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第二章 異色の双眸

 彼等が広げたのは、所々に使い込まれた跡が見て取れる一冊のガイドマップだった。地図には一枚の簡易なものもあり、初心の勇士は大概そちらを買う。もちろん安価であるのが主な理由だ。少し値の張るその冊子は幼なじみの女の子の父親から譲り受けたもので、新たな使命を得た自分達への、商売や家族を護るため旅に出られない元著名な勇士からの餞別の一つだった。

 街についてはそれなりに詳細が載っている。歴史や国の起こりについても少し解説されているが、文字の多さにチスパは読むのを投げ出した。冒険なんて経験と勘の良さがモノを言うんだ!とあたかもベテラン勇士を装うように言い放つ。呆れたノグレーは、その項については後程じっくりと読んでみることにして、巻頭に三つ折りされた大陸地図を広げてみた。

「とりあえず、次に寄る街を決めないと。出来るだけ多くの街に行って仲間を増やしたいしね」

「有能なヤツを片っ端からスカウトして、さらっとルチルの元凶のヤツぶっ倒したら国から報酬たんまりもらって、宴に呼ばれて綺麗なお姉さんにちやほやされるんだろ?さっさと行こうぜ!」

「知名度も何も無い僕らがスカウトした所で誘いに乗ると思う?」

 鼻息の荒い相棒の前向きすぎる妄想に溜め息を吐きつつ、その脳天気さを少しでも分けてほしいとすら思う。グルナカルスの正街門へと向かう道中、昨夜母から告げられた最も重い過去の真実を途切れ途切れに話してみたのだ。意外というよりも案の定、奴は笑って言いのけた。

『ノグはノグだろ!坊ちゃん扱いなんかしてやんねーぞ!』

 ただでさえシラをたまには嬢ちゃん扱いしないと拗ねるってのに。気を使うなんざ向いてねーのよ。

 嬢ちゃん扱いもなにも、チスパは幼い頃と同じ感覚で周りを振り回そうとするから体力的に劣るシラはさすがについていけないだろうと突っ込みたくなったが黙っていた。何より、こういった反応の方が有り難い。解ってはいてもどこか不安があったから。それは相手に、というよりむしろ自分自身にだったのかもしれない。

「地図見して。……んーと?北がメテュストス、北西がテュルキシア、海渡って東がクアマリーネで、橋下って西がツィオトパスか。どうする?リーダー」

「誰がリーダーだよ。まぁ無難な選択だけど、まずはこの北の陸地を全てまわろうかと思うんだ。一番近いのがテュルキシアだし、回復魔法が得意な青水晶の加護を受けた勇士がいる街だ。そうしたら更に北かな」

「ほーい。ま、そういうのはノグに任せるわ。俺ぁ身体動かして道を切り拓く!そら、お出ましだぜっ」

 門を出て、北西の方向へまだ数十歩といったところか。こんなにもすぐに魔物が出るとは、成程勇士の資格を持たない者は街の外へと踏み込めないはずである。魔物の姿を確認した瞬間、その手には既に武器を握っていた。便利なものだ。

「はッ!」

 大きく剣を振りかぶる。狙いが定まらず、掠り傷程度しか付けられない。赤い目をした巨犬のような姿をした魔物が数匹。チスパが軽々と大槍を翻す。急所を突いた手応えはあったらしい、バランスを崩しつつも反撃する魔物の牙をすんでのところで避け切る。

 先程よりもいくらか集中して、今度は正確に切り付ける。倒れ込んだ魔物は光の欠片となって勇士の宝玉に吸い込まれた。実際には、目に見えない魂のような力を取り込んでいるらしい。これにより魔物の情報も記録され、いつでも呼び起こせるのだ。宝玉に触れて、今の魔物の情報を、と問いかける間もなく眼前に冊子のようなものが開いた。立体映像の一種である。先程の魔物の名はレダイヌと言うらしく、簡単な情報や弱点が記載されていた。更に細かい情報は数を多く倒さないといけないと習った。

