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6・快楽主義者(エピキュリアン)

6・快楽主義者(エピキュリアン)



「イテテテ…」


 女性の場合、指が細いので、一点にばかり力がかかる。『指圧』には良いかもしれないが、俺は「もむ」「さする」といった施術の方が好きだった。だから本当は『マッサージ』は、面圧の下がる男の手に限るのだが…


「お客さま、どこかカユイところがございますか?」


 上から声がかかる。


「なに…フザケてんだよ」


 俺はうつぶせになって、彼女のマッサージを受けていた。


「痛いなんて言ってるからよ!」


 不満を口にする。


(実のところ、『まな板の上の(コイ)』と言うほどでは無いにしろ…つまり、「相手のなすがままで、逃げ場のない状態」という意味だ…俺は彼女の「練習台」。お互い『試行錯誤(しこうさくご)』する中での、「モルモット第一号」だった)。


「マジメにやれよ」


 俺が、そう返すと…


「ギューッだ!」


 背中側の両肩の下…「肩甲骨(けんこうこつ)」の内側に、両手の親指をねじ込んでくる。


「テテテ…ッ!」


 まあ、(スジ)や筋肉を痛めないよう、手加減はしてあったが…


「はい、おしまい!」


 そう言って彼女は、俺の頭に、ポンッとタオルをたたきつける。


「フン!」


 あの一件以来、「運命共同体」というか「一蓮托生(いちれんたくしょう)」というか、男女の枠を越えた「仲間意識」みたいなものが芽生えていた。


『そういえば、血液型は何型だろう?』


 いつも、そう思うのだが…

「仕切りたがりの親分肌」で「独立心旺盛」なところは『O型』っぽいし…

『B型』っぽい「大らかさ」や「ズボラ」なところがあるかと思えば…

『A型』のような「几帳面さ」や「神経質さ」もあり…

『AB型ってことはないよな』と考えつつも…


(よく『ものの本』には、「AB型は、AとB、ふたつの型を持つから『二重人格』だ」などと書かれてあるが…少なくとも俺が知る限り『AB型』の人間は、「A型以上にA型っぽい」…つまり『きまじめ』か、「B型以下のB型」…ようするに『お気楽』かの、どちらか両極端だ)。


 基本は寡黙な俺だ。毎回、言い出すタイミングを失してしまい、そのままになっていた。ちなみに俺は、ジプシーや遊牧民に多いとされる「自由奔放」な『B』だ。


(「ブラッド・タイプ」などと言うと、血液のみを対象としている感じがするが、それは免疫系をも含めたものらしい。たとえば「アメリカ・インディアンは本来、O型しかいなかったろう」と言われるように、人類の血液型の基本は「O型」だが…原初の狩猟・採取の生活から移行していく過程で、それに適した酵素が結びついた。定住・農耕の暮らしの中で、穀物主体の食生活を送ってきた農耕の民は、それに適した抗原「A」を。一方で、移動しながら牧畜を営み、肉や乳製品メインの暮らしを続けてきた放牧の民が、やがて身につけたのが・それに適応した抗原「B」…と、それぞれの環境の違いから、各々(おのおの)の免疫を獲得したのだそうだ。ちなみに、3000年以上前の人類の痕跡からは発見されない「AB」は、「新しく誕生した血液型だろう」と言われている)。


 もちろん、二人と同じ人間がいないのと同様、それですべてが決まるわけではないが…傾向を示す指標にはなるので、客商売という関係上、参考にはなっている。


(近頃では、逆に・何の根拠も無いクセに、『血液型懐疑論』を唱える奴もいるが…もっとも、ごくマレに、まったく当てはまらない場合(ケース)もあるので、要注意だ)。


「たいしたものね」


 白と(オレンジ)色のスポーツ・クラブの制服姿の彼女は、ベッドの脇に置かれた・背もたれの無い・丸い折りたたみ椅子に腰かけ、俺の「トレッド・ミル検査」の評価表を、ページをめくり上げながら眺めていた。


