【4】優しくなったギャルさん
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夏休み初日。
本来なら昼まで眠りこける所なのに、
僕は、朝の七時にワイシャツへ袖を通している。
分厚い教科書を抱えた、各教科の教師たちが、
赤点などと言う、学生あるまじき怠慢を犯した僕を、
待ち構えているからだ。
自分が悪いと言う自覚はあっても、
今頃、クラスの連中が健やかに眠っていると思うと、
どうにも納得できない腹ただしさがフツフツと湧いてくる。
それと、何よりも、胸の深い場所でドッシリと重たい感情があって、
昨日の夕方から、寝て覚めた今、現在まで、僕を憂鬱な気分にさせてくる。
ギャルさん……御崎かなたに対して思う、
失恋とは、言い難いモヤモヤとした感情が、
整理できない情報として、心の容量を奪っているんだ。
「はぁ〜っくそ〜」
思わず、濃いため息を口から吐き出した。
どんなに、心がグズグズしていても、日常は容赦無くやってくる。
「しかもあの子の分まで出席票出さないと……」
ふと、ギャルさんに渡された厚みのある出席票をみる。
赤点多いなぁ……僕の二倍はあるんじゃないか?
ん?ちょっと待てよ。
「もしかして、僕、あの子の為に、出ない授業まで居残って、
出席票だけ出さないといけないのか!?」
しくじった。僕はギャルさんと連絡をとる手段が無い。
この出席票を突っぱねて返す事も出来ない訳だ。
完全にしてやられた。この事実を無視して出席票を出さなかった日には、
僕は晴れて『オタク君』から『最低野郎』になるだろう。
後、一年と五ヶ月程ある高校生活、
そんな扱いを受けてやっていける自信が僕には無かった。
「はぁ〜僕、何やってるんだろう」
着替えを終えて、台所に降りると、
僕の為に、せっせと朝食を作る、ばあちゃんの姿が見えた。
「おはよう。たけるちゃん。ウィンナー何本食べられる〜?」
それを見た僕は、なんだか自分が情けなくなって、
思わず泣きそうになるも、香ばしいウィンナーの香りに刺激され、
僕の変わりに、お腹がグゥ〜と鳴いた。
玄関を出て、通学路から校門、校門からピロティ、下駄箱へ。
いつもと違う、新鮮な感覚を感じながら、
僕は、プリントに記載されている補習用の教室に向かった。
廊下は、いつもより足音が良く響いた。
日差しの強い窓の向こうで、運動部の熱烈な叫び声が飛び交っている。
吹奏楽部のトランペットの甲高い音や、断片的なサックスのメロディ、
打楽器の低音が何処からともなく聞こえている。
ああ。僕も部活なんかに勤しんでいたならば、
もう少し青々しい生活が送れたのだろうか?
などと、どうしようも無い事を考えながら教室に入った。
やや広い教室には、見慣れた顔も、見慣れない顔も半々くらいで、
少なくとも、その中に、僕と挨拶を交わしてから雑談に勤しむ人間は居ない。
僕は黙って、空いている席に腰をかける。
でも、すぐに机の天板に、番号札が貼ってある事に気づいて、
焦って立ち上がる。その拍子に、椅子を引きずって高い音が鳴る。
周囲の不快そうな視線を受けつつ、自分の正しい席に移動すると、
僕は、イヤホンをつけてカバンから分厚い本を取り出した。
あ〜いやだ、いやだ。こう言う時、ボッチはキツイんだよなぁ。
幸い、今現在、僕には勤しむべき課題がある。
『サーキュラーシンボル』完全攻略計画は、まだ始まってもいない。
この攻略本を、再度熟読して計画を練ろうじゃないか。
この本は、僕が中学生の頃から愛用している完全攻略シリーズで、
何十、何百と読み返し、付箋もムカデの足みたいに生えている。
さらに、過酷な読み返し作業のダメージが酷くて、ページは所々破れていて、
表紙カバーは、手垢で黒ずんでいる。
僕の計画では、今日の夕方から夜の24時にかけて第四章まで行ける。
今日の肝は、初代のボスの中でも難所と名高い『ロロヴ&アルハイド』を、
どれだけスムーズに倒せるかだ。無論、僕レベルになると、
ノーダメージクリアは、簡単な訳だけど、僕は敢えてギリギリのレベル、装備で挑もうと考えている。
