表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

ジムニー

掲載日:2026/04/10

 私はいまだかつて女性に「付き合うてください」という言葉を発したことがない。


 言おうが言わまいが、結局、することは同じである。


 その言葉を出せばすぐにキスや性行為に対する免罪符になるわけでもなく、クラスで会ったり、食事に行ったり、遊びに行ったり、さまざまな過程を経なければ一緒に朝を迎えることはできない。


 言わなかったとして結果はどうか?


 全く変わらない。学校で談笑し、初めは友人たちとおいしいものを食べに行き、釣りに行ったり、飲みにいったりして、部屋に誘う。


 嫉妬に関して考えてみよう。相手がヤキモチやきかどうかはその人の性質によるものなので、言った言わないの話では全くない。言おうが言わまいが嫉妬する人は嫉妬するし、さっぱりしている人はさっぱりしている。


 結婚となると少し話は違ってくるかもしれない。そもそも仲良くしてくれる女性が全て結婚の対象であるとは限らない。そのうえ、普段仲良くするのとずっと家で毎日顔を合わすのとでは当然密度が違ってくる。


 相手が望めば自分から


「なぁ、俺と結婚してくれへん」


ということに抵抗はない。


 付き合う、付き合わないは浮動的で、結婚する、結婚はしないは公的な書類が介在するので現実的である。いい意味でいえば判断基準がかえって明確になる。




 私が日向ひなたと出会ったのは医者になって比較的すぐの2045年頃だった。当時私は某公立病院におり、いわゆる「専攻医」という立場だった。日向は活発な女性で私の趣味には色々付き合ってくれた。初めは釣りに行くことが多かったが、慣れてきたこともあって、ある日焼肉を食べながら聞いてみた。


「明日はちょっと趣向を変えて猟に行ってみぃへんか」


「行く行く、どないしたらええ?」


「口の中のもん食い終わってからはなしぃや。とりあえず明日の午後三時ごろ迎えに行くわ」


「そんな遅うてええんか?」


「ええで。餌撒いたある場所が何箇所かあるからそこ見に行って、おったら撃つ感じや」


「そんなええ具合に出てくるん?」


「大丈夫や。トレイルカメラで何日かおきに見てるから、出てくるところしか行けへん」


「ほんま?楽しみにしてるで。なぁ、けいちゃん(私)、明日ちょっと早めにけいちゃんの家に行ってええ?」


「ええけど、なんでや?」


「銃いうんはほとんど見たこともないし、触ったこともないからじっくり見てみたいんや」


「猟場で見たらええやないか?」


「猟場行ったら集中してもて、それどころやないがな」


「見るのはええけど、触らすんは違法やからな」


「そもそも家の中で誰が見てるんや?」


「警察が監視カメラつけてる」


「そんなわけないやろ!」


「まぁ、ええわ。何時に来るんや?」


「10時ごろにしょうかな」


「えらい早いな。それぐらいになったら玄関開けとくから勝手に入って」


「うん。けいちゃんは何してるんや?」


「クソめんどくさいレポートがあってな。それ、仕上げなあかん」


「どうせAIに書かせるんやろ?」


「そらそやけど、推敲せなあかんやないか」


「どれくらい時間かかるんや?」


「一時間ぐらいやと思うで」


「はっ?たった一時間?」


「一時間もや。あんまり勉強すんの好きやないんや。一応、知識に裏付けはされとるけど、俺ら職人やしな」


「国家試験の前にはもっと勉強したやろな?」


「医者の国家試験は誰でも通るようにできてるんや。だいたい、大学に六年も行くんやから。司法試験とか、公認会計士の試験とはちゃうんや。受験資格の厳しい国家試験ほど簡単に合格できるんや」