(「トレッド・ミル」とは、早い話、いつも使っている「ランニング・マシン」の事だ。ただし医療検査などに使われる物は、「心電図」や「血圧計」・酸素マスクのような物をつけての「最大酸素摂取量」などが、測定できるようになっている)。


「ポンプみたいな心臓」


 病室のような、白がまぶしい部屋。薄い青色がかったガウンに腕を通しながら、マッサージ用のベッドから起き上がった俺に、ソイツを手渡しながら感嘆する。


「フン!」


 鍛え上げられた運動選手の脈拍数は、「スポーツ心臓」あるいは「スポーツ徐脈(じょみゃく)」と呼ばれ、安静時は通常の人間より遅い「毎分60回」以下だ。

 しかしレーサーの心臓は、心拍数の限界とされる「180回/分」を、レースのあいだ中、打ち続ける。

 おまけに興奮すると、体内で『アドレナリン』という物質が合成され、血液はドロッとした感じになるそうだ。粘度が上がると、それだけ抵抗が増えるわけだから、心臓は血液を循環させるため、よりいっそうの働きをしなくてはならない。

 つまり…興奮することばかりしていると、さらなる負担が心臓にかかる事になる。

 ゆえにレーサーは、事故死しないで引退しても、晩年、心臓疾患で早逝(そうせい)する確率が高い。


(「寿命と心拍数」の関連を唱える学者もいる。たとえば電気製品だ。その寿命は、稼働する時間や・オン&オフの操作回数で、おおよその見当がついたりする。心臓もそれと同様『一生に打てる回数が定まっている』とするものだ。それゆえ、脈拍の速い小動物は、概して寿命が短いわけだ)。


「あたしは不整脈が出ちゃってるから…保険もマトモに入れないのよ」


 次々と新しい記録が生まれ、どんどん世界が変わっていったが…昔からひとつだけ、変わらないものがあった。


「二つある物は、ひとつ取っても大丈夫だったりするけど…なんで心臓は、ひとつしかないんでしょうね?」


 いずれは「人工弁」、ひいては「ピストン」や「タービン」でも組み込まれた「人工心臓」が登場し、さらに進んで、「2気筒」「3気筒」と、エンジンの多気筒化のような事になるかもしれないが…今のところは・まだ、そこまでは手をつけられていなかった。


(心臓は、下等生物ほど単純だ。人間に備わった物は、血液をためる「心房」と、送り出す「心室」に分かれ、それが動脈系の「左」と、静脈系の「右」とに分かれた、合計4室構造だ。左右に分かれていない魚などとくらべると、かなり上等な造りをしている)。


「でも心臓って、案外、ナマケ者なのよ」


 他の種目では、もう生身の人間の出る幕じゃなかったが…しかし改造人間ばかりが覇を競う他の競技と違って、皮肉なことに、機械を介しているがゆえに「モーター・スポーツ」は、一番人間らしさを残している事になった。


「打った後、次に打つまでは休んでいるんですって」


 彼女の勤務時間が終了するのに合わせて、こっそり「スポーツ・マッサージ」を受けていたのだが…


『返事もしないのに、よくしゃべるぜ』


 そちら方面の実務経験は、ほぼ(ゼロ)だったので…先にも述べたように…俺が被験者(モルモット)第一号というわけだが、そろそろ潮時かもしれない。なにしろ…


『?』


 俺は、左隣りから何か話しかけられたような気がしたので、両耳にかけていた左側のイヤー・フォンだけをはずして、左を向く。俺と並んで「エアロ・バイク」を漕ぐのは、例の男。


