『二』
『日記』
茂樹の毎日は大体がこの調子だった。しかし大学の校舎から離れて一度家に戻れば、日々の暮らしの改良を考えなくもなかった。大学に入学した当初は、はっきりとした目的があった。
しかし。女性が感じる幼児教育と、男性が感じる幼児教育の間にある隔たりの答えを見つけられずにへなへなと、煙草に縋りつく日々がすぐに訪れた。
そこに蝶子のようなきっぱりとものを言う女性が現れて、ますます幼児教育は自分のような男性には不向きと考え始めた。どうにかしたいと思う気持ちと、どうにでもなれと思う気持ちが、心の中を行ったり来たりしている。いくじなし。自分の心の中に浮かぶ言葉。それを殊更に増幅させている蝶子が、今、隣で人格発達論の本を読み始めた。
眼鏡をかけた瞳を茂樹に向けて、彼女は言った。
「あのね、光田君。ここの学校の学生の中には幼稚園の先生になりたいとか、児童の臨床心理士になりたいとか、目標を持って学校へ来ている人だっているのよ。お喋りをして、教授に叱られている輩や貴方みたいにすぐ煙草に頼る軟弱な人のためだけに、この学校はあるんじゃないのよ。そこのところを考えて、もう少し学校の敷地内での喫煙を減らしたらいかがかしら」
茂樹は最もなことを言われて、パンツのポケットから携帯灰皿を取り出して、短くなった煙草をもみ消した。
そして、ベンチの背もたれに背中をあずけて、空をあおいだ。蝶子の着ている赤い服と、空の茜色のコントラストが気だるい睡魔を呼び寄せる。課題は気にならないふりをした。隣でページをめくる音と、呼応するかのようにいつの間にか彼は、眠ってしまった。
蝶子はそんな茂樹を見つめた。
(………)
あまりに、怠惰な態度をとっているので呆れ返って、黙り込んでしまうしかなかった。
もうすぐ実習があるのだか、だれと一緒に行くのかが、不安の種だった。傍らで眠っている茂樹から目を離すと、溜め息をついた。このことが、その日の日記のメインになったことは言うまでもない。
何故そこまで、並々ならぬ思いでいるのか。それは、蝶子の家が代々教育者の家柄で、ご多分にもれず小さな時から、保育士を夢見て勉強してきたのだった。
けれど、現実は烏のような学生達が授業の邪魔をしたり、傍らで眠りこけている茂樹みたいな学生がただ、そこにいる。
実習で事なきを得るには、ここにいるこの人とだけは、一緒に実習に行きたくないと、思った。
≪文/羽凍 哉≫