 事前に弱点を知れば戦いやすくなるのは確かで、ノグレーにはその能力がある。けれど一度力を使うだけで激しく体力気力が消耗するのを実際に目の前で見ていた相棒からは、なるべく使うなとのお達しが出た。ノグレー自身も、使うべき時は今ではないと確信していた。

「それにしてもさすがに力量の差があるな。もっと鍛えておけば良かった」

「そらしゃーねぇよ。親父が体力自慢の勇士だったから鍛えて力付けるとか遊びの一環だったんだぜ?ノグはあれだろ、インテリ担当」

「何だよそれ。でも、加護が銀水晶だから攻撃魔法もあまりないしな。なるべく聖護院で魔法会得しないと」

 今の二人はそれぞれの剣と槍が主だった攻撃方法だ。他に、チスパは最下級の紅水晶魔法であるロサートを体得していて、通常攻撃が効き辛い相手にはそれを放つ。銀水晶の国の生まれであるノグレーは味方の能力を上げる魔法を得意としている。とはいえ飛躍的に向上する高位な魔法はそう簡単に得られるものではないので、言わば保険のようなものである。敵からの攻撃を少しだけ軽減できるデゲインと、数十秒の間味方一人の素早さを上げつつ相手にも衝撃波を放つヴェルテ、この二つを時折交え補助をする戦い方だ。

 先を急ごうとするチスパを止めるたびに、堅実派だよなとからかわれる。性格がまるで正反対だ。これを中和させるのがもう一人の幼馴染だったんだと今になってシラの存在を思い知らされ、二人は少し笑った。

「あいつ今頃猛勉強してるだろうな。根は真面目だしな、ノグに似て」

「たまにチィみたいに突っ走るけどね、多分良い方に転ぶはずだよ」

「っはは、だな!」


 ほぼ一本道で魔物を倒し武器や魔法の扱いも少しは慣れてきた頃だった。目の前に分かれ道が見えてくる。親切なことに立て札が鎮座しており、目的地テュルキシアへの進行方向はこのまま真っ直ぐだと理解した。西の方向へ行けばツィオトパスへと繋がる。このまま道を辿ればすぐ次の街へ――行ければ良かったのだが――仮にも上位で試験を通過した彼らは、この先の苦労を嫌でも理解していた。

「こいつかー、街と街の行き来を阻む試練ってやつ」

「元は魔物たちが街に入れないよう惑わせる役割があるって話だったけど、人もそう簡単に入れないんじゃ本末転倒だよね」

「敵を欺くにはまずなんとやら、ってか」

 石造りの古びた塔はその堂々たる高さで威厳を放っている。向こうの景色も何一つ見えず、外観からでは何処を抜けて次の街まで行けるのか到底考えが及ばない。空はまだ明るいが、まるで要塞の如く聳える壁が地面に大きく影を落とし、日の当たらない範囲は少しジメジメとして薄暗い。

「新しい街に行くたびにこんなん突破しなきゃなんねーのか……」

「洞窟とか海路とかそれぞれ違うらしいけど」

 闇雲に入り込んではただ道に迷うだけだろう。けれど何も情報がないのであれば結局飛び込んでみるしか方法は無かった。回復の要となるホンプクの葉の数を確認する。シラからの餞別に貰った三つのうち一つは道中ノグレーの傷に使ってしまっていて、途中街道に生えていた分と魔物が落とした分で二つ手に入れている。充分な数だろう。いざ、と塔の入り口を見据えた時、微かな物音を拾ったチスパが振り返る。彼の勘の良さや嗅覚・聴覚はともすれば野生のそれと言っても過言ではない。運が絡む要素でもあるけれど。

「その塔はやめておいた方が良いと思うわよ」

 声の主は、濃い色の肌に跳ねのある緩やかなショートカットが健康的な女勇士だった。証の宝玉はヘッドティカの形を取って額の上で煌めき、どこかエキゾチックなイメージを醸し出す。