「最近、なにやってるんだ?」


 そう問いかけてくる。


『なにって?』


 俺は、聞いていた無線ステレオのスイッチをオフにする。音大に通っていた女房を持つ俺だったが、音楽はジャンルを問わず、あまり興味がなかった。


(そのくらいだから、もちろん「やる方」は、まったくダメだ)。


 流行りの曲も・ミュージシャンも、まったくわからず、「そんなことも知らないの!」と最近では、娘に(あき)れられる事もしばしばだったが…まあ仕方ない。興味が無いものは、興味が無いのだから…。


(関心があるものはトコトンだか、関心が持てないものは、『まったく知らなくていい』と思っている俺だ)。


 そんな俺が、今日、聞いていたのは…文学作品の朗読だった。


「師、のたまわく…」


 中卒の学歴しかない俺だが…祖父は、レーサーにとっての命である眼が悪くならないように…しかし、最低限の教養くらい身に着くようにと、こういった物を用意してくれた。

 だから「世界の名作」なんてものは、およそ一通り、耳を通した事があったし…英会話だって、「聞く耳」だけは持っていた。


(博識だった祖父は、レース会場への移動の車の中でなど…俺の走りについて、いちいち口出しすることは無かったが…科学や哲学に歴史・はては政治や経済まで、まだ小・中学生だった俺に、いろんな話を語って聞かせてくれた。どちらにしろ俺は、もともと早熟なマセ餓鬼だったのだろう。大人の中に混じって・チョコンとはじっこに座っては、その話を聞いている…そんな子供だった。「この子は座布団を出せば、ちゃんとそこに座る子なんだよ」。ジイサンはそう言って、嬉しそうに俺の頭を撫でている…そんな記憶がある)。


「フン!」


 まさか、眼の見えない娘が生まれてくる事を、予想していたわけではないが…俺が、そうしたように…俺の「秘蔵ディスク」の数々は、娘の教育にも、多少は役に立っているのではないかと思っている。


(人は、心の中で考える時も、言葉を使って考える。だから、耳が聞こえないで生まれてきた人間より、目が見えずに生まれ出てきた人間の方が、知能の発達は早いそうだ)。


 怪我の療養中…特に「寝たきり」の期間には、気をまぎらわす意味もあって…それらは、片時も手放せなかった。


「フン!」


 俺自身は、ここ数年、とんと御無沙汰だったわけだが…今は、退屈な「ランニング・マシン」や、特に動作の単調な「エアロ・バイク」にまたがっている時の必需品になっていた。


(どの器具の前面にも、飛行機の座席のような・小型のモニター画面と、持ち込みの電子機器設置用ホルダーがセットされていたが…もっとも普段から、プライベート・タイムには映画はおろか、テレビだって見ない生活を送っている俺だった)。


「かみさんが心配しているぜ、なんだか最近おかしいって…」


 男は、「女房が、俺と彼女とのことを(うたが)っている」とでも言いたげな口ぶりだが…


『そういうことじゃないんだ』


 俺の身体は、そういう事ができない肉体だ。それは女房が、一番わかっている。余談だが…こんな話がある。

 モーター・スポーツは「フランスで生まれ、イギリスで発展した」というが…その英国では、「男が下手では済まされないものが二つある」と言われているそうだ。


(原典は、かつて『無冠の帝王』と呼ばれた・高名な往年の名レーサー…「プレイ・ボーイ」でもあったらしい…の『(げん)』とされるが、今では・なかば「格言」化して語られている)。


 それは…「クルマの運転とメイク・ラブ」。


(「メイク・ラブ」とは、男女の愛情表現の実践的な行為…つまり、「アレ」のことだ)。


『なるほど!』


 たしかに、『ドライビング』と『メイク・ラブ』は似ている。なぜなら「上手な運転」とは…ハンドルやシートを通して伝わってくる、路面からのフィード・バックを敏感に感じ取り、「その時()その場()その状況()」に臨機応変に応じた、「適切な反応」かつ「的確な操作」を加えて行く…という行為だからだ。


