第三章 青色の貴石
第十二の街、テュルキシア。創世の青水晶から変化した“ターコイズ”と呼ばれる宝玉の加護を受けた街だとガイドブックには記されている。別称は蒼天郷。本来街の加護を担う宝玉は一種類だが、一部では副玉という助けとなる石が共に祀られている事もあるのだ。ターコイズは黄みがかった水色をしているが、蒼天郷と言う名は副玉のラピスラズリが由来らしかった。自身の旅立ちの街グルナカルスの加護宝玉はガーネット一つのみ、別称・石榴郷の由来も宝玉自体の別名から来るシンプルなものだったので、新鮮な気持ちでノグレーはページをめくっていた。
聖護院は常に開かれていて、夜中であっても早朝であっても歓迎してくれる。けれどそんな時間に行くのは緊急事態でも無い限り流石に良心が咎める。何か感じるものでもあったのか、朝四時に目が覚めてしまい寝直せないまま約三時間、本を読んだりアイテムの残りを数えたり、武器の長剣を磨いたりしながら時間を潰していた。隣のベッドではチスパがいびきをかきながら気持ち良さそうに眠っている。
少し考えて、ノグレーは幼馴染を起こさずに先に聖護院に向かうことにした。昼前後から夕方にかけてが最も混雑するらしいので、なるべくなら午前のうちに手続きを済ませてしまいたい。終わる頃には起き出すだろうし、行き先も一つしかないから分かるはずだ。着替えを済ませ房のたっぷり付いた愛用のケープを羽織る。北の大地はまだ肌寒いのでこういった装備は大切だ。そして最後にクラッペを付けようと、部屋に備え付けの姿見を覗いた。
ドキリと心臓が跳ねる。右目に侵食する金針の量が少し増えているような気がした。一瞬真っ白に抜けた思考をどうにか気持ちを鎮めて取り戻す。もしかして、能力を使ったからか――過去二回の、ルチルに近しい眷属との戦いを思い起こした。いずれ全てを侵し尽くされ、自らも得体の知れないものに変わってしまうのではないか。そんな底知れぬ恐怖を感じずにはいられなかった。このままではチスパの前でもクラッペを外せなくなるな、と苦く笑った。
宿を出ると、グルナカルスとは正反対な色合いの街並みに目を奪われる。不透明な色彩の二色の青はどこか重々しい雰囲気でもあるが、雪が降る季節に来たらさぞや美しいだろうと思う。ただし冬に北の大地に来るのは慣れている者でないと相当危険、だとは言われているのだが。左手の奥には、白い建物に宝玉で作られた屋根と扉が見える。全ての街で共通した形なのでとても分かりやすい。つまりあれが、国立教学院のテュルキシア校というわけだ。
この宿は聖護院の併設な為、すぐ右手に入り口を見付けられた。扉の前に立てば自動的に開く。中の設備はグルナカルスとそう変わらないようだ。まだ他の街を見ていないため比べる対象も無いが、おそらくはここの作りも共通しているのだろう。受付の窓口がいくつか並んでいて、それぞれの業務毎に分かれている。街にもたらされた様々な依頼を斡旋したり、成功の報告をするための窓口。その隣では宿泊の予約や、記憶から消したくない旅の記録を読み取って半永久的に保存が出来るという。クオタリシア大陸の大本であるクォーツの欠片を用いるとの事だが、どうやら不可思議な力が備わっているらしい。大陸そのものが魔力の源と言われているので、当然のことだと誰もが知っている。それから加護魔法習得についての窓口の更に隣、一番右側の窓口が今の目的地だった。
「いらっしゃいませ。こちらは勇士受付窓口です。勇士の宝玉をお預かりします」
首からチェーンの金具を外し、受付の女性に手渡す。六角柱の塊が群生したクォーツクラスターの上に乗せられた宝玉が七色の光を放つ。
「ノグレー=ガロファニエ様。出生がアディマンテ、卒試における勇士認定がグルナカルスでお間違いありませんか」
