『ハ』
『破天荒』
梅雨らしい、生ぬるく湿った風が、茂樹と蝶子の微妙な隙間を、ひゅるり、と通り抜けて行く。
まるで、今の自分の心境をあらわしている様だ、と茂樹は思った。
「………」
茂樹は、蝶子の言葉に何も返さず、長く伸びた煙草の灰をトンと落とした。
無言なのは、蝶子の名前を思い出せなかった気まずさか、或いは、遠慮の欠片もない彼女への引け目のせいかもしれない。
もしくは、ただ単に、言葉を発するのが面倒なだけか。
「なぜ知ってるのかって顔ね」
そんな事は思ってないと、うんざりしつつ、茂樹は、そうだな、と答えた。しかし、話をふった当の本人である蝶子は、茂樹の適当な返事をいい方にとったのか、ふふっと笑った。
「保育科なのに、堂々と喫煙し、なおかつ誰ともつるまない人なんて、すぐに覚えられるわ。第一、名前が印象的過ぎね」
蝶子に、キッパリと痛い所を言い切られた茂樹は、知らぬうちに眉をひそめた。
そして、おもむろに左手を引き寄せ、仮病ではなくなった、キリキリと責め続ける頭痛を和らげる為、肺をニコチンで満たす。すると、それを見た隣に座っている蝶子が、すかさず口を開いた。
「やめてよ。非喫煙者が隣にいるのに、遠慮がないわね」
だから、一人なんじゃないの?、と言いたげな蝶子は、不快そうに、顔をゆがめた。
「………」
じゃあ此処に座るなよ、と言えない茂樹は、顔を背けるだけで、精一杯だった。
《文/しろう》