(ましてやレーシング・スピード下での、未熟な判断・操縦では、簡単にスピンやコース・アウトを喫してしまうだろう)。


 それは、相手の反応に応じて対処していく、「愛の営み」と共通したものだ。


(とある著名なレーサーが・かつて、「運転に肝心なモノは何か?」と訊かれ、「尻と脳ミソのつながり具合だ」と答えたそうだが…自分勝手な操作ばかりしていたのでは、車ばかりでなく、相手を満足させる事もできないだろう)。


 ゆえに『ドライビング』と『メイク・ラブ』…たしかに、似ているところがあるわけだ。


(つまり「男が下手では済まされない二つのもの」という意味は、裏を返せば「ドライビングが下手な奴は、メイク・ラブも下手だ」という事だと、俺は解釈している。それに、そこまでいかなくとも、「ソイツがどんな運転をするか」を見れば…緩急自在・オンオフ型・途中で集中力が途切れる、などといった…『どういった行為(セックス)をするか?』も、だいたい想像する事ができるし、『上手いか・下手かまで、わかってしまうに違いない』とも思っている)。


 もっとも今の俺に、後者は無縁な話だが…事情を知らないこの男は、何か勘違いをしているようだ。


『フン!』


 女房の心配事とは、俺の『危険な(くわだ)』についてなのだが…でも考えてみれば、かわいそうな女だ。俺なんかと・かかわりを持ったばかりに、大学も中退せざるをえなくなり、二十歳(ハタチ)で子供を産んで10年間、ハンディキャップを背負った子供と亭主を背負わされ、人生の一番良い時期「20代」を棒に振ったのだから…


(そして、この先のアテだって…?)。


「あんまり、かみさんに心配かけるなよ!」


『フン!』


 前をむいて、イヤー・フォンを元に戻す。


『ここにも、よくしゃべるヤツがいるぜ』


 しかし…それでなくとも、館内でヘンな噂が立つと、彼女も・ここの従業員という立場上、まずい事になるだろう。


『早いとこ、なんとかしてくれよ』


 そろそろ冬になっていた。


『フン!』


 そして・その知らせは、年明けとともに届いた。


     ※     ※


 その日・俺は、夜の営業時間を前に、店内で本日・四食目の食事を()っていた。


『一日四食にするか? それとも五食にするか?』


理学療法士(フィジオ)」の彼女と、検討中の時期だった。


「フン!」


「新陳代謝」や「仕事量」「吸収効率」など…おのおの個々人によって違いがある上に、人それぞれに一日に必要なエネルギー量がある。ただし・それを一気に摂取しても、一度に消費できる量には限度がある。あまった分は「脂肪」となって、蓄えられてしまうだけだ。


(これは、「狩猟採取」という不確定な要素の多い暮らしを生業(なりわい)として進化してきた動物に、共通する機構・構造だ。食べられる時に食べて、余剰分は体内に蓄えておくわけだが…いったん貯蔵した物を、エネルギーとして使える状態に再変換するには、『運動』が必要だ。それも、有酸素系の運動を・一定時間以上つづけないと、体内で燃えはじめない。だから、「運動嫌い」な人間が、一日の必要量を一回で摂取してしまうと、「かえって太ってしまう」という結果になりかねない)。


 だから猫のように…腹が減ったら、その(たび)ごとに・ちびちび食べる…必要なカロリーを・細かく取った方が、吸収効率が良い事になる。


(そんな事は、スポーツ界では今や常識だが…「個人差」を考慮しなくてはいけない。俺たちは・俺の身体を検体に、「現在進行形」でテスト中だった)。


『?』


 そんな時、店の電話が鳴る。


(俺は、「常時・肌身はなさず」ケータイやスマホを持ち歩くような人間ではなかった)。


「もしもし…」


 受話器の向こうに、彼女の声が聞こえると…一気に頭に血が昇り、心拍数が上がるのを感じる。


「フン!」


 俺の身体は基本的に、どちらかと言えば「持久(エンドルフィン)」型だが…ことモーター・スポーツに関してだけは、超「瞬発(アドレナリン)」型。幼い頃から・そんな訓練を積んできたせいか、一発目の一周目から、全速・全開で走り出せるのだが…