「はい」
「青水晶の街、テュルキシアの加護と身分の証明を記録させて頂きます」
余計な事は話さず事務的に接してくれるのはとても有り難かった。グルナカルスでも出生街が違う事で差別などはされなかったが、奇異な目で見られることはごくたまにあった。暖色や明るい色の瞳や髪の人間が多い中、銀一色の色合いはかなり目立つのだ。まだこの街の方が寒色の傾向が強いために紛れられる。
「はい、完了致しました。これでこの街にもたらされる依頼や紹介を受けたり、新たに加護魔法を習得する事が出来るようになります。詳細はそれぞれの窓口までお願いします。何か質問はございますか?」
「いいえ。ありがとうございました」
「貴方様に青水晶の御加護を。どうぞお気を付けて」
窓口を出ると、チスパとリンザの姿が見えた。この街では逆にチスパのような赤系の色はよく目立つ。
「よ、やっぱここだったか」
「もう受付を終えたのね」
「うん、ちょっと早く起きちゃったから先に」
「隣の窓口も行くんだろ?付き合うぜ」
出生街以外の魔法を習得するにも相性が重要で、何でもかんでも覚えられる訳ではない。まずはそれについての表を見せられて、最終的にどれを伸ばしていくか確認をするのだ。
「えっと、僕は銀水晶の項を見れば良いのか」
表には五つの記号が書かれている。全てを条件なく会得出来るのは生まれた街の魔法だけである。そして修行により上級まで、中級まで、初級までとそれぞれ段階があり、相性が最も悪いものは初級すら習得が出来ないようだ。
「初級までが紅、紫、黄……中級までが青、白……上級が緑で、金が覚えられないって事か」
「どれどれ?うわ、俺は緑が駄目なんだな。丁度良いんじゃね?緑水晶の加護魔法使えるメンバーいないしな」
チスパは白水晶と最も相性が良いようだったが、補助魔法を覚えるよりは今持っている天然の加護を高めることを優先するつもりでいるらしい。確かに彼であればちまちまとこちらに有利な環境を整えるよりは、最前線で攻撃をする方が似合う。
「でも、悪相性じゃない限りは青水晶の加護も覚えておくと良いと思うわよ。回復役は多くいた方が安心だもの」
リンザの言葉に二人は頷き、修行の申請書を提出した。一つの街につき一つの加護魔法しか申請が出来ないので、ノグレーは次の街で青水晶の加護を得ることにした。書類は無事受理されて、また明日のこの時間に集まるように告げられ、聖護院を後にする。
「しばらくはこの街で過ごす事になりそうね。街毎に違う特色もあるし、人々の話を聞くのも良いと思うわ」
街と街を行き来する際に突破しなくてはならない塔や洞窟などはまとめて試練の関所と呼ばれている。今後も、キメラディボアのような強敵が巣喰っているかも分からない為、準備は万端に調えるに限る。また街の近くにはそれぞれ数ヶ所、観光名所や修行場所でもあるダンジョンのようなものがあるらしい。薬を精製するのに使う珍しい植物が生えていたり、宝が眠っている事もあるようだ。主に依頼はそういったものを持ち帰って来たり、その場所に行きたい人を護衛したりと様々らしい。何か問題が起きて帰れなくなった場合も、加護を受けた街が近くにあれば宝玉の念を使って助けを求めることが出来る。それを救出に行くのも勇士の仕事だった。
「私はカフェで情報収集をしてこようと思うの。あなた達も色々見てみると良いわ。聖護院でもし受けたい依頼があったら呼びに来て。行くのはおそらく講習の後だけど」
「わかった。後で合流しよう」
「俺達にとっちゃ故郷以外の初めての街だもんな!わくわくするぜ」
リンザと一旦別れ、まずは道具屋へと向かう。回復薬はなるべく多く持っておきたい。
「塔での魔物退治で報奨金が入ったから良かったけど……最初は上手く節約していかないとすぐ底をついちゃうかもしれないな」
