第6章:強引なお誘い
つむじを焼きそうな日差しの強さと、アスファルトからの照り返し。そして、通りがかる車の排気ガス。
昼間の駅前は、灼熱地獄の様相を呈していた。
息苦しいくらいの暑さは嬉しくない。
ただ、朝に洗濯して干しておいた制服が、夕方までには乾いてくれそうな点だけは有り難かった。
(あんなことあったら、眠気なんか来るわけないよね……)
日曜の昼過ぎ。和哉はあくびをかみ殺しつつ、駅前の雑踏を歩いていた。
親から「勉強しろ」と言われたくなくて、「予備校の自習室に行く」という名目で外出したのだ。
(忘れろって言われたけど、やっぱり無理だ。どうしたって考えちゃうよ)
にじみ出る汗を手の甲で乱雑に拭い、和哉はため息を漏らす。
―――セーラー服の少女は「全部忘れてしまいなさい」と言っていた。
しかし、あんな怪奇現象、そう易々と忘れられるものではない。
ましてや、まやかしなどではなく、肌で感じたものであればなおのこと。
彼女は一体何者なのか。追っていた化け物は一体何なのか。
そして何より―――どうして、和哉のことを知っていたのか。
気になることが次から次へと湧いてきて、忘れることなんてできそうにない。
(どうして、僕の名前を知っていた?
それに、僕が狙われた時に、完璧なタイミングで割って入って来て)
何故、この自分のことを一方的に知っていた?
そして、どうしてあのタイミングで助けに入れたのか。
(前に見かけた時もうちの近所だったから、実は近くに住んでいる子だ、とか?
いや、それなら、もっと見かけててもおかしくないはずで……)
制服の種類なんて詳しくはない。だが、この辺りの学校のものならば、街中で見かけるし、和哉だってそれとなく憶えている。
だが、彼女が着ていたものは、和哉にとって見覚えがないものだった。
あの少女は多分、この辺りの住人ではないのだろう。
では何故、二度も和哉の家の近くで遭遇したのか。
(もしかして、僕をつけまわしてた? いや、それもおかしい)
悲しいかな、和哉は「自分はモテるタイプではない」ということを理解している。
待ち伏せされたり、つけまわされたりしなければならない憶えなんてない。
会った憶えもない、かといって、近くに住んでそうでもない少女に、なぜ自分のことが知られていたのか。
(思い当たる節なんてない?
……いや、そんなことはない、か)
ひとつだけ思い当たる節がある。
ただ、それが正解だと思いたくなくて、考えないようにしていただけで。
(僕がここ数日どうしていたか、詳しく知ってるヤツがいる。
たったひとりだけ、だけど)
もしも彼女が和哉のことを、誰かから聞いていたのだとしたら。
それならば、和哉は彼女を知らなくても、彼女が和哉を知っていておかしくない。
筋は通る。だが……。
(でも、それならば、アイツはなんで「彼女を見た」という僕の話を疑ったんだ?)
和哉が重たいため息をこぼした、丁度そのタイミングで。
「見ぃつけたっ♪」
ポンと背中を叩かれた。
「!?」
ギョッとして振り向くと、そこには見たことのある少女が立っていた。
目が覚めるような、鮮やかな赤い色のワンピースとヒールを身にまとい。
ゆるくウェーブがかった髪は、月の光にも似た銀色。
石榴石のように深い赤色をした瞳に、好奇心の光を宿して、まっすぐに和哉を見上げている。
「君は……この間、ゲーセンで会った子、だよね?」
一度見たら忘れようもない。彼女は一昨日の夜、ゲームセンターで出会った少女だ。
「憶えていてくれたのね、嬉しいな」
少女は艶やかな唇を笑みの形にして、和哉にすり寄ってきた。
少女からふわりと花のように甘い香りが漂ってくる。
「いま、暇? まぁ、暇じゃなくても暇だってことにして」
そんなことを言いながら、少女は和哉の腕に己の腕を絡めてくる。
重なった肌の冷たさに、和哉は思わず目を見開いた。
(冷たっ! れ、冷房の効き過ぎたお店で涼んでたのかな……?)
よく見れば、これほど暑いにも関わらず、少女は汗ひとつかいてない。
少女の滑らかな肌はひんやりとしていて心地よく、ほんの少しだけ和哉の胸を高鳴らせた。
ただ、こちらは汗をかいている。ときめきより以上に驚きと申し訳なさを強く感じて、和哉は腕を解こうとした。
しかし、少女は絡めた腕の力を強めてきて、離してくれそうにない。
「あ、あのさ……」
「行ってみたいお店があるの。
でも、お店にひとりで入るのって微妙じゃない?
だから、つきあってよ」
和哉の戸惑いなどお構いなしに、少女はグイグイと腕を引っ張る。
「でも僕は」
「暇じゃなくても暇だったことにしてって言ったでしょ?
こんな美少女が誘ってるんだから、断るなんて許さないわよ」
いや、自分で美少女とか言うなよ。
和哉は心の中でそう突っ込んだが、口に出すほど野暮でもなかった。
「……」
和哉の沈黙を了承と受け取ったのか、少女は腕を絡めたまま、ずんずんと歩いて行く。
端から見たら、仲睦まじく腕を組んで歩くカップルのように見えるのだろうか?