「うお……!これは綺麗なおねーさん!」

 そうだった。チスパは大人のお姉さんに弱い。思った通りの反応に思わず顔を覆うノグレーの脳裏に、学生時代若く美しい女教師の全てがチスパに口説かれていた光景が過ぎった。勿論、教師陣は慣れたようにあしらってはいたのだが。初対面でどういった人間なのかも分からないうちに本能的に口説くのは危険だし失礼だろうと諭してやりたかった。

「あら、ありがとう」

「……どうして、この塔は駄目だと?」

 呑気な幼馴染が余計なことを言う前にと、話を元に戻す。女勇士は気分を害した様子も無くノグレーに向き直る。

「最近、厄介な魔物が棲み付いたって聞いたわ。」

「厄介な魔物…?」

「ええ。何人もの勇士がこの塔に入ったっきり戻らないらしいの」

「だったら尚更助けに入った方がいいんじゃないっすか?」

「生存は絶望的よ…それにミイラ取りがミイラになることもあるわ。時には危険を避けることも勇士には必要よ」

 パープルカラーの髪を掻き上げながら、女勇士も塔の入り口を見つめていた。どこか悔しげに、睨みつけるように。

「……あなた、ワケ有りっぽいわね」

いつの間にかこちらに向けられた目線を受けて、ノグレーは訝しげな表情を返す。

「初対面でそんな事を聞くのはどうなのか」

「あら、初対面だからよ。仲良くなってからじゃこんな事切り出せないわ」

 丸め込まれた感が否めないが、無理やり納得させる事にした。彼女の丸い二つの瞳はとても強くて、片目ではとても受け流せないような錯覚を起こす。

「……えっと、」

「失礼したわ。私はリンザ。リンザ=ジーヴルよ」

「リンザさん…綺麗な名前だな!俺はチスパっす!」

「ノグレーです。あなたは、ヘテロクロミアなんですね」

 リンザの瞳は髪色と同じアメジストパープルだった。しかし左目は輝く日の光に似た黄色だったのだ。左右の瞳の色が違う人間の事をこの世界ではヘテロクロミアと呼んでいる。生まれ故郷の違う男女の子どもに稀に産まれることがあるが、そのほとんどはどちらかより魔力の強い方、又は土地の影響を受けて出生地の加護を受け継ぐ。よってヘテロクロミアは世界でも数十人いるかどうかというくらい珍しいのだ。その上両方の出身地が司る最高位の魔法まで、聖護院での修行無く会得することが出来るとされている。

「ええ。生まれ故郷の色が必ず右目に出るのよ」

「て事は、メテュストス出身のー、んっと、黄水晶の街って何処だっけノグ」

「ツィオトパスだろ。丁度ここに来る前の別れ道の先だよ」

「そうなの。ほら、魔物襲撃の報があったから、一旦戻ろうと思ってね。先に母方から挨拶に行ってきたんだけど……そうだわ、貴方達に護衛を頼もうかしら。勿論報酬は出すわよ」

「おおっ、それはむしろありがた…いやいや。なあ、ノグ良いだろ?」

 目的地は彼女の生まれた街メテュストス。ノグレーとチスパもこの北の大地の終点は同じ街だから戦力に不安のある今願ってもいない話だ。しかしこの塔を避けて最北の地へ行くには、グルナカルスに戻らなくてはならない。

「……別に良いけど、テュルキシア経由で行きたいと思ってる。今さっき出てきた街に戻るなんて時間を無駄にはしたくない」

「まあなー、見送ってくれた皆の手前な。けどよ……」

「いいわ」

 リンザはあっさりと条件を飲んだ。なんでも、この塔が危険なのは一人で突破しようとするかららしい。餌にしてくれと言っているようなものだ。二人いたとしても、冒険に慣れていない初心者であればまだ難しいかもしれない。けれど、三人ならば。

