリギリで避けるのが精一杯だ。
「さん…きんこう?」
「金紅はルチルそのものの事よ。昔の封印の年、大陸を征服しようとした元凶のゴールドルチルには側近が三人いたらしいわ」
「感心ね、よく知っているじゃない」
「でも史実ではあの時、一緒に封印されたはず……!」
「身代わりよ。あれはアタシ達の配下。三金紅は数百年をかけて、王の封印を解く方法を編み出した」
衝撃的だった。あの重大な歴史事件の真実とは、奴らの手のひらで踊らされていたに過ぎないと言うのか。事を企てたゴールドルチルはわざと封印され、陰では側近達が動いていたのだ。
「そんな事……だって当時の天主様はあの封印と引換に……。あれが、ルチルの計画通りだったっていうの?」
酷くショックを受けグラシエの顔色は蒼白になる。他の三人も言葉が出ないまま、今も続々と雪中から湧き出るブワイヌの攻撃をひたすらに受け流す。
「とんだ茶番よ。お陰で余計な時間を食ってしまったわ」
圧倒的だった。笑みが消えたのは余裕を無くしたからじゃない、本気を出したからだ。彼女にまとわりつく氷雪がまるで砲弾のように向かい来る。
「チスパ、複合魔法で防ぎましょう」
「合点だねえさん!レセカド!!」
紅水晶加護の複合で大きなバリアを作る。攻防一体の大技を繰り出し相手の攻撃を相殺させる。だがやはりそれが精一杯で、押し切ることは出来ない。ノグレーは使える限りの補助魔法を唱え、グラシエは回復を中心にサポートする。魔物自体はそう強くない。しかしおそらくはブラックルチルの力によるものなのだろう、いくらでも蘇って来るのだ。まるで最初から大群がいたかのように、魔物の数は衰えない。ならばその力の源であろうブラックルチル自身を狙うべきだと誰もが理解しているのだが、近付くことさえままならない。
「勇士がこんなにいても、アタシ一人に及ばないのに。存在する価値はあるの?」
挑発だと分かっていても、容赦ない言葉は胸に突き刺さる。
「無いでしょう?仕方ないのよ、責めてるんじゃないわ。だって」
アタシ達が強すぎるんだもの。そう続けてこちらを嘲笑うブラックルチル。悔しさに気が狂いそうになる。今まさに、変えられない事実を突きつけられている。
「ちょっとは遊べたわね。でも飽きちゃった。終わりにしましょ?」
非情な攻撃に迷いは見られない。一瞬のうちに脳内を駆け巡るのは走馬灯に似た何かだ。その内容を噛みしめるには至らない。
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「いけい、輝玉弾!!レセカド!」
一閃、強烈な光に目が眩む。同時に飛び込んだ紅い光が攻撃を散らし、ブラックルチルは大きく後ろに飛び退いた。そのまま姿を消すのを見送るしか出来ない。
「関所とは静粛であるべき場所。ようやく見つけたと思ったが、敵さんも引き際がいい。全く、ようやりおるわ」
ニヒルな笑みを口元に湛えた初老の男は、その瞳の色からメテュストス出身と分かる。リンザの方を見やるが、首を振って答えられた。街一つが小さな国と呼んでいい規模だから、隣近所でもなければ面識もなかなか無いものだろう。
「あの、有り難うございます。危ない所を助かりました」
ノグレーが進み出て一礼すると、男は驚いたように目を見開く。
「……ビルケか?」
「え……」
今度はノグレーが驚く番だった。聞こえたその名は、紛れもなく。
「父を、……ご存知なのですか」
「父、か。となると君が、息子のノグレー君だな。そうだな、こんなに若いわけがない……いやあしかし、あまりに生き写しだ」
まさかこの地で父を知る人と出会うとは思わなかった。逸る気持ちが震えに変わる。父はどんな人なのか、今どこにいるのか、聞きたいことは山ほど有るのに言葉が出て来ない。
「街に入りましょう。こんな所で立ち話もあれだわ」
リンザに促され、五人は宝玉アメジストの扉を目指す。ふと後ろを振り向いてみても、吹雪く雪が全てを真白に染め上げて何も見えない。足音すら聞こえない雪道に続く沢山の足跡も、徐々にかき消されていくのみだった。
