未登録者①(噂
ミズキと別れ、
作業に出る前、共用スペースの端で足が止まった。
人が、少し集まっている。
声は小さい。
でも、ひそひそではない。
確認するみたいな、
探るような言い回しだった。
「……聞いた?」
「何を?」
「外に出たやつの話。」
誰かが、名前も出さずに言う。
「捕まってないらしい。」
「処理も、されてないって。」
その言葉で、
周囲の空気がわずかに緩んだ。
「普通に暮らしてる、って話もある。」
「じゃあ、出ちゃえばよくない?」
軽い調子だった。
本気かどうか、分からない。
誰も、続きの話を知らないからだ。
「でもさ」
別の声が入る。
「遠くには行ってないらしい。」
「……どういう意味?」
「施設の近くにいるって。」
一瞬、空気が止まる。
「それ、逃げたって言えるのか?」
「さあな。」
「でも、また捕まったって話もない。」
噂は、そこで途切れた。
確かめた人間はいない。
見た人間もいない。
ただ、
「そうらしい」という言葉だけが残る。
俺は、その場を通り過ぎる。
作業に入っても、
耳だけが勝手に拾ってしまう。
捕まっていない。
消されていない。
その二つだけで、
“成功した”ことになるらしい。
でも、
誰も「戻った」とは言っていなかった。
昼休み、
一哉が向かいに座る。
「外の話、聞いた?」
「……噂なら。」
「逃げた能力者。」
一哉は、少しだけ声を落とす。
「処理されてないって。」
「それ、いいことなのか?」
俺は、すぐに答えられなかった。
「なんかさ」
一哉が続ける。
「逃げたって聞くと、
自由になった感じするよな。」
「……うん。」
「でも、施設の近くにいるって話、
ちょっと変じゃない?」
変だ。
逃げたなら、
もっと遠くへ行くはずだ。
それなのに、
“近くにいる”。
夕方、
作業を終えて廊下を歩く。
白い壁。
同じ照明。
何も変わらない。
でも、
「逃げた能力者」という言葉だけが、
頭の中に残っている。
逃げたのに、
遠くへ行かない。
捕まっていないのに、
戻ってもいない。
どこにも属していない。
それは、
自由なのか。
それとも――
もう、何も選べない状態なのか。
部屋に戻る。
鍵の音は、しない。
ベッドに腰を下ろす。
噂は、
都合のいい形で広がる。
捕まらない。
消されない。
そこまでしか、語られない。
その先に、
どう生きているのかは、
誰も知らない。
そして、
誰も確かめようとしない。
それが、
一番嫌な感じだった。