「意志と運命を共にする同じ勇士の仲間の供養だけでも、せめてね。まだ生きている人がいればそれに越したことは無いわ」

「入ってから出口までどのくらいかかるか想像も出来ないけど、急いだ方が良さそうだ」

 地図に外観は載っていても、内部の詳細について書かれたものは出回っていない。うっかり無くしたり奪われて、知恵の回る魔物に秘密を知られてはいけないとの配慮らしい。だからこそ内部に入ったものの出られずに、入ってきた勇士を待ち構えて襲う事態が発生しているというのに。街に入り込まないだけマシだと中央は判断しているのか。


 重い石の扉を開けて中に入る。ギシギシと不快な音を立てて、開けるにも閉めるにも一苦労だった。魔物達もこうやって正面から入り込むものなのだろうか?いや、おそらくは何処か壊れた隙間から入り込んだりしているという見方が正しいのだろう。古びた石の壁は所々欠けていて、大穴があっても不思議ではない。そんなものを見付けたら聖護院に報告して修理を頼んだ方が良さそうだ。これ以上の未来ある勇士の犠牲は食い止めなくては。

 三人はそれぞれの身の上話をして徐々に打ち解けつつ、塔を登っていった。リンザは彼らより一つだけ年上だが、故郷メテュストスの卒業年齢が16歳のため勇士歴は三年であるらしい。襲撃以前から増え行く魔物の数に疑問を感じ、調べてまわっていたそうだ。

「今まではね、勇士の役目ってそこまで重要じゃなかったのよ。……ううん、必要な職業ではあるけれど。ただ、ルチルの遺した魔物を倒していけば、世界は平和になるって誰もが信じてた。けれど今は違う、ルチルは完全に復活宣言を出してきて、まるで楽しむように街を破壊してまわった」

「こっちはすぐ気付いて迎え撃てたけど…もっと酷い所もあったんだろ?」

「重軽傷者の多い街がほとんどよ。死者が出たところもある。ツィオトパスがそうだったわ」

「そうか……」

 重くなりそうな雰囲気を跳ね飛ばすかのように、リンザの高い声が響く。

「いくら倒しても減らないはずよね、完全には滅びていなかったのだもの。……それとも、気付いていて隠していたのかしら」

「中央が?それはどうだろう、いくらなんでも」

「民衆の混乱を避けるため、ってーのが引っ掛かるってことか?」

「察しがいいのね。いつかそんな疑問を投げかけられた時、こんな報道があったのよ。“魔物の孵化が早過ぎて退治が追い付いていないだけ”……ですって。復活も有り得るって分かっていれば、勇士の誰もがもっと力を付けられたはず。たとえ民衆の混乱を避けるためとはいえ、せめて勇士にだけでも伝えないでいたことは無責任だと思うの」

 中央、と称される天主と四天王・また宮殿に属する貴族達の世界。一般庶民が姿を見られるのはその中でも下級クラスの貴族のみで、実態は謎のままだ。その下にローサ十二家があり、以下有力貴族と庶民との橋渡し役となっている。リンザの考えることも最もであり、疑問符は増えるばかりだ。

「にしても階段多いなー、上に細長い塔なんだな」

「登りきって疲れた人間を襲う、なんて知恵のある魔物に違いないわ。それに、」

 リンザが話し終える前に、目の横を何かが掠めた。通り過ぎた影は折り返して戻ってくる。つう、と流れ出した赤い血とちりちりと控えめな痛みに眉をひそめる。

「ここはピピコロの巣窟ね。塔や廃墟みたいな薄暗い場所には大抵いるわ、吸血されないように気を付けて」

 名前こそ可愛らしいが、躯は小さいものの獰猛な吸血蝙蝠だという。

「黄水晶の加護魔法が弱点だから、私が前に出るわ。援護をお願い!……ヨナイト!」

 リンザは中級魔法を繰り出す。最下級のイエリトの1.5倍の威力を持つと確か習ったはずだ。

「すっげーなリンザさん!俺も早く中級魔法覚えて俺強えええってやりてえ!」

「無駄口叩いてる暇無いだろ、どんどん増えるぞ!」

 ノグレーは補助魔法をかけながらピピコロを剣で薙ぎ倒していく。相手はかなり素早い。チスパの槍攻撃は大振り過ぎて空振りが目立つ。紅水晶魔法のロサートは大きなダメージは与えられないが、まだこちらの方が確実だ。対してノグレーは程よい間合いを探して正確に斬りつける。

