白鷺澪はひっそり暮らしたい
五月も終わりに差しかかった日曜日の午後。
日差しは日に日に強さを増しながらも、サラッとした風が頬を撫でていく、そんな過ごしやすい季節。初夏の気配に押されるように、街は活気にあふれ、メインストリートの歩道には絶え間なく人波が行き交っていた。
その中を、右手にはバイオリンのケース、背筋をしゃんと伸ばし、大きなストライドで長く艶やかな黒髪をなびかせながら颯爽と歩く少女が一人。廣塚望陵学園高校2年生の白鷺澪。一見して知的でクールな印象…ではあるが…
(…また胸…はぁ…)
すれ違う異性の目線に溜息。彼女は日ごろから異性の視線がそこを経由することにウンザリしている。
彼女は今、3歳から続けている習い事のバイオリン教室へ向かう途中であった。
「助けてーっ! 泥棒よーっ!」
遠くから悲鳴に似た叫び声。年配の女性のものだ。その声の方向から人混みを掻き分け、というより街行く人々を跳ね飛ばしながらこちらへ駆けてくる者がいる。30歳ほどの男、がっちりしているというほどではないにしても明らかに澪よりも体格はいい。左手にはひったくったのであろう、女性もののハンドバッグが握られていた。
「どけッ!」
「あれが犯人…⁈ それならっ!」
澪はバイオリンのケースを傍らに置き、両腕を広げて男の進路へ立ち塞がる。
「止まりなさい!」
「そこをどけっ!」
「あなたが手に持っているものを手放す方が先です!」
胸ポケットに差していた指し棒を伸ばすと、足止めしたひったくりの男へそれを向けた。
「簡易ステッキ… …チッ! 魔導使いかよ」
男は上着の内側から懐中電灯に似たものを取り出し澪へ向けスイッチを入れた。
「抵抗するなら緊急行使します。雷を要素に。悪事を働く不埒な男性へ――痺れの戒めを。【雷撃のスタッカート】! …あ、れ?」
にわかに澪の顔へ焦りの表情。
(…構文が結べない…っ⁈ なんでっ⁈)
「どうした? 魔導を行使するんじゃねぇのかよ。やらねぇってならこっちから行くぜ。要素は雷…」
(構文っ⁈ この人も魔導使い⁈ 魔導を犯罪にだなんて!)
自分が使えないモノを相手が使える状況…焦りで混乱している彼女の視界が急に薄暗く。
「何もしねぇならどいてろよ、そこの女! ジャマだっ!」
声と共に左肩へ何かがぶつかった。それは…ヒト。背丈は澪よりもはるかに高いが、歳は澪と変わらない少年であろう。何しろ学ランを着ている。澪は突き飛ばされるように場所を入れ替わり、少年の大きな背中の陰に収まった。
(制服? 日曜なのに…)
チラッと目が合った――――ような気がしたが気のせいだった。なにしろ澪に一瞥もくれることなくひったくり犯を見据えたままだったのだから。
学ランの少年は立ちはだかるやひったくり犯に殴りかかる。
「オラァッ!」
(素手っ⁈ なんて無茶な! 相手は魔導使いよ⁈)
相手はそれをうまくすり抜けたがすでに周りは人だかり。逃げ果せぬよう囲まれてしまっている。
「チィッ! 余計なことをしやがって! 俺を甘くみるなよ! まずはお前だッ!」
澪と同じように懐中電灯のようなモノのスイッチを押す。が。
「…クソッ、また故障かよ。使えねぇッ!」
苛立ちながらそれを投げつけるがそれは難なく躱される。しかしそれをフェイントに右手のひらを少年に翳し、そして。
「要素は炎! このガキに炎熱の衝撃を!」
(こんな人混みの中で炎焼系だなんてっ! 早くっ! …あれ…やっぱり構文が結べない…ぃっ⁈)
「【焼炎熱弾】ッ!」
「ダメッ! 避けてッ!」
澪は学ランの少年へ叫ぶがすでに炎の球塊は放たれ、彼の目前に迫る。
ジュッ…
火傷では済まないレベルの炎球が、学ランの少年の目の前で消えた。
(なに今の消え方…魔導防壁? 違う…でも構文も無しにそんなことなんて…)
驚いているのはそれを放った者も同じ、目の前で起こったことが信じられないという様子で目を見開いている。
「何で…消えるんだ…?」
「もう終わりか? オレは平和主義者なんだがなぁ、売られたケンカなら高く買ってやるぜェッ!」
一歩踏み込んだと思った頃には学ランの少年の右ストレートが、ひったくり犯の顔面を捉えていた。
「グアっ⁈」
避ける間もなくまともに喰らった輩は歩道のアスファルトへと叩きつけられた。あまりにもあっという間の出来事に、取り囲んだ人々は唖然。
学ランの少年は路面でノビてるひったくり犯からバッグを取り上げると
「ほれ。あとはよろしく。委員長」
と、澪にそれを放ってよこした。
「委員長…? って、私のこと? ちょっと待って。魔導使い相手に素手で立ち向かうなんて危険でしょう⁈ それにこれ、自分で渡しなさいよ。危ないマネをしたとはいえ、あなたの手柄なのよ?」
まるで手柄の横取りにでもなってしまいそうな状況に澪は慌てるが、見上げた少年の顔にはそれがどうしたと言わんばかりの涼し気な表情。
「そんなん知るかよ。とりま、ソイツが起き上がらないようにフン捕まえておいてくれや。そんじゃな」
「ちょ、待ちなさいよっ!」
澪の制止をよそに、学ランの少年は人垣の中へ消えてしまっていた。
「あ、ああ、それ私の! お嬢さん、ありがとうねぇ」
少年と入れ替わりに現れた年配の女性から熱烈に感謝されるが
「わ、私は別に…!」
澪はもちろん否定する。とはいえ澪の周りには人だかり。盗まれたバッグを持っていたことから「この子がひったくり犯を倒したのか!」と称賛の声が浴びせられた。
(ひぃぃぃぃぃ!? 目立っちゃってるぅぅぅぅぅぅ!?)
そこへ制服の警官が現れる。
「ひったくりがあったと聞いて!」
状況から当事者が澪ひとりということで、事情聴取で澪は交番へと「連行」されてしまった。
(ああもうっ! なんで私がこんな目に!)