「うーん、修行だと思って依頼こなして貯めるのが手っ取り早そうだな~」
「そうは言っても、さっき受付行く前にちらっと見てみたけどさ、勇士としての熟練度の目安もあるみたいだったし。実力に見合うのを探して地道に行くしかないだろうな」
ホンプクの葉っぱは一つ辺り300セルク。通貨の語源が“円”を示す通り、基本は丸い形をした金属片である。とはいえそれも昔の話で、今は金銭のやり取りは勇士であれば宝玉、一般民であればそれに代わる機械が作られているためほぼ電子データとして流通している。研究者達の、大陸の魔力を用いた便利さの追求による発明は目覚ましいものがある。
回復量が更に高まる花や実もあるが少し金額が高いので多くは買えない。状態異常を治す薬草も販売されているようだ。魔物の中には毒を持つ者、炎を吐く者、痺れさせてこちらの動きを封じる者などもいる。そろそろ警戒した方が良いのかもしれない。
薬草類の棚には、手前からホンプク、セイセン、バクロウ、クワイユというこの国にしか生えない植物を乾燥・加工したものが収められている。それぞれ体力の回復、魔力の回復、状態異常の回復、戦闘不能の回復が見込め、その力が強いものほど値段も上がる。青水晶の加護魔法でもこれに代わる回復魔法を得られるが、相当の経験を積まないと全ては会得出来ない。
「うーん……ホンプクの葉っぱを五枚、セイセンの茎を三本、バクロウの芽を三芽下さい」
「毎度あり!5100セルクだね」
パーティ用として三人がそれぞれ振り分けておいた予算額から支払いを済ませる。尚この金額は、戦闘不能状態に力を漲らせ奇跡的な回復が出来るクワイユの根一巻きとほぼ同等であるらしい。なるべく体力を温存しつつ戦わないとならない、と決意を強くした。
道具屋から細い路地を通って奥に抜ければ、武器や防具の強化が出来る鍛冶屋が見えてくる。魔物を退治した時に宝玉に吸い込まれる魂の欠片を材料として、耐性をつけたり殺傷力を上げるなど、自分の能力に応じて様々なカスタマイズが可能だ。販売されているアクセサリー類は見た目も凝った装飾品だが、こちらも攻撃力を上げたり耐久性を高める等冒険に欠かせない役割を持っている。
「この量だと剣の攻撃力を少し上げられるくらいかな。強い魔物ほど魂の格が違うから多く溜まるんだ。まあ焦らなくても、ここいらの魔物は奥にさえ無理に行かなければそう強くはないけどな」
隣の窓口でチスパも似たようなことを言われたらしい。それでも少しでも強くなりたいからと、能力を上げてもらったようだ。自分の場合はほんの少し上げた所で基礎体力が低い分そう変わらなさそうな気がしたので後回しにした。その分魔法の修行に情熱を傾ける方が向いているだろう。
最後にもう一度聖護院に行って、依頼の貼り出された掲示板を眺める。勇士の熟練度で算出した難易度の数値が添えられている。まだ駆け出しの自分たちには10以下の数値が無難だろう。だが経験者のリンザがいるため、20までは考えても良いかもしれない。テュルキシアからは西方に二ヶ所、冒険ができるポイントがある。依頼のほとんどは、そこに生えた薬の材料の採取だったり、近くまで下りて来て土地を荒らす魔物の討伐などだ。自分達でもこなせそうな依頼をいくつか見繕い、リンザに相談してから出掛けようと二人の意見は一致する。丁度時間も昼をまわる頃だ。カフェか何処かで昼食を摂ってからでも良いだろう。
「あっちか。何か美味そーなにおいがプンプンするぜ!」
まるで野生の動物だな、とノグレーは笑う。意気揚々とカフェに向かうチスパについて行くことにした。
「ふおー!ここのレストラン街もなかなかだな」