 黄水晶と紫水晶は相互弱点だ。ヘテロクロミアであるリンザは多少軽減されるとはいえ、ピピコロからの攻撃は他の二人よりダメージ量が大きい。上手く身をかわしつつ、連続で魔法を打ち込む。武器は持っているのだろうが使おうとしないのは、直接攻撃よりも弱点を突く魔法の方が威力が高いという経験によるものだろう。

「あと一匹!そら!」

 意地でも槍を活用させたかったらしいチスパの攻撃がやっと実を結び、塔には再び静寂が訪れた。

「っはー!なかなかやばかったぜ!おっと、ノグ葉っぱ使うか?」

「……この程度なら大丈夫だと思うけど」

「ダメよ、魔物に付けられた傷は放って置かない方がいいわ。化膿したり毒が残っている可能性もあるの。ちょっとじっとしていて」

 リンザの手が頬に翳される。温かく柔らかな青い光が漏れ出し、線状の傷がみるみるうちに塞がっていく。

「ありがとう」

「回復魔法のクラルまで使えるのか…なんが俺達が護衛してんじゃなくてされてるみてーだよなぁ」

「ふふ、お互い様、でいいじゃない。私も二人がいて心強いもの」

「うおおー!俺も絶対強くなるぞー!誰でも守れるようになるぜっ」

 新米勇士だから仕方の無いこととはいえ、上手く戦いの流れを掴めない事にチスパはやきもきしているようだった。焦りは判断を鈍らせる。これはフォローが必要だろうな、とノグレーは冷静に分析した。そしてこう考えていることを悟らせては余計に頑なになるだろう。伊達に歳の数だけ幼馴染をやっていない。

「もう……四階くらいには上がってきたかな。あとどのくらいあるんだろうか」

 普段体温の変化が緩やかなノグレーでも、じわりと滲む額の汗に不快感を覚え出した頃だった。チスパも手で顔を扇いでみてはいるが余計に暑苦しい様子だ。対してリンザは涼しい顔をしている。体力的にも精神的にも、経験は何にも勝るのだろうと感じる。

「昔ここに来た時は、確か五階だったはず。大広間があって、奥の石版の謎を解けば瞬間移動で外に出られたと思うけれど。かなり久し振りだから細かくは覚えていないの」

 ならば厄介な魔物はおそらくそこに潜んでいるのだろう。ようやく突破できる、と喜び勇んで進み行った勇士達の絶望を想像して気が重くなる。ピピコロやその他小動物の形を取る魔物を狩りながら、最上階へと足を踏み入れた。異様な静けさが逆に警鐘を鳴らす。姿は見えないが、確実に忌むべきものがいる。足音を鳴らすのも憚られる程、張り詰めた空気が緊張を促す。パチ、と誰かが瓦礫の欠片を踏みつけた瞬間にそれは瓦解した。おぞましい寒気が肌を撫で、ぞわりと背筋を震わせる。広間に突如現れた黒い影が徐々に形を為しその醜い姿を現した。まるで合成獣のような出で立ちだ。狒々か猪か、そして何か角のある動物……そう長く注視出来る余裕も無い。

『ギギギ……またも新たな獲物が忍び込んできたか。女もいるとは僥倖だ』

 言葉が理解でき会話に不自由しない魔物は相当な知恵が回るとされている。案の定、鋭い瞳には金色の針。間違いなくルチルの影響が強い眷族だ。

「おい!今までに来た他の勇士はどうしたんだ!」

 挑発するかのように投げ掛けるチスパの言葉に魔物はニヤリと笑んだようにも見えた。くい、と顎を動かした先に見えたものはそう古びてもいない人骨の山。後ろでリンザのヒッ、と息を詰めた声がした。ルチルの復活、それに伴う魔物の凶暴化、それらは一見平和に見えていたこれまでの生活を大きく覆すに至るもので、命の危険と隣り合わせであることを実感せずにはいられなかった。そしてそれはおそらくルチルの根本を叩くことでしか終わらない。けれど今は目の前の脅威を除かない限り、生きる道は得られないと悟る。