だってその方が、ゲームのシナリオ的にあっているし、主人公たちの冒険にリアリティを持たせる為には、
こういう、縛りプレイが必須になる。僕は、ゲームクリアの達成感の為に縛りプレイするガチ勢ではなく、
あくまでもシナリオに沿った演出にする為に……
などと。
悪癖に熱心でいたものだから、僕は教室の中に、
軽いざわめきが起こった事に気がつかなかった。
イヤホン越しに伝わる、そのテンションを感じた僕は、
教師が現れたのだと思ったけど、時計を見るとまだ授業開始まで10分はある。
なれば気にすまいと、意識を再び攻略本に移した。
その時だ。何者かが僕の右のイヤホンを抜き取った。
「はぁ…はぁ…おはよう。真響君」
耳元で吐き出される、荒く甘い吐息。
ねっとりと、耳の奥まで絡みつく声色。
僕は、ガクッと脱力し、思わず本を下に落としてしまった。
分厚い攻略本が、声の主の足元に転がり落ちていく。
「ふあぁ!!あっ!!ごめん!!」
反射的に謝った僕は、恐る恐る、声の主人に顔を向けた。
「へへっ!間に合った。何処の教室か分かんなくて焦った〜」
目と口をやんわりと曲げて、僕に、笑顔を向ける端正な顔がある。
首元のチョーカーは、汗が滲んで少し色が濃くなっている。
金色のサラサラな前髪が、少しおでこに張り付いて、それを恥ずかしそうに直している。
そこに居たのはギャルさん。
御崎かなた、だった。
「ギャっ……御崎さん?どうして?」
「はぁ〜。汗かいた〜。ん?どうしてって?」
ギャルさんは、両手の平で、パタパタと顔を扇いでいたけど、
足元に転がっている僕の攻略本に気付き、そっと拾い上げて、僕に差し出す。
「あ…ありがとう。あ、いや。だって……補習だよ?」
「うん。補習だね。補習しにきました。御崎かなたで〜す」
シュピっと、軍人さんみたいな敬礼でおどけるギャルさんは、
まるで昨日の会話なんか憶えていない。といった様子で、
僕の机に手をついて前のめりになる。
「ねぇ…ちょっと聞いて良い?」
あ……あまり近づかれると、その…胸が……胸を……
胸を意識しています。
僕、今、胸を意識していますよ。
「真響君?」
「あっ!はい!!」
「このプリントでさ〜出席表っていうのあるじゃん?
私、これ持ってないんだけど……どこでもらえるの?」
「え?」
マジかこの人。本気で忘れてるのか?
昨日、自分で僕に渡してきたくせに。
「あの……これ」
「え?……あっ!そうか!!君が持ってたんだ!
ごめんね!ありがとう!!」
「う…うん。でも、いいの?
僕、言われた通り出そうとしてたよ?」
僕は、託された事は、いい加減にしない男だと、
そうアピールする為に、強がった事をいってみる。
だって信用されていないとしたら、
それはそれで、プライドが傷つくもん。
「……そっか。ごめんね。私、すごく自分勝手な事言ったね」
「え……いや。別に……」
おかしい。
何か変だ。
昨日の今日で、こんなに人が変わるだろうか?
いや。まてよ。このシュチュエーションは、見たことがある。
僕は、キョロキョロと周囲を確認する。
ケータイのカメラを、こちらに向けている輩が居ると思ったからだ。
このギャルさんの接し方の謎は、それで説明がつく。
『うぇ〜い!オタク君、からかってみた件。〜夏休みバージョン〜』が、
起こっている可能性があるんだ。
「あの……真響君?怒ってる?」
「起こってるかどうかは………カメラを……ん?」
「えっ……えっとね」
その時、教室の扉が開け放たれ、ガリガリに痩せた教師が入ってくる。
怒ると怖いと有名な数学の枯枝先生だ。
「全員、座りなさぁ〜い」
独特な甲高い声で、枯枝先生が声を上げると、
教室内の生徒が一斉に、自分の席に収納された。
その動きからは、補習を長引かせまいと言う、
一致団結の呼吸を感じた。
ギャルさんも、それにつられて、そそくさと自分の席に戻る。
少々面食らったけど、何はともあれ、
出席票の替え玉は間逃れたわけだし、
悩みのタネが、ひとつ消えたのだから喜んで良い。
さて、とっとと終わらせて帰ってゲームだ!!!
僕の夏休みは、始まったばかりだぞ!!