いや、違う。この構図はきっと、「連行」の二文字で表現されてしまうだろう。
自分の意志が弱い方だとは思わないが、ここ数日は状況に流されすぎな気がする。
(良くないなぁ)
寝不足や心労のせいにしてしまえば楽だけれども、それは駄目だろう。
ちゃんと意思表示をしなくては、と和哉は口を開く。
「あのさ。僕ら、お互いの名前すら知らないし、赤の他人だよね?」
「あたしはマリナ。マリナ・ハルトマン。あなたの名前は?」
マリナと名乗った少女は首を傾げて、和哉を見上げてきた。
「僕は藤沢和哉……」
名乗られたら、名乗り返すしかない。
反射的に答えた和哉に、少女は―――マリナは、満足げに頷いてみせた。
「カズヤね、憶えたわ。あたしのことはマリナって呼びなさい。
これであたしたち、知らない者同士じゃなくなったわね」
「お互いの名前は分かったけどさ。でも」
そういう意味じゃなくて、と和哉が言いかけたところで、マリナは少しだけ視線を逸らす。
「あたし、事情があって、あちこち転々としてるの。
だから、友達を作る時間なんか取れなかった」
「うっ……」
サラリとした言葉の中に、重たい事実が潜んでいた。
マリナは大したことではないという風に話している。
だが、その態度が、かえって和哉の心を痛ませた。
「この街だって来たばかりだから、知り合いらしい知り合いもいなかった。
でも、あなたはぬいぐるみ取ってくれたでしょ?」
マリナの柔らかそうな頬が、うっすらと薄紅色に染まった。
「嬉しかったの。あたしに優しくしてくれる人がいるなんて、思っていなかったから」
無邪気に笑うその姿はやっぱり愛くるしくて、思わず目を奪われてしまう。
「やっぱり、ひとりより、ふたりの方が楽しいじゃない?
だから、ちょっとの間、あたしの我が儘に付き合ってくれないかしら。
その分、ちゃんとお礼はするから」
同情すべき点はあるとはいえ、それはあくまで彼女の事情であり、和哉自身には関係ない。
本来、縁などないに等しいのだ。この少女の我が儘に付き合わねばならない理由にはなりえない。
だが―――あの晩、自分の方から、この少女に声をかけたのだ。
(自分でまいた種ってことか)
厄介なことに関わった。そんな思いをすべてため息に変えて、胸から吐き出した。
「あの晩、僕には下心あって君に声をかけた……そんな風には思わなかったの?」
「思わないわね。だって、あの時のあなた、完全に見世物を見てる目だったもの。
もしかして、その眼鏡で隠せてるとでも思った?」
あたしの目はごまかせないわよ、とマリナは軽く頬を膨らせた。
どうやら、和哉が思う以上に、視線は雄弁だったらしい。
「……分かったよ。少しくらいはつきあうよ。
でも、僕だって都合がある。予定が空いてない時は駄目だからね?」
今のところ、和哉に恋人はいない。
故に、マリナと一緒にいるところを知り合いに目撃されたところで、大した問題にもならない。友人たちに少しからかわれる程度で済む。
それなら、ほんの少しだけ、この不思議な少女につきあってあげるとしよう。
和哉はそんな風に腹をくくった。
「ほら、そういう目よ。また、あたしのことを面白がってるでしょ?」
「ごめんごめん」
和哉の考えが筒抜けであるかのように、マリナに横目でにらまれた。
「こんなに見目麗しい少女に向ける目じゃないわよ、それ」
「なんで自分で言っちゃうのかな……?」
たしかに、マリナの「見た目は」かわいい。
腕を組まれて、悪い気はしない。
ただしそれは、黙って立っていればこそ、だ。
(口を開いた瞬間、全部台無しになるんだよね)
言っていることは間違ってないが、その物言いのせいで、かなり損をしている……気がする。
銀の髪に、赤い瞳をした、華美な少女。
まるで、ファンタジーものに出てくるお姫様のよう。
ただし、それは「マリナが口を開く前」の話。
しゃべり出した瞬間、ボロボロとイメージが崩れ落ちていく。
気位の高さと我が儘ぶりが強く出て、見目どころの話でなくなってしまう。
「あたしは事実を言ってるだけよ?」
「……マァ、ソウカモネ」
「何よ、その気のない返事は」
呆れ半分に言葉を返すと、マリナは不満そうににらみつけてきた。
「そんなことよりも。
君はお礼をくれると言ったけど、そんなものいらないからね」
和哉は気持ちを切り替え、「これだけは言っておかねば」と思ったことを口にする。
「何でよ? もらえるものはもらっておきなさいよ」
怪訝そうな顔をするマリナに、和哉は指を突きつける。
「だって、そんなのフェアじゃないじゃん」
「え?」
和哉はマリナの額を指でつっついた。
「僕ら友達になるんだろ? だったら、対等でなきゃ。
君が僕に我が儘を言うなら、僕だって君に我が儘を言ってやる。
つまりはそういうことだよ」