「許せねえ!お前をぶっ倒す!」

『クックック……暴れると良い、運動量の多い人間の味は格別でな』

 嘲笑う声音に神経を逆撫でされたか、チスパは既に興奮状態だ。これはまずい、とノグレーはリンザに目線を送る。その意を解したようで頷き返した彼女は戦闘態勢に入り、集中して魔法弾を作り出し始めた。これまでにも塔内の魔物に攻撃したりノグレーの傷を治したりと、そう多く魔力は残っていないだろう。持久戦になりそうだ、温存するに越したことは無い。体力や扱える魔法を考えても、おそらく一番足手まといなのは自分自身だ。一箇所に固まらないよう指示を出して敵を取り囲み、出来るだけ攻撃を受けないように動き回る。味方に補助魔法をかけながら突破口がないか探す。ロサート、ヨナイト、そして紫水晶の中級魔法イオセコもダメージは大きくない。緑水晶の加護が弱点で無い限りは、魔法攻撃はほとんど効かないと考えて良いだろう。

『グアッハッハ!痛くも痒くもないわぁ!』

 砲弾のような衝撃波を口から放つ敵は余裕を見せる。あまり多く間合いを取るのも危険だ。かといって近付けば、体当たりや鋭い爪の攻撃を仕掛けてくる。そろそろ味方の体力も限界だろう。ホンプクの葉っぱももうすぐ底を尽きる。クラルで治せる範囲を超えるほどに、細かい傷が蓄積されていく。

「お前と……ルチルの復活した目的は何だ?」

『知れたことよ。この世を征服すれば喰い放題だからな!ほっほ、最近は肉の固い男ばっかりだったからな、男でも若いのに限る。女なら情けをかけて一飲みにしてやろうぞ。胃の中で溶けゆく感覚は至福じゃ』

 この外道が、と叫び突っ込んだチスパの槍に貫かれても敵に苦しむ様子は無い。武器での攻撃も効かないとなると手詰まりだ。一つ一つは小さな傷でも、積もれば相当な出血量となっているのだろう。目の前が霞み、意識が朦朧としてくる。

『フォッフォッフォ、そういえばそこの小僧と同じ、以前飛び込んで来やった銀髪のやつは歳の割になかなか屈強で旨かったな。赤も紫も珍しくないが、銀髪銀目は珍しい故よう覚えておるわ!』

 ドクン、と鼓動が脳内で響いた。瞳と髪の色が共通している人間も一定数いるものの、取り立てて珍しい訳ではない。この塔を通るのは周辺の街出身の者が大半を占めるだろうが、勇士は全国を旅するものだからどの街の人間がここを抜けようとしてもおかしくはないのだ。だが、その色の組み合わせには覚えがあった。ノグレー自身のカラーであり、そしてそれは父親から受け継いだものだった。幼い頃に母からよく聞かせられた事を思い出す。あなたはお父様にそっくりね、と。成長してからはいつの間にか言われなくなった。帰りを何年も待ち続け、最悪の事態を想定していたからではないのか。ギリ、と奥歯を噛み締める。その様子を見てチスパが逆に冷静さを取り戻していた。事情を知る幼馴染は、ノグレーの考えている事に思い至ったのであろう。

「落ち着け、ノグ!まだそうとは決まってない!」

『ググ、そういえば貴様に似ていた気もするのう、グエッヘッヘ!!』

 嘘か真か判断する術はないが、動揺を感じて更に揺さぶりをかけてきた魔物にノグレーは正面から突進する。跳ね飛ばされても立ち上がって向かっていく。普段おとなしいやつが切れるとこれだ、とチスパはリンザと共に総攻撃を仕掛ける。ノグレーに集中攻撃がいかないように敵の気を散らせ、けれどそう長く続かないのも知っている。

