仮の居場所
翌朝、
目を覚ましたとき、天井は昨日と同じ白さだった。
窓はない。時計もない。
ただ、照明の明るさだけが変わっていて、
――朝だと分かる。
ここで、朝を迎えた。
その事実が、少し遅れて胸に落ちてきた。
ノックの音。
「起きてる?」
ミズキの声だった。
廊下に出ると、昨日とは違う空気を感じた。
通路の形や色は変わっていない。
けれど、人が動いている。
枝分かれした廊下の先まで、
人影が途切れない。
年齢も服装もばらばら。
十代に見える者もいれば、
大人としか思えない者もいる。
静かだが、確かに“使われている”空間だった。
「……人、多いな。」
俺が言うと、
ミズキは歩きながら答えた。
「この区画だけで、六十人以上。」
「……ここにいる人たちも能力者なのか?」
「うん」
淡々とした口調だった。
昨日は、ただの施設に見えていた。
今は違う。
ここは、人が留まり、配置され、
役割を果たす前提の場所だ。
通路の先に、ガラス張りの大きな部屋が見えた。
中では、白衣の人間とスーツ姿の人間が、
端末や資料を手に話している。
病院でも、研究所でもない。
けれど、どちらかに近い空気。
「ここで説明を受ける。」
中に入ると、年配の男がこちらを見た。
「白石悠馬くんだね」
名前を呼ばれたことで、
自分がまだ“個人”として扱われていると分かる。
「結論から話す」
「君は今回、処理対象にはならない。」
助かった、という感じはしなかった。
判断結果を、静かに告げられただけだった。
「能力の使用状況、
発生した影響、
周囲への波及。」
端末に、数字が並ぶ。
意味は分からない。
だが、評価されているのは分かる。
「現時点では、
管理下に置くことで、
問題は生じないと判断した。」
管理。
その言葉が、足元に影を落とす。
「よって、
君は暫定的に“保護対象”となる。」
暫定、という言葉は、
あえて強調されなかった。
「役割や今後の配置については、
明日以降、順を追って説明する。」
「今日は、環境に慣れてもらうだけでいい。」
それで終わりだった。
部屋を出ると、再び通路に戻る。
今度は“働いている”人間たちがはっきり見えた。
端末を操作する者。
壁のパネルを確認する者。
誰も慌てていない。
「……誰か逃げたりするの?」
俺が聞くと、
ミズキは一瞬だけ言葉を探した。
「……しない」
「どうして?」
少し間があって、彼女は答える。
「そうなるように、ここは作られてる。」
「作られてる?」
「逃げる理由が、なくなるように。」
言い切りじゃなかった。
誰かの言葉を、そのままなぞっているみたいだった。
角を曲がった先で、
人の流れが途切れていた。
広い通路の一角。
職員たちが、円を描くように立っている。
輪の中心に、一人の少年がいた。
中学生くらいか。
制服は着ていない。
サイズの合っていない上着の袖を、
何度も引き下ろしている。
逃げようとはしない。
視線は、床から上がらない。
円を作っている職員の一人が、
一歩だけ前に出た。
通信機に触れる。
「……対象番号、入ります。」
番号。
それだけだった。
その一言で、周囲の職員が一斉に動く。
誰も触れない。
声も荒げない。
ただ、進む方向だけが、静かに限定されていく。
少年は、一度だけ足を止めた。
何か言おうとして、
結局、口を閉じる。
そして、
自分から歩き出した。
通路の奥に、他より少しだけ分厚い扉が見えた。
特別な印はない。警告もない。
ただ、扉の前に立つ職員の数が、他より多い。
少年が中に入ると、
扉は静かに閉まった。
音はしなかった。
数秒後、
通路脇の表示が一つだけ切り替わる。
《対象番号:処理済》
誰も、それを見上げない。
業務が一つ終わった。
それだけの空気だった。
隣で、ミズキがほんの一瞬だけ、
拳を握りしめる。
すぐに、何事もなかったように歩き出す。
俺の視線だけが、さっきの扉の位置に残った。
――あそこは、
特別な場所じゃない。
ここで暮らしていれば、
いずれ通る可能性のある場所だ。
そう思ってしまったこと自体が、
ひどく嫌だった。
個室の前で、足が止まる。
昨日と違う部屋。
鍵はない。
「今日は、ここ。」
俺は扉を見たまま言った。
「……この場所で暮らすのか?」
ミズキは、すぐには答えなかった。
「今は、そこまで決まってない。」
否定ではなかった。
「ただ」
「この部屋に限り、
君は管理下にある。」
管理。
俺は、部屋に入る。
扉が閉まる。
鍵の音は、しない。
それが、
一番、はっきりした答えだった。




