第8章:カフェで君と(2)
手持ち無沙汰になってしまった和哉は、スマートフォンを弄りながらマリナを待っていた。
コーヒーも既に飲み終わってしまい、中々に居心地が悪い。
「そういえば、アドレスを交換してなかったわね」
「っ!」
ふいに背中から抱きつかれ、和哉は一瞬呼吸が止まりそうになった。
当然ながら、椅子の背ごと和哉を抱きしめたのは、席を外していたマリナである。
「……おかえり」
「ただいま。ちゃんと待っててくれたのね」
「逃げなきゃいけない理由なんてないじゃんか。
それより、ちょっと思ったんだけどさ……君、手が冷たくない?」
和哉はスマートフォンをテーブルに置き、背中から回されたマリナの手を叩く。
ヒヤリとした彼女の肌。暑い室外にいる時はよかったが、冷房の効いた室内で触れられると、さすがに少しばかり寒く感じる。
「身体冷えてない? 大丈夫?」
「あたしが冷たいんじゃなくて、カズヤが体温高いだけでしょ」
「僕の体温、平均的だと思うけど」
「まあ、そんなことはどうでもいいじゃない。
ねえ、アドレス交換しましょ?」
抱きついたままの姿勢で、マリナは和哉にささやきかけてきた。
「君、本当にグイグイ来るよね」
僕らは初対面に近いんだけどな、と和哉は心の中で思う。
性格はさておき、見目は麗しいのだから、相手などよりどりみどりだろうに。
「そろそろ美人局を疑うべきなのかな」
和哉は冷静な顔で、背中から回されたマリナの腕をほどいた。
「失礼ね、お金なら間に合ってるわよ。
というか、当人がこんな間近にいる時に、そんなことを声に出して言う?」
頬を膨らませながらも、マリナは和哉の対面の席へと戻っていく。
「こんなカワイイ女の子に抱きつかれたんだから、少しくらい喜んだら?」
「単純に「こういうのが好きなんだろ?」という押しつけは嫌いだ、ってこと」
「ああ……」
和哉の言葉に、「好みでないものを押しつけられるのは、確かに嫌かも」とマリナは呟いた。
「つまり、カズヤは露骨な誘惑とかは好きじゃない、と」
「僕の好みを解析してもしょうがないだろ。もっと有意義なことに時間を使いなよ。
そもそも、僕には、傍若無人な姉がいてね。振り回されることには慣れてる」
和哉には年の離れた姉が居て、これが中々に傍若無人な性格をしている。
物心ついた頃から、姉に振り回されてきたといういきさつがあり、妙な耐性がついてしまっていた。
だからこそ、光志郎のな自由奔放さにも対処できるという部分もあるのだが……それはまた別の話。
「ああ、兄弟姉妹の影響ってあるわよね。それは分かるわ。
あなたって付き合いがよさそうだし、さぞかしモテるんでしょうね」
「おや。我が儘なお嬢様は、僕との喧嘩をご所望かな?」
和哉が面倒くさそうにため息を漏らすと、マリナは目を丸くする。
「えっ、何で怒るの?
別に気に障るようなこと、言ってないと思うんだけど。
……もしかして、カズヤって、彼女とかいないの?」
「いたら、君の我が儘につきあうわけないだろう?
誤解を招くようなことはしたくないよ」
本当に何を言わされてるんだと思いながら、和哉は卓上のスマートフォンをポケットにしまいこんだ。
「じゃあ、好きな人とかは?」
「特にいない。
今のところは、男友達とつるんでる方が楽しいかな」
「ふぅん? そっか、あなたは今、フリーなのね」
マリナは急にご機嫌な顔になって、残っていたドリンクを一気に飲み干した。
(僕が奥手だってことを、完全に面白がってるだろ)
性格がよろしくないぞと指摘してやった方がいいのだろうか。
和哉が真剣に考え始めたところで、マリナが思い出したように口を開いた。
「ああ、そうだ。確認しておかなきゃ」
「何を?」
「ぬいぐるみのお礼、何がいい?
ここで奢れば帳消しになると思ったのに、かたくなに断るんだもん。
あなたって、本当に困った人ね」
「ぬいぐるみのお礼……」
まさか、マリナがそんなことを考えていたとは。
性格はよろしくないが、律儀ではあるようだ。
(とはいえ、お礼されるほどのことでもないんだよなぁ)
和哉は困ったように頭をかく。
「君は景品自体が欲しかった。僕は取るまでの行為を楽しみたかった。
お互い利害が一致してるんだから、お礼も何もないだろう?」
「でも」
「ほらほら。飲み終わったなら、店を出よう」
話を打ち切って和哉が立ち上がると、マリナは肩をすくめた。
「しょうがないわね。じゃあ、代わりにひとつだけ忠告しておいてあげる。
―――お人好しも度が過ぎると致命傷になるわよ。注意なさい?」