「そうなんや。すごい勉強するんかと思うてたわ」


「そら、人にもよるけど、そうそう落ちんようにできてるて。一回か二回落ちても合格はするで。最終的な合格率はほぼ100%や」


「医者いうたらもっと勤勉や思てた」


「俺は勤勉やないか」


「どこがやねん。ひなが司法書士の試験受けたときの方がもっと勉強した気がする」


「せやから、受験資格が厳しない試験の方が難しいうてるがな」


「けいちゃんと出会てから勉強してんのなんか見たことないで」


「人前でわざわざ勉強なんかせんがな」


「それもそやな」


「まだ肉頼むんか?」


「うん、最後にハラミ頼んでご飯と一緒に食べる」


「ほな俺もそないしょ」


「すんません、ハラミ一つと中飯二つください」


「おっ、ひな、中飯でよかったか?」


「大丈夫や思う。入らんかったらけいちゃんに食べてもらうし」


「入るかなぁ」




「ひな、ようけ食うたな。俺も腹一杯や」


「なぁ、けいちゃん、今日も家寄ってもええか?」


「そらかまんけど、明日も来るんやろ?」


「そらまぁ、せやけど、まぁ、ええやないか。どうせ帰り道やし」


「帰り道いうたかて、帰る頃には電車のうなってるやないか。ほな、明日まで泊まろいうことなって、俺がレポート書いてる間なくなるがな」


「大丈夫や。着替え置いたあるし」


「それは全然別の話やろな」


「こまかいことばっかり言いないな。邪魔せぇへんがな」


「来てどないするつもりや?」


「どないもせぇへんがな。来てほしないんか?」


「そない言うてるがな」


「意地悪やなぁ。今日はええやないか。酔うた若い女一人で帰らすつもりか?」


「初めの頃は一人で帰ってたやろ。まぁ、ええわ。帰ったらすぐにシャワー浴びてや。すぐにベッドに転がるんは禁止やからな」


「わかってるがな。小姑みたいにぐずぐず言うたらあかんで。あっ、カラオケあるわ。なぁ、けいちゃん、ちょっとうとてこうや」


「まだ飲むんかいな。焼肉屋でもビールとマッコリ合わせたら十杯以上飲んでるやろ。明日のレポートどないすんねん?」


「そんなん明後日書いたらええがな。今日せんでええことは明日したらええし、明日せんでええことはもうせんでええで」


「いや、さすがに最終的にはせないかん気がする」


「いざとなったら、ひなが手伝てつどうたるがな」


「素人にできるわけないやろ」


「私の方がタイピング早いの知ってるやろ」


「問題がすり替わってるやないか」




 「けいちゃん、何飲む?」


「メーカーズマークの水割り、氷無し」


「ひなもそれにしよ。すいません、メーカーズマークの水割りとハイボールで」


おんなじのん飲むんやったらボトルで入れた方がええんやないか?」


「けいちゃん、そんなに飲むんか?」


「いや、ひなが飲むやないか」


「うら若き女性がウイスキー一本も飲むわけないやろ」


「余ったら持って帰ったらええがな。そのうち俺が家で飲むし」


「ほなぐずぐず言いなや。メーカーズマークのボトルとお水と炭酸水持ってきてください」


「けいちゃん、どれぐらいの割合で入れるん?」


「2:1ぐらいで頼むわ」


「2:1な。氷無しやったな」


「おい、割合が逆やろ。ウイスキー1に対して水が2や」


「それやったら、1:2やろ」


「ちょう貸して、自分でするから。ほんまに碌なことせぇへんな」


「自分が2:1や言うたんやないか」


「考えたらわかるやろ。ひな、何歌うんや?」


「琵琶湖周航の歌」


「ほんまやな?」


「うそうそ、My wayにする」


「フランク・シナトラでええか?」


「Yen Town Bandにして」


「わかった」


「けいちゃんは何歌うんや?」


「俺か、Mack the Knifeにしよかな」


「そのままやないか」


「なんでやねん。殺人鬼ちゃうわ。どちらかといえば慎ましやかに生きるええ先生や」


「まぁ、殺人鬼ではないやろけど、慎ましやかでもないやろ。車二台もってるし」


「一台は親にもろたんや。俺が買うたんはジムニーだけや」




「ひなが歌いまくるから電車無うなってもたやないか」


「けいちゃんかてたいがいうととったやろな」


「まぁ、ええか。ウーバーで帰ろ」




「あぁ、疲れた」


「ほんまやな、ちょっと横になってもええか?」


「あかん、シャワーが先や」


「めんどくさいなぁ、ちょっとぐらいええやないか、けいちゃん、一緒に入ろ」


「ええよ。寒いしお湯ためよか」


「そないしよ。冷えたら寝にくいし」


「先言うとくけど、湯船でシッコすんなよ」


「するか!自分やろ!」


「風呂場でもすんなよ」


「せぇへん言うてるやろ」


「いつもそういう被害に遭うから言うてるんや」


「なぁ、けいちゃん。なんでタトゥー入れたん?」


「別にめずらしないやろな。他にも入れてる人おるで。そもそも、見えるとこには入れてないし」


「せやけど、タヌキて。普通はほかの柄考えるで」


「タヌキはひそやかに生存競争を勝ち抜いてきたんや」


「せやけど、タヌキやで。アホちゃうか?」


「なぁ、自分のこと棚に上げてよういうなぁ。両親が学校の先生で法律事務所に勤めてて司法書士いうから、さぞかしまじめな人やおもたら服脱がしてみたら背中に九尾の狐の絵描いてあるし、湯船でシッコするし、一体どないしたらそうなるんや?」