(「アドレナリン」とは先に言ったように、興奮すると「副腎」から分泌されるホルモンで、一種の「興奮剤」みたいなものらしい。おそらく・これも太古の昔、『弱肉強食』の環境の中での暮らしを営んでいた頃、非日常的な場面に出くわした際などに、即、戦闘状態(モード)に入れるように、あるいは脱兎(だっと)のごとく逃走行動に移れるために、自然に備わったものなのだろう)。


『フン!』


 俺が思うに…競技(スポーツ)選手(アスリート)には、二つの種類(タイプ)がある。まずは今述べた、「短距離走」ような『瞬発(アドレナリン)』型。そしてもうひとつが、「長距離走」的『持久(エンドルフィン)』型。


(「エンドルフィン」とは、「脳内麻薬」などと呼ばれ、現在では、「躁鬱(そううつ)病」の原因や治療に、その存在が認められている脳内物質。「ランナーズ・ハイ」や「クライマーズ・ハイ」の言葉で知られるように、苦痛の中にあって苦痛を打ち消す…いやむしろ「恍惚感(ナチュラル・ハイ)」をもたらす物質だ。一日6キロ以上、自分の足で走らなくては満足できない人間は、完全にこの「エンドルフィン中毒」だといわれる)。


 なんでも、「長距離走ができる」というのは…『有蹄類(ゆうているい)』の中の「奇蹄類ウマ(もく)」も同様だろうが…人間の特徴だという。動物界では多くの場合、獲物を仕留めるため、短距離型のハンターが多い。つまり、「速筋」型だが、やはり狩猟民だった時代、人類が使った狩りの手段は…


(自分で自分たちの事を、「農耕民族」だと卑下する日本人も多いが…どこの種族だろうと、最初は木の実などの採取をメインに・狩りを行っていたはずで、「定住」「農耕」は、かなり進んだ文化形態のはずだ。それを過小評価する必要など、まったく無いが…「狩猟・採集民族」は、多くの人間が夢想するような「貧しい、その日暮らし」と違い、「裏山に入れば、木の実やバナナがなっている」ような、「案外、豊かな生活を送っていただろう」と語る研究者もいる。もっとも…かならずしも「安定した」とは言えない…耕作・定住生活を送るうちに、「野生のカン」が鈍り・やがては失われてしまったのも事実だろう)。


 手負いになり・逃げ疲れた「弱った獲物を追い詰める」という、「遅筋」型の手段。手間や時間はかかるが、一番安全で堅実な方法だった事だろう。


(体毛が無いというのは…この点でも、「馬」もまた『(しか)り』だ…防御的には手薄になるが、発汗や発熱など、持久走には有利な造りなのだそうだ。人間に体毛が無いのは、沼に棲むカバや、海に帰ったクジラのように…両者は、共通の祖先を持つそうだが…「水中生活に戻った事があるからだ」という説があるが、こういったものに適応していった結果かもしれない)。


 また、「エンドルフィン」が多量に出る人間は、「ケガに強い」とも言われている。


(少し意味合いは違うが…20世紀の初頭。最期はオートバイで事故死してしまった、映画の主人公としても描かれた『アラブ独立戦争』の英国の英雄は、(ムチ)で「ムチで打たれる」性癖があったという噂がある。捕虜になった際、自分の嗜好に気づいてしまい、以後、何かと理由をつけては…「戦死させてしまった部下たちへの償いのため」とか称して…部下たちに、「自らの身体を鞭打たせていた」という言い伝えもある)。


 そしてそれは、『筋肉の質』のところで述べた事と同様、持って生まれたものによるところが大きいのだろうが…


「自分の向いてるものに()かれるのは、当然だろう」


 正確に言えば俺の身体は、筋肉的には中間のピンク系のどこか…つまり、俺が最もモーター・スポーツに適していると思っている…「中距離」型のどこかに、位置しているはずだ。