 肉が抉られても血が噴き出しても堪えない相手に、ノグレーの感情は行き場を失っていた。こいつの体内に取り込まれた人間はいったいどのくらいの数なのか。嫌でも目の隙に入り込む頭蓋骨の山。あの中に、顔も知らない肉親がいるというのか。辛さから写真も一切しまいこんで気丈に振舞う母に何と伝えればいいのだ。感情が涙の形を取って溢れ出す。それが内側からの物理的な刺激と気付くのは少し後のことだった。疼く右の瞳が、呪縛を解けと騒ぎ出す。クラッペをずらし敵の瞳を睨みつければ、予想外の事に相手の動揺が見て取れた。

『貴様、その瞳は……』

「キメラディボア。その角は鹿のものか……。リンザ!君の武器で骨山の壁の向こうを狙って!早く!」

「わ、わかったわ!」

 敵の言葉を遮って、考えるよりも先に指示を出す。彼女の武器など見たことがないのに。けれど全てが的確だと疑う余地はなかった。リンザのヘッドティカである勇士の宝玉から漏れ出す光から現れたのは、棘付きの鉄球を鎖で繋いだモーニングスターだ。慣れた手捌きで後方の壁を打ち砕くと、黒々とした靄が溢れ出す。

『クッ、貴様……何故!』

 ノグレーは無言のままだった。剣を振りかぶる彼の後に続くように、チスパの槍攻撃とリンザの魔法が打ち込まれる。耳を塞ぎたくなるような断末魔を上げて、敵は灰の塊と化した。辺りを静寂が包む。

「魂を別の場所に移していたというの……道理で攻撃が効かないはずね」

 倒れ込むノグレーを支えながら、チスパはそれに頷き返す。

「……細かいことは聞かないわ。誰にだって、聞かれたくないことがあるから」

「ここで出会ったのが、リンザさんで良かったっす」

 リンザは最後の魔力を使ってノグレーにクラルをかけ続けた。目は覚まさなくてもせめて傷痕さえ消せれば。心に負ったものも、涙の痕も魔法で消せはしないけれど。



 またやってしまったな。呆れたように叱られるかもしれないけれど、今回ばかりは許して欲しい。もう何も考えたくないんだ。認めるのはまだ怖かった。

「ノグ」

 思ったより優しい声音だった。掛ける言葉を考えあぐねているようにも見えた。

「チィ、ごめんな」

「良いってことよ」

 ここはテュルキシア聖護院に併設された宿屋らしい。あれから広間の簡単な謎を解き、塔の入った側と反対にある外門に飛ばされそのまま街道を通って街に辿り着いたそうだ。運良く魔物と遭遇せずに済んだようで、それだけが幸いだった。体力を限界まで削られ、しかも男一人を背負った状態ではいかに体力馬鹿と言われるチスパでももたないだろう。

「しかしノグは軽いなー、ちゃんと食えよ!」

 気遣いはあくまでも明るく。少し眠ったせいか食欲は出てきた。もう食堂は閉まっているらしいので、街のパン屋で買ってきたというサンドイッチを堪能する。

 トントン。ノックに返事をすると、ドアを開けたのはリンザだった。向かいの部屋を取っていたらしい。

「もう大丈夫?」

「だいぶ。……そうだ、あの時呼び捨てにしちゃったこと申し訳ない」

「あら、律儀なのね。気にしなくていいわよ、呼び捨てで構わないわ。チスパ君も」

「いや!俺はリンザさんって呼ばせてもらうっす。なんかこう、俺らとそう変わんないのに強いし何かすげーし、尊敬の念を籠めて!それより俺のことを呼び捨てにして下さい姐さん!」