「べつにええやないか、これは高校の同級生が美大に行って描いてくれたんやから。はよ風呂入ろ。冷えてきたわ」


「先シッコしてこい」


「しつこいで。今したないんや」




「風呂入ったら眠たなったな。早よ寝よや」


「ひながカラオケ行こ言うたから遅なったんやないか。俺は明日朝、用事がある言うてんのに」


「まぁ、かたいこと言いなや。明日は手伝てつどうたるがな」


「せやから素人には無理やて言うてるやろ」


「ほな、ひなは寝てるから一人でしぃや」


「いや、あやが着いたから明日はもうせぇへん」


「ほなやいやい言いなや。感じ悪いで」


「早よ髪乾かしたらどうや」


「どうせ暖房入れたまま寝るんやろ。そのうち乾くわ」


「枕が濡れるやないか」


「なぁ、普通は風邪引くから乾かしたほうがええんやないかて言わへんか?」


「せやから最初にそない言うたやないか。それを無視して乾かさんでええ言うたんはひなやろ」


「せやったな。ごめんな、けいちゃん。いつも無理言うて」


「何を今更しおらしいこと言うてる、ってそっちは俺の枕や」


「こっちが好きやねん、けいちゃんの匂いするし」


「そっちはええ具合にストロー抜いたあるんや。だいたい涎垂らすやろ」


「垂らさへんわ」


「お酒飲んだ後は絶対垂らしてるやないか」


「悪いな、もう濡れてもたわ」


「ほんまに、もう」



「けいちゃん、けいちゃん。ピンポンいうてるで」


「えっ、出て」


「あ、はい。いたはりますよ。ちょっと待ってくださいね」


「けいちゃん、けいちゃん。奥さん言うたはるで。自分、結婚してたんか?」


「んなわけないやろ。誰や?」


「わからん、女の人。モニター見て」


「姉貴やないか。早よ開けたれや」


「あっ、勅使河原の妻です。勅使河原がいつもお世話になってます」


「もうええて。なんや連絡もせんと。旦那は?」


「今日は同級生の先生らとゴルフらしいわ」


「ほんで寂しなって、弟に慰めてもらいにきたんか?」


「気色悪いこと言わんといてよ。久しぶりにお昼一緒に食べよ思ただけや」


「三人分あるんか?」


「いや、二人分しかうてないけど、多めにあるから大丈夫やろ」


「ほなあとで食お。ひな、ちょっとコーヒー入れてや。俺、歯磨いてくるわ」


「はい、奥様。今日はわざわざお越しいただきありがとうございます」


「あなたがひなさんね。主人からお話は聞いておりますよ。あれは扱いがたいへんでしょう?」


「いえいえ、とんでもございません。いつも奥様にはよくしていただいてありがとうございます」


「ひな、まだ猿芝居に付き合うてるんか。アホちゃうか?お姉ちゃんもこんなんに付き合うてたらアホ感染るぞ」


「まぁ、慶次郎ったら。ひなさんに失礼ですよ」


「もうええて。今日は飯持ってきただけか?」


「いや、昼から買い出しに百貨店行くよってに、ちょっと荷物持ちしてもらおか思てな」


「今日はあかん。昼からシシ撃ちに行くんや」


「明日でええやないか。逃げるわけでもあるまいし」


「いや、あかん。ただでさえ今日はレポート仕上げて、それからシシ撃ちに行こ思てたんや。両方とも邪魔されたら世話ないし」


「私がご一緒しましょうか?」


「ええの、ひなさん。一緒に行くんやないの?」


「大丈夫ですよ。長いこと百貨店なんて連れてってもろてないし」


「あかんあかん、ひなかて昨日焼肉口いっぱい入れて行く行く言うてたやないか」


「うちはけいちゃんと一緒に居れたら別にどこ行ってもかまへんで」


「ほな決まりやな。晩はステーキハウスでも行こか」


「いや、肉は昨日食うたからうなぎにしよ」


「ええよ」



 男女の約束はこのように簡単に破られてしまう。


 私は二年後、無事に専門医となり、そのままニュージーランドに赴任した。結局、日向には「付き合ってください」とも「結婚してください」とも言わなかった。




「ひな、そろっと頭上げて首狙え。ゆっくり引き金引けよ」


「わかってるわ。ちょっと黙っとり」


 日向は銃を構える前に左手の薬指の指輪を外し大事そうにポケットにしまった。


 銃声が山にこだまし、メスのファロー・ディアが座り込むように倒れた。シカを山からおろしてジムニーの荷台に乗せた。





















 


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