(これは「サディスティック」と「マゾヒスティック」にも対応する…というのが俺の意見だ。完全なる「S」と、完璧な「M」があったとして…筋肉の「白」から「赤」への途中に、様々な濃さの「ピンク」があるように…たいていの人間は、その間のどこかに位置するものだろう。その上おそらく、折衷度合いは、相手や状況によって変化する。部下や女房の前では「いかつい」上司が、愛人といる時に「幼児返り」するみたいに)。


「案外、『最初の一撃』は瞬発力のある者、『とどめの一突き』は持久力のある者…と、当時の人類には、役割分担があったのではないか?」


 俺は何の学識も無いが、そんな意見を持っていた。


(「投擲(とうてき)」は、特に動いている対象に命中させるには、かなり高度な脳の機能が必要なのだそうだが…「球技」全般が苦手な俺みたいな人間は、『適者生存の法則』に従えば、生き残れなかったはずだ。きっと俺の祖先の役目は、追撃者(チェイサー)だったのだろう。それが代々受け継がれ、やがて競走者(レーサー)の血となったのだ)。


「返事が来たわ」


 おおよその内容を聞く。


「メールかファックスで送りましょうか?」


 彼女は・そう言うが、俺は即答で…


「いや、都合がつく時でいいから…なるべく早く、来てくれないか?」


「いよいよ」だが、『ためらい』が無いとは言えなかった。でも…


『行かなきゃ何も始まらない』


 しかし、その前に…


『家族会議が必要だ』


     ※     ※


 俺の家は…正確には、ここも女房と、その義母(オフクロ)さんの家だが…街はずれに建つ、古いが一軒家だ。


『今夜は冷えるぜ』


 冬の夜の、もう遅い時間。この土地特有なのか? 今宵(こよい)も、まとわりつくような寒さだ。


(冬は「太平洋高気圧」におおわれ、『放射冷却』で気温の下がる晴天が続く土地柄だ)。


「フン!」


 俺の育った土地では、0度まで気温が上がると、暖かく感じられたものなのだが…


(さすがに、マイナス10度以下になると、昼間、陽が差していても「底冷え」するが…)。


 この近辺は、氷点下まで気温が下がると、とても寒く感じる。


『きっと湿度の関係だ』


 そう思っていた。


『雪が積もる土地は、湿気が雪になっているから暖かく感じるんだ』


 たとえば、昼間の気温が50度近くなる砂漠でも、何とかガマンできるのは…ジメジメしている日本の『梅雨(ツユ)』などと違い…空気が乾燥しているからだ。


(それに大陸では、床下暖房が完備された家が当たり前で、屋内にいればTシャツ一枚で充分だったが…なんでも、日本のような「炬燵(コタツ)」の文化は、他には、わずかにアジアの少数地域にみられるだけで、珍しい存在なのだそうだ)。


「まだ決まったわけじゃない」


 俺は皆を前に、ボソッと切り出す。


「それに…」


 青い畳に、白木(しらき)白壁(しらかべ)の和室。質素だが、材料には良い物が使ってあるようだ。初めてここを訪れた時、俺は「神社」を連想し…見かけも・中身も不自由な頃だったせいか、余計に…「(おごそ)か」な気分にさせられた事を憶えている。


『フン!』


 湯飲み茶碗と急須(きゅうす)が並べられた、掘り炬燵に足を突っ込んで…無口な俺だが、今夜は黙っているわけにはいかなかった。


「それにシュミレーターだけで、実走テストはないんだ」


 正確には「シミュレーター」と発音する。最近では、「パイロット」や「宇宙飛行士」ばかりでなく、「歩兵」の戦闘訓練などにも応用されるなど、さまざまなバージョンの模擬実験・操縦装置(シミュレーター)が登場していた。そして、現実と見まごう優れた仮想現実バーチャル・リアリティーの世界は、各分野で評価・判定にも使われていた。