 鼻息が荒いチスパの顔を見てなんとも言えない表情を作るノグレーの姿にリンザは笑みを零す。自然と三人は笑い合っていた。

「ふふ、二人とも調子が戻ってくれて良かった。私も今日は早めに休むわ。明日からもよろしくね。おやすみなさい」

「おやすみ」

「おやすみーっす!」

 二人は明日からの予定を相談し始める。聖護院での勇士窓口による受付は本人しか出来ないらしく、ノグレーは朝一番で身分証明を受けることをまず決めた。宝玉に記録された情報を読み取られ、塔の強敵を倒した一行であることに賛辞を受けたという。つい最近討伐依頼の張り紙が出ていたようで、少々多目の賞金をもらえたようだ。犠牲者の供養と塔の修理を申し出て感謝されたらしい。

「僕が倒れたから余計な負担をかけたな」

「そんなことねーよ。あの力使わなかったら多分全員あいつの腹の中だ」

 チスパはピピコロの群れを倒した時に見せたような、焦りを含む表情を見せた。

「ノグ」

「ん?」

「俺は、強くなりたい。自分も、周りの大事なやつらも、みんなまとめて護りたいって思う。今回みたいな犠牲者の中に、もしオヤジとかおふくろとか、シラや街で笑い合った皆がいたらって考えたら震えが止まらなかった。お前もだ、ノグ。あんな傷だらけで力使って、目を覚まさなかったらって怖くなった。俺は何も出来てない、ただ武器を振り回しただけだ。それが悔しくてたまらない」

 初めて聞いたチスパの弱音は、そのまま決意の言葉だった。

「リンザさんは経験から培われたものがちゃんと身についてるし、ノグだって戦いの判断は冷静で的確だ。ただ体力があって武器を扱えるくらいじゃどうにもならないんだ。俺に出来ることは、そうだな。より強い力を自在に操ることじゃないかと思う」

「しばらくこの街で依頼とかこなしながら聖護院で修行出来ればいいかもしれないね。リンザが許してくれればだけど」

「家族の無事は確認してるからそう急がないとは言ってくれたけどよ、なるべく短期間で目指せレセカド取得!」

 生まれた街の上位の加護魔法を取得するには、鍛錬を重ねるしかない。ノグレーも新たな補助魔法の他に相性の良い攻撃魔法を会得したいと考えていた。リンザと共に旅が出来るのもこの次の街までだ。紅水晶以外の加護魔法は覚えておいて損は無い。話しているうちに道が拓けて来たようにも感じる。いつまでも落ち込んではいられない。尽きぬ未来への構想に夢を重ねて、夜は更けて行く。今は余計なことは考えない。奴が喰ったアディマンテの男が父とは限らないが、生まれ故郷の人間であることには変わらない。明日聖護院が骨を引き上げて供養の儀式が始まったら黙祷を捧げに行こう。そして、改めて誓いを立てるんだ。空が白み始めようやく眠気に引き込まれるまで、ずっと二人は話し込んでいた。




「ふうん?負けたんだ。あそこに配置するのは良い案だったんだけどね、結局獣は獣か。言葉は理解出来ても所詮、駆逐されるだけの存在だね」

 愉快そうに肩を震わせるその表情は見えない。長い前髪は瞳を覆い隠し、毒々しく紅を差した唇の口角がにやりと上がる。

「眷属?捨て駒に過ぎないよ。でも本望だろう?ルチル様の手駒として逝けるんだから。醜い世界なんて要らないんだ。ルチル様の歩む世界は完璧でなくては。そう、美しいじゃないか。この透明な結晶を侵食する金色。うっとりしてしまうよ」

 その言葉を聞くのは、通信媒体らしい硝子細工の鳥だった。きらきらと光を撒き散らしながら羽ばたく。内部に溜まる様々な色の針は痛々しくすら見えるが、儚いほどに美しかった。

「やはり金色が一番尊いよ。蒼も、赤も、緑や黒も良いんだけどさ。それってやっぱり御威光ってやつなのかなぁ」

 通信の相手はどうやら呆れているようだ。賛辞には同意できても、語りだすと長いとは良く言われている。夜闇に輝く羽をいつ見ても飽きないから、という理由だけで誰もが寝静まる時間にばかり通信に応じる彼女の異名はプラチナルチル。翻る白銀は、宵闇のミルキーウェイと称されていた。

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