「目くらましに気を取られるなど貴様らしくないな」
「ふふ、あまりに余裕過ぎて油断しちゃったわ。ゴールドの閃光は卑怯だと思わない?」
どこからともなく現れ、ブラックルチルに話しかける青年は重力に逆らうような髪型が特徴的だった。
「確かにルチル様のご威光は目が眩むほどだ。だが女というものはそこまで盲進的になれるものなのか。全く、この間もプラチナから散々長電話を聞かされた」
青年は呆れたように赤い髪をなで上げて溜め息をつく。
「それにしても」
「ええ、あのコがルチル様の……ねぇ」
意味ありげな視線を交わす二人は妖しく笑う。
「プラチナルチル、ブラックルチル、レッドルチル。主上とその側近である我ら三金紅にとって、切り札にも脅威にもなる存在。だがそれも、手腕一つだ」
――メテュストス聖護院。
白い壁、白い景色に馴染む紫のカラーがどこか神聖に見える落ち着いた街だった。青を基調としたテュルキシアと雰囲気が少し似ている。手続きを終えた三人とリンザは男に促されこじんまりとした一軒家へと向かった。
「そういや自己紹介もしなかったな。わしの名はペルティナ=バンテ。勇士歴は……ふむ、もう30年くらいになるか」
「わぁ、すっごいベテラン!あの変な人たちあっという間に追い払っちゃったし……あ、あたしはグラシエです!」
チスパとリンザも続いて自己紹介をする。同郷のリンザの家は街の北東側にあるらしく、真逆に近い位置に住むペルティナとはやはり初対面だったようだ。
「ノグレー、そう呼んで良いかな」
「は、はい!」
「見れば見るほど、出会った頃のビルケに似ているな。教学院は今年卒業か」
「はい。旅に出たばかりです」
「グルナカルスに移住させたと聞いたからな。となると、最後に会ったのは17、8年前といったあたりか……」
聞かせると言うよりは噛みしめるかのように、ペルティナは思い出を語り出す。若かりし父ビルケが、妻子を想い実家を飛び出してから間もない頃。そしてそれよりももっと前、勇士として大陸を駆け巡っていた時の話を。
「ビルケもアディマンテの教学院を卒業してすぐ、ルチルの残党狩りをする為に旅に出ていた。丁度わしもその頃アディマンテにいてな、彼の旅立ちに居合わせたのだ。……随分盛大だったからの」
肝心な部分をぼかしてくれている事に気付く。女性陣には、父を探している事は伝えてあるが出生の秘密は言えていない。名門貴族ディアローサの生まれであり、とある理由で街を追われた事。そのつもりはないと思っても、結果的に隠していることに変わりは無い。自ら話す気にはまだなれない。
理由、の部分をペルティナは知っているのだ。だから慎重に言葉を選んでくれている。
「少々小生意気な部分はあったが、真っ直ぐな若者だった。出会い方も、今日のわしらと似ていたな。行き先が同じだったようでな、関所で慣れない戦闘に苦戦しているのを見かねて助けたのだ」
その場で懐かれて、旅の同行を求められたらしい。まるで兄のように慕ってくれたと語る。
「二年ほど共に旅をしていた。郷里に婚約者を残しているから元々期限付きの旅だったのだ。わしはあまり人付き合いが好きな方では無かったが、奴は人懐こいというか……どの街でもすぐに他人と馴染み、仲間を作っていった」
自分とは大違いだと思った。顔を見ることもなかった父親と今の自分はそっくりだと、ペルティナも母も言うのに。親子という意識が持てていないのか、まるで他人事のようにも感じる。
「最後に会ったのって……」
「ああ、おまえさんが産まれてすぐだったんだろうな。連絡をもらってわしらはすぐ落ち合った」
ルチルの脅威は、もしかしたら潰えていないのかもしれない。自分の息子だけではなく、これからこの世を生きる子ども達に辛い未来が押し寄せるのかもしれない。父ビルケはそう彼に訴え、全ての街で知り合った仲間達に協力を仰ぐと言っていたそうだ。
