報告書の行間
夜。
悠馬の部屋の前で、控えめなノックがした。
「……起きてる?」
ミズキの声。
「起きてる。」
扉を開けると、ミズキは廊下に立ったままだった。
いつもの距離。いつもの線。
「外周確認、行ってきた。」
「……どうだった。」
ミズキは端末を一度だけ見て、言う。
「報告は“異常なし”。」
言葉だけなら、何も進んでいない。
でも、ミズキの目が「終わってない」と言っている。
「内容、聞いていいのか?」
「聞くだけなら。」
ミズキは声を落とす。
「未登録者は、遠くに行かない。理由は明確。」
「遠くに行くと“未確認”になる。」
「未確認になると、必ず確認される。」
「確認されると、判断が始まる。」
悠馬は、息を止めた。
「……逆だな。」
「うん。」
ミズキは頷く。
「見られている場所のほうが、確認が発生しない。」
「新しく確認し直す必要がないから。」
悠馬は、その理屈が成立してしまうことが怖かった。
「条件も言ってた。」
ミズキは続ける。
「動かない。能力を使わない。誰とも線を繋がない。」
「そして、施設の“すぐ外”にいる。」
「中でも外でもない位置。」
悠馬は、ゆっくり息を吐く。
「……条件が、あるんだな。」
「偶然じゃない。」
ミズキが言う。
「ただし。」
一拍。
「その条件は、幸せの条件じゃない。」
「判断が止まるだけ。」
分かっている。
でも、それだけでも価値がある。
「ミズキ。」
悠馬は言った。
「これ、広げられると思う?」
ミズキは、すぐに答えなかった。
「……広げたら、制度が気づく。」
「気づけば、塞がれる。」
「じゃあ塞がれない形で広げる。」
悠馬は言う。
「“逃げる”じゃなくて、“運用”にする。」
ミズキの視線が動く。
「運用?」
「施設の外周確認。異常なし。滞留あり。変化なし。」
悠馬は、端末の文言を思い出すように言った。
「それを、意図的に作る。」
「判断が来ない位置を、“待機”として制度に混ぜる。」
ミズキは、小さく息を吸った。
「……やり方次第では、通る。」
「条件がある。」
「何だ?」
「悠馬。」
ミズキは真っ直ぐに言う。
「君が動くと、全部終わる。」
悠馬は頷いた。
「俺は動かない。」
「動かすのは、制度の言葉だ。」
ミズキは、その言葉を聞いて、ほんの少しだけ表情を変えた。
「……分かった。」
「私が、書類の形にする。」
「ただし、ギリギリだよ。」
「ギリギリでいい。」
悠馬は言う。
「俺は、ここで暮らしたくない。」
「でも、壊す気もない。」
「同じ形で続けられないなら、形を変える。」
ミズキは一度だけ頷き、廊下に消えた。
鍵の音はしない。
でも、今夜は少しだけ息ができた。