「とりあえず、テストを受けるだけでも…」


 四角いコタツの・俺の左面に座る彼女は、英文の書状を差し出す。


「わたしたちは、どうなるの?」


 俺の正面にいる女房が、反論する。


「ダメならダメで、また元の生活に戻るだけさ」


 もちろん、そんな考えは、みじんもなかった。当然、合格(パス)するつもりだ。


「わたしが言ってるのは、そんなことじゃないわ」


 言いたい事は、わかっている。


「もし、またなにかあったら…」


 もっともだ。


「あなたの考えてることが、わからない」


 そう言う女房に、俺は無言で返答する。


『誰もが、勝って自分の優越さを誇示したいと思っているのさ』


 競技者の「名誉欲」ばかりではない。政治家の「権力欲」に、実業家の「財産欲」や、芸術家の「名声欲」。案外、宗教家だって、「権威」を振りかざし、人の上に立ちたいと欲しているに違いない。だから「格差社会」も、やむを得ない。いやなら勉強もスポーツも、順位(ランク)付けなどしなければよいのだ。


(ゆえに、「格差」を是正するのは簡単だ。すべての競争・成績を否定すればよいだけだ)。


 どちらにしろ俺は、ずっと以前から気付いている通り…

『アブナイくらいじゃないと、本気になれない』

『ドキドキするくらいじゃないと、生きてる気がしない』

「気持ちの良いこと」が大好きな『快楽主義者(エピキキュリアン)』。


『フン!』


 だいたい、もともと愛に生きる人間ではないし…今さら・それを望んだところで、どうせ満たされない身体だ。それに…


『女は男の付属品?』


 そんな『時代錯誤』な考えを持っているつもりはなかったが…かつてレース仲間に、そんなふうに言われた事があった。


「お前の『女は男の付属品』みたいな考え方、俺は好きだよ」


 そんな事を語った事も、考えた事すら無かったが…俺の態度が、そんなふうに見えたのだろう。どちらにしろ、事実あの頃の俺にとっては、「恋愛」なんてニの次・三の次。「無くても構わない」とまでは言わないが、面倒を抱えてまでも、必要なものではなかった。それに…


『男の本懐(ほんかい)は、別のところにある』


 そんな台詞(セリフ)が頭に浮かぶ。時代小説に登場した言葉だ。


『男の本懐?』


 国や経済を動かすというほど、大袈裟なものではないが…


『この10年で、ずいぶん頭デッカチになったもんだぜ!』


 もっとも、そんな大そうな演説をぶてる俺ではない。


「契約金が入れば、借金だって返せるし、眼の方だって…」


 もちろん、最初から大金が転がり込むわけではない事はわかっていたが…娘の眼の事…それが、俺が一番アテにしていた「言い訳」だった。しかし、そんな時…


「男には、どんなことがあっても止められない・あきらめきれないものがあるんだって…おばあちゃんが言ってたわ」


 右横から口をはさんできたのは、娘だった。女房にしてみれば、俺を思いとどまらせるには一番効果的だと思ったのだろう、娘も同席していたのだが…


「それは、理屈じゃないんですって」


 義母(オフクロ)さんは若い頃、地方都市だが「ミス○○○」に選出された事もあるような(ひと)で…詳しく聞いた事はないが…その頃、地元の有力政治家と懇意になったそうだ。そして未婚のままに生まれてきたのが、女房らしい。


(その父親は、とっくの昔に…女房が、まだ小学校にも上がらない子供だった時に…他界しているようだが、どうやら店もこの家も、その「後ろ盾」のおかげらしかったが…)。


『さすがオフクロさんだぜ!』


 もともと勘のいい人だ。うすうす気付いていたのだろう。


「そのくらいの男じゃないと、つまらないって」


 娘の一言。それが結論となった。


『フン!』


 上出来だぜ!


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