「ノグの親父さんは、……うん、そっか、いち早くルチルの封印が完全じゃないって気付いたつーこったな」
誤魔化すのが苦手だろうチスパも言葉を濁している。きっと、自分の息子にルチルの影響が見られなければそこに思い至ることもなかっただろうから。
「そこから数年は、連絡も取れていたのだが……ある日急に繋がらなくなってしまった。わしや馴染みの者達で捜索はしたのだが」
「そうですか。何か、手掛かりとかは」
「最後の通信では南の大陸に入る、と言うてたかな。だからその辺りを中心として全大陸を手分けして探していたが……」
十数年も、何も手掛かりが無い事に絶望する。生きているのかどうなのか、信じたくてもそれは希望に縋るだけの願いでしかない。
「……ありがとうございます」
「何か困ったことがあったら呼びなさい。リンザさんが抜けるのであれば、紫水晶の加護が必要ならわしが埋められる。いつでも協力しよう」
ペルティナの瞳は、まだ諦めていないと言いたげだった。少しだけ希望が見えた気がした。
「ビルケに頼まれて、ルチルに関して調べた事もある。しばらくはここに泊まっていくと良い。なあに独り身だ、ちと狭いがな」
すっかり日は落ちてしまっていた。ノグレー、チスパ、グラシエはリンザを送る為に一旦ペルティナの家を後にする。
「ここよ」
何の変哲もない一軒家だ。シンプルで無駄がなく見えて、彼女がデザインや建築をしたわけでもないのにイメージにぴったりだった。
「皆のお陰で無事に着けたわ、本当にありがとう」
「いやいや!ねえさんの護衛が出来て至福でした!」
「護衛どころか、いっぱい助けてもらっちゃったもんね」
「報酬は後で送信しておくわ。また会えたら、宜しくね」
こちらが報酬を支払っても良いくらい助かったからと断ろうとしても、リンザの良い笑顔に押し切られてしまう。旅の資金は多くて困ることはないと譲らない。
最後まで不思議な雰囲気を醸し出す女性だった。紫は古来より神秘的・霊的な色と言われている。その影響を受けているからだろうか。
「ねえさん、また会おうな!」
「ええ、必ず」
笑顔で手を振り別れを告げる。ただ、一瞬だけ。扉を閉める瞬間の表情が少しだけ苦しそうだったのにノグレーは気付く。チスパもグラシエも、扉が閉まってからも手を振り続けている。気のせいか、考えすぎかもしれない。そう思おうとしても心に沈殿した違和感は完璧には拭い去れなかった。
キィ。扉を閉めれば、笑顔が眩しい温かな世界は分断される。
見た目はシンプルだが、分かる人にはそれとなく分かる、そこそこ価値の高い家財道具が控えめに主張している。自分にとっては仮初めの住まいだが、それなりに気は休まる。ここに帰る肉親はいない。自分だけの城と言うには、どこがまだ他人行儀だ。
「お帰りなさいませ。良くぞご無事で」
奥に控えていた上品な老紳士がリンザに頭を下げる。分厚い眼鏡と白い髭に隠れた表情を窺い知ることは出来ない。
「……彼らに見張りを」
「御意」
しもべは忠実に仕事をこなすだろう。それは心配していない。ただ決して気付かれないように、とは敢えて言わない。野生並みの勘や強運を持つメンバー達だ。共に旅をしたのは少しの期間だったけれど、その力を測るには充分だった。
「次に会う時は敵か味方か。……どちらであっても、衝突は免れないわね」
暖炉の上に鎮座する神の絵姿に祈りを捧げる。自分と同じ肌と髪の色をした創世神にはどこか親近感を覚えていた。そして、部屋の対となる位置にもう一枚。まばゆい金色の色彩が印象的な男性の絵姿があった。
「ルチル・ゴールド=タイチン。封印から目覚めた孤独の神。大陸を巣喰う事でしか、その存在意義を示せない。……貴方を救うために、私は」
異色の双眸を仄かに歪め、彼女は想いを巡らせる。秘密を小さく閉じ込めて、頑なに全てを拒む。自らの立ち位置を最大限利用して、刺し違えてでも。
「あなた達に、その覚悟はあるかしら?」
――虚空に響く言の葉は、決して何処にも届かない。