街毎に食の文化も変わるとは言え、同じ北の大地であるグルナカルスとそう変化は無いのではと思っていたがその認識は間違いだったようだ。聞いたことのない料理がガラスケースに見本として飾られ、競り合うように良い香りが立ち込めている。肉の焼ける香ばしい匂いに惹かれつつも、まずはリンザのいるらしいカフェを探すのが先決だと振り払う。
「おっ、いたいた!リンザさーん」
「丁度良かったわね。場所を変えてお昼にしましょうか」
「やったー!俺、もう行きたい店決めてあるんすよ!」
三人はカフェを出て、浮かれるチスパの先導に従う。
「多分入り口近くにあった肉料理の店じゃないかと思うけど、リンザは大丈夫?」
「ええ、特に苦手なものは無いわ。ふふ、チスパらしいわね」
「チィは阿呆かってくらい食べるから……」
ノグレーの予想通り、到着したのは肉料理の有名な店だった。食欲をそそる匂いに生唾を飲み込み瞳を輝かせるチスパに異を唱える者はいない。元々食欲の顕著でないノグレーは少しだけ不安を覚えるが、何も店の料理全てが肉まみれの大皿というわけでもない。
「ほらノグもじゃんじゃん食えよ!ぶっ倒れても知らんぞ!」
いや、ぶっ倒れたのは食が細いのとは関係ないとチスパも知っているはずだろう。逆に食べ過ぎで苦しくて倒れてしまうに違いないと、上手くスルーしつつ普通量の定食を注文する。リンザはデザート付きのセットを頼んでいた。
「リンザさん甘いもの好きなんすか!可愛らしいっすね!」
「甘味は気持ちをほっとさせてくれるわね。それに、糖分は脳にも良いのよ」
チスパの頼んだ大盛りの肉たっぷり丼が運ばれてきて、その豪快さに二人が目を見張ったのはそれからすぐの事だった。
リンザの話を聞く限り、カフェでの情報収集で得られたものはそこまで多くないそうだ。現状では魔物の急襲による混乱も各地で薄らいではきているものの、勇士に対する一般市民からの期待はこれまでの比ではないという。依頼の量も報酬金額も今がピークと言ったところらしい。
「チャンスなのは間違いないわよ。ルチルが封印されてから今までは、ある程度魔物を倒してしまえばもう勇士としての仕事も無くなるのではないかと言われていたから……。市民に事実は伝えられていないけれど、感付き始めてはいるのかもしれないわ」
「僕達が卒業する前からも、ここ数年は被害の報告が多かったからね」
「だよなあ。何か変だな、って思った所にこの前のあれだもんな。勇士の力はこれから先もっと必要に迫られるって事か」
俄然やる気が湧いてきた、と息巻くチスパを横目にノグレーはセットのスープを啜る。シンプルだが野菜の旨味が染み出していて、母の味を思い出させた。
「まあ……言い方は悪いけど、今が稼ぎ時って感じなのかな」
「そうね。資金も経験も、多くて困るものではないわ」
可愛らしく果物の乗った透明なゼリーを上品に食べ終わったリンザを見やる。
「そういえば、気になる依頼はあった?」
「何件か。リンザにも見てもらってから、最終的に受けるものを決めようって」
「分かったわ」
「あー美味かった!満腹だぜ!」
満足そうなチスパを引きずるようにして手早く会計を済ませ、三人は聖護院へと向かった。いまだに立ち込める美味しそうな匂いにまだチスパは名残惜しそうにしていたが、レストラン街を抜ければ少し冷えた空気が体温の上がった肌に心地良い。春季とはいえ北の大地はこの時期そう気温も高くないのだが、麗らかな陽気は眠気を容赦なく引き起こす。
角を曲がり、聖護院まで目と鼻の先になったところだった。急に鳴り響くサイレンに驚き、跳ねる心臓を押さえる。この音は、勇士としての教育を受けた者なら誰もが理解していなくてはならない、緊急依頼の合図だ。
「何かあったみたいだ」
「行ってみましょう」
自動扉が開くのを待って中に入り、依頼窓口へと向かう。数人の勇士が沈痛な面持ちで立ち尽くしているのが見える。まさか奥地で、どうしてそこに……といった声も聞こえてきた。緊急用の電光掲示板に浮き上がる文字を読む。
「これか……」
「えーと?遭難救助依頼、テュルキシア西・冷海の鍾乳洞奥地三層、……ってどこだ?」
「冷海の鍾乳洞?あそこは熟練の勇士でも行くのを躊躇う場所よ……?」
本来鍾乳洞は南の暖かい大地で、石灰質の成分を多く含む生物の骨や殻が海底に積み上がって出来ると言われている。だがこの冷海の鍾乳洞は読んで字の如く、北の海に堆積した天然の洞窟だった。大陸の源であるクォーツの欠片が長い歳月をかけて海に溶け出し、まるで氷柱の如く次々と浮き出し作られたと言われている。
「目安……35くらいか。ちょっと確かにきついかもしれないな」
玄人と呼ばれる者たちはどうやら午前中から依頼に出掛けているようで、腕に自信のある勇士はほぼ残っていないらしい。
「だけどよ、そこまで行って帰って来れないって事は怪我してるのかもしんねーし、魔物に襲われてるのかもわからねえ!放っておけるかよ、誰も行く奴いないんだろ!」
チスパの気持ちは痛いほどに分かる。けれどまだ旅立って数週間も経たない自分達はどう考えても力不足だろう。修行もまだ始まっていないし、手数も少ない。そう頭の中ではあれこれ考えてみても、思い起こすのは先日戦った魔物――その脇に佇む大量の人骨。強く握り締めた拳が震える。けれどどうしても言葉が出せなくて、リンザとそっと視線を交わす。
「三人のパーティなのは私達だけね、すぐに出発しましょう」
腕っ節の強い勇士が帰ってきたらなるべく自分達の後を追ってもらうよう窓口に頼み、三人は駆け出したのだった。
ようやく入り口に着いた頃には既に辺りは暗くなり始めていた。通常、街に属するダンジョンは一日二日で行って帰って来れる距離ではない。直ぐに助けに行きたいのはやまやまであるが、ここまで来るのにも魔物との戦闘は避けられず、疲れも見え始めていた。
「ここで野宿するしかなさそうね。心配だけど、中に休める場所があるかどうかも分からないし……私達まで倒れてしまったら意味が無いわ」
「皆が噂していたように奥地まで行ける実力があるなら、まだ無事だと信じたいけど」
「悔しいけど、こればっかりはな。俺とノグで見張り番して交代で寝よう」
リンザが自分も見張りをすると言えば、女性に無理はさせられないとチスパが答える。皆が皆を思う故に必然的に言い合いとなるが、最終的にリンザが二人より多めに睡眠時間を取るということで折り合いを付けた。
「女だからって甘えるつもりはないのよ。でも、二人ともありがとう」
「へへっ、だって俺たちゃリンザさんの護衛っすからね!」
薪代わりの小枝を集め、火打石で火を灯す。こういった簡単なサバイバル知識も教学院の実習でこなしてきたから慣れたものだ。ある程度の魔法が使えれば、色の属性に応じて自然に作用することも出来るのだが、もちろんそれには魔力の消費が伴うために今は避けたい。
見張り一番手となったノグレーは、夜空に広がる満天の星を見ながら思う。ルチルの眷属の襲来からしばらく、目立った変化は特に無い。確かに眷属が試練の関所内に出没する事態は由々しき事実だが、派手に復活の宣言をした割にはそれ以降の動きが見えない。この広大な大陸を巣食おうとする者達だ、水面下で何かを企んでいるのは明白だ。
敵の脅威からこの大陸を護りたい、平和を取り戻したい。これはこの世界の全ての人間が考えている事に違いはないのだろう。けれどその願いは大きく漠然とし過ぎていて、まるでカメラのピントがなかなか合わせらないようなもどかしさを抱く。自分はルチルと対峙した時に何を思うだろう。諸悪の根源を倒して、平和を取り戻せればそれで良いのか。それも確かに思っているけれど、何よりノグレーは自分の正体を知りたかった。右目に巣食う金針の意味を、そしてこの瞳の謎を探りに行って行方不明となった父の生死を。世界の願いに比べれば、取るに足らない自分勝手でちっぽけな望みだ。それでも、きっと知らないままではいられない。
「まーた難しい事考えてんのか?」
ハッと顔を上げると、深い紅色の瞳がこちらを見つめている。交代の時間を過ぎてもずっと考え込んでいたらしい。
「ノグは思い詰めやすいからな。……俺よりずっと複雑なんだろうから、あんまし気の利いたこと言えねーけどさ」
チスパは頭をポリポリ掻きながら、言葉を続ける。
「その代わり俺は単純に、ただ皆を護ることだけ考える。安心しろよ、ノグがどんなになっても、俺達は仲間だからな」
幼馴染の言葉は不器用だが、凝り固まった気持ちを解して行く。全てを見透かしているのは相手も同じかと苦笑する。ありがとう、と小さく呟けば、照れ臭そうにそっぽを向く。
「ほら、さっさと寝ろよな」
物思いをやめて頭を空っぽにしてみれば、どっと睡魔が襲ってくる。ノグレーは逆らわずに横になり、そのまま目を閉じた。
リンザの声に起こされてから、携帯食料を齧りつつ鍾乳洞の中へと進んでいく。思った通り、最初の方はピピコロがやたら多くなるべく武器を使って倒す。モーニングスターを操り吸血蝙蝠を一網打尽にする姿を見て、彼女を絶対に敵に回すべきではないと誓う。威力の割にモーションが大きくてちょっと恥ずかしいからあまり使わないの、とリンザが微笑んだ。
冷海の鍾乳洞はどんどん地下に降りていく形で第二層まであり、危険区域として制定されている奥地が第三層まであるそうだ。最奥では世にも珍しい宝珠が採取出来るらしく、その依頼を受けたのではないかと推察していた。
「珍しい宝珠ってどんなんだろうな!」
「割の良い依頼ではあるのだろうけれど、手だれでもない勇士が一人で行くのは無謀ね」
突き出したガラスのような鋭い突起が所々に生えていて足場も悪い。転んで壁に手をついただけで大怪我をしてしまいそうだ。まだ第一層を突破するくらいだというのに疲労は免れない。体力よりも、神経を消耗させる場所だと感じた。そう思うと、こんな場所の奥地まで行けただけでも讃えたい気分だ。遭難などの緊急依頼の場合、対象である勇士の情報はすぐには判別出来ない為どんな人間なのかは分からない。最後の最後で怪我などをして動けなくなってしまった屈強な者なのだろうか。
「見て、あの魔物……見たことがないわね」
ゆらゆらと波に漂うように揺れる人型の魔物は、群れるでもなく一定の間隔を保って留まっている。上半身はフードを被った死神のようにも見える。長くボロボロな衣服の裾から見えるのは、ぬるりとした魚の尾だった。
「まるで幽霊みたいだな」
「確かめてやるぜ!」
槍を一閃、魔物に向かって振りかぶる。予想通りだったらしく、当らないのを見越した攻撃をすぐさま引いて体勢を整える。おそらくこの魔物には、通常の武器は効かない。
「援護する!二人は魔法で!」
「了解!俺が前に出る!」
補助魔法をかけてからは、もう相手に攻撃する手段が無い。自分の無力さを痛感しながらも、なるべく全体を見回して指示を出す。攻撃は出来る限り自分で受け止めて、メンバーの傷の具合を見極めて薬草を渡す。やれる事をやるしかない。戦闘の気配に寄って来た他の魔物達も巻き込んで、一匹倒した所で宝玉の情報を呼び出す。魔物の名はメルデモン、海に棲み付く悪霊の類だ。
「特に有効な攻撃は無いか……魔法を当て続けるしか」
魔力の消費量が心配だが放ってもおけない。救出が無事終わり街に戻ったら、道具屋で攻撃用の変わり玉を購入した方が良さそうだ。他の二人が頑張っているのに何も出来ないのはとても歯痒い。
どうにか魔物を一掃し、辺りは静寂に包まれる。ノグレーの考えは顔に出やすいのだろうか、その様子を見てリンザが優しく声をかける。
「ノグレーは場における指示が上手いわね。迷わずに戦えたわ。それも才能よ、統率力って誰もが持てるものではないわ」
「そうかな」
「得意分野を伸ばす芽を摘まないで。苦手を補うのは、仲間の役目よ」
自分は恵まれている方なのだ。旅に出たばかりでも、気の置けない幼馴染がいつも助けてくれて、出会って間もないはずの女性は知識も経験も豊富で、そして優しい。夢半ばに散った勇士も大勢いる。甘えてはいけないと思っても、頼り切ってしまっている。それでも今は前に進むしかない。戦いの場に出てしまえば、卒業試験の成績など関係ない。たゆまず歩み、戦い、そうして得たものが全てなのだ。
「行こう、助けを求めてる人がいる」
奥地へと続く石段の先を見据え、三人は進む。ぴちゃりと首筋に入り込む水滴に驚かされつつも、足取りはしっかりと地面を踏みしめて歩み行く。戦い方さえ分かればそう苦労はしない。層が進むほど光が入らず辺りはどんどん暗くなり、気温も下がっていく。うねうねと曲がりくねった道に出て、方向感覚を失くしそうになった時はメンバーと声を掛け合って互いの位置を確認する。確かにここは、一人で入ってしまっては迷って抜け出せなくなりそうな場所だ。
「ん、何か、光が…」
急に開けた場所に出て、その輝きに思わず目が眩む。小部屋のようになった最奥地には、見るだけで心を奪われる美しい原石が天地を貫くように聳えていた。こっくりとした不透明な水色と、金箔を所々まぶしたように見える濃い青。そして透明な水晶が混じり合い、これまでの苦労も吹き飛んでしまいそうなほど癒しを与えてくる。ふと見渡せば、宝玉の柱の影に倒れ込む人物を見付けてノグレー達は駆け寄った。
「君か、救助を求めたのは。大丈夫か!?」
「うう……」
見れば自分達と変わらないくらいの年齢の女の子だった。露出の多い軽装にしては怪我もほとんど無いことに驚く。
「ふああ、よく寝た……って、あれ?助けに来てくれた?」
「そうよ。怪我はないかしら?」
「わあ良かった!方位磁石落としちゃって、帰ろうにも迷っちゃって。助かったー!」
抱き着いてくる少女にどうしたらいいか困惑するノグレーだったが、落ち着きを取り戻してそっと引き離す。相手が思ったよりも元気でほっと胸を撫で下ろすが、何となく拍子抜けしてしまった。
「とりあえず一旦戻ろう。特に強い魔物はいなかったけれど、どこかに潜んでいて襲われたら困る」
「そうだな、歩けるか?えっと……」
「あたしはグラシエ!あ、あのう、あとね、すっごく申し訳ないんだけどぉ……」
少し腫れた脚をさするのを見て、三人は少女の言いたい事を悟る。チスパが歩み出て、背中を向けて姿勢を低くする。
「まぁ俺しか無理だわな」
「ありがとう!ほんっとゴメン!」
なるべく急ぎ足で来た道を戻る。これまで現れた魔物をなるべく討伐してきたからか、復活している気配も無い。それよりも滑りやすい地面に気を使わなくてはならない。チスパとグラシエをはさんでノグレーが先導し、リンザが後方で様子を伺う。最後の一層、の所で見えた人影にハッと息を飲んだが、窓口に頼んでいた応援の一行だと聞いて安堵する。その後は少女の脚の応急処置をしてもらいながらどうにか街へ戻る運びとなった。
「ありがとーございましたぁ!救助報酬、あたしのデータから振り込ませてもらったのでっ」
金髪の長いポニーテールを振り乱す勢いで、少女――グラシエ=アロンドラは深々とお辞儀した。怪我の経過も良好とのことで、三人は安心する。急な事態だったので申請していた魔法習得の講習に出られなかった為、再申請して今日の午後に受けられる事となったのだ。少女が姿を見せたのは、彼らがカフェで時間を潰している最中だった。
「にしても、あんな所まで行って捻挫だけで済むってのもすげーよなあ」
「えへへ、あたしこの街と周辺にしか出たこと無くて、逆に極めちゃったと言うか」
前髪を編み込んでおでこを広く出した髪形は、歳相応の幼さを感じさせた。悪戯っぽい大きなターコイズブルーの瞳は表情をくるくる変える。
テュルキシアの教学院卒業は16歳で、それから一年の間故郷を拠点として一人で行動していたらしい。平和が続いていたために今後もそのスタンスを取るつもりだったが、いきなりの通達で事態は変わった。けれどどうしても外の世界へ飛び込んで行く勇気が出ず、いつものように周辺のダンジョンの依頼をこなしていたところだったようだ。
「あたしすっごく方向音痴でね、まさかあそこで方位磁石落としちゃうなんて思わなかったの。油断しちゃった。あれ買っておくのも忘れてたし。何て名前だっけ、えっと」
「キロキセキ?」
「そうそれ!」
帰路輝石とは、ダンジョンの何処にいようとも力を解放すれば一瞬で入り口に戻れるという一品だ。今回の救助でこれの重要さを理解した三人は、今日までに道具屋で色々と追加で買い揃えていた。そして簡単な自己紹介を済ませ、立ちっぱなしの少女に席へ着くよう促す。
「そういえば、皆はこれからどうするの?あ、おねーさん、あたしレモネードで!」
「魔法講習で初級習得まで出来たら、もう次の街へ行こうと思ってる」
「私は二人に護衛をしてもらいつつメンバー入りしてるから、次のメテュストスでお別れなの」
「あーそっか。そうだったよなあ」
心底残念そうにチスパが呟く。彼女の存在は大きく、ここまで無事に旅が出来たのもそのおかげと言って良い。ここで新たな力を得られれば、リンザがパーティを去ってもきっとやっていけるはずだ。
「それなら……ねえ、どうかなぁ!あたしも連れてって欲しいんだけど……ダメ?」
息が掛かるほどの距離まで近付いて上目遣いで見てくるのはやめて欲しい。押せばいける、とでも思われているのだろうか。そんなに自分は篭絡されやすい雰囲気を醸し出しているのかと、ノグレーは一瞬のうちに軽く悩んだ。
「あたし、回復魔法なら中級まではもう覚えてる!武器はまあそこそこだけど、講習で青水晶加護覚えるんだったら複合攻撃だって出来るよ!それにこれでも体力あるし、あれはほんと油断しちゃっただけだから!」
「ノグ、どーする?こういう権限はリーダーだもんな」
ニヤニヤと見てくるチスパを一瞥し、必死でアピールを続けるグラシエに向き直る。
「別に構わないけど」
「やったー!超嬉しい!よろしくねー」
声のでかくてうるさいやつがまた一人増えたな、とノグレーは溜息をつく。けれどこういうのも悪くは無い。閉鎖的だった世界がこうして拓かれていくのは、不安もあるけれど存外に心地良いものでもあった。何より、明るい空気は立ち向かうべき難題に対する鬱屈した気持ちを振り払ってくれる。独りでない事がどんなに幸せなことかを噛み締めていた。
「もうすぐ時間ね。私達はもう少し話していましょうか」
「はーい!ノグレー君、チスパ君頑張って!」
新たな力がこれからの旅にどう変化をもたらすのかは未知数だ。まだ迷いは尽きないけれど、決めたからには一歩一歩踏み出すしかない。自分の目的を成就させる道の先には、平和を脅かす者がいる。ならばやるべきことは一つなのだ。
「よっしゃ!やったろーぜノグ!俺たちゃ最強!目指す!」
「はいはい。行くよ」
いつもの笑い合う光景が壊されることのないように。そう、たとえ自分が、その原因となるかもしれなくても。ただ今だけは、真っ直ぐに前を見